一難去って、また一難……。
「はあああアッ!?」
……これが、全ての事情を聞き終えた竜姫の第一声であった。
「何それッ? それってつまり、ていのいい厄介払いじゃないの!」
一同、社の道場の中、皆が並んで座るのに十分なサイズの円卓が置かれ、竜姫、稲穂、久遠、晃希、誠人がそれを囲む。
昨夜から何も口にしていない誠人の前には、晃希が用意したオートミールが置かれ、クラウスの魂は、卓の中心で、ふわふわと無責任に浮かんでいる。
誠人は、粥を啜りながらグルリとそれぞれの表情をうかがった。
向かいに座る稲穂は、どうしたものかと苦笑いしながら手にした杯から酒をあおっている……し、久遠も苦虫でも噛み潰したかの様な渋面を浮かべている。竜姫も、稲穂の前に酒のつまみとして並べられたウィンナソーセージに刺さった爪楊枝とクラウスの魂とを見比べるその顔には、「ハリネズミにしてやりたい」と書かれているし。説明していた晃希もうんざりといった表情を浮かべている。
「……聖気を根こそぎ持ってかれてるからな、今のこいつは『人型』を保つことも出来ない。」
「――本音としては、箱詰めにして物置の一番奥の奥に押し込めておきたいんだけど……。」
ほこほこと湯気をたてる具だくさんシチューをつつきながら、竜姫は言った。
……これも、晃希が用意したものだ。少し味が薄い気もするが――。
「俺もそうしたい……が、そうもいかない。聖気の足りない魂は、外からそれを補おうとする。その時、外の雑多な気……特に邪気の類いに当てられちまうと……」
竜姫は、察して彼の言葉を継ぎ、
「神竜の魂の話と同じ理屈で、ただでさえ厄介なのが更に厄介になっちゃうって訳ね?」
二人してため息をつき合った。
「……では、どうすればいい?」
稲穂が、視線を晃希に投げた。悪魔の記憶を継ぎ、多喜の記憶をも有した彼が、今この席では一番の知識人となっていた。
「幾つか案はあるが……。」
晃希は苦い表情のまま答える。
「一つは……俺が、サハリエルの魂同様、取り込んで、俺の魂と同化させる。」
久遠が、座り心地悪そうにモゾモゾ身体を揺すりながら、晃希に同情の瞳を向けた。
「二つ目……は……、」
晃希は一つ目以上に言い辛そうに口ごもりながらも、
「……ミカエルは浄化したとか言ってたが、天に見放された以上、こいつは堕天使――つまりは悪魔だ。俺の魔力を注げばすぐにでも復活する。だが、野放しには出来ない。首輪がいる。」
胸元の鈴をつまみ上げて見せながら言った。
「ええっ!? まさかこいつを二匹目の狛犬にするの!?」
「……嫌なのは分かる。俺だってヤだ。だが、狛犬にすれば一応魂は社に縛られるし、神である竜姫や久遠、稲穂様の命令にも拘束力が働く。それに、……悪魔として格上の俺の魔力で復活したならこいつは俺の眷属――いわゆる下僕ってやつだから……俺の命令は絶対になる。」
稲穂が、笑みをひきつらせた。
「そして最後、三つ目。……学園の、俺が封印されてたあの旧礼拝堂に今度は、コイツを封印する。」
竜姫は、晃希の表情を窺いながら、
「何か、どれも晃希に酷過ぎない?」
そう尋ねた。
「まあ、俺への罰って名目だからな。」
「……晃希は、二つ目を採用したいんでしょう?」
「ああ。」
「え!? 何で??」
誠人は驚いて尋ねた。
事情も良く知らないまま口を挟むのはどうかと思って、今まで黙って聞いていたが……。
「一番厄介そうなのに?」
……キリスト教信者としては心苦しいが、あの天使に関しては誠人もかかわり合いになりたくないと思う。
だが、一番被害を受けたであろう二人が、一番クラウス側に有利な選択肢を選ぶとは……?
