あかりの墓
あかりの墓
あかりは、母親とはときどき連絡を取っていて、結婚することが決まったときに、義母には会っていた。紹介されて、一緒に三人でご飯を食べた。
その頃、僕はまだ小説家になるといって就職しなかった関係で実家とこじれていて、自分の親にあかりを会わせたのは、結婚からしばらくして。僕の小説が安定して売れるようになってから。だから、僕たちの結婚に立ち会ったのは、暎と義母しかいなかった。
義父の手前、義母もそうそう東京に出てくるわけにいかず、あかりが元気な間に会った回数はそれから数えるほどだった。
あかりが植物状態になってから、義母は東京へ一人で出てきて病院のそばで生活するようになった。僕が義母とよく話すようになったのは、その頃からだった。
「あの人は、あかりが家を出て行ってから、やっと少し変わりました」
目を閉じている彼女のそばで、二人で話した。
「でも、ときどき思うんです。わたし、後悔してるんです。もっと早いうちに、この娘が小さいうちに、この娘を連れて家を出ればよかったと」
多分、その話は、義母の中で何度も何度も繰り返された考えだったのだと思う。だから、最初、彼女はたんたんと話した。
「結局、どんなにひどいことをされても、わたしは主人から、あかりの父親から離れられなかったんです。文句を言えずに我慢しているばかりのわたしを見かねて、この子は自分をめちゃくちゃにしてしまった」
でも、途中で涙を二筋流して、
「わたしを、母親を守るためだったんです。本当に、優しい子なの。これから、この子が幸せになる番だって、今までごめんなさい、ありがとうって思ってたのに、どうしてこの子にばかりこういうことが起きるんでしょう?」
悲しいことしかなかった、あの頃、僕の周りには。
だけど、義母はしばらくすると泣かなくなった。
「蒼生さん、あなた……」
僕のことをじっと見つめて言った。
「もうそろそろ自分の人生を生きないと」
義母は何度も言った。でも、僕は聞かなかった。
暎に言われても、義母に言われても、僕は言うことを聞かなかった。
そして、あっという間に年月が過ぎた。
僕は、お通夜で初めてあかりの父親に会った。義母に連れられて来た人は、背の高い人だった。初老の白髪まじりの男の人、紹介されなくてもすぐに分かった。顔を見た途端、その悲しい目の色を見たとたんに、それはあかりと同じ目で、二人はとてもよく似ていて、そして僕もまた悲しくなった。義父の悲しい顔はあかりの悲しい顔と僕の中で重なった。二人は僕の心の中で悲しい目と目を合わせて見つめあっていた。
本当は時間をかけて、あかりとあかりの父親の仲を、挨拶くらいでもいいから口をきけるように、顔を合わせられる関係にもどしてあげたかった。僕の願いだった。
二人はとても憎みあっていたけど、時間をかけて少しずつほぐしていけば、きっと会えるようになるし、そうすることが、二人にとって正しいのだと思っていた。
「本当に今までありがとうございました」
彼はそう言って僕に頭を下げた。
「顔を見てあげてください」
夫婦二人にして、僕は部屋から出た。背中で男の人のあかりの名前を呼ぶ声と、泣き声が聞こえた。
「蒼生」
呼ばれてみると、母がいた。
「来てくれたの?」
母は疲れた顔で頷いた。そして、近くへ寄ってきて、僕の腕をそっと掴んだ。
「あなた、大丈夫?ひどい顔しているわよ」
そう言いながら、でも、母の眼はもう、半分諦めている。僕に何か言うのを。ずっと前からそうだった。母は、僕を愛していないわけではない。ただ、自分が何を言っても、息子の心には届かないと思っている。
あかりのお通夜と葬式は、結婚式よりはもう少し人が多かった。義父母と母と暎が立ち会ったから。冬の寒い空に煙が昇って消えてった。
「お墓は、仙台に置きたいんです」
僕は義母に言った。
「お義母さんの傍に」
「あなたは、どうするの?」
僕は、何も考えてなかった。自分が、自分だけが生きていて、あかりの墓参りをしている絵が浮かばなかった。だから、お墓参りをしている義母の絵だけを思い浮かべてそう言っていた。
「ねぇ、蒼生さん。あなた、最近、誰か大切な人ができたんじゃないですか?」
ふいに義母にそう言われた。
「え?」
「あのね、ずっと見ているからなんとなく分かるの。あなた、最近少し感じが変わったもの」
僕は、あかりに言ったのと同じことを義母に言いたくなかった。
「そんなことはないです」
それは、裏切りのような気がしたから。それに、このはさんとのことはどうしようもないとあの時は思っていて、どうにもならないものを言う必要はないと思った。
納骨を済ませてから、小説を書き始めた。処女作の後編。これを書き終わるまでは、何もできないと思って。ただ一心不乱に書いて、終わって……。
***
四日市からの帰り道、ぼんやりとそんなことを思い出す。去年の暮れから今年にかけて起きたこと。いつの間にか春が来て、そして、夏が来た。時は僕を待ってくれない。