一時の休息・交錯する思い
平屋建ての古風な日本風家屋。和室が二部屋、畳敷の居間が一部屋。台所・風呂・トイレが一つずつ。――シンプルな間取り。
誠人は両親が寝室に使っていた部屋へ通した。稲穂や久遠は神だ。彼らはそれぞれ自分の社を持っている。
「……だからって、いいのか?」
風呂上がりで暖まった身体を冷やさぬよう毛布を肩からはおりながら、晃希が微妙な表情をする。
八畳間の部屋に、布団が二つ。
「……今さっき事情を知ったばかりの誠人くんとアンタを、一つの部屋に二人きりで押し込めるわけにいかないもの。誠人くん、ただでさえクラウス被害でまいっているのに……。」
「……話が、あるんでしょ?」
誠人の前では言えなかった話。
「ああ。多喜様の、二つ目の条件……。」
「うん、稲穂経由で話は聞いてる。」
緊張や照れからか、少し視線を泳がせながら竜姫は言った。
「……今はまだ、無理だけど。あの先生のセリフは、ムカつくけど、事実だから。今の私じゃ責任とか何とかどうともできない事が多すぎるから。」
「分かってるよ、まだ先の話だ。」
軽いため息をつきながら、晃希は、竜姫の額にデコピンを食らわせた。
「イタッ!? 何すんの……!」
「先の話ではあるが、リスクの大きい話だ。……最悪、生まれた子を俺達の手で封印しなきゃならないかもしれない。その、覚悟はあるか?」
実際の行為に対する覚悟なんか、今はいらない。そんなのは後からでどうとでもなる。
大切なのは――。
「何があっても、私は受け止めるよ。今はまだ、人間だし、未熟だけど……。私も一応神でもあるのよ。」
泳がせていた瞳を、晃希の視線に合わせ、竜姫は言った。
「……そうだな。」
「……それに。」
眉間にシワを寄せ、こめかみを指でグリグリ揉みながら、
「クラウスを、ウチで養う苦労を思えば、そんなの些細な問題に過ぎないじゃない。それに関しちゃ、杞憂に終わる可能性だって多々あるんだもの。でも、こっちは逃れられない日常の現実なのよ?」
と、しかめっ面をする。
「……そうだな。」
目を逸らし、
「なあ竜姫。せめて今晩位、現実を忘れてとっとと寝ないか?」
ヒクリと、口元をひきつらせながらの晃希の提案に、
「……そうね。そうしましょう。」
竜姫も素直にうなずいた。
「あ、言うの遅くなったけど……。」
さっさと布団へ入ろうとしていた竜姫の顎に手を添え、
「……これから。永遠に近い日々を共に過ごす我が主に。絶対の忠誠と……そして、変わらぬ愛を……。」
優しく口付けた。
――その頃隣室では。
「……神……か……。」
明かりを消した部屋。布団の中、ぬくぬく暖かにゴロゴロしながら、聞かされた途方もない話に、どう反応したものか、誠人は解らぬまま瞑目した。
「本当に……俺の常識なんて……世界の一部分しか見てなかったんだな……。」
昨日今日とたった二日で、一生分にも余る体験をした。そのどれ一つとして、自分の常識内に収まるものはなかったのだ。
今までずっと信じてきたはずの『神』でさえ。その、一番有名な御使いをこの瞳に収めたなどと三日前の自分に言ったとして……恐らく自分は鼻で笑ったに違いない。
「……もしもし、母さん?」
誠人は、自宅と繋いだケータイに話しかけた。
「俺……誠人だけど。ちょっと、話があるんだ――。」
そして、山の上では――。
「静かだねぇ……。」
月見酒を楽しみながら、稲穂が、一帯の山々を見渡しながら言った。
「満月ではないが……中々に良い夜だ。いつもならもうちっと騒がしいのに。」
「そりゃあ……。あれだけの力を解放して――あんだけの勢いで脅せば……。先百年は間違いなくアイツにケンカふっかけようなんてバカはあらわれないよ。」
全く、彼の力は分かっているつもりで覚悟をしていたのに。思っていた境界線を、いともたやすく踏み越えた力に、全身の毛が逆立った。
「あれはねぇ……。アタシでさえ背筋が寒くなったよ。心底、彼が味方で良かったと感謝した。あれが敵に回っていたなら……豊生神宮に未来は無かったろうね――。」
さて、と。稲穂が立ち上がる。
「明日の宴に、何か獣を仕留めて来よう。久遠、お前ここ片付けとけ。」
昨夜、一晩中駆け通した久遠と違い、稲穂は晃希が来るまでの時間稼ぎに竜姫の戦いをサポートしていただけ。
神である彼女の身体は既に充分すぎるほど回復していた。
身軽く崖を飛び降りて行く彼女を見送り――。
「……明日から……クラウスも加わるのか……。」
そうなれば、百年と言わず、千年は安泰な気がする。
「僕達は……安泰どころか波乱万丈の毎日になりそうだけど……。」
あんなのに守られるなんて、悪夢だとしか思えない。でもまあ、自分は神だ。アイツが狛犬となるならば、立場は自分の方が上なのだ。
「……心から、同情するよ……晃希……。」
明かりの消えた家屋を見下ろしながら、久遠は呟いた。
「――戻ったか。」
白一色の世界。光に満ちたその空間で、一際光輝く玉座の前に、ミカエルが跪いた。
辺りには、ミカエルとも並び立てる高位の天使が奏でる神を讃える言の葉を唱う、美しい声が響く。
その中を、そのどれとして敵うことのない、至上の声がミカエルを迎えた。
「我らが主よ……。」
「あれらの処分、そなたに一任したが……。さて、ミカエルよ。アダムとイブ、その子孫たる人の子の『弁護者』たるそなたはどんな裁定を下した?」
「……大天使クラウスは死罪とし、既に光に還して御座います。また、堕天使サハリエルにつきましても、あれを使い魔に陥とした魔女共々、邪教を祀る神殿ごと、封じて参りました。」
天使は、嘘をつけない。全ての天使の心は繋がっている。誰かが嘘をついたとて、すぐにそれは仲間の天使は察することができる。……自分より高位の天使の心まではさすがに覗けないが。ミカエルは最高位の天使だが、まさか全知全能である神の前に、隠せるものなどない。
もちろん、それと知った上で彼は、のうのうと虚偽の報告を申し上げたのだ。
「クッ、フフフッ……。クラウスにサハリエル討伐を命じたのも……そなただったな。我がそなたに与えし神剣の力を二つに割って下げ渡してまで……。」
「……さあ、何の事でしょう? 私はとんと存じ上げませんが……。」
ミカエルは、にこやかに微笑みながら答えた。
「まあ良いさ……。下がりなさい、ミカエル。」
「……では。失礼いたします。」
パサリと、輝く六枚の白い翼を広げ、ミカエルは天の玉座を辞す。
地上へ降りている間にたまった仕事にパタパタ忙しなく飛び回る部下たちの元へ向かいながら、一人呟く。
「最期の審判、その日までに……。お前達は……我等兄弟とは違う運命を……掴むことが出来るか……見せてもらおう。」
そして。
見事運命を味方につけることができたなら……その時は――。ミカエルは、ニヤッ、と、天使らしくない笑みを浮かべた。
「君達に、祝福を贈ろう……。」
心から――。