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緋色の絆  作者: 彩世 幻夜
第一章 -an encounter-
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緋色の軌跡 [2]

力強い瞳で見つめられ、竜姫は心臓が高鳴るのを感じた。それは決して先程の様に不快なものではなく。

「今、俺の精神は安定している。かつて、無かった程に。全ての力が完全に戻っているにも関わらず、な。だから、今こうしてお前の前でこんなにも穏やかな話し合いができている。もし、この安定が崩れる事があれば、俺は狂気に呑まれて暴走するだろう。そうなれば、考えたくもないような事態を招いてしまう。俺はそんなのは望まないが、俺の意思など関係無く、俺は多くの人間を手にかけるだろう。」

少年は、辛そうに瞳を揺らめかせる。

「今、俺がこうして落ち着いていられるのは、昨日俺が吸ったお前の血の効力なんだ。」

少年は立上がり、竜姫の前に立った。

「お前は、この国の神に仕える巫女だと言った。その、魔とは対極にある力が、俺の中の狂気を鎮め、闇に染まった魂を清め、かつて人であった俺の意識に力を与えてくれている。その効力が途切れれば、俺はまた狂気に堕ちる。」

ギッと、硬く握り締めた拳から、血が滴った。強く握り過ぎた手の、指先の爪が手の平に食い込んでいるのだ。

「俺がこうして蘇った以上、あの天使も黙ってはいないだろう。俺はむやみに人間に危害を与えたいとは思っていないが、アイツだけは別だ。アイツは、罪も無い人達を大勢死に追いやった。直接、間接問わず、あれだけ多くの命を奪っておいて、大した咎めも受けずにいる。あの天使を、俺は殺したいと思っている。」

いつしか涙に濡れた竜姫の顔を見下ろしながら、少年は言った。

「封じを解かれ、力を取り戻した今の俺ならば、あの天使をどうにかする事はそう難しい事じゃない。狂気に堕ちようと、この身に刻まれた憎しみは消えない。俺は、アイツを殺すだろう。でも、狂気に堕ちれば見境無く周りの人間まで殺してしまう。狂気に堕ちるのを防ぐ手立てはただ一つだけ。その為には、お前の血が必要なんだ。」

と、終始淡々と語り続けた少年が、スッ、とその場に跪き、頭を下げた。あれだけ、偉そうな態度を取り続けていた少年が。これまで度々余裕の笑みを見せていた吸血鬼が。

「あの天使を倒したら、後は封じるなり滅するなり、お前の好きにしてくれていい。だから、それまで俺のパートナーとして、俺に協力して欲しい。俺に、お前の血を、分けて欲しい。」

そう言って、竜姫より一段低い場所で、まるで姫にかしずく騎士の様に、床に膝をついているのだ。

竜姫は、言葉に詰まった。話を聞いた以上、できる限りは協力してあげたいと、そう思うのだが、すぐに『うん』と返事をするには、重過ぎる内容だった。あまりに壮絶で、凄惨な、途方もない話に、理解はしたものの、頭の回転が追いつかない。

「……あの、考える時間を貰ってもいいかな。」

竜姫は、すまなそうに少年に告げる。

「血をあげるだけなら構わないんだけど、天使をどうこうするって話になると、いまここですぐに答えを出す事は出来ないから。」

ブレザーの袖口で、涙で濡れた顔を乱暴に拭い、竜姫は、埃だらけの床で、黒い服を白く汚した少年に、手を差し出した。

「私個人としては協力してあげたいと思うんだけど、私にも色々事情があってね。私一人の意思だけでは、貴方がしたいと思っている事に協力はできないの。だけど、貴方が狂気に堕ちるのを黙って見ている事も、狂気に堕ちた貴方が一般人に危害を加えるのを見過ごす事も、私には出来ないから。」

