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緋色の絆  作者: 彩世 幻夜
第二章 -a trial-
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力を、手に。

 「ぐあっ、」

 情け容赦なく力一杯振り下ろされた刃は、肩口から脇腹まで届く裂傷をルードの身体へと刻み付けた。

 切れ味の鋭い剣に、切られた瞬間の痛みを感じなかった。……が、次の瞬間には凄まじい激痛がルードを襲った。

 どっと血が吹き出し、衣服を濡らす。ドクドクと、傷口が脈打ち熱を持つ。反射的に、傷口へ手を運ぼうとしたところを――第二撃が襲った。

 二の腕に、骨が見えるほど深い傷を負わされ、ルードは堪らず悲鳴をあげた。……魔物に堕ちて以来、闘いの最中、これより酷い傷を負ったことも幾度となくある。

 だが、魔物の優れた治癒能力がすぐさま回復させてくれていたため、痛みは傷を負った瞬間のものだけだった。

 一瞬の痛みなど、幾らでも無視することができた。

 ……だが。人間のルードヴィヒは、ただの一般人に過ぎなかった。訓練を積んだ軍人などではない彼に、人としては重症の域の怪我の痛みは、それ相応のダメージをルードに与えた。

 そして、さらに第三撃。腹を、横凪ぎに切られる。

「ぐっ、うっ、」

腹にダメージを受け、叫ぶことすら苦しくなる。

 わずかでも動けば倍以上の痛みが怒涛のように押し寄せる。次から次へと振り下ろされる刃の嵐。

 人外のスピードで繰り出されるそれから逃れる術は、今のルードにはない。後から後から刻まれる傷の痛みに呻きながらうずくまるだけ。

「ほらほら、どうしたの〜?」

 挑発するような悪魔の台詞にも、言葉を返すような余裕はない。

 それでも、ルードは見えてはいない茶色瞳で悪魔を睨み付けた。……髪色も、今はかつての薄茶色に戻っている。

 無数に刻まれた傷。そこから溢れだした大量の血は、とうに人間の致死量を越えている。本来なら……いまだに意識があるはずもない。だが、こうしてまだ生きているということは。

 ――ここは、精神世界。現実世界とは別次元の世界。使えるのは己の魂の力のみ。……ならば、ここでルードが使える武器はただ一つ。自分の精神力のみ。この、想いが尽きぬ限りは、この世界で自分は死なない。

 気を失いたくなるほどの苦痛に必死に耐えながら、ルードは勝機を探る。……ただ耐えるだけでは何も始まらない。

 何か。力を。

「ぐうっ!?」

胸に、深々と刃が埋まった。

 突き立てた剣をわざとグリグリ抉るように更に深く刃を沈めながら、

「やあ、随分しぶといねえ。すぐにも音をあげると思ったのに。結構頑張るじゃない。……でも、そろそろ分かろうよ。どうあがいても手の届かないものもあるんだって事をさ。」

悪魔は優しく諭すように言った。

 身体の中へ中へと食い込む刃から、悪魔の力が注ぎ込まれる。……それは、毒のように内部から身体を溶かしていくような苦痛をルードに与えた。

「ぐっ、うぅぅぅ、」

呻きながら。

 ルードの頭に何かが閃いた。もう、痛みのせいで物事をまともに考える余裕もない。ルードは、思い付いたままに、両手で突き立てられた剣の刃を、刃で手のひらが切れるのも構わずしっかりと抱き込んだ。

