7.お茶会
「……どういうこと?」
「お前を勝手に町へ連れてった罰みたいなもんさ。何だか知らんが、派手な計画立ててたらしいが、俺がそれをぶち壊したっぽくてな。まぁ最近は外交卿としての職務も書類くらいなもんだったし、ひとところに留まるのは好きじゃあないし、丁度いいさね」
随分とあっけらかんとしているのだな、と思ったが存外リンは奔放なところがある。彼は彼なりにこの城勤めは窮屈だったのだろう。でも、と小雪は渋る。折角仲良くなったのに、いなくなってしまうのは寂しいのだ。小雪が一言王に進言すれば、ただちにリンが国外へ出ることは無くなるだろう。けれどそれをリンが望むかと言えば否。
「でも何で明日なの? それも朝早く」
「思い立ったが吉日って知らねえの? それに、あー、地図出せ地図」
それは知ってる、と言おうとしてタイミング良く女中が地図を出してきた。机の上に広げるリン。中央に囲われた丸の中心には"アミル"と書かれている。
「ここがアミル国だ。周辺を森が囲んでいるだろ? すぐ近くにはドラグランジュの国境がある。北は雪山、南は海だ。ドラグランジュ城がある帝都ドラゴはこの辺の岩山辺り。南の海の辺りはヒュミニリームとの国境もあるな。あの辺りは主に海産物が観光資源になってる。首都ヒュミンは多少森に近いところにあるな。海上戦は滅法強いらしいぞ。アムリニアは山の辺りを避けて……平野の辺りがドラグランジュとの国境だ。首都アニムーは平野の真ん中に城壁を造って防衛している。妖精族が暮らす場所は、この森の何処かに入り口があって、そこはレタスウク・カムパネルラ、妖精の場所って意味だけどそれを抜けた先にあるユグドルって街に住んでるらしい」
真四角の地図は色分けされていて、アミルを中心に森がドーナツのようになっていた。簡素な地図だが、この他にも、領土としては三国のものだが小さな集落が国を名乗っているところもあるそうだ。勿論領土内であるから認められているのであって、これが独立して、ということになれば領土が減るからか認められないのだという。
「街とかじゃないの?」
「一応国だな。領主が国主になっただけで特に領主と変わらん。そこを通る時に通行料を支払わなければいけないだけで、迂回出来れば迂回する者もいる」
「……魔物とかモンスターとか、出ないの?」
目をぱちくりとさせるリンは何処か幼く見えた。
「モンスターというか……生き物はいるぞ。獰猛なのも生きている。当然じゃないか?」
「と、うぜんかな?」
「コユキの世界には生き物がいないのか? 山にはスノウララーっていう蝙蝠みたいなのがいるし、平野にもライガルスっていう獅子人とか虎人が合体したみたいな生き物もいる」
襲ってこないの? という問いには、先程小雪に早朝出立すると伝えたようにあっけらかんと襲ってくると答えた。
曰く、生きているのだから腹も減るし、虫の居所が悪い日もある。子を腹で眠らせていれば神経が過敏になっているし、子を産んでいれば警戒心が高い。そんなものは、人間と同じだと言った。
「無暗にテリトリーに入らずに、もし入ったら怒らせないよう静かに出ていけばいい。誰しも勝手に家の中にずかずか入られていい気はしないだろ。それと同じだ。彼らも分かってるから無暗に人を襲ったりはしないし、集落の家畜もあんま狙わない」
襲われた奴は自業自得で誰も助けてくれないしな、と世間話のような気軽さで言ったリンに、小雪はぞっとした。反面、確かにそうだと思いなおす。人間同士でもテリトリーは大切だ。
リンはドラグランジュの方に向かうらしく、急に消えると驚くかと思ってと本当に伝えに来ただけだったらしく女中の淹れてくれたお茶を一杯飲んで部屋へ戻ってしまった。
翌朝、頑張って早起きして、町の向こうの城壁の門にリンはまだ通っていないかと聞けば、既に陽が昇る前に出て行ったと言われる。最後に別れの挨拶をしておきたかった、と肩を落として城に戻り朝食をしょぼしょぼと食べた。
今日もアルツィと一緒に、折角第二騎士団のところに行ったのだから第一騎士団のところにも行きたいと足を向けている最中「コユキ」と声を掛けられる。
「あ、えっと……」
「ソゥクラだよ。僕の母様のフェリア王妃」
中肉中背の冴えない風貌で、小雪が元の世界に彼がいたらきっと王子だとは思わないだろうと思う。フェリア王妃は美しいけれど何処か妖しい、魔女みたいな風貌だ。髭だらけのスターリャ王の妻と子にしては随分若いが、何かしら事情があるのだろうと飲み込む。
「今日は僕たちとお茶にしようよ」
「え、でも……」
「いいんだ。君は姫巫女だろう? 僕たち王族と一緒にいることも仕事だよ」
ぐい、と力任せに引っ張られて身体がふらつく。特に何も思っていないのかソゥクラはそのまま歩き出す。フェリアは妖しく笑うだけ。豪奢な部屋に通された小雪は、周りの煌びやかな装飾に目を取られる間もなく座らされて目の前には女中が注いだ紅茶が置かれた。
