他人の関心
暎にはずいぶんほっとかれてたんだけど、ある日、女の子連れてきた。
「火野先生、お久しぶりです。」
そばに会社の人がいるから蒼生と呼ばない。
「お久しぶりです。」
「新しい担当紹介に伺いました。」
うそ?まじまじと見る。だって、この子、何歳?
「初めまして。森久美と申します。よろしくお願いいたします。」
手を出された。握手か。アメリカ人?とりあえず、握っといた。いや、普通日本人同士はしないよね。
「光栄です。ご本人にお会いできて~。」
急に興奮しだす。おいおいおい、本当にこの女の子が担当するの?暎がにやにやしてる。
お手洗いお借りしますと彼女がお手洗い立った時に暎に小声で聞いた。
「どういうつもり?」
「別にただ弊社の先生の次の担当をお連れしただけですけど。」
え~。やだなぁ。あんな子なの?
「出版社っておたくだけじゃないですけど。」
「基本的によく知らない人相手にしたくないから、ほとんどつきあいないよね。火野先生。」
「今まではね。」
ずずずず、お互いお茶を飲む。
「もうそろそろお休み終わりにして、次の作品のこと考えていただかないと。」
そろそろ言われるかなとは思ってた。
「お前さ……」
暎が上目遣いに僕を見つめる。
「すみません。お手洗いお借りしちゃって。」
森久美が戻ってきて、暎は口をつぐんだ。
「え?わ、すごい。きれい。」
夜、先生の家に行くと、
「あ、いらっしゃい。」
なんか、女の子がいた。誰?
「あ、新しく火野先生の担当になった、森久美です~。彼女さんですよね。澤田さんから聞いてます~。」
語尾を伸ばさずに話せないのか、この子は。2人でなんか、先生のPC覗いてみてた。
「あ、すみません。もう、こんな時間。」
「ごはん食べてけば?」
来る人来る人、門前払いしていた人が、今日はどういう風の吹き回し?
「え~、いいんですかぁ?」
そしてこの子がどういう育ちなのか、とても図々しい。
「おいしーい。」
ほんとにちゃっかりご飯食べてった。
「これって、野中さんが作るんですか?」
「いいえ。」
「家政婦さんが来てるから。」
先生が答える。
「へぇ~。」
しかも、この子、蒼生さんの隣座っちゃった。
「あ、そうだ。今日差し入れで羊羹持って来たんです。食べません?お茶おいれしますね。」
そういって立って、台所に行きがてら、軽く先生の肩に手を置いた。
だめ。こういう子、大嫌い。大学卒業したての22歳らしい。わたし、26歳、4歳年上。年上だし、彼女なんだし、もうちょっと余裕でいないと。
「そういえば、見ましたよ。野中さんの写真。」
「……。」
見せたんだ。わたしに何も聞かずに。
「先生、写真集出版できますよ~!」
「そんなの、無理でしょ?素人に毛のはえた程度で。」
ちょっと言い方きつくなっちゃった。
「一般人だったらだめですけど、先生もう名前売れてるし。」
「いけるかな?」
先生まで、軽いのりだわ。
「打診してみます?写真集とか出版している課に見せちゃっていいですか?この写真。」
おいおいおいおい。
「いや、勘弁して。」
二人でこっち見た。
「だめですか?」
「絶対だめ。」
誰の写真だと思ってる。二人で盛り上がるなよ。
「え~。残念。話題性も抜群なのになぁ。」
しばらく、つまらなさそうにしたあと、
「あ、そうだ。じゃあ、モデル探してきますよ。ちなみにわたしなんかどうです?合格ですか?」
キャピキャピしながら先生の方見る。
ああ、だめだ。もう。見てられない。
「ごめんなさい。仕事残ってるの、思い出しました。」
立ち上がる。ニャー、エメラルダが体すりよせてくる。よしよししてあげた。
「帰ります。」
夜道を帰る。とぼとぼと。しばらくいくと、ポケットの中で携帯がなる。先生だと思う。無視してやろうかと思った。でも、しばらく待っても切れない。しょうがなく出た。
「戻ってこない?」
「なんでですか?」
「羊羹食べないの?」
「要りません。」
「そう……。」
話さないのに、電話切らない。
「森さんは?」
「ああ、帰りました。さっき。」
「そう……。」
もう一回先生、戻ってこない?って言わないかなぁ。
「じゃあ、おやすみ。」