「……? …………!?」

 何をするのかといぶかしむサハリエルをよそに、ルードは剣の刃を、根元まで体内へと埋め、全身を廻る毒をあえて手放しに受け入れた。

 全て、溶けてなくなりそうな感覚の中、ただ一つ、紅い一本の糸だけは決して見失わぬよう、しっかり握りしめて。

 意識ごと持っていかれそうな苦痛を、真実、命がけで耐える。毒がどれだけこの身体を灼こうとも、精神だけは。こちらから手放さない限りはどうにもできない。

 ……いや、この毒の元の力を圧倒することができたなら。……きっと――。

「!? ……おい? …………!!」

 悪魔が不意に、戸惑いの声を発した。

 ルードの身体に深々と突き刺さっていた剣が、まるで氷細工か何かのように溶けて消えていく。

「……、これは……!?」

 青白い顔で弱々しい呼吸を繰り返していたルード。

 が、剣が完全に溶けて消えた瞬間、力強い紅い瞳で悪魔を睨みすえ、溶けて消えたはずの魔剣をいつの間にか手に納め、力一杯、悪魔の胸を一気に貫き通した。

 ……それは、ほんの数瞬の間の出来事。

 悪魔でさえも、血に濡れた魔剣が自らの背を突き破るまで、何が起きたか理解できなかったほどの早業。

 痛みに顔をしかめながら視線を落とせば、散々切りつけてやったはずの傷のほとんどは消え、残る大きな傷もすでに塞がりかけている。

「……剣の力を……僕の魔力を取り込んだのか……! ……まさか……?」

復活したルードの視界に、悔しげな表情を浮かべる悪魔の顔が映る。

「言っただろう。人間をなめるんじゃないよって。もしここが現実世界なら……人間のルードが、悪魔のお前に勝てるなんてありえなかったろうが……ここは精神世界だ。心の強さが勝れば……人間も悪魔にだって勝てる。」

それまで、黙って戦いの成り行きを眺めていた多喜が、得意気に言った。

「……そんなことは、とうの大昔から知っているさ。」

 心臓を貫かれ、致命傷を負った悪魔の顔色は、徐々に回復していくルードのものと反比例して悪化していく。

 唇の端から血をこぼしながら、悪魔は諦観の笑みを浮かべて静かに呟いた。

「何も考えず……ただ神に従い、その命を遂行するだけの人形だった僕らに、神の命に背き、堕天してでも助けたいと思わせる力を持っていた……。そんな彼らに……、……彼らと同じ人間である君に……君の心に……僕なんかがかなうわけないことくらい、初めから分かっていたよ――。」

ガクッと膝からくずおれる。

「愛した人を――その魂すら――失って……。堕天使である僕は生まれ変わることもできず、死は消滅とイコール。……僕が死ねば……あの人逹が存在したという記憶すら消えてなくなる……。生きることも、死ぬこともできずに、ただ何となく刻を過ごしてきたけど……。」

それでも、サハリエルは荒い呼吸の合間に絞り出すように喋り続けた。

「今なら。……今なら僕は、僕の記憶と力の全てを君に託して消えることができる。」

突き立てられた刃を、今度は悪魔が握りしめた。

「……残るのは僕の力と記憶だけ。もう、君の意思に反して暴走したりはしない。……もちろん、多喜殿の魂との融合に成功しなければ意味はないけれど。」

切った手のひらから血が滴り落ち、刀身を伝ってルードの手を赤く染める。

「……僕達は幸せにはなれなかったけど。……君達は……うまくいくといいね……。」

 ……つい今しがた溶けて消えた剣のように、サハリエルの姿が溶けだし始める。溶けて、流れて。形を失くしていきながら、サハリエルを形作っていた光が、魔剣の刃に吸い込まれていく。

