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緋色の絆  作者: 彩世 幻夜
第二章 -a trial-
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アネゴな神さん。

 山の中、そこはとても静かだった。風の音。鳥の鳴く声。社のすぐ裏手に流れる川の水音。この部屋にいて、聞こえる物音はそれだけ。

 そして、その音も、この場所の静けさを際立たせるための演出に他ならないようで……。

広い、広い板の間で。

 ルードは一人、申し訳程度の薄っぺらな座布団一枚敷いたその上に、慣れない正座をして座っていた。

 暖房器具など無い、冷えきった空気が、空間を占めるこの道場で、ルードは待っていた。居るだけで、自然と身も心も引き締まるような気がする中で、彼女が戻ってくるのを。

 山を登り、二つ目の鳥居を潜った先で。一般の参拝客がお参りする拝殿を有した本殿が、堂々としたその佇まいが姿を表した。

 しかし、竜姫は、そこから裏へと続く小道を更に山の上へと登っていく。社の裏手にあったのは、こじんまりとした社務所と、平屋建ての自宅。そして、自宅より余程広い、この道場で。

 社務所から鍵束を手に出てきた竜姫に、道場へと通されたのだ。彼女は、稲穂を呼んでくると言って部屋を出ていったのだが……。

「……遅いな。」

 時計もない。この、周囲から切り離されたような場所で、果たして正確な時間感覚などあてになるのかどうか。

 実際はまだ数分しか過ぎていないかもしれない。そわそわと、何だか落ち着かない気分になってきた頃。背後で、静かに引き戸が開く音がした。

 ……振り向いて、確認するまでもなく、それが彼女ではないことを悟る。ルードは、すっくと立ち上がり、すぐさまその場に跪き、頭を垂れる。

 これまで、礼を要する場面に縁の無かったルードは、必死に、昔見た騎士の仕草を真似て頭を下げた。

「……それが、お前の国の挨拶の仕方なのか?」

 細く、しなやかな美脚。ルードの背後から右横を通って彼の前に立ち、上から見下ろし、威圧的な声音で尋ねた。

「……正式な礼儀作法等とは無縁な環境で育ちましたので。見よう見まねの礼です、これが正しい挨拶かどうか、俺には分かりません。何か無礼に当たることがあったならば、ご指摘下さい。謝罪致します。」

 慣れない敬語で、固い挨拶を口にするルードの前で、かの皮とは、素足をぞんざいに投げ出して板の間に腰を下ろし、胡座をかいた。

「……ああ、いい。そういう細かい事はアタシも苦手でね。敬語だとか、礼儀作法だとかは気にしなくて良いよ、取りあえず今は、ね。」

言われて、顔を上げたルードは、目の前の光景に、思わず己の目を疑った。

 姐さん。久遠がそう呼んでいたが……。その呼び名に、これほどぴったりな女性がいるとは……。

 派手な赤い色の着物の襟元は、これでもかと言わんばかりにはだけられ、胸元にはくっきり刻まれた胸の谷間が。

 プックリと肉厚な唇に塗られた真っ赤な紅は何だか艶かしいし、組まれた足の隙間からは、見てはいけない場所が垣間見えてしまいそうだし……。

 何でか潤んで見える妖艶な瞳にかかる前髪は、燃えるような赤。

 頭の後ろで一つにくくった長い髪は、毛先が床に無造作に投げ出され、所々ウェーブした毛がとぐろを巻いている。

 細く長い指が五本くっついた手には、白く湯気の立つ湯飲みが握られていて。

 彼女は、面白そうな目で、ルードを頭の先から足の先まで眺めた。一方のルードは、目のやり場に困って、視線を泳がせた。

「何だい、また随分と可愛い反応をするじゃないか。そうか、お前、まだ穢れ事を知らないんだな?」

クスリと笑って、彼女は言った。

「久遠の話じゃ、百戦錬磨の女たらしかと思っていたんだが……。うちの姫にした口づけ、お前にしても初めてだったのか。」

 言われて、昨夜のアレを咄嗟に頭に浮かべてしまい、平常心が何処かへ光速でぶっ飛びそうななった。

「……おおまかな事情はヤツから聞いている。その件に関しては、感謝しているよ。」

そんなルードの内面を、知ってか知らずか、彼女は、浮かべた笑みを深めながら続ける。

「……あの、貴女は……、稲穂、様……ですよね?」

 ドクバクと、物凄い速さで刻まれる鼓動。それは、幾つもの理由が交錯する胸の中ばかりでなく、全身で感じ取れるほど強く脈打つ。ルードは、強く強く、心の中、理性と平常心を握りしめて、目の前に悠々と座る女性に尋ねた。

