従兄は生徒会長。
食堂は、生徒達であふれていた。
そのほとんどの生徒が友人同士、四、五人固まって座っている中、竜姫は一人、隅の方の席を選んで座る。
コップにお茶を注ごうと、ポットを探すが見当たらない。良く見れば一つ空席を挟んで座る十人程の女の子達が食後の空の皿の前で暗記カードを手に互いに問題を出し合いながら、お茶を啜っている。ポットは、その一番遠いところに置かれ、竜姫がお茶を淹れようと思えば一度席を立たねばならなかった。
それが、なんとなく面倒臭くて、空のコップをそのままに、スープの皿を手に取った。
口の中にトマトの酸味がたくさんの野菜のカケラと一緒に広がる。……トマト自体は嫌いじゃないけれど、トマト味の液体というのはどうしても好きになれない。
微妙に顔を歪めながら、竜姫は口直しのつもりでポークソテーを口へと運び、一口噛み締めた途端、更なる渋面を浮かべた。
豚肉にかかったソースにパイナップルの味が混ざっている。
微妙に甘いその味が苦手な彼女は、僅かに目を潤ませながら、白飯をかき込んだ。
先日の朝、かなりの量の朝食を残してしまった以上、今日は残すに残せない。学園の校則で、週ごとにある一定量以上食べ残しをした生徒には、三日間の外出禁止というペナルティが課せられる事になっている。
気分的に更に落ち込みそうになりながら、重たい箸を、機械的に皿と口とを往復させる。
「ところでさあ、聞いたー?」
ポットに、潤んだ瞳で熱い視線を送る彼女の隣りで、一人の女子が言った。
「白崎が昨日の夜中に寝ぼけて騒いだって話。」
「あ―……、幽霊がどうとか言ってたっていう、アレ?」
「そうそう。聞いた話じゃさ―、なんかその日は朝からおかしかったらしいよ?」
「……おかしいって?」
「朝のHRサボった挙句、制服を誰かに盗られたって言い訳したって。トイレで気を失ってる間に服は戻って来たらしいけど、犯人の顔も覚えてないって言うの。ちょっとありえなくない?」
「……えー、白崎君て生徒会長でしょう?」
「だけどさー、それだけじゃないらしいんだよね、白崎の奇行。」
「授業中にいきなり叫びだしたり、体育のバスケで際どいファール連発したり、……クラブ棟の階段から落ちたって話も聞いたんだけど……」
「で、極め付けが生徒会室の窓ガラス破壊事件でしょう?」
「普段そんな事するような人じゃないからさ、……先生達の信頼度も高かったし……、何かストレスでも抱えてるんじゃないかって、爺さんたちが必死にフォローしようとやっきになってるって……。」
耳を傾けるうち、竜姫の顔色はどんどん青くなっていった。
彼の「ストレス」の原因。前半はルードの仕業、後半についてはほぼ間違いなくクラウスの仕業であろう。
「……あっ、噂をすれば……」
揃って食堂の入口に目を向ける彼女達の視線の先に、彼はいた。
「誠人君!」
精魂尽き果てたようにふらふら歩く彼に、
「大丈夫?」
と、声を掛けた。
……大丈夫でないことは一目瞭然なのだが、彼は、
「……やあ、竜姫ちゃん、どう?もう学校には慣れた?」
……と、空ろな瞳に取ってつけたような笑みを貼り付けて、竜姫の向かいに腰を下ろした。
「冬休みはどうするんだい? ……母さんは、年末年始は家に来いって言ってるけど……。」
キョロキョロと、何かを探すように目を泳がせたが、すぐ隣りで白い目で眺める視線に気付くと、彼は何も言わずに箸を取った。
「……あー、その事なんだけど……、」
気まずい雰囲気の中、言い辛そうに切り出す。
「……お正月もあるし、私、神社の方に帰るよ……、伯母さんには悪いけど……やっぱり巫女としての仕事を放り出す事は出来ないから……。」
「……誰もいない、あの場所で、君は一体何をする気なんだい? ……たった一人で。」
彼は言った。
「……一人じゃないよ。」
だって、久遠がいる。稲穂だって。……それに今回はもう一人――。
