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緋色の絆  作者: 彩世 幻夜
第三章 -obtain-
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新たな季を告げる訪問者[2]

 その、覚えのありすぎる気配に、竜姫は息を飲み、そして身体を硬直させた。

「……どういう、ことなの?」

山の、裏方から尋常ではない揺れを感じ、駆けつけてみれば。

「悪い、ちょっとマズったらしい――。」

晃希は、竜姫を背に庇いつつ、剣を抜き放ちながら、歯切れ悪く言った。

「まさか、こんなに早く見つかるとは思ってもみなかったんだよ……。」

 目の前にいるのは、イノシシの様な容貌すがたをした黒い影。――とはいえ、イノシシに見えるのはその影の形だけ。普通のイノシシに比べて何倍もある巨大な体躯と、体を覆う瘴気と妖気は、獣のそれではない。

「タマシイ……、ヨコセ……。龍の、タマシイ……、力を、ヨコセ……。」

 低く、しゃがれた声。唸るように、その化け物は人の言葉を操り、言った。ぶるるっ、と鼻を鳴らし、全身の毛を逆立て膨らませ、前足で地面をかき、剣を構える晃希を威嚇しながら。

「――ぐぅおおぉぉん、」

 おおよそ獣の鳴き声とは思えない、身の毛のよだつような咆哮。それは、荒々しい風と、妖気とを纏い、周囲へ放たれた。

「竜姫っ!」

「姫っ!」

その気配を感じ取った稲穂と久遠も駆けつける。

「こいつはっ!」

「……ああ、優花と正寛の魂を喰らいやがった奴だね。だが、どうして今、ここへ?」

その姿を目にして、久遠が唸り、稲穂は苦々しい表情を浮かべつつ疑問を口にした。

 恰好の餌食である魂が、社に戻った。それだけならば、この状況は当然と言えよう。しかし今は、晃希がいる。しかもつい昨夜、あの空恐ろしい気配を辺りに流布したばかりで、まさかあの力を感じ取りながら、昨日の今日で闘いを挑もうという命知らずな馬鹿がいたとは思わなかった。

「すいません、俺のミスです。」

晃希は、もう一度謝罪の言葉を口にした。

「今朝、使い魔を放ちました。竜姫の御両親の魂を救うため、その魂を喰らった妖を見つけ出すために。――まさか、こうも早く反応が返るとは思ってもみなかった。」

 こいつは、『クラウス』と比べれば、子供を相手にするようなもの。――その程度の力しかない妖だ。普段ならば、目をつぶってでも倒せるような、敵。だが、今、晃希は――。

 ――と。パサリ、と、上空から翼を羽ばたかせる音がした。見上げれば、冷やかな蒼い瞳で見下ろす清士の姿。

 そう、あれを復活させるために、かなりの力を消費してしまっていた。そしてこの後、まだ力を要する場面が確実に一つ、残っている。

「クソッ、何だってこう、ピンチになってばっかりなんだ、俺っ!」

晃希は一人、毒づいた。

 空を舞う元天使の狛犬。しかし彼は、社と神を襲う敵である妖と竜姫や晃希達とをただ眺めているだけ。戦いに加わろうなどという気配は微塵もない。

「――むしろ、俺の支配から抜ける絶好のチャンスとか思ってるだろ、絶対。」

 下僕の立場で、主に直接手を出すことはできない。が、ここで、晃希がこの妖にノックアウトされれば、それは成る。

 この状況で、今回ばかりはもう、竜姫も彼に血を与える事は出来なかった。……これ以上血を失えば、冗談ではなく、命にかかわる。

「……焦るな、晃希。大丈夫だ、お前は一人じゃない。」

後ろから、稲穂が落ち着いた声を晃希に向けた。

「アタシも久遠もついてる。こないだは数がいたからね、不覚をとったが、今日はこいつ一匹。三人がかりでかかれば楽に倒せるだろう。」

稲穂は、余裕たっぷりに言い、晃希の前へ出る。

決着ケリがつくまで姫は下がってな。晃希、トドメとアフターケアはお前に任せる。アタシと久遠でこいつを弱らせる間、後ろで体力温存しておけ。久遠、狐火でこいつの動きを抑えろ。見てな、あの日の借りを倍にして返してやるから。」

 晃希の横を通り過ぎるそのとき、さり気なく肩を叩き、妖艶な笑みを向けて言った。

 狛犬である以上、主従である関係だが、しかし気安い雰囲気を壊すことなくいてくれる。お互いフォローし合える、確かな絆に支えられた関係。それを、改めて再認識した晃希の心に、温かい物が溢れる。身体がキツイことには変わりないが、それは、晃希に確かな力を与えてくれた。