「ん、そういえば自己紹介がまだだったね。そうさ、アタシが稲穂だよ。……詳しい事情は姫に聞いて知ってるんだって久遠からは報告を受けているが。自己紹介の続き、まだ聞くかい?」

「個人的には、聞きたいと思うのですが……、今は、急ぎの用件があります。できるならば、本題に入りたいのですが。」

ルードは、座布団の上に座り直し、改めて姿勢を正して切り出した。

「お前の仇敵を討つのに姫の力を借りたい……、と?」

心の中まで見透かすような視線で、ルードの紅い瞳を貫く。

「いいえ、違います。」

その射抜くような瞳をまっすぐ見返して、彼は答えた。

「……いえ、正確には少し違う、というか。」

ほう、と細められた稲穂の目からルードは少し目線を逸らし、目を伏せて言った。

「……では聞こうか。」

 さすが、と言うべきなのか……。彼女の言葉には重みがある。威厳、というのだろうか。何か、上に立つものの迫力のようなものを感じる。

「そうだね、こういう大事な話ってのは人伝に聞いただけで済ますもんじゃない。本人から直接聞くのが筋ってもんだ。さあ、話してみろ。一応聞くだけは聞いてやろう。姫の必死の頼みだからね。」

「……ありがとうございます。」

ルードは、軽く頭を下げ、そして口を開いた。

「俺を、この神社の番犬として、置いて欲下さい。」

 幾つもの言葉が頭の中でひらめき、雪崩うって口から出ていこうとする幾千の台詞を喉元に押し留め、単純明快な願いのみを口にする。

「番犬……、ね。で、その心は?」

少なくとも、表面上は笑んでいた表情から笑みを消し、稲穂は尋ねた。

「理由――……俺が、俺であるために。……その為に必要な力を借りるための、その代償――。とか言えば聞こえは良い、……けど……、正直、俺の勝手な希望です。」

 ルードは、見定めるような稲穂の冷たい視線を真っ向から受け止め、想いを言の葉に乗せていく。

「……俺は、闘い、殺戮するための力ばかりに特化した異国の魔物です。事実、多くの人間の命を奪ってきました。今も、竜姫に貰った血の力が尽きれば、いつ暴走するとも分からない、不安定な化け物。そんなもの、この世に存在すべきでないと、つい三日前まで、そう思っていたんです。」

いつ暴走するやもしれぬとは、その様子からは到底思えない。

「けど、久遠の話を聞いて少し考え直してみようかと、そう思いました。」

訳を語るルードの表情は、それ程に、とても穏やかなものだった。

「竜姫も、力は使いようだと言ってくれた。……だから。」

 ルードは、瞳の奥にゆらりと妖光を湛えてみせ、あえて力の一部の制御を緩めた。とたん、ただ座って喋っているだけのはずの彼の存在感が膨れ上がる。

「竜姫が、ここに居られない理由、聞きました。……俺なら、この地を脅かす人外全てを返り討ちにできます。」

 ……まごうことなき、強大な力の気配。稲穂は息を呑み、目を見張った。……話には聞いていたが、これ程とは。

 確かにこれならば、この辺の有象無象が束になって大挙したとしても、彼には敵わないだろう。

 しかし、稲穂は視線で心の中を射抜くかのような鋭い瞳で、紅く妖しく光る魅惑的な瞳の奥を睨み付けた。

「けど、俺が俺として力を暴走させずに使うためには、竜姫の協力が必要不可欠です。」

 ……敵の前で、弱気になるな。隙を見せるな。ハッタリでも何でも良いから強気で行け。と、そう叩き込んだのは、他でもない。稲穂であった。

 己の経験から来る教訓だ。当然、自身の身体にしっかり刻み込まれている。

「封印を解かれた今、俺を滅しようとする者が居ます。俺だけの問題で済めば良いのですが、残念ながら、そうはいかないようで……。放置すれば、まるで無関係な周囲にまで甚大な被害を及ぼしかねません。」

