心に咲いた紅い華
「……明日の夜、ルードがここに来るから。」
部屋へ戻って来るなりそれだけ告げて、ベッドへ横たわり、布団を頭から被ったまま動かなくなった竜姫に、
「竜姫ぃ、どうしたのさぁ……。」
声を掛ける久遠の顔には困惑が浮かんでいた。
ルードの封印を解いてしまったせいで、クラウスはさらに厄介な相手となってしまった。遭遇してしまった際の危険度も増している。
ルードに貰った薬で、竜姫自身は安全でいられるが、その効果は久遠にまでは及ばない。
余計な諍いを起こさぬよう、部屋に簡易結界を張り、一日中部屋に籠ったままだった久遠は、事情も良く分からないまま、かれこれもう二時間近くもこうしているのだ。
「……もしかして、アイツと何かあった?」
その言葉に反応する様に、ピクリと布団が動き、
「! な、何にもないよ? ……だって、ただ血をあげに行っただけなんだから……」
と、中からくぐもった声が答えた。しかし、
「? ……ルード? クラウスじゃなくて?」
予想外の答えに、久遠は怪訝な顔をする。
「え、く、クラウス? ……クラウスなら、廊下でうろついてた横をすり抜けて来たけど……、何もなかったよ?」
布団の端をほんの少しだけ持ち上げた隙間から僅かに顔を覗かせ、
「……薬の効果は思った以上……みたい……だよ?」
ゴニョゴニョと何かを誤魔化しているのが丸分かりの答えを口にする。
「……何も、」
布団の中で小さく丸まって、彼女は呟いた。
「何も、ないから……」
――お前が選べ。
ルードに問われ、即答できなかった。
……ルードが学園内を不用意に歩き回ったりして何かあったら困るから。
……気は失わずに済んだとしても、この時期に頻繁に貧血に悩まされるのはキツいから。
どちらの答えにも、即答できなかった理由を探せばいくらでもあげる事ができる。
……結局、貧血で試験勉強が疎かにして、赤点を取っては冬休みに補習で学園に残らなくてはならなくなるから――と、適当な理由をつけて、毎日来て貰うことにしたのだが……。
「オーケー、分かったよ。明日の夜、窓の鍵は開けといてくれよな。」
ワザとなのか、無自覚なのか。……耳元で、そう囁き、ニッと牙を覗かせ笑う。
「それと……、今日の分、貰うぜ。」
ガリッ、と肌に牙で傷をつけ、滲んできた紅い液体を、子猫がミルクを舐める様に舌を突き出し、執拗に肌の上を滑らせる。
傷口をいじられ、ピリピリと痛む反面、くすぐったさに加え、何だかよく分からない感覚が背筋を伝う。――ぞくぞくする……、でも、不快じゃない。どころかむしろ……、
「……にしても、夜中に女の部屋に忍んで行くなんて、なんか夜這いかけてるみたいで……なんかワクワクするよなー。」
ルードは傷口に血止めを施しながら、楽しそうに言った。
ハッと、我に返った竜姫はその言葉につい過剰反応し、
「なっ!? ちょっと!? 何言ってるのよ!」
と叫んだ。
顔を真っ赤にして慌てる竜姫に、
「……おい、冗談だって。そんなムキになるなよ。……もしかしてお前、こういう類いの話に免疫ないの?」
と弁解しながら、
「ガッコーの中とはいえ、一つ屋根の下みたいな場所にあれだけオトコがいるのに?」
おいおい、マジかよ? ……と呆れた様子で呟いた。
図星を突かれて返す言葉を失った竜姫は、
「……知らないっ、」
……と、自分でも「いくつの子供だよ、」と突っ込みたくなるような言葉だけを残して、早くも日が傾き始めた礼拝堂の外へ逃げ出した。
――そう、何も。何もなかったんだから……。
むしろ何かあったのはルードではなく自分の方だ。
……もてあました感情をどうにもできないまま、竜姫は心配する久遠に答えた。
「大丈夫、大丈夫だから……。」
「竜姫、そろそろ行かないと、夕飯間に合わなくなるよ?……たとえちょっとずつだとしても、血を吸われてるんだ。ちゃんと栄養補給しないと、身体がもたないよ?」
「……そうだね――、」
竜姫はのそりと起き上がり、机の上の時計を見た。
「……じゃあ、行って来るね……?」
コップと箸とを持って、竜姫はいつもにない程疲れた様子で部屋を後にした――。