「いくぞ。」

艶やかな紅い衣が、翻る。

「我らが大事な主を喰らい、次代の主を傷つけたその罪、お前の命であがなわせてやろう。」

白く細い柔な脚が、自然のままの山の大地を蹴る。

「久遠っ、」

 燃える、紅く長い髪が揺れる。チラつく、アカ。向けられた殺気に、化け物は鼻息荒く、稲穂へと突進を仕掛ける。

 その足元の大地を、青白い業火が覆った。轟々と、涼やかな色の炎が、凄まじい熱をもって化け物の足を包み込む。

「ガアアアアッ、」

痛みに苦悶の声を上げつつ、化け物は怒りに満ちた瞳で、眼前に迫った稲穂を睨んだ。

燃える、大地。だが、同じ地面を駆ける稲穂の裸足の足には火傷一つ見当たらない。辺りの木々も、炎に当てられながらも焼かれてはいない。あくまで、化け物だけを標的にした炎なのだ。

 久遠は、晃希の前に座り、力を行使する。化け狐としては標準装備といってもいい能力である、狐火。その妖狐の中でも特に強い力を持つ、九尾の狐。子狐とはいえ、この程度の炎を操るくらい寝てたってできる。九本の尾を揺らめかせ、それでも油断なく敵を見据える。

 足元に気を取られ、敵の動きが止まる。痛みに気がそれ、隙だらけになった敵の額を、稲穂は力一杯蹴り飛ばした。衝撃に顔をのけ反らせたイノシシの化け物は吹っ飛ばされ、斜面に生える草木を身体でなぎ倒しながら、背後の崖を転がり落ちた。

 崖下へ、重たい身体が叩きつけられ、ズゥウウウン、と、重たい衝撃が地面に響く。……無論、この程度でくたばりやしない事は誰もが分かっていた。

 ――だから。その声に、一同は皆、約一名を除き、戦慄した。

「竜姫ちゃーん!」

狛犬二人以外には、聞き覚えのある声だった。

「待って、ちょっと待ってくださいっ! 今そっちはっ……、」

追って、誠人の声がして、そして。

「待つのはあなたよ、誠人。一体どういう事なの? ちゃんと説明なさい!」

だいぶ遅れて、待ち人の声が届いた。

――最悪の、タイミングだった。

普通の獣では歯の立たない崖を、容易く駆け上ってきた妖を、遠目ながら目にとめた誠人の顔色が一気に青ざめる。

「だめですっ、山中さん、杉内さんっ!」

竜姫の姿をみとめ、駆け寄るおかみさんと運転手を必死に制止しようとするも、妖の姿も、稲穂と久遠の姿も視えていない彼等は構わず竜姫に駆け寄る。

「だめ、お願い、来ないで!」

竜姫が、彼らに向けて必死の叫びを発した。

 怒りに染まる、妖の瞳が、突然わらわらと現れ、こちらへ向かって来る人間たちへと、向けられる。

「……来るなっ、逃げろっ!!」

最悪の事態を予感し、晃希が警告を告げる。

 そこで初めて、誠人以外の面々は、竜姫の隣に立つ男の存在に気付き、視線をそちらへ向ける。

「あんたら、死にたくなけりゃ、今すぐここから離れろ!」

振り向き、叫んだ彼の瞳は、日本人はおろか、人間にあるまじき、紅い色をしていた。

 こんな時代だ。瞳の色くらい、カラコン等で、いくらでも変えられる。……だが、爛々ときらめく美しい瞳に宿った険が、造り物を越えた、『本物』の凄みを魅せる。そして、その手に握られた、異様な剣。その場にある異質な存在で、唯一目に視えるその姿に、皆の足が止まった。

「早くっ、逃げてっ」

 彼らの、おそれを敏感に感じ取った妖は、その場に縫いとめようと勢いを増す炎を易々飛び越え、制止しようとした稲穂が動くより早く、新たな生き餌を求めて駆け出した。

 車の中で感じた、あの嫌な空気が迫るのを、おかみさんは感じ取った。運転手は、知らず背筋に寒気が走るのを感じた。誠人は、迫る化け物がまとう瘴気と妖気に、為す術もなく固まる。清士は相も変わらず上空に留まり、妖が人間たちに襲いかかろうとするのをただ見下ろし。誠人の両親は、命の危機にも気付かず、異様な風体の少年に忌避の視線を向けた。

 視えていたとしても。人の身体能力で、それを回避することは、不可能だった。山を駆ける能力に関してだけを言えば、ここにいる者達の中で飛びぬけて高い能力を有しているそれに、かろうじて追いつくことが出来たのは、唯一、翼を広げ、けた晃希のみ。それも、ギリギリで間へと滑り込み、その身で化け物を押し留めるのが精一杯だった。

 勢いづいた突進を、吸血鬼の膂力で止める。魔術を紡ぐ暇もなかった。化け物の巨体を止めるには、片手では足りない。剣で斬りつけるにも、もう間合いが足りない。斬るだけなら可能だろうが、突進の勢いを相殺するには至らないだろう。たとえ倒せたとしても、あの巨体が突っ込めば、誠人達もただでは済むまい。晃希は、やむなく剣を捨て、化け物の前に身を投げ出した。突っ込んでくる肉の塊を、全身で受け止める。

