狂気、そして終焉
その少女は狂っていた。
――どうして殺しちゃいけないの?
高度な知識。巨万の富。円満な家庭――
凡人が羨む全てを持っていながら、少女には凡人でさえ持つはずのモノを持っていなかった。
――どうして食べちゃいけないの?
少女は問う。
誰にでもなく問う。
――どうして求めちゃいけないの?
『法律上』してはいけないことだとは分かっている。
しかし何故そのような法律が生まれたのかは誰も答えてくれなかった。
――どうして知っちゃいけないの?
誰もが少女を褒め称える。
その内に潜む純然たる悪意に気付きもしないで――
「キャアァァ!!」
ピアノに代ってホールに響くのは女性の高く綺麗な声。
煌びやかな内装に紅い飛沫が模様を描く。
「■■■さん!? お止めく――グアッ!?」
誰かが少女の名前を叫ぶ。
呼ばれた少女は頬を赤く染め、ニマリと嗤って鈍器を振り下ろした。
なんてことは無い。ただの金槌だ。
そこらの工具店に行けばいくらでも手に入る。
「や、やめて! 来ないで!!」
怯える姿が実に愛しい。
彼女は少女のクラスメートだ。
少女の後ろにいつも着いてきて、頭を撫でると嬉しそうに目を瞑る。まるで犬のように懐いてくれた可愛い他人。
そんな彼女が「来ないで」なんて――
「立派になったね」
「ギャ――」
声にならない叫びは頭蓋が割れる音にかき消される。
脳漿が床を汚し、眼球がコロコロと床を転がる。
「あは」
足下に来た眼球を拾い上げ――パクリ。
「貴女の目。好きだったよ。美味しいね? 塩味だ」
手に付いた鮮血からは未だに温もりを感じる。
これが人の温もり。これが命の輝き。なんて美しいんだろう。
「け、けーさつ! 警察呼んだから!!」
「……?」
学級委員の真面目ちゃん。
いつも何かと対抗意識を燃やしては、まだ少女に一勝もできていなかった。彼女にとって少女は乗り越えるべき目標であり、切磋琢磨できる好敵手であり、尊敬する存在であった。
はずなのに――
「あは」
「やめて! やめてやめてやめてやめ――」
――楽しいな。綺麗だな。嬉しいな。
今までの疑問が次々と解けていく。
確かに、人を殺してはダメだ。人を食ってはダメだ。人から奪ってはダメだ。
「だって、こんなに楽しいんだもの。幸せなんだもの」
こんなに楽しいこと、禁止しないと溺れてしまう。
こんな簡単に幸せになってしまっては、人生がつまらなくなってしまう。
「あーん……ん、ん、ん?」
その辺にあった肉を咀嚼し、味を確かめる。
味は血の味。少ししょっぱい。食感は固め。でも噛み応えがある。
「ヒッ――」
「あーはっ」
大きく振りかぶって脳天に一撃。
今度はあたりが良かったのか、頭が破裂せず頂点だけが陥没した。
そうして一人一人、丁寧に、丁寧に、愛を込めて殺していく。
それは少女にとって愛情表現の一つだった。
「クソッ! 開けよ! 何でだよ! 開けよ!!!」
ホールの扉を乱暴に蹴るが、防火扉でもあるそれはビクともしない。
逃げ出そうとする男の足を砕き。身体を掴もうとする腕を砕き。最後に頭を砕いた。
「どうして……」
「あは」
「どうして、こんなことするの?」
小さな子どもが、冷たくなった母親に抱かれた子どもが、少女に必死に問いかける。
それは正しく愛の形。自身を省みず、犠牲になってでも子どもを守りたいという母親の愛。
「知りたいからだよ」
そんな愛に敬意を表して、少女は子どもの疑問に答える。
「知りたい……? 何を? 何で!」
「どうして人を殺しちゃいけないの? どうして人を食べちゃいけないの? そんなありきたりな疑問に、誰も答えてくれなかった。ううん。きっと誰も答えを知らないんだ」
知らないことは悪いことではない。しかし知っていた方が良いことがある。
だから少女は実行した。だから少女は人を殺した。
「だから私は知ろうとした。それだけ」
「そんな……そんなことで、おっ、お母さんを!」
「あは」
少女はニマリと嗤う。
子どもの顔は憎悪に塗れ。心は殺意が支配する。
「殺してやる! 殺してやる! 殺してやるころしてやるコロシテヤル!!!」
「あは」
「ゴロジデヤルゴロズコロスコロス殺す殺す殺す殺――」
「じゃあね」
金槌を振り下ろし、子どもの顔面を貫いた。
最後まで少女を真正面から見据え。一時も目を離さずに死んでいった様に見惚れ、少女の頬はさらに赤みを増す。
「これが恋……?」
虚空に向かって問いかける。
誰も答えてはくれないが、それで良い。今までだってそうだった。
「あー。楽しかっ――」
振り返り、次は何をしようかと期待に胸を膨らませていたその矢先。
パン――
少女の耳に銃声が届く前に、少女の命は尽きていた。
少女は道徳が欠落していた。
「あはっ――」