 悪魔はどんどん溶け、魔剣はどんどん大きく、重たくなっていく。

「――――。」

最期に。ルードの耳元に囁き駆けて。

 そして、悪魔が消え去った後には、到底構えることなど不可能となった剣が残り……魔剣は光となって弾け、光のシャワーがルードの頭上から降り注いだ。

 途端、失くしていた分の倍以上の力が溢れてきた。

「……悪魔の力を見事にものにしたね。」

多喜が、労るようにそっとルードの耳元まで顔を寄せ、囁いた。

「……何だかすごく、複雑な気分だけどな……。」

「ルード。まだ仕事は残ってる。」

多喜が鼻先で、サハリエルが出して弄んでいた光の玉を指し示した。……歪な形をしていたはずの魂。が、それがいつの間にか真ん丸い形のものが二つふよふよ浮かんでいる。

「悪魔の魂と完全に同化したからね。吸血鬼の魂が弾き出されたんだよ。……あれは元々のろいで作られた紛い物だからね。今のあんたなら、楽々取り込めるはずだ。」

多喜の言葉にルードが頷く。

 ……悪魔の力を得た今、魂の扱いは十八番と言ってもいい。ルードは光の玉の片方――自分の魂を――を素手で掴み、胸へとしまい込んだ。

 そして。

 小魚の踊り食いよろしく、暴れまくる、もう一方の光の玉をポイと自分の口に放りいれ、ゴクンと飲み込んだ。

 しばらく胃の中で暴れる獲物に催す吐き気をジッとこらえて、獲物が力尽きるのを待つ。

……数分が過ぎ。

「落ち着いたかい?」

すっかり静かになった空間で、ルードは多喜と向き合った。

「……さあ、アタシの最後の一仕事だ。」

 多喜は、とぐろを解きほぐし、長い身体を優雅に流して美しい体躯から空間一杯に金の光を振り撒きながら言う。

「アタシを、剣で斬れ。」

 その言葉を察していたかのように、ルードの手には元のサイズに戻った魔剣が握りしめられていた。

「アタシがあんたにやれるのは、アタシの記憶――知識と経験――と……。そしてあんたのその闇に染まった魂をある程度浄化してやることだけだ。……それも、さっき悪魔が言っていた通り、多大なリスクを背負うだろうが……。」

その荘厳とした姿に、空間の空気がピンと引き締まる。

「もちろん、お前はやるな?」

「……その為に、ここへ来たんです。」

グッと、痛いくらいに剣の柄を握りしめて。

 ルードは長い胴体の腹に、その巨体からしてみれば爪楊枝みたいな剣の刃を突き立てた。……傷こそ小さいが、裂けた傷口から破裂した水道管の如くに鮮血が吹き出す。

流れ出る血に口を寄せ、滴る血を啜る。

 ……巫女である竜姫の比ではない。神である多喜の血は、魔物であるルードの魂に無数の針を突き立てる。

 魂を砕かれるかのような苦痛と恐怖。聖と邪、光と闇との狭間で己を見失いそうになる心細さ。……それらは、疲弊しきったルードの精神を極限まで削り取っていく。

 多喜は、身体を横たえ……血を啜るルードの後ろ姿を静かに見つめた。

 苦しそうにしながらも、必死に耐える彼の姿を見て、多喜は心底この幸運に感謝していた。己の采配ミスから、途方もない宿命を負わせてしまった竜姫に、こんなにも素晴らしい相方と巡り会わせてくれた運命。

 ……それを引き寄せた竜姫の心。

 そして、このルードヴィヒという人物に。

 ……何も残さず消えるはずだった自分の、記憶を継いでくれる存在がある。――充分だった。

「竜姫……。いいのを捕まえたな。おかげで安心して逝ける……。」

だんだんと重たくなってくる目蓋を支えながら。

「ルードヴィヒ・アンセルム。わが豊生神宮の狛犬として……、竜姫の大切な相棒として……、楽しく生きろ。お前の、人生を……。」

意識も絶え絶えなルードの背中にそう呟いて。多喜はその瞳を永遠に閉ざした。

 と、多喜の姿もまた、金の光となって溶け、光はルードの中へと消えていく。

 ……力の大津波が四方からルードの自我を攻め立てる。光と闇に両端から腕を引っ張られ、子供じゃないが泣きたくなってくる。

 けれど、流されるわけにはいかないから。

 ルードは、たった一本の命綱だけを頼りに、どうにもならない力の激流の中、耐えて、耐えて、耐え続けて。

 ……クラウスと今も戦いを続けているはずの竜姫逹の無事をただただ祈りながら。ジッと、引きずられてしまわぬよう踏ん張って。

 大量に増えた自分の物でない記憶に呑み込まれてしまわぬよう、心持ちを必死に整理して。

もう、力の暴走を恐れずに済む……。あと少しで手の届く素敵な未来に精一杯手を伸ばして。

この空間へ導いた多喜を亡くし、崩壊を始めた空間と同調して崩れそうになる心を繋ぎ止めて……。

 ルードは、再び意識が何処かへと沈んでいくのを感じながら、ぐったりとその場にへたり込み……瞳を閉じた――。


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