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緋色の絆  作者: 彩世 幻夜
第三章 -obtain-
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新たな季(とき)を告げる訪問者[1]

「……ここへ来るのは半年ぶりだったな。」

 夕飯の買い出しに来た老若入り混じる主婦達が群れる、駅前の商店街の人ごみ。エプロンをつけたまま、ほとんど部屋着と変わらない格好で、わいわい賑わっているご婦人たちの波をかき分けながら、周りの景色に溶け込めていないスーツ姿の男が連れの女性に声をかけた。

 年は、四十代後半か、五十代ほどだろうか。休日だというのに、しっかりアイロンのかかったシワ一つない、物の良さそうな背広を、キッチリと一部の隙もなく着こなしているし、髪も整髪剤まで使ってビシッと整えられている。

 「そうね、優花ゆうか達のお葬式以来だものね……。」

 そして、彼に答えた連れの女性もまた、この場には似つかわしくない出で立ちをしていた。

 まるで我が子の個人面談へ出向く、教育ママみたいな。頭の上に団子が一つ。きっちりまとめ上げられた髪の至る所に黒いピンが留めてある。

 いかにもな眼鏡をかけ、紺のスーツで身を包み。小さなバックを小脇に抱え。高いヒールの靴音を響かせ歩く。

 そんな異質な二人組を、奥様方はチラチラ盗み見る。そう広くもない、田舎町のこと。男の方はともかく、彼女を知らない者はそう多くない。十数年前までの二十年間、ずっとこの町で暮らしていたのだから。

「変わらないわね――。ホントに、変わってないわ。この、大嫌いな空気。」

 都会暮らしで人混みには慣れているが、こんな風に、芸能人でもないのに注目されるなんて、街ではありえない。

「敏子ちゃん? 敏子ちゃんだろ、あんた。」

と、肩を叩かれ振り返る。

「ああ、やっぱりそうだ。昨日、竜姫ちゃんが帰ってきたのを見たって、家の旦那が言っててね。良かった、じゃあ、戻って来ることにしたんだね?」

 そこにいたのは、町内会の会長のおかみさんだった。

「違います。」

 敏子は、そっけない返事を返した。彼女の家は、典型的なかかあ天下。会長とは名ばかりの旦那の尻を蹴っ飛ばし、実際に権力を握っているのはおかみさんなのだ。

 世話焼きの、お節介で口うるさいオバサンで、妹の優花や姪の竜姫は好いていたようだが、敏子は彼女が苦手だった。

「……そう言わずに、さあ。せめて十年、竜姫ちゃんが成人するまででいい。それまで、あの神社を切り盛りしとくれよ。」

 そう、優花と正寛の葬儀の席で、竜姫が神社を継ぐと言い張ったのを最後まで擁護したのも彼女だった。そのために、自分が竜姫を引き取って育ててもいいとまで言って。

 彼女の二人の息子たちはとうに独り立ちし、長男は家の仕事を継いで農業に勤しみ、次男も家庭を持っている。もう一人育てるくらい、どうということはないからと。

 しかし、実の伯母である自分がいるのに、他人に姪を押し付けるというのは世間体が良くないから、仕方なく竜姫を引き取ったのだ。

「私は神社を継ぐ気はありません。私には、夫も子供も、仕事もあるんですから。」

煩わしさに、つい苛つきが声に出る。夫が止めたタクシーに逃げるように乗り込み、

「用事を済ませたらすぐに帰るんです。もう、構わないでください。運転手さん、出して。」

そう切って捨て、バックミラーに映る運転手に声をかける。

 ……が。タクシーの運転手とて、町の人間だ。町会長、――の奥さんには逆らえない。バンっ、と自動で閉まるのをも待てないと乱暴に閉じられたドアーをボタン一つで再び開ける。