「だってそうだろ? 封印してしまえばそれで厄介事は片付く訳だ。……魂の同化ってのは今いちピンと来ないが……、」
それでも、わざわざ復活させて余計な厄介事を背負い込むよりはマシなように思える。
「……晃希、稲穂。彼に事情話しちゃっても良い?」
「もうこれだけ色々見ちまってるんだ、今さらだろう?」
「そうだねぇ。知りたがっていたし……いいだろう。」
竜姫は、二人の承認を得た上で、
「あのね、誠人くん……。」
と、詳しい事情を話して聞かせる。
竜姫の両親が死んだ本当の理由。自分の宿命。晃希の事情。そして、今回の騒動についても。全て事細かに説明し、
「彼は、六百年封印されてる間中ずっと苦しみ続けていたの。」
と、竜姫は言った。
だから、『封印』という手段を選びたくないのだと。
誠人は、隣に座る彼を見ながら、自分の耳を疑った。
……村を潰し、親しい人々を殺した張本人を取り込みたくないのは分かった。――それはそうだろう。いくら力が増えるとはいえ、殺した側のリアルな記憶がセットでは……。
しかし……。
普通、酷い目に合わされたなら、相手も同じ目に合わせたいと思うだろう。その相手が仇敵だというなら尚更に。
それを、「自分がされて嫌なことは他人にしちゃいけません」と――小さな子供の躾文句じゃないが、人間ができ過ぎている様に思える。
「まあな。竜姫に会う前の俺ならまずそんなこと言わなかっただろうが……。ここ何日かで色々悟っちまったからなあ。」
そういう彼に、先程までの強大な力の気配は今は皆無。羽根もしまっている今、赤い瞳がなければ彼が人外などとは思えない。まあ、顔の造作に関しては……人間離れしているが……。
こうして見ると、クラウスのが余程邪悪だった気がする。
「ああ……、そうだ。お前にゃ謝んなきゃだったな……。悪かったな、あの日……面倒ごとに巻き込んで……。」
ポリポリと決まり悪そうに頭をかきながら、晃希はペコリと頭を下げた。
謝られた誠人は、慌てた。
確かに、あの日は災難だったが、今それを謝られてしまったら、あの後自分が竜姫に対しやったこと全てをも今、謝らねばならなくなる。自分が間違ったことをしでかした自覚はあるが、今はまだその時ではない。
「……じゃあ……やっぱり復活させるんだ……コレ……?」
誠人の言葉に一同の表情が一様にしかめられた。
「……明日。」
そうポツリと溢した晃希が、
「今日はもう色々ありすぎた。体力も精神力も何もかももう限界だ。これからクラウスの相手をするのは無理!!」
キッパリ宣言した。
「今日はもうメシ食って寝ようぜ!!」
その言葉に皆が一斉にうなずいた。
「でもこれ……ほっといて大丈夫?」
不安げに久遠が尋ねた。
「二、三日位なら俺の魔術で現状のまま留めておける。」
晃希は、牙で自分の右手人差し指の腹を傷つけて出した血で、さらさらと円卓に複雑怪奇な紋様を描き出し、左手で、卓に魂を押し付ける――と、血の赤黒い線が光を放ち、魔方陣から光の触手が伸び、クラウスの魂を拘束した。
「これでよし。さっ、とっとと休もうぜ。……血を吸ったばっかだけど……、さすがに今日はもう疲れた……。」
と、座布団を枕に横たわり、そのまま眠ってしまいそうな晃希に、
「ちょっと、ちゃんと部屋と布団用意してあげるから!」
竜姫が急いで立ち上がろうとして立ちくらみを起こした。いつ背後へ回ったのか、誠人の目には留まらぬ早業でフラフラと倒れ込む身体を抱き止め、
「……俺がやる。場所だけ教えろ。」
と、有無を言わさず抱えあげる。そして、
「……お前も来い。やり方教えろ。」
と。
「さて。じゃあアタシは風呂でも沸かしてこよう。山の上だ、夜は冷え込むからね……。」
稲穂が、ニヤリと何か企んでいそうな笑みを浮かべて立ち上がった。
「沸いたら。姫、先に入んな。」
と、竜姫に声をかけつつ、晃希の背をポンと軽く叩いて部屋を出ていった。
「……、……。」
さっきの説明。誠人に言わなかったことが、一つだけあった。
「?」
一瞬、不自然に固まった二人に、誠人が不思議そうな表情をする。
「……竜姫、後で話がある。」
晃希は、誠人の耳を気にして小声でそう告げた。
「……うん。」
話の内容に察しがつく分、竜姫は目を泳がせながら答える。
今日はまだ、……終わっていないのだ――。