竜姫は清めの神呪で少年の服の汚れを払い清め、さらに言葉を続けた。

「私が仕える神は、久遠だけじゃないの。他に、稲穂(いなほ)多喜(たき)という名の神様がいて、彼らの許しが無い限り、私は貴方のしようとしている事に協力出来ない。でも巫女として、……そして貴方の封印を解いてしまった者として、貴方をこのまま放っておく事も出来ないから。」

少年の紅い瞳の前で、竜姫はブラウスのボタンを外し、首筋を無防備にさらけ出し、頭を下げたまま動こうとしない少年の前にしゃがみ込み、間近にその瞳と目を合わせた。床に貼りつけたままの手を取り、自分の両の手で、少年の左手を包み込む様に握り締める。少年の手は、とても暖かかった。掌の傷は、既に傷跡すら残さず綺麗に完治していたが、鋭く尖った爪の先は、流した血で紅く染まったままだった。

「もう少しで、冬休みになる。そうしたら、一時帰省が出来るから、一緒に来て欲しいの。そこで、皆のお許しが出たら、その場ですぐに返事をする。それまでの間、血はあげるから、少しだけ待って。」

「……分かった。血さえ貰えれば、他はそう急ぐ事でもないからな。待たせてもらうよ、お前が答えを出すまで。」

手に感じる、人肌の温もりに、少年はじんわりと懐かしさを覚えながら、そう言った。

「ところで、話は変わるけど、貴方、人の事お前お前言うの、やめてくれない?」

「あ?」

「何だか偉ぶられてるみたいでカンジ悪いじゃない。」

「そう言うお前だって俺の事『貴方』とか言ってるじゃないか。性に合わな過ぎて鳥肌が立ちそうになるんだが?」

「だってそれは、貴方が名前を言わないからでしょう?」

「教えただろう、昔の名前を。」

「だから、その『昔の』ってどういうこと?」

「……昔の俺、人間ルードヴィヒは、悪魔に喰われて死んだんだ。今の俺は、ルードヴィヒに取り憑いたサハリエルという名の悪魔と同化した存在であり、血に飢えた名も無き獣を内に宿した魔物なんだよ。……今の俺に、これと決まった名前はない。だが、呼び名が無いのは色々不便だから、ルードヴィヒの名を使っているだけだ。」

と、竜姫の問いに、吸血鬼の少年は言った。

「ルードヴィヒの名が長くて呼びにくいのなら、ルードと、略称で呼べ。」

「……じゃあ、ルードも名前で呼びなさいよ、私の事。」

さり気なく視線を逸らしたルードの頬を軽くつねり、竜姫はにっこり微笑んでみせる。有無を言わせぬその表情は、先刻自分が浮かべたものに酷似している気がして。

「……分かった、呼ぶ。名前で呼ぶから。」

白旗を掲げたルードの頭をガシガシと乱暴に撫で回し、竜姫は満足げだ。ルードはがっくりうなだれ、肩を落とした。

「正真正銘の変わり者だな、竜姫は……。」

話を聞いて尚、畏れる事無く紅い瞳を正面から受け止め笑う表情も、血塗れた手を包んだ温もりも、それは確かにそこにあった。

遠くでチャイムの音がする。ピクリと、その音に竜姫が反応する。ポケットから携帯を取り出し、時間を確認した彼女は、

「うわっ、もう七時?」

と、にわかに慌てだした。寮の門限は九時だが、夕食は夜八時までと決まっている。朝はあの通りだったし、昼も食欲がわかず、まともに食べていないのだ。ここで夕飯まで食いっぱぐれる様な事になれば、今夜は空腹で眠れなくなる。

「……私、もう行かないと……」

ルードの前で、竜姫は慌ててブレザーを脱ぎ捨て、ブラウスの襟元を開いた。

「ルード、血が要るなら、早くしてっ、」

無防備にさらけ出された首筋。それを目にしたルードの紅い瞳に、ゆらりと妖光がきらめいた。

彼の目は闇を見通し、肌の下を流れる温かな血潮の香りに、吸血鬼の本能が刺激される。

口内に溢れてくる唾液を飲み込み、ルードは竜姫の肩に手を添え、彼女の首筋に口付けを落とした。つつぅーっ、と、舌先で肌をなぞる、その仕草が妙に色っぽい。耳元にかかる吐息に、背筋がゾクゾクする。

