昼下がりのティータイム
「ルード、いる?」
空は前日の悪天候が嘘の様にカラリと晴れ渡っている。そよそよと吹く乾いた風に乗って、カラスが一羽、太陽の光を全身に浴びながら、空の高い所を飛んで行くのを横目に見ながら、竜姫は薄暗い礼拝堂へと一人入っていった。
「おはよう〜」
「……もう昼だろうが。」
「あ、良かった。起きてた。」
「今、起きたんだよ。せっかく気持ち良く眠っていたのに……。」
空調設備はおろか、ストーブや暖炉といった類いの物が一切無い室内は、外とまるで大差無い程に冷えきっていた。制服の上にコートを着込んでいても、まだ寒い気がするのに、ルードはといえば、黒いズボンと黒いワイシャツの上から薄っぺらなマントを羽織っているだけで。
埃だらけの段上で、その白くなったマントに包まって寝ていたらしい彼は、竜姫の声に目を眩しげに細め、寝返りを打った。
眠たそうに大あくびをする。大きく開けた口を手で隠すこともせず、上顎からのぞく二本の鋭い牙が鈍く光る。
「……昨日も思ったんだけど、お日様の光を浴びても灰にはならないんだ?」
「まあ、フツーの吸血鬼だったらアウトだったな。」
気怠そうに横たわったまま、ルードは答えた。
「朝日を浴びて灰になる吸血鬼の話は有名でも、日光浴びたからって消滅する悪魔の話なんぞ聞いた事あるか?」
……とは言うものの、なるほど死にはしない様だが、やはり調子はあまり良くないらしい。
「お昼ご飯買って来たんだけど、食べる?」
白いレジ袋を見せて尋ねる。
「購買のサンドイッチ。タマゴとハムと……フルーツサンドとジャムサンド。どれがいい?」
机に袋の中身を読み上げながら並べて行く。
「んじゃ、そのイチゴのやつとジャムサンド……。」
のっそりと起き上がり、ルードはそれを指差した。サンドイッチの包装をペリペリと器用に剥いて、さっそく頬張るルードの頬が一瞬うっすらと紅らんだ。
「あっ、……美味い。結構イケるな、コレ。」
喜ぶルードに、
「お茶もあるよ。」
と、紅茶の缶を渡す。
「お、サンキュー!」
缶を開け、一口啜った所で彼の表情が僅かに曇った。
「……どうかした?」
彼の傍らにハンカチを敷いてその上に座り、残ったサンドイッチを口へと運びながら竜姫が尋ねる。
「……いや、コレ……、ストレート……?」
「? え、何かまずかった? でも、昨日は飲んでたよね、ミルクティー……。」
「……。」
バツが悪そうに押し黙るルード。
竜姫は彼の手に握られた、食べかけのサンドイッチと、缶とを交互に見やり、
「……ルードって、もしかして……、」
「あ、甘いのが、好きなんだよ……。昔は滅多に手に入らなかったからな……。」
悪いか、と、決まり悪そうにそっぽを向くルードに、思わず吹き出しそうになるのを必死に堪える。
竜姫は、話題を変えようと、
「……ところで、明日からテスト週間なんだけど……、」
と切り出した。
学園では定期試験中と試験前一週間、寮の門限が大幅に早まり、門限後の外出は厳禁となる。
「……という訳で、放課後出歩くのが難しくなるのよ。でも、だからってルードを放っておく訳にもいかないし……。」
試験の日程表と睨み合いながら、竜姫は、
「試験さえ終わればクリスマスだし、聖夜祭が終われば冬休みなんだけど……、」
と、忌々しげに言う。
「……分かった、俺が行く。」
ルードはため息をつきながら言った。
「俺が、竜姫の部屋まで行く。……竜姫、部屋はどこだ?」
「え、女子寮三階の一番端――この礼拝堂側から見て一番左の部屋だけど――でも、大丈夫なの?」
「……まあ、何とかするさ。竜姫に無茶させて、何かあっても困るし。それに、血が飲めなくて困るのは俺だからな。」
ルードはチラリと竜姫のうなじのあたりをまるで盗み見るかの様に視線を向けた。
「……一回にある程度量を飲めば、二、三日はもつんだが、それだと竜姫の側の負担が大きくなるからな……。実際、気を失ってたもんな、最初の時。」
「……あ、あれは元々結界張るのに力を使って体力がもたなかっただけっ!」
言われて、竜姫は、つい思い出して顔を紅く火照らせながら反論する。
「これでも色々昔から鍛えてたんだから、普段なら絶対気なんか失わないわよ!」
――全くもって不覚であった。
……いくらアイツの件で致し方ない状況だったとはいえ、得体の知れない奴に、あんな風に抱かれたまま、気を失うなんて。それも真夜中、魔物の力が増す時間に。
ルードでなかったらどうなっていた事か……。
「……そういえば、あの後、結局どうしたの?」
ルードに吸血を許した後から、翌朝久遠に起こされるまでの間の記憶は無い。
「……竜姫をほっぽり出す訳にもいかなかったからな。でも部屋がどこだか知らないし……、仕方ないから女子寮の寮監にお前を預けた後で、そいつの記憶を少しばかりいじくらせて貰ったよ。んで、クラウスの野郎の癇癪がおさまるまでの間、学園関係者の何人かの記憶を覗かせてかもらった。……封印されてた間に何があったのか、近況を把握しておきたかったんでね。」
……なる程、どおりで江戸時代の争いごとの事なんかを知っていた訳だ。
「朝になってもまだ暴れてやがったから、仕方なく学校をうろついてた。……このカッコじゃ目立つから、ちょっと制服を丁重に拝借して、な。」
……だからあの時、高等部の制服なんか着てたのか。
「日も高くなって、いい加減キツくなってきたから、借りた服にわざと俺の気配を残して持ち主に返しておいた。……案の定、奴は昨日一日、ずっとそいつをつけ回してた。」
彼のセリフに、その誰とも知れない高等部の先輩に、深く同情してしまう。
「……で、戻って来てみれば、えらい惨状だったんでな、とてもじゃないが寝れたもんじゃない。仕方なく、元に戻すのに力を使った。……俺も魔物だから……、こんな場所で余計な力は使いたくなかったんだが……やむを得なかったからな……。どうせだからと思って力の使いついでに目眩ましの呪いをここに施した。ここには俺を封じていた呪いの余波がまだ残ってる。ついでに俺の気配もな。……それはちょうど良い隠れ蓑になる。」
ニヤリ、と笑いながら、
「でも、何より効果的なのは、やっぱり血だな。」
スッと腕を伸ばし、手の甲で竜姫の頬をなぞった。
「俺が俺でいられるのは、竜姫の血が俺の魔性を抑えているからだ。……おかげで気配で奴に気付かれる事はない。」
彼は目を細め、竜姫の瞳をじっと見つめる。
「どうする?」
彼は尋ねた。
「? どうするって……え、何?」
また、無駄に色っぽく、首筋にかかる髪をよける仕草に竜姫の心臓が鼓動を速める。
なんでこのヒトはこうなんだろう。普通にしていればただの美形で片付けられるのに、どうしてこう、いちいち無駄に色気を振り撒くのだろう。
……日々修行に明け暮れ、同年代の男の子とは取っ組み合いのケンカをするような付き合いしかした事のない竜姫にとって、ルードは彼女のキャパシティなど簡単にパンクさせてしまう、厄介な相手。
なのに、この動悸が不快でないのは一体何故?
「言っただろう、量さえ貰えば二、三日はもつって。だから、どうするかって訊いているんだ。俺はどっちでも構わない。お前が選べ。」