「おやすみなさい。」
電話切ってからため息つく。かわいくないなぁ、わたし。
こんなに羊羹切られたまま、置いてかれても、こんな時間に1人でこんな甘いものなんか食べられるか。ラップでくるんでもつのか疑問だが、羊羹ひとつひとつくるんだ。
家政婦の後藤さんが食べるかもしれないじゃないですか。
それにしても、このはさんがどう反応するか見たくて森さん引き留めたけど、ちょっといたずらが過ぎたかもな。怒って帰っちゃった。
電話が鳴った。
「はい。」
「蒼生?」
「暎?どうしたの?」
「今から行っていい?このはちゃんいなければ。」
「いないけど、なに?急に。」
なんだよ。羊羹しまわなくてもよかったじゃん。
「うん。会ってから話す。」
家に来るなり、人のPC触って、サイト開く。僕の読者が集まって本の感想とか言い合ってるサイト。僕が見ることはないんだけど、定期的に出版社のほうではこういうとこチェックしているはず。
暎が言いたいことがすぐわかった。
『火野蒼生と彼女発見。』
僕とこのはさんの写真。服とかバッグとかの袋抱えて歩いている。
「よく分かったな。この写真で。」
あまりはっきり写ってない。
「この写真ではみんな半信半疑だったんだけど。」
下へ下へとスライドしていく。また、写真。今度は正面。さっきのよりもっと近い。
「それで?」
ずらずらと下に続く、文字文字文字。
「全部読みたい?」
「いや、いいです。」
はぁー。ため息。
「まぁ、騒いでるのは昔っからのファンの人が主でさ。そんな大騒ぎになってるわけじゃないんだけど、一応教えとこうと思って。ほら、このはちゃんの顔出ちゃったから。」
「なんか、やばそうなこと書いてる人いる?」
「ああ……」
煮え切らない顔。
「なに?」
「彼女はうちの出版社の社員だって書いた人がいて、会社で待ち伏せして、後つけるって。」
「なんのために?」
「お前がどこに住んでるか、わかるかもって。」
頭抱えた。世の中にはけっこう時間を持て余している人がいて、
「教えてあげないと、すぐに。」
こんな冗談を見知らぬ人と交わすうちに、本気でやっちゃう人が一人くらい出るもんだ。それで、また、写真をあげて、みんなの注目をあびたいんだ。
「野中さん?」
島野さんが目を丸くした。
「誰かと思った。」
「おはようございます。」
「どうしたの?」
「ちょっと事情があって。」
「おはよう。」
矢野さんが来た。
「え?野中さん?」
「おはようございます。」
「どうしたの?」
「……。」
ジーンズにスニーカーにだぶだぶの半袖のシャツ着て、キャップ被っている。
「なんか男の子になりたがっている女子中学生みたい。」
「そのシャツ、男物?」
掲示板の書き込みが落ち着くまで、あがっちゃった写真と同一人物に見えないような服着なさいと澤田さんが買ってきた服。
「しばらくしたら落ち着くからさ。」
と言われて、そして、どこのサイトにどんな悪口が載ってるか教えてくれなかった。でも、気になるじゃないですか。ネットで火野蒼生を検索したら、簡単に出てきた。
読んで、やっぱり読むんじゃなかったな、と思った。
奥さんが死んだばかりであんな感動的なこと表では言ってたのに裏ではちゃっかり新しい女いるなんて、早すぎるとか、信じられないとかあの小説は所詮きれいごととか、本当に彼女なの?と書いてる人も少ないけどいた。だけど、非難する人の方が多い。わたしに対しては若そうだけど、若いだけの女とか、買い物している袋の多さ見て、金目当ての頭からっぽな女とか。
たぶんこんないろいろ書いている人も、実際会ってみたら普通の人なんだろうな。普通にいい人。顔を見せないでいい場面では、人ってこんなにつらつらといろいろ書ける。どっちがほんとの顔なんだろうね。
「野中さん。」
部長に呼ばれた。
「ちょっといい?」
と声かけられて、
「どうしたの?今日。」
部長にも言われちゃった。
「イメチェンみたいなものだと思ってください。」
「ああ……、でも……、前のほうがよかったんじゃない?」
わたしもそれはわかってます。部長。
「まぁ、それはいいです。ちょっといいですか?」
会議室に呼ばれた。なんだろう?
