瑛の忠告
暎の忠告
蒼生
「よう」
「あ、なんだよ。坊主かと思ったのに」
「切るなと言ったのはお前だろ?」
暎が笑ってる。一通りのごたごたが一応落ち着いてきたら、暎から話があるから出てこいと呼び出された。
「俺としては無茶苦茶見たかったんだけど、取材を一件入れたいと思ってたからさ、いつも仕事優先だもの、俺は。だから、それ終わったら切ろうよ」
「もう、彼女が切っちゃったから、意味がない」
「チャンスのがしたな……。しかも」
「しかも?」
「なんか今回は、このはちゃんに駒として使われた気がするんだけど」
「弟子が師匠の真似したな」
軽く2人で笑った。
「俺と同じのでいい?」
暎はウィスキー飲んでた。
「ソーダ割りにしてよ」
泡をぼんやり見るのが好き。薄暗い場所で。
「取材って?」
「もうそろそろさ、会見に続いて第二弾で、雑誌にいろいろ話してよ。そん時に」
「そん時に?」
「今回話題になった新しい恋人について話しといて」
暎を見た。
「現在進行形についても、いろいろ話さないとだめ?」
暎がたばこに火をつけた。
「お前、禁煙は?」
「やめた」
ふーと吐き出した後に答える。
「ああいう形でちょこっとでも出た以上は、なんらかの形でコメントだしたほうがいいと思う。あそこでワイワイ言ってるのは、かなり古いお前の読者だし。コメントしないでも見ている人いると思うし」
「うん」
「どこかで疑問に返事するのが礼儀じゃない?別に悪いことしてんじゃないんだし」
「……」
泡が消えてきちゃったな。光と一緒にのみこんだ。新しい泡がほしいから。
「あ、でも、このはちゃんとのことは遊びで、そのうち別れて別の女の子いくつもりなら、コメントしようがないから、やめとこうか」
いちいち返事するのめんどくさくて、ほっといた。
「30代と20代のうちに結婚したら?」
「それはムリ」
結婚はお互いだけじゃなくて家族の問題だし。
「なんで?」
このはさんのお母さんがあんな状態で、無理に前に進みたくない。
「髪の毛切っちゃったから、伸びるまでやだ」
それに、周りがなんか結婚とかいうけど、本人から僕と結婚するとか、したいとか聞いていない。実は、怖くて聞けない。
「でも、40代と20代って響き、なんかすっごい耳障りだよね。それなら、むしろずっと待って、40代と30代になってからにしたら?」
「……」
ため息が出た。3~4年後、そんな未来。今と同じか、今よりいい未来、手に入れている気がしない。怖い。1年後、2年後が、今、とても。
「前置きはこのくらいにして」
暎が新しいたばこに火をつけて、僕は新しいソーダ割りをもらう。勢いよく泡が出ているやつを。
「書けなくなったんだろ?」
金色の液体の中の無数の泡を見る。
「いつ言われるかと思ってた。いつ気づかれるかと」
「正確に言えば」
ふーっと煙を吐き出した。
「もう、何年も前から、それこそこのはちゃんに会うより前から……」
店内に流れる小さな音楽。僕たちが会話するのを邪魔しない小さな音楽。ギターの音に耳を凝らす。暎の次のことばが怖くて、聞きたくなくて。
「俺にはお前が書けなくなることが見えてました」
「そうなの?」
「編集やってりゃ、急に書けなくなる小説家なんて見たことあるし、お前のことはデビューする前から、本人も書いた物もよく知ってるからな」
「……」
「お前はどう思ってるかわかんないけどさ。必死で女あてがってたのも、あかりさんには悪いけど、長くああいう状態で書いてほしくなかったから。ぶっちゃけ、俺以外の社の連中は……」
ここで少し言葉を切って、暎が僕をじっと見た。
「本当のこと言っても怒らない?」
「怒らない」
「あかりさんが倒れてからのお前の文章喜んでたよ」
半分死んだ人間が書いた文章か。
「凄みがあったからさ。すべての表現に、一字一句に温度を感じなかったな。死んだように冷たくて、冷たいからきれいなんだ」
泡がたちのぼる。
「暎、どうして俺のことほっとかなかったの?生かしといてももう書けないんならさ。あそこであかりのとこ行っちゃったほうが、感動的だし、本も映画も売れるじゃない」
「社の他の連中は」
「うん」
「本当のお前を知らないから」
本当の僕?それは何だろう。
「たまたま、人生のアクシデントに巻き込まれただけでさ、お前の本領はあんな冷たい文章じゃないよ。俺しか知らない。だから、ずっと担当外れずに、お前がもう一度本来のお前に戻って、いちから書き始めるように……」
ずっとそばにいて支えてくれた人。
「女あてがってたんだよ」
この人はそういう人。
「俺なんかたいした人間じゃない。お前がいなきゃ、小説家にだってなってない」