「悪いね、あの人には逆らえんよ。それに、私も同じ意見なんでね。」

何を、と、バックミラー越しに睨みつける敏子に運転手が謝った。

「……あの娘は私たちが引き取った。あの娘の親権を持つのは私達だ。」

と、不機嫌な顔で、敏子の夫が口を開いた。

「そして敏子は、私の妻だ。もう、神崎の人間ではない。その彼女が、望みもしないのに何故神崎の家を継がねばならん?」

不機嫌に彼は言った。

「それを言うなら、竜姫ちゃんだって、ここを離れることを望んではいなかっただろう!」

負けじと、おかみさんも言い返す。

「神社を継ぎたいんだって、あんなに必死だったじゃないか。」

「あの娘はまだ中学生で、子供だ。子ども一人、保護者もなしにそんな願いを聞き届ける訳にはいきませんから。」

しかし、彼は動じもせず、淡々と答えを返した。

「だから言ったろう、私が引き取って育てると。あの神社は、町の人間にはなくちゃならないもんなんだ。」

憤るおかみさんに、敏子は、

「だったら誰でも、やりたい人が好きにやったらいいじゃないの。別に私はあの土地の所有権なんかいらないもの。売れればいいと思ったけど、色々面倒だし。いいわよ、ただであげるわ。」

そう言い捨てた。

「……ずいぶん罰当たりなことを言いますね。」

運転手が、非難の視線を向ける。

「あそこに祀られた竜神は、昔当たりを荒らしまわった荒魂あらみたまなのですよ。恩のある豊生様の血を受け継ぐ神崎の人間にしかあれは鎮められません。」

「何よ、百年前じゃあるまいし、この科学の時代にそんな迷信をまだ信じているの?」

敏子は馬鹿にしたような視線を、運転手に返した。

「迷信だって? 冗談じゃない。実際、この半年、農作物の育ち具合は悪くなる一方なんだよ。収穫量は激減してるし、作物の質だってがた落ちだ。手入れをさぼったわけでも、天候に恵まれなかったわけでもない。それでも、あの社が空っぽになってから、確実に何かが失われていってる。」

 視えずとも。生まれてからずっと、この土地で育ったのだ。愛着あるこの場所に根付く何かを、何となくながらにも肌で感じることはできる人間だっているのだ。

「もう暮れも近い。正月もじきだ。だが今年は初詣もどうなるかと町の皆で案じていた。」

 豊生神宮では、毎年正月の初もうでシーズンには賑やかに出店が立ち並ぶ。昨年の豊作を神に感謝しつつ、来年の豊作と、自分や家族、友人たちの安泰を祈るため、町中の人間が皆、足を運ぶ。

「今年は秋祭りもなかったからなあ。町の灯が消えちまったみたいで、なんだか味気ない秋だったよ。」

「そうしたらさ、ほら。」

ごそごそと、おかみさんが前掛けのポケットを探り、一枚の葉書を取り出した。

「竜姫ちゃんから手紙が来たのさ。せめて、初詣くらいはちゃんとやりたいからって。手伝ってくれないかってさ。」

「何、それは初耳だ。」

運転手はおかみさんを振り返り、彼女の持つ手紙を良く見ようと身を乗り出した。

「ああ、たしかにあの娘の字だな。全く、ホントによく出来た娘だよ。じゃあ、そのために帰ってきたのかねえ。……町じゃあの娘を見かけたって話は聞かないし、一人じゃ色々困っているんじゃないかい?」

 半年も家を空けていたのだ。神社の境内なんかは町の人間で定期的に掃除していたが、裏の方までは手が出せず、放置したまま。食糧の蓄えだってそうはないはずだ。

「どうせもうじき俺の勤務時間も終わる。奥さん、前開けるから、一緒に乗ってってくれないかい。運賃は俺が持つからさ。」

そう言って、彼は助手席のドアを開けた。

「ちょっと、何勝手に!」

噛みつく敏子に、運転手は、

「悪いね、これはこの町の事なんだ。『余所者』は口出ししないで貰いたい。」

そう、冷たく言った。

「なっ、」

言葉が、続かない。彼女の夫も、苦い表情を浮かべるが、目的地まで歩くには、距離がありすぎる。他のタクシーを捕まえるにしても、おかみさんを敵に回しては上手くいかないだろう。

「……これだから、嫌いなのよ。」

忌々しげに呟く敏子を尻目に、おかみさんを乗せたタクシーは静かに走り出した。

 昨日、竜姫達が通ったのと同じ道を、車は走っていく。途中通り過ぎた学校は、土曜日で休みのはずだが、地域住民に開放されている校庭では、子供達が元気にはしゃぎまわっている。

 二十年位前までは確かに、敏子もあの中にいたのだ。たとえ、テレビで見知った都会に憧れ、田舎であるこの町に嫌気を覚えていたとしても。

 煩わしい人付き合いもなく、色々便利な都会暮らしが、自分には性に合っているのだ。たとえここのように空気が澄んでいなくても、夜空に星が見られなくても。24時間営業のコンビニがいたる所に点在し、電車やバスだって、そう待たずとも次から次へとやって来る。最新の流行りの服や小物だってすぐ手に入る。そんな、便利な都会が。