「電子書籍部門ってさ、今までわりと試験的な部分もあって……」
いすに座りながら、話し出す。
「担当って明確に決めてこなかったんだけど、今回ほら、予算かけてサイトリニューアルしたときにね、もっと分担はっきりさせてやらせて、数字に責任持たせなさいって言われたんですよ。上に。」
「はぁ。」
「それでね。野中さんにもカテゴリーをひとつ持ってもらいたくて。」
「何のですか?」
「ライトノベルです。」
驚いた。
「でもその分野は矢野さんのほうが詳しいです。」
「彼女には漫画に専念してもらいます。」
電子書籍を利用する層は若い層が多いので、ラノベは単価は安いけど主力商品。漫画と合わせて重要な部分。
「君が年齢としてはうちでいちばん若いしね。ラノベはちょっとって変な偏見もないし、だから若い子に向けてどう紹介するとか何を紹介するとかね。いろいろ工夫してやってみてくれないかな?」
「でも……、わたしそんなにラノベって読んでないです。仕事するようになってからしか。ここ2、3年です。矢野さんのほうが……」
「あのね、たしかに漫画もライトノベルも矢野さんのほうが詳しいけどね。大好きすぎる目線ってさ、時に客観性にかけるというのもあって。それと1つに専念して、売るっていう視点で見直してほしいのよ、彼女には。漫画は彼女に任せるんだし。」
ちょっと困ったな。
「野中さんはさ、結構しっかり本読んできている人だよね。そういう目線を使いながら、本と人をつないでくれないかな?」
「人をつなぐですか?」
「ライトノベルと普通の小説ってまあ、分けられているけどね。本質は一緒だと思うんだよ。だから、ライトノベルも読むし、漫画も読むし、普通の小説も読むし、みたいに世界を広げられないかな?読んでる人の。」
「売り上げのために?」
「狭義には売り上げのために。」
「広義には?」
「芸術のために。」
大きく出たね。部長。
「僕は映像に流れていく人たちの気持ちもわかるけど、人間は思考する生き物だから」
「はい。」
「映像をさ、口や目から出して未来の人間がコミュニケーションする次世代型人間にでもならないかぎり」
「はい。」
「人には自分を知ったり自分のことを他人にわかってもらうために、ことばが必要なんです。」
「……。」
「だから本をもっとみんなに読んでほしい。そういう気持ちでこの仕事をしている。」
こんなに真面目に話している部長、初めて見た。
「僕たちのやっている仕事って、世界のほんの一部分のことなんだろうけど、でも、やっぱり世界を作ってるんですよ。ええと、長くなりましたけど。」
ふと、我に返る。ちょっと照れてるみたい、部長。
「きちんとしたものを知っている若いあなたに、ラノベを通して、本を読む楽しさを1人でも多く伝える仕事をしてほしいんです。ちゃんと数字意識してね。」
その日、先生の家に行くと、
「どうして人って、こんなに他人に関心があるんだろうね。」
つまらなさそうに先生は言った。
「別に彼らが直接なにか被害を受けたわけではないのに。騙されただってさ。」
そういって笑った。
「先生、もっと怒ってるのかと思ったのに。」
「うーん。慣れてるなぁ。」
「昔もこんなことあったんですか?」
「うーん、僕、表面的にはいい人ぶってても、裏にある悪意とか、昔っから必要ないのに拾っちゃう人でさ。自分に向けられた悪意じゃなくってもね。だから、人間にはそんなに期待してないからさ。別に急にこんなこと言われても驚かない。」
「……。」
「ええっと、わかんなかったら別にわからなくてもいいよ。ちょっとそういうとこ特殊なんだよね。僕。」
わたしは彼の手を取った。彼はわたしを見て笑った。
「ほんと、別人だね。」
「お目汚しですね。」
彼はわたしの手を引いて、抱き寄せて彼の膝の上にわたしを座らせた。
「たまには新鮮でいいよ。」
そしてぎゅっと抱きしめた。
「ごめん。迷惑してるのは君なのに。愚痴ったりしてやんなったでしょ。」
「何がですか?」
「僕が」
わたしは返事をしない。返事がないから、彼が確かめるためにわたしの瞳を覗く。そのままお互いの瞳をしばらく覗き合って、その後、どちらともなくゆっくりキスした
もともとは恋愛は2人だけのものなのに、2人だけの世界で終わらずに広がっていってみんなのものになっていく。そして、人は人の行為をけなしたがる。当事者じゃないのに。変なものだ。
わたしたちは悪いことしてるわけじゃないのに、2人だけでいれば静かで幸せなのに、世界はわたしたちをほっておいてはくれない。それは、結局、わたしたちが2人だけで生きていないからなんだろう。わたしたちは社会の一部で、世界の一部なんだ。いつだって。