吸血鬼、そして旅立ち
寝起きの頭で昨晩起きたことを思い出す。
『お前、自分が何の種族なのか、自覚していないな?』
昨晩言われたことを考えていた。
『お前は十中八九、吸血鬼だ』
吸血鬼。バンパイア。他の生物の精を、血を通じて食らい、それを糧に生きる鬼。
それは現代社会でも稀に聞く生き物だ。主に空想上の生き物として。
日光に弱く、十字架に弱く、ニンニクに弱く、銀の刃物に弱く、心臓に杭を打たれたら死に、川を渡れず……あとは招かれなければ家には入れないだったか。
とにかく弱点だらけだが、その点それ以外ではほぼ死なない。そんなアンバランスな生き物。
確かに言われてみればそうかもしれない。
朝日を浴びたとき死ぬかと思ったし、臭いのは嫌いだし、川と言うより流水――主にシャワーを浴びると脱力する。銀の刃物も刃物ではなく針だったが、刺さった場所は力が抜けた。
十字架、心臓に杭は試していないから知らないし、建築物には客として招かれたことしかないから分からない。
「おはようございます」
「おはよー」
「あ……」
「あ」
隊員たちとばったり出会う。
気まずい。と言うのも昨日はさすがにやり過ぎた。行き摩りの関係なら甚振っても嬲っても殺しても構わないが、長い関係を築きたいのならできるだけ良好な関係でいたい。
どう謝ったものか……。そう思っていたのだが。
「ラヴちゃん! 昨日は凄かったね!!」
「あぁ、あんな型は初めてだ」
「魔法使ってごめんなさい! うまく避けてくれてほんと助かったわ」
「俺ほとんど記憶無いんだがな」
「弓だけ鍛えれば良いって思ってたけど、君のおかげで考えが変わったよ。ありがとう」
皆口々に感謝の言葉を口にする。
状況が理解できないラヴは戸惑いながら後ずさるも、後ろから来た別の客にぶつかってしまう。
「ご、ごめ――」
「なんだ、もう準備できていたのか」
今はちょうど夕日が沈みきった頃。
普通ならば夜行性の魔人たちが起き出す頃だが、ラヴからしてみたら、未だ少し空気に熱がある。
ノーマンの驚きはその性質を知っての発言だった。
「隊長、その黒い箱なんですか?」
「あぁ、これはラヴの寝所だ」
完全密封。
空気の一切も遮断するその箱は、中を開けると深紅の毛布が敷き詰められていた。
正真正銘、ラヴだけに用意された寝所だ。
「中から鍵がかけられるようになっている。耐久性と密封性両方を追求したから随分と扉が重くなったが、ラヴの怪力なら誤差程度だろう」
「……頂けるんですか?」
「あぁ、お前にとっては死活問題だからな。ちと権力を使って街の工場に特急で作らせた」
床に置いた瞬間、ドスンと重量感のある音が鳴る。
鉄よりも重い物質でできていそうだ。扉の表には魔王軍士官候補生を表す例のロゴが拵えてあり、何だか部隊のメンバーに加わったみたいでこそばゆい。
「みたいじゃなくて、加わったんだよ。見習いとしてな」
「ほんとですか!? やったー!」
メルラがラヴに飛びつき、その豊満な胸を押しつける。
暑苦しくて敵わないが、メルラにはこれから色々とお世話になるのだ。これくらいは許してやろう。
「……どうしたんですか? たいちょー」
「いや……先に謝っとく。すまん」
ラヴは昨日の会話を思い出す。
◆
「止めろ」
「あは、止めないでください――よ!!!」
腕を取り、身体を軸に投げ飛ばす。
ノーマンは咄嗟に腕を捻って逆関節を阻止し、自ら大地を蹴って身投げした。
「あはっ…………あ?」
みるみるうちに力が抜けていく。
やがて立っていることすら侭ならなくなり、地面に突っ伏す形で前に倒れた。
「ひゅー。怖い怖い」
「なん……うごか……ない……」
うなじに強烈な不快感を覚える。
きっと何かに刺されたんだろう。しかし自分でも試したが並大抵の傷ではすぐに塞がるはずだ。
「しばらくは動けんぞ。それは銀の針だからな」
「あー?」
「まあ、追々説明するさ。今のままだと会話すらできそうにないからな」
そう言ってノーマンは緑の液体を部下たちにかけていく。
すると傷だらけだった隊員の身体から蒸気が立ち上り、痛々しい傷があっという間に塞がった。
「ポーションを見るのは初めてか。おい、こん中で一番美味そうと思った奴は誰だ?」
「メルラ」