「また、カミサマ……かい? 実際ににそんなものがいるのかどうか――なんて事を言い争うつもりはないけどさ、今、現実にいないものに振り回されるなんて不毛じゃないか。……竜姫ちゃんももう中学生なんだから、夢みたいな事ばかり言っていないで、きちんと現実を見た方がいい。田舎の寂れた神社を継ぐなんて馬鹿な事を言うのはやめて、うちに来た方がいい……」
……寂れた神社。夢みたいな事……。
彼らを視る事の出来ない常人である彼からすれば、真っ当な意見。しかし、竜姫の心にそれは深く突き刺さった。
「……いるよ。神様はいる。神様だけじゃなく、魔物の類いもね。……それに関しては、誠人くんもよぉく思い知ったんじゃないの、昨日?」
わざと意地悪く言う。
「……っ、あ、あれは――、」
怯えたように辺りを見回し、
「……やっぱり何か憑いてるのか、僕に?」
箸を持つ手を、見ていて憐れな程にがたがた震わせる。
「き……昨日一日、朝からずっとおかしな事が続いて……。朝起きて、教室へ向かう途中トイレに寄ったら突然個室に引っ張り込まれて……何がなんだか分からないうちに気を失って……、気がついた時には下着を残して制服一式無くなってて……。あんな格好じゃ出るに出れなくて困っていたんだが……いつの間にか元通りに服を着ていて……どうもその間の記憶が曖昧で……。」
……その犯人、間違いなくルードね……。あの時着ていた制服が誠人くんの物だったなんて……。
弱り切った様子で語る彼を前に、竜姫は複雑な顔をした。
「その後も……授業中にいきなり頭を思い切り殴り飛ばされたり、……なんだか身体を操られたみたいな……こう、自分の身体なのに、自分の思う通りに動かせないっていうか……。他にも、階段から突き落とされたり……他に誰もいなかったのに……、終いには剣を振り回して暴れる男の幻覚まで……。」
「……それ、幻覚じゃないから。」
……全く、あのクラウスを相手によく無事でいられたものだ。
「その、剣を振り回して暴れたっていう男が、貴方を殴ったり、操ったり、その他諸々をやらかした犯人よ。」
……まあ、正確には約一件はまた別の者の仕業なのだが……、
「え……、まさか……?」
信じていない様子の彼に、竜姫は畳み掛けるように、
「その幻覚の男って、金髪じゃなかった? それも、地面にまで届く様な長髪。日本人にしちゃ白っぽすぎる肌に……天使みたいに翼や輪っかをつけて、古代ローマ人みたいな服装で。振り回した剣にはキリストの神の御印がついていなかった?」
「……え、あ、ああ……そう言われてみれば……確かに……。でも、どうしてそんなに詳しく……?」
「――知っているのかって? ……だってそこにいるんだもの……。」
クラウスは、残飯が入れられたゴミ箱を前に、けしからんとうそぶいている。
「ええ!?」
「……大丈夫よ。貴方が関係ないと悟ったなら、いくらアイツでも一般人相手にいつまでも無駄な事はしないから。」
……誠人は常人だが、神崎の血を引いている。一瞬でもクラウスの姿が視えたのは、命の危機に、彼の中の神崎の血が反応したからだろう。
……しかし彼は、家族揃っての敬虔なキリスト教信者だ。
教師陣の信頼も厚く、教会関係者にも受けの良い彼だ。こうして同じ空間にいるというのにまるで反応を見せないクラウスの様子を見れば、彼の疑いが晴れた事は確かであろう。
カプセルを口に含み、飲み下しながら、
「……それでも心配なら、この札を部屋の扉に貼りなさい。少なくとも貴方の部屋に、霊的な者が出入りするのを防いでくれるから……」
と、パーカーのポケットから短冊サイズの半紙と筆ペンを取り出し、さらさらと神言を記して彼に渡した。
「略式だけど、二、三日はもつから。」
「……なんか怪しいツボとか売り付ける、悪徳商法みたいだな……。」
顔をしかめる誠人。しかし、術の気配を敏感に感じ取り、ピクリと眉をはねあげたクラウスに、竜姫は慌てて席を立つ。
「……じゃあ、また。後で伯母さんには連絡入れるけど、誠人くんからも言っておいてね。」
……用心深く、クラウスから一番遠い流し台を選んで、食器を洗い、いそいそと早足に部屋へと戻った。