「お前は……、繊細すぎる」
暎はたばこをもみ消して、もう一本たばこに火を点けた。
「その繊細さは芸術家として使うしかないと思うよ。俺みたいに器用にサラリーマンなんかできないだろ?」
泡をもう一度見る。
「何を書いても、気に入らないんだ。書いてないわけじゃない。見せられないだけ、誰にも。くだらなく思える」
「お前が今、くだらないと思ってるのはさ」
「うん」
「生きることだと思う」
驚いた。そうなの?バーのほの暗いあかりで、暎の横顔を眺める。
「お前はもともと、世の中になじめずにもがいてた。生き残るために書き始めて、その途中であかりさんがあんなことになって、もともと世の中になじめないから消えたいと心の奥の方で思ってた想いが具現化しちゃったんだよ。お前、正当な理由を与えられて、死にたがってた」
「なんで、そんなことがわかるの?」
本人にもわからないのに。
「小説家になる前の文章から読んでるからさ。書いてるものに表れてる。ちゃんと。まぁ、これでも一流の読み手なんでね。冷たい悲しみばかり書き続けて、周りも自分自身もそういう作家だと思い込んじゃってるのかもしれないけど、喜びを思い出したんだろ?それがうまくなじまないんだな」
「あかりと一緒になった頃だって、喜びは知ってたさ」
「あの頃は失うことを知らない、まっすぐな明るい表現だったよな。今は同じようには書けない。喜びをまっすぐに表すなんてくだらないと思うだろ?だって、どんなにすばらしいとたたえても、理由もなく全て奪われて、悲しみのどん底にたたきつけられたんだからな」
金色の液体をのどに流し込む。うすい。こんなうすい酒じゃ全然酔えない。
「ばかみたいにさ」
「うん」
「彼女の、このはさんの写真をたくさん撮っていて、本人にもやめてって何回か言われたんだけど」
「うん」
「失うかもしれない、またって思うと、怖くて……。写真に撮っておけば、ほんの少しでも何かが残ると思って、手元に。もし、また、同じようなことが起こったとしても」
ほんというと、大切な人をもう一度持つことが怖かった。
「確率論から言うと、1人の人間にあんなひどいことが二度起こるなんてないと思うけど、一度経験してしまうとさ、もう一度それが起こるとしたら、どうなるかすごいリアルに想像できて、たまらないんだ」
「どうしてそれをそのまま書かないの?」
暎を見た。
「そういう葛藤を隠そうとするの?」
「……」
つまらなさそうに暎が僕を見ている。本当はきっと暎は答えを知っている。いつもこいつはいろいろ知っていて、でも、時がこなければ教えてくれないんだよね。
「このはちゃんに見せたくないからだろ?」
やっぱり、知っていた。
「そんなふうに、あっさり言われると、自分がすごいくだらない人間に思えるんだけど」
「くだらなくはないさ。人間なんて、複雑なようで簡単だし。簡単なようで複雑なんだ」
暎は立ち上がった。
「帰るの?」
「言いたいことは、言ったから」
去り際に振り返った。
「彼女にもっといろいろ話して、それと、自分のこともう一度自分で振り返れよ。一体何を小説に書きたいのか、原点から見直しな。彼女が手伝ってくれると思うよ」
また、ちょっと謎を残して立ち去ってしまう。
カラン
溶けた氷が落下して、音を立てる。参ったな、ほんとに。かっこつけてるわけにいかなくなった。無我夢中ってやつだ。
***
書けなくなってることや、彼女と一緒にいるときにまた失ったらどうしようとわきあがってくる不安や、いろんなこと、自分の中に抱えていた。それを彼女と共有すべきなんて思わなかった。
年上として彼女の抱えているお母さんとの葛藤に寄り添って、折に触れて相談にのって、頼りにされて、彼女が前に進むために僕たちは出会って愛し合ってる。
僕から彼女にあげるだけ。
本当は僕も彼女からもらってるんだけど。
守ってくれる人が、一回りも上でいつも彼女の葛藤を受け止める側だった人間が急に、いろいろなものをさらけ出してぶつかってきたら、嫌だと思う。だから全部見せられなかった。
でも、今のままじゃ、僕は、彼女とずっと一緒にはいられない。
小説家は書けなくなったら終わり。売れなくなったら終わり。
小説家である僕と出会って、僕を好きになった彼女が、書けなくなった僕を愛し続けるわけがない。それに僕には生活の手段がない。まともに働いたことのない人間だもの。
だから、このはさんのお父さんと話しているとき、つい弱音を吐いてしまった。
そして、それじゃいけないって諭された。当たり前だ。それじゃいけない。
書いても書いても物にならなかったあの時と、急に書けなくなった今と、どっちが苦しいだろう?