「……マジか」
意外だといった表情でラウラを見つめるノーマン。
ぽつり、てっきりラウラかと思ってた、と呟いたのをラヴは聞き逃さなかった。
しかし疑問を口にする前に、メルラの身体が差し出される。
今すぐかぶりつきたいが、如何せん身体は言うことを聞かない。それどころかだんだん眠くなってきて、気を緩めると今にも寝てしまいそうだ。
「良いか、条件をクリアできたらメルラの血を吸わせてやる。一度しか言わないぞ」
まず蛇が毒牙を出す姿をイメージしろ。
そう言われても、実際に毒蛇を見たことがないから本当に想像しかできない。
何となくだが、口をあんぐり開けて、そうしたらにゅるっと牙が飛び出してくるようなイメージだ。
そんなことを考えていたら、何だか犬歯がむずがゆくなってくる。
そのせいか、先ほどよりも余計に何かに噛みつきたくなり、口を開けたままだがノーマンをキツく睨む。
「いいぞ。ではその牙をゆっくり腕に突き刺せ。ゆっくりだぞ。噛み千切るなよ」
「あー」
ずぷりと牙が肉を貫く感触を感じる。
そしてじわりと暖かい血が流れ、腕を伝って舌に当たる。
「じゅるっ……んっく……じゅるるっ……ちゅるちゅる……」
この体勢では上手く血を飲めず、ぺちゃぺちゃとはしたなく音を立ててしまう。
しかしそんなことなど気にならないほどメルラの血は甘美だった。脳が溶けるような錯覚に見舞われながらも無我夢中で血を啜る。
「ん……邪魔……」
もう腕も自由に動かせる。
首に刺さった長い針をぶすっと抜いて、今度はメルラの首筋にかじりつく。
「んあっ」
「んく……んく……」
「ひゃぁ……んっ……ぁっ……」
気絶していても口から漏れる喘ぎに、余計に食欲がそそられた。
歯を突き立てる度に、ビクビクと身体を痙攣させるメルラは恍惚とした表情を浮かべている。口からはだらしなく涎を垂らし、目元は滲み、頬は紅潮している様は何とも扇情的だ。
「ん……れろれろ……」
「終わったか」
暫くたってようやく首筋から顔を離す。
ドサリと力なく倒れるメルラに一瞥もくれず、ラヴはそのまままっすぐノーマンへ向かって問い詰めた。
「……私の正体、最初から知ってたの?」
「まあな。お前が殺したんだろ? 何で殺した?」
「まあ、襲われたから?」
自分でも良く分かっていない。
殺すのに理由が必要だろうか。食べるのに理由が必要だろうか。強いて言うならやりたかったから。お腹が空いたから。
「俺らと来るなら今後殺しは一切なしだ。さもなくば断頭台へ連れて行ってやる」
「それは嫌ね」
「なら加減を覚えろ。今みたいにできれば上出来だ」
それからノーマンは吸血鬼について知っている限りのことをラヴに教えた。
「それはつまり、合法的に人を食べて良いってこと?」
「まあ、そうなるな。だが基本は吸血だけにしておけ。でないと社会から弾き出されるぞ。それと吸血は決めた奴だけにしろ。可能なら了承を取ってからが望ましいが、まあそこは仕方が無い」
本来ならばパートナーを見つけて吸血するのが理想らしいが、ラヴはまだそんな歳ではないらしい。
これからしばらくはこっそりメルラの血を拝借し、それがバレて見つかったら素直に謝って別の方法を模索しようと言う案になった。
◆
「何ですか、急に」
「いや、なんか、ほんとすまんと思って」
「だから何ですか。怖いですよ、もう」
そんなこんなで知らずの間にラヴの主食となったメルラは、ノーマンには哀れみと後ろめたさの目で見られ、ラヴには家畜に向けられる愛情の眼差しで見られていた。
「痛めつけたのを気にしてんなら心配すんな。あのくらい軍学校じゃ日常茶飯事だ」
「そう、ですか」
どこかほっとした自分かいることにラヴ自身驚き、しかしケジメとして皆の前で謝罪はする。
「皆様。昨晩は申し訳ございませんでした。そして、これから何卒よろしくお願い申し上げます」
「うん。よろしくね、ラヴちゃん!」
「良し、じゃあ皆揃ってんなら出発するぞ。今日からは時間厳守。でないとラヴが死ぬからな!」
隊長の号令とともに、七人は歩み出す。
目的地は隣町。その足がかりに数カ所の村を経由していくと聞いている。
初めての旅。初めての世界。
心躍る旅路に、ラヴは目一杯の期待を馳せる。