「存分に食べて。好き嫌いは無いはずだよね」
「え、ええ」
三人で食べて、食べきれるかどうか分からないぐらいの量の軽食が運ばれてくる。見た目こそ質素であるが、こんなに城に食料があるのなら城下町にも配ればいいのにと口に出す。
「町には町の、城には城の食べ物がありまする……。城のものを配れば町の者は城にたかりに来るでしょう……」
「そうそう。それに先代姫巫女様はそんなこと気にしなかったらしいから、コユキも気にしないで」
先代がいたという千年前と今と状況が圧倒的に違う。それでも、結局は余所者の小雪が下手に口を出し過ぎて、着の身着のまま一文無しで放り出されたら行く当ては無い。大人しく他国との関係について考えるしか無い。
「あの……ソゥクラ王子」
「ん?」
「私考えたんですけど、他の国とまずは話し合ってみませんか? 建国理由がどうあれ、まずは話し合いで解決出来ないか探ってみるのも大切だと思うんです」
おずおずと口に出した言葉は、思いの他その場が静かになった。笑っているはずなのにフェリア王妃は小雪を見る目が冷たいし、ソゥクラ王子は真顔になった。
「話し合いとは……」
「コユキ、本当に言ってる? 他の国、獣と蜥蜴、蠅に裏切者。この国以外、理性も知性も無い本能だけで生きる卑しい生き物だよ」
真顔から訝し気な顔に変わるソゥクラの顔。ソゥクラにとって小雪の申し出は寝耳に水、というよりも理解不能の申し出だったようだ。フェリアの方も話し合いなど無意味だとそんなポーズを取っている。
フェリアは指をかけていたティーカップをソーサーに置いて、小雪の目をまっすぐ見た。
「良いですか当代巫女よ。先代は獣と蜥蜴、そして裏切者による卑劣な烏合の衆により産まれた子の顔を見ることなく食われてしまったと聞いています。そしてその血を細々と紡いで、ようやくまた巫女をお呼び出来たのです。不遇な我々をお救い下さると民は信じております。この世から、獣、蜥蜴、裏切者を消し去ってくれると信じておりますのよ。それなのに当代は話し合いなどという非物理的な行動を取ろうというのですか」
「話し合えば分かってくれると、私は思います」
「分かり合える訳が無いじゃないかコユキ。言ってるだろう? 奴らに知性は無い。卑しい本能だけで蠢くこの世に存在しちゃいけない連中だよ」
ソゥクラは心底心配している、そんな顔で覗き込んでくる。でも、と未だに渋る小雪に、フェリアは使えない道具を見る目で小雪を見つめた。「奴らはこちらが何もせずとも襲い掛かってくるような連中です」話し合いなど無意味です、と冷たく言い放つ。
「コユキは分からないんだよ。僕たちは昔の出来事を記録してきちんと学んでる。だからこそ僕らじゃ敵わない相手だからコユキを頼ったんだ」
「あなたは民があの烏合の衆に食われても良いと、そう言ったも同然なのですよ? 先代巫女様のような死に方をしたくないでしょう」
あなたが一言、攻めると言えば兵士たちは今すぐにでも挙兵しますわ。フェリアが穏やかに言ったのを聞いて、見えないように小雪は握りこぶしを作った。
「他の国に、人間族がいると聞きました。ここの国の人と関わりがある人もいるんじゃないですか?」
「国家間の交流は断絶してる。それに、他の国に知り合いや親戚がいたとして、彼らは裏切者だから容赦はしない。アミルに来ないってことは僕たちの思想に反するってこと、じゃあ彼らは裏切者、だろ?」
ソゥクラの言っていることが小雪には理解出来なかった。けれど彼らの言い分を要約すると、戦争をしたがっているのではと思い至った。何でそんなに争いたがるのだろう、最初に聞いたことと違ってきている、と静かに下唇を噛んだ。
「……私はまだ、姫巫女として魔法が上手く使えません。まだ、待って下さい」
「ええ。ええ。それは勿論待ちますわ。我々を助けて下さる方ですもの。ねえソゥクラ」
「ええ母様。コユキは僕たちの大事な姫巫女なんだから、いつまでも待つよ。きちんと魔法を使えなきゃ、戦う意味は無いからね」
お茶会が解散になってソゥクラとフェリアと別れてから自室まで歩く。傍にいるはずのアルツィは小雪が黙ったままだからか静かだ。郷に入っては郷に従えというけれど、思考すら染まってはいけない、そんな気がする。けれど、無一文で放り出されでもしたら頼る人はいない。ここは小雪のいたばしょでは無いのだから。
「アルツィさん」
「はい何でしょう」
「明日から稽古付けて下さい。私が、強くなる為に」
何をするにも力は必要だ。期限はリンが戻ってくるまでに、この国を一人で守れるまでには強くなりたい。力があれば、力を持てば、きっと他国も話し合いに応じてくれる。力が無ければ蹂躙されるだけだから。
小雪の決意で何処に結末が転がるのかは誰も分からない。