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緋色の絆  作者: 彩世 幻夜
第二章 -a trial-
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その一方で……。

 学園から、山を越え谷を越え、街を駆け抜け、川を渡り。琵琶湖すらも通り越して。西の空に見送った日が、東の空を白々と染め始めるまで。

 金の毛皮に包まれたその姿は、確かに狐である久遠の体躯は、闇の中、視えざる金色の矢のように大地を駆けるそれは、豹のようなしなやかな四つ足が、力強く大地を蹴りつけるも、躍動感はそのままに、重さを感じさせない軽やかなもので。頭から九つの尾までしなる背中はチーターの早駆けを見ている様だ。

 山から山へ。起伏の多い道程を、険しい崖も、渦巻く激流も、久遠の行く手を阻む障害にはなり得ない。

 真夜中でも人通りの絶えない街中では、屋根から屋根へと足音も無くヒョイヒョイ渡って歩く。ふと通りすがった公園で、イチャつくカップルを目撃しては、

「……つい二人きりにしちゃったけど、あいつ、竜姫に手を出したりしてないだろうな。」

と心配してみたり。高い山に囲まれた谷底に深く降り積もった雪が、月光を浴びて、淡く白く輝く様を見ては、

「綺麗だけど……寒々しい景色だな。竜姫、身体は大丈夫かなぁ……。」

と案じてみたり。流れる星を見つけ、

「ルード……。何か考えがあるようだったが……。あの力、暴走すれば一大事だが、正しい方向に向けられれば……、あるいは……。」

と、ルードの明日を祈ってみたり。色々と、考えを巡らせながら、ゆっくり東から西へと廻る星の流れに逆らい、ひたすら社を目指して駆ける。

 こんな風に、一人きりになったのは、何時以来だっただろうか。

 ここ数年。久遠が生きてきた時の中ではまだまだほんの一部としか言えない様な、わずかな時間。いつも、社の住人に囲まれていた。

 それは、とても暖かくて。

 だからこそ、今まで自分が過ごしてきた時が、冷たく凍り、乾いたものだったのだと分かる。人も、狐も、恒温動物で。外気の気温で体温が変化することはない。……まあ、妖である自分を、『動物』とくくって良いものかどうかは別にして、であるが……。

 しかし、心は。敏感に反応し、形を変えるのだ。

 苦しい、過酷な状況下では、心はささくれ立ってくる。漠然とした、目に見えない不安に満ちた状況下では、心は何も感じられなくなっていく。物に溢れ、豊かな暮らしに浸り、周りに目を向けなければだんだんと、人を思いやる心を失っていく。

 愛に満ちた、暖かな場所にあれば、心は無限大の気力を生み出す事が出来る。

 ……と、切る様な冷たい空気を切り裂く、強い光が、久遠の視界を灼いた。

 燃える火の球は、白く輝き。真っ暗だった空に光をぶちまけ、儚く光る星々の明かりを押し退けて。

 再びの、主役登場と、意気揚々と東の空から南の空へと駆け上がる。その眩しさに、思わず目をすがめた久遠は、光の向こうに赤い鳥居を視認した。

 一つ、山を越え、向こうにそびえる山の中腹に。

 山は、そう高くはない。里山、と呼ぶのが相応しい位の山。辺りを囲む山並みと見比べてみればかわいいとすら思えるその山を、自分達は住家としている。

 山の南側は盆地になっていて、家と田畑が碁盤の目のように、整然と並ぶ。

 神のお膝元で育つ作物の出来はいつでも上々……なのだが、冬のこの時期では、田んぼは水を抜かれ、霜で真っ白になってしまっている。

 畑に植わっているのも、ネギや白菜、大根ばかりで、他の季節と比べれば、色彩に欠け、少々寂しい。

 ビニールハウスもちらほら見えるが、あれは何を作っているのだろうか。

 まだ日が出たばかりながら、朝の早い農家の人々はもうすでに畑に入り、それぞれの仕事に精を出している。

 そんな様子を、山頂から眺め、久遠はホッとした気分になる。

 ここを離れてまだ半年程。妖である自分の感覚からすれば本来、瞬きする程度の時間のはずが、何故だろう、とても久しぶりに帰って来た様な気持ちになる。

「……やっぱりここは、落ち着くなぁ。」

 一人呟いた久遠。

 その背後に突如、禍々しい程の気配が現れたのはその時だった。

 げいん、と、痛みを伴う衝撃が、嫌な音と共に久遠を襲ったのは次の瞬間で。一体何事、と、振り返る間もなく、一対の拳が両のこめかみをロックオンする。

 息つく暇もなく、ぐりぐり食い込む二つの拳。

 そう、これはあれだ。梅干し。またの名をコブラツイストという……。頭蓋骨を潰してやろうかという勢いのそれに、久遠は涙目になりながら叫んだ。

「ギ、ギブ! ギブギブギブ! やめてぇ、お願い! 痛い、痛いってば! ご、ごめん姐さん、ごめんなさいぃぃ!!」

 悲痛な彼の叫びは、周囲の山に反響し、山びことなって返る。幾重にも重なる悲鳴は、しかし、山のふもとで働く人間達には届かない。

 今、この山で、妖怪である自分にこんな仕打ちが出来るのはただ一人。姐さん、と、久遠に呼ばれた女性は、ぐったりと力を失くした狐に蹴りをかまして笑った。

「……さて、どういう事か、説明して貰おうか?」

 目を回して、説明どころではない久遠の腹を、爪先でちょいちょいつつきながら。彼女は言った。

「……覚悟は、もちろん出来てるんだよねぇ?」

 ……久遠は、寒くなる背筋に震えながら、青ざめた顔をコクリと縦に振る。

 チチチ、と。目覚めた小鳥達が一斉に飛び立った。彼らを、羨ましげに見送りながら、久遠はため息をつく。

「……竜姫、お願い。早く来て……。」

そう、切に願いながら……。


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