家に帰ると、テーブルの上でノートパソコン開いてこのはさんは仕事してた。
「おかえりなさい」
成り行きで毎日家に帰ってくる人ができた。自分が用事があって出て戻ってきても、人がいる。
ニャー
エメラルダが寄って来た。だっこして撫でながら、なにかしてるこのはさんを見る。
「何してるの?」
「ブックレビュー書いてるんです。今月は1人の作家集中的に紹介しようと思って」
顔が輝いてる。
「なんてひと?」
彼女が笑った。
「先生、ラノベなんて読まないでしょ?」
「面白かったら読むよ。どんな本なの?」
「超能力者の子たちが出てくるシリーズ物ですよ。でもね」
ニャー、エメラルダが僕の指をなめる。おなかすいてんのかな?
「背景にはそれぞれの抱えている孤独みたいなのが書かれていて、それが、試練を乗り越えていくうちに、少しずつ、うーんと、つながれるようになるのかな?登場人物がお互いに少しだけ」
「うん」
「ラノベって読んでる子、10代の子が多いでしょ?最近の若い子って、ニュースとかで見るといじめとかなんとか、わたしの頃より大変そうで。そういう子に勇気を与えられる作家だと思って、この人。だから、どう紹介しようかなって、いろいろ考えてて」
「優しいんだね……。いって」
エメラルダにひっかかれた。
「こいつ、もしかして、餌やってない?」
「あ、すみません。夢中で忘れてたかも」
ひっかくんなら、このはさんひっかけよ。忘れたのはあっちだろう?と思いながら、餌を取りに立つ。猫缶に、遅れたおわびに煮干しをつけてやった。
「ねぇ、このはさん」
「なんですか?」
「僕の本の感想教えてよ」
きょとんと僕を見ている。
「急ぎの仕事がない時でいいから」
「はぁ……」
いまいちしまりのない返事だな。
「知り合ったその日に言って断られて、それからもう三年以上経ってるけど、それでもまだ待たないとだめ?」
「いや、そんなことないですけど。急にどうして?」
がつがつ食べる猫を見る。躊躇した。言うか言わないか、もちろん。
「この前の本書いた後、なんか書けなくなっちゃって」
猫を見てるから、彼女がどんな顔をしているか見えない。
「君に感想をもらったら、何か心境に変化が起こるかもと思って」
彼女は立ち上がって、近寄ってきて、僕の傍らにしゃがみこんだ。
「そんな重大な時期に、わたしなんかが感想を言っていいんですか?」
この人のこんな顔を初めて見た。年下の女の人に全然見えなかった。なんだろう、この顔は。笑ってもなくて怒ってもなくて、でも、冷たく見えないのは、目の光が温かいから。
「このはさんのブックレビューはたぶんほとんど読んでると思うけど」
目が丸くなった。
「ええ?」
「リーフって名前でしょ?このはでリーフって単純だからすぐわかった」
会えなくなった時にさみしくて、ふと思いついて書籍販売のサイトから覗いてて見つけた。彼女の書いた物、それから暇なときによく読んでた。こっそり。
「全部10代の子向けで書いてて、先生みたいな年代の人が読む本じゃないし」
すごい慌ててる。
「たしかにくだけた書き口だったけど、ちゃんと伝えたいことは分かったよ。形でなくて本質を見ようとしていて、そして、それを読み手に紹介しようとしてる」
「先生に読ませるならもっときちんとしたのを読ませたかったのに」
「十分にきちんとしてたよ。僕にとっては」
さっきの顔が消えて、年下の女の子が戻ってきてる。
「恋人だからとかそういうの忘れて、感想教えてよ」
そういったら、しばらく僕のことじっと見た。かわいらしい顔で。
「わかりました」
そう言った。
「がんばります」
とも言った。