相手の力に圧されぬよう、腹に力を込める。

「……自らの復讐の為でなしに、天使殺しの重罪を犯すと?」

「ここに来る前に、奴と剣を交えました。……その場から退却するための、お遊びみたいな斬り合いだったんですがね。三百年を経て、俺自身として初めて奴と言葉を交わして……。正直、馬鹿らしくなりました。あんなくだらない奴を斬るのに、復讐なんて高潔な理由は必要ない。復讐だなんてカッコつけて殺しても、きっと俺のこの心の内は晴れやしない。……だったら、もっと建設的な事をした方が得でしょう?」

「その、お前が言う『建設的な事』が、神のイヌって訳かい?」

稲穂は、彼の真意を試すように、意地悪く言った。

「用心棒だなんて聞こえは良いけど、結局は汚れ仕事だ。……最近の言葉じゃ3Kって言うらしいがね。キツイ、汚ない、キケン。はっきり言って、建設的な仕事じゃあり得ない。」

……ルードの決意を切って捨てるかのような台詞。しかしルードは、余裕だ。

「俺にとっては、充分すぎるほど建設的です。今まで罪を重ねることしかしなかった力で、今度は人の役に立てるんですから。」

周囲を圧倒していた力を鞘に納め、ルードは静かに笑う。

「天使殺しの罪なんて、俺にとっては今さらです。これまで数えきれない程、罪を重ねてきたんですから。……汚れ仕事は、何時何処の国でも時代でも、大体が罪人の仕事ですからね。俺は気にしませんよ、そんなこと。神社を護ればこの地の人々の富をも守れる。竜姫の為にもなる。……人の役に立てて。必要とされて。それだけで、いつ、どうやって死のうか考えているより万倍マシですよ。」

 稲穂の瞳を、恐れもなく直視出来る者は、種族問わず、そう多くはない。その中で、稲穂の瞳を見て笑う事のできる数少ない人物である竜姫が連れてきた、ルードヴィヒと名乗る人外。

 彼もまた、稲穂の瞳を見て静かに微笑んでいる。色こそ異端の紅色をしているが、その瞳に曇りはなく、嘘がない。

 だが、揺らめいた妖光と力は両刃の剣。

 強い戦力のとして貴重な人材である事は確かだ。戦力に難のある今、彼の力は大変魅力的であるが……。

「……ルードヴィヒ。お前に、多喜様への目通りを許してやろう。」

ピシッと、扇子でルードを指して、稲穂が言った。

「豊生神宮、ニの神、稲穂は、お前の意思を汲み、お前の願いを聞き入れることを承知した。……三の神、久遠も、当代の一の神も、お前の意思を受け入れることを、既に承知している。だが、知っての通り、当代の主祭神はまだヒヨッコでね。重大決定には……悪いが先代のお墨付きが要る。」

 言いながら、稲穂は懐に手を入れ、竜胆を逆さにしたような形をした硝子細工を取り出した。取っ手から丸く膨らんだ胴まで、薄桃色がかった半透明の綺麗なガラス細工を一振り。二振り。

 すると、銅の中に吊るされた欠片が周りの硝子に触れ、ちりん。ちりん。と高く綺麗な音を奏でた。

「姫、おいで。」

ルードの背後の引き戸が擦れる音。するすると扉が開けられる。

「……聞いてたね。さあ、姫、多喜様の所へ連れてってやりな。」

ルードの頭上を飛び越して、稲穂の瞳は竜姫へと向けられた。

「急ぐのだろう。近道してっていいから、早く行きな。」

促しながら立ち上がり、無駄も隙も無く、ルードの傍らに屈み込み、女とは思えない低い声で、そっと耳打ちする。

「中々に面白いな、気に入ったよお前。……だが、うちの姫に何かあったその時は――」

フッと笑って言葉を切り――。稲穂は意味ありげな目配せだけを残して部屋を去っていった。


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