 パッ、と、辺りに紅が散った。

 勢い分の衝撃が、相手の体躯に比べて遥かに小さな身体に叩き込まれる。翼を広げ、空を掴み、後ろへ押される力に抗う。

ボタボタと、足元に血の紅を、散らしながら。

「晃希っ!」

竜姫が叫んだ。

 吸血鬼の膂力は、見事、妖の足を止め、ギリギリで誠人達を守っていた。だが、丸腰、素手のままで身をさらした晃希の身体は。

 化け物の身体を覆う体毛は、決して普通の獣のように柔らかなものではない。まるでハリネズミの針の様で、触れば肌はたちまち切り裂かれる。しかも、体を覆う瘴気が肌を灼き溶かしていく。そして、なによりも。その、豚の様な鼻の両脇に生えた、鋭く凶悪な二本の牙の片方が、深く、晃希の肩口に突き刺さっていた。

 あっという間に晃希の全身は血の紅に染められる。晃希は、焼けつくような痛みに顔をしかめ、呻きながらも、炎を生み出す魔術の呪文を唱える。

 ボッと、何もない中空に赤々と燃える炎が生まれ、化け物の腹を焼いた。……だがそれは、昨夜見たそれとは比べ物にならないほど弱々しいものだった。妖は、熱がり身をよじりはしたが、それだけだった。その足りない炎の勢いを補う様に、数泊の後、力強い青い炎が化け物の全身を覆う。

 全身を焼かれ、さすがに焦った化け物は、牙に突き刺さった晃希を跳ね飛ばし、誠人の鼻先を掠めて炎から逃れようと駆け出した。ざりっ、と、化け物の体毛が、とっさに顔をかばった誠人の腕を擦る。

「おい、大丈夫か?」

 一番間近にその様子を見ていた誠人が、血で汚れるのも構わず、晃希を助け起こす。

 誠人と対して変わらぬ間合いにいながら、彼とは違う世界を見る大人達は、突然目の前に現れ、血まみれになって跳ね跳んだ少年の背に生えた、人ではありえない黒い翼のみ、見とめた。

 得体の知れないものを、躊躇なく抱き起こす誠人と、本気で心配している表情で駆けてくる竜姫。晃希は、自分を抱える腕から香る血の芳香にめまいを覚え、反射的に誠人の身体を軽く突き飛ばした。

「ちょっとっ、あんた、ウチの息子に何するのよ!」

 この異常事態の中、その行為にいち早く我に帰った敏子が耳に刺さる怒鳴り声をあげた。つかつかと誠人に歩み寄り、庇うように彼を抱き寄せる。

「ちょっと、怪我をしてるじゃないあなた。血が出てるわっ、どうしたの、これ?」

 転げた晃希を竜姫が抱え、彼の傷の具合を確かめた。傷はすでにふさがりかけていたが、しかし、すでにかなりの量の血が流れてしまっていた。晃希の瞳の奥に、血に飢えた衝動が揺らめいている。

 元々白い肌が更に白さを増し、紅い瞳は人ならざる紅を増していく。苦しいはずだが、晃希は誠人を気にして起き上がり、

「……お前、あいつの瘴気をあびたのか?」

 誠人の腕を診るため立ち上がった。誠人の手を取り、袖口をまくりあげて傷口を確かめる。無数の引っかき傷に滲む血を見て、晃希は渋い顔をした。

「……奴の毛に触れたんだな。まずいな、このままだと血に混じった瘴気が全身を巡る。早いとこ血抜きしないとヤバいぜ。死ぬ事はないだろうが、それでも向こう一カ月はベッドから起き上がれなくなる。」

 魔物の身体を持つ自分が瘴気を浴びたとて、せいぜいが肌を焼かれるくらいだ。これ程に弱ってさえいなければ痛くもかゆくもない。しかし、ごく普通の人間の身体には大いに毒になる。

「え、血抜き……、って……、どうすれば……?」

晃希の言葉に戸惑う誠人。そんな彼に、晃希が次の言葉を紡ごうとするのを遮り、敏子は、

「ちょっと、うちの子に触らないでよ、この化け物!」

と、晃希の身体を突き飛ばした。

 ……この場の状況がまるで視えていない敏子にとって、目の前にいる晃希のみが異形なのである。普通でないもの、ましてや人間ひとでないやもしれないものである時点で、彼女の物差しでは、晃希こそが嫌悪すべきもので。まさか、たった今、彼に命を救われたばかりとも知らずに、その言葉を放った。

 ――化け物、と。

 誠人は、見た。晃希が、ひどく傷つき、辛く、悔しそうな表情をするのを。

 そして、敏子は見た。その言葉を放った自分に、非難の視線を向け、そして、彼を庇うために差し出した腕を、息子が振り払う瞬間を。

 おかみさんと、運転手は見た。青ざめ、緊迫した表情で空を仰ぐ竜姫を。

 そして。竜姫は、見た。空の上、ただ眺めているだけだった清士が、ピクリとその言葉に反応したのを。更に、晃希が気づいて空を見上げた。つられて、誠人も、二人の視線の先を追い、それを、見た。

 ――パサリと、翼をたたみ、元天使の狛犬が今、地へと降り立った。


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