クラウスから逃れる為に必死だった昨夜はそんな事など気にはならなかったのに。

恐怖とは違う感情に高鳴る心臓の鼓動がルードにまで伝わってしまいそうな気がする。

肌に唇が触れ、ルードはそのままためらう事無く牙を埋め込み、二口か三口程、にじみ出て来た血を舐める様に味わう。

ほんの僅かな量を摂取しただけで、ルードはあっさり竜姫を解放した。ガリッと牙で自分の指の腹を傷付け、プックリと溢れてきた血液を、軟膏でもすり込む様に竜姫の首に残る二本の牙の跡に塗り付ける。すると、たちまちのうちに血は止まり、傷跡すら残さずあっという間に完治してしまった。

「竜姫、これを。」

ルードは、懐からピルケースを取り出し、竜姫に手渡しながら言った。ケースのなかには赤いカプセルがが数粒入っていた。

「今、クラウスに見つかれば、非常にまずい展開になるのは間違いない。けれど、この学園で生活する限り、奴と遭遇せずにいるのはまず不可能だ。だから、一日三回、食後に必ずこの薬を飲んで欲しい。目くらましのまじないを封じた薬だ。飲むだけで俺の魔術が効いて、奴の目に竜姫の姿が映らなくなる。」

竜姫はパッと顔を輝かせて薬を受け取り、

「それ、ホントに?」

と、まるで欲しかったおもちゃをプレゼントされた子供の様な目でルードを見る。

「そんな便利なモノ、……いいの? タダで貰っちゃって。」

どうやら本気で感激しているらしい彼女に、ルードは、同情の眼差しを向ける。

「……相当苦労してたんだな、竜姫も……。」

「うん、この学園に来てからずっと、アイツには目の敵にされてて……。何度も殺されかけたんだから、私も久遠も。何かといえばすぐ神剣振り回して暴れるんだから、迷惑としか言い様がないというか。……アイツに見つからずに済むなら、ありがたく飲ませてもらいよ、この薬。早速今晩からね。」

乱れた着衣を整え、ブレザーのポケットにケースを滑り込ませて、竜姫は立ち上がった。

「時間だから、もう行くね。ルードはどうする?」

「俺は当分の間、この礼拝堂で寝泊まりするつもりだ。ここなら奴の目を欺きやすい条件が揃っているからな。」

ルードがそう言うので、竜姫は礼拝堂に彼を残したまま、一人寮へと駆け戻って行った。

ルードは戸口でそれを見送り、夜空を見上げた。街灯も数少ない山中で、所狭しと散らばる星屑がチカチカと瞬き、赤みがかった大きな月が山の向こうから姿を現す。

切る様な冷たい夜風が辺りの木々を唸らせる中、ルードは屋根の上へ跳んで上がった。生い茂る木々より高い位置からぐるりと辺りを見回せば、林の向こうに煌々と明かりの点る六階建ての建物が二棟、二階建ての共同棟を挟んで並んでいる。

ルードは感覚を研ぎ澄まし、建物の内部を探ってみた。雑多な人間の気配の中から、異質な存在を嗅ぎ分ける。集中力を限界まで高め、ルードは目的の気配を察知した。大丈夫、今は男子寮をうろついているらしい。大方、今朝方制服を拝借した男子生徒に僅かに残った気配でもつけ回しているのだろう。記憶は消したし、まあ問題はないだろう。……彼には少々気の毒だが……。これなら薬を服用する前に竜姫がクラウスに見つかってしまうような事態にはならないだろう。

ほっと、安心したようにため息をつき、ルードは屋根から飛び降りた。散歩でもして久々に外の世界を満喫したかったが、今はまずい。舌に残る久々に味わった新鮮な血液の味を堪能しながら、ルードは礼拝堂の中へと姿を消した。


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