 何だって、こんな不便で煩わしい田舎に残りたがるのか、彼女には竜姫の気持ちは理解不能であった。

「それにしても、あの娘はともかくとして、何故誠人までもがここに来ているんだ? 確かもうじき期末試験のはずだったと思うが。しかも私たちを呼びつけたのはあの子なんだろう?」

「それが、あの子言わないのよ。来てくれたら全部話すからって言って。」

そう、もう一つ。敏子には理解できないことがあった。

 何故、今まで自分たちの言いつけに逆らったことのない誠人が、突然こんな突飛な行動に打って出たのか。

「きっとあの娘が何か誠人を困らせるようなことをしたんだわ。そうでなきゃ、あの子がこんな事するはずないもの。」

 とても真摯な誠人の言葉を、電話越しながらにも直接聞いていたはずの敏子だが、それを否定するように呟いた――その時だった。

 グラグラっ、と、走る車の中にいても感じる大きな揺れ。運転手はあわててブレーキを踏む。車が止まると、揺れは尚一層ダイレクトに伝わってきた。

「地震かい? こりゃ大きいねえ。」

おかみさんが不安げな声を出す。

「ラジオ、ラジオつけとくれ。これだけの揺れだ、すぐ地震速報が流れるだろう。」

頼まれるより前に、運転手はカーラジオのスイッチに手を伸ばしていた。

 ガガっ、ピーっ、と雑音がスピーカーを震わせる。回転つまみを弄ってチューニングを調整すると、ザザッ、と雑音混じりのアナウンス音声が割り込む。

「ああ、ちょうどいい。ニュース番組やってる。」

細かい微調整により、雑音が消え、クリアな音声がスピーカーから流れてきた。

「つぎは、今日のお天気です。清水さん、お願いしまーす。」

「はい、本日の天気をお伝えいたします――。」

揺れが完全に収まるのを待って、運転手は再び車を発車させた。

「今日は全国的に高気圧に覆われ、晴れるでしょう。ただ、大陸から強い寒気が流れ込みますので、大気の状態は不安定になります。内陸、山沿いでは夕方から夜にかけて大雪になる恐れがありますので、ご注意ください。各地の詳しいお天気です。全国的に晴れるでしょう。ただ、寒気の影響で気温は上がらず、寒い一日になりそうです。続いては中部地方のお天気です。日中は、各県よく晴れるでしょう……――」

 しかし、いくら待ってもラジオはのんきに天気予報を伝えていて、一向に地震速報が入らない。おかみさんはつまみに手を伸ばし、ほかの局へとチューニングを合わせる……が、

「――今日ご紹介する商品は、高性能高枝切りバサミ……、――次に溶いた卵を加え……――、〜♪僕らを繋ぐ赤い糸……――、最新の交通情報をお伝えいたします。関越道、花園IC(はなぞのインター)付近で玉突き事故があり、その影響で二十キロの渋滞――」

通販番組、料理番組、音楽番組、渋滞速報……。どこの局でも、地震速報など流れてはいなかった。

「……どういうことだい?」

と、再び強い揺れを感じて、運転手がブレーキを踏む。

「……中央自動車道では海老名SA(えびなサービスエリア)入口付近で一キロの渋滞――」

ラジオでは相変わらず渋滞情報を流している。地震速報など一向にやらない。

 その時だった。ごうっ、と轟音と共に物凄い突風が、もうすぐ目の前に迫った神宮の山の方から吹きつけた。乾いた、冬の風――の、はずが、車の中にいても分かるくらいにジトッと湿り気を帯びた生ぬるい風。それが何故だか、不安と焦燥を煽る。

「……竜姫ちゃんが心配だ」

運転手はすぐさまアクセルを踏み込み、神社の入り口の脇に車を停めた。

「何だろうね、何だか、嫌な感じがするよ――。」

おかみさんは、買い物袋を手に車を降り、山の頂を見上げた。

 青く澄み渡った空。散らばる白い雲。夏に比べれば弱々しいが、日光はさんさんと降り注ぐ。いつもと変わらない、平穏そのものの空が、おかみさんの瞳には映っていた――。

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