絡み合う想い
ガタン、ゴトン。
列車の車輪がレールの継ぎ目の上を過ぎる度に立てる音。一定のリズムを刻むようなそれと、壁につけた背から伝わる振動。
ドクン、と。
微妙に乱れた鼓動が、それと重なり合い、竜姫の頭の冷静な思考の邪魔をする。
「ほら、さっさと食わねーと、また口移しで無理矢理にでも食わせるぞ。」
ルードは、何故だかとても上機嫌である。ついさっきまでの不機嫌さを一体どこへやったのかと、思わず問い詰めたくなる程に、だ。
とても楽しそうに笑うルードは、コンビニ仕様の手のひらサイズの小さなプラスチック容器に入ったプリンを、不似合いなサイズの白いプラスチックスプーンで、カップの端についたカスまで不器用に取って食べようとしながら、
「……安心しろ。お前がそれ全部食うのを見届けたら俺は下へ行く。奴らがいつ目を覚ますか分からないからな、また良からぬ事を企まないとも限らねーし。一晩見張っててやるから、竜姫は気にせず眠れ。」
と、気遣うように言い、のぼせた竜姫に、
「だからとっとと食え、」
と言わんばかりの瞳を向ける。
もともと、海鮮をふんだんに使った美味そうな弁当だ。多少盛り付けが荒らされているとはいえ、赤や黄の色彩は残っているし、見た目はどうあれ、味にも変わりはない。
そもそも、腹はそこそこながらにも減っているのだから、食べたくない訳はない。
だが、ルードが一度箸をつけた弁当を、その本人の前で、しかも彼にじっくり観察されながら食べられるのか、といえば……、限り無くNOに近いYESで……。
実際にはかなりの思い切りが必要だった。
心の葛藤に悩む竜姫に対し、空っぽになったプリンカップを持て余し、何となく弄くり回し、弄びながら、そんな彼女の反応を見て、わざとらしくニヤリと笑った。
いつもの事ながら、余裕なルードに悔しさを覚える竜姫。巫女である竜姫だが、恋愛御法度という規律は、教義にも家訓にも無い。
まあ、修行中はけじめとして浮ついた話題などには触れないようにしていたけれど。こういった事に対する免疫が、全く無い彼女に、ルードに打ち勝つ術を見出だすのは至難の技だった。
……とはいえ、ルードとて、特別経験値が高い訳ではない。何しろ、初恋を相手に伝えないまま散らしたそのすぐ後に魔物と化した挙句に正気を失い、封印されたのだから。
ルードヴィヒ自身、モテるタイプではなかったし、村だってそうしょっちゅう色恋沙汰で浮ついていられる様な余裕は無かった。
……時折、比較的年の頃の近い同性の友人達と、冗談混じりに、あまり上品とはいえない下ネタで盛り上がるのがせいぜいで。
けれど、その程度のレベル差でも、魔物の血が作り出した美がその差をグンと広げ、彼が本来持って生まれた性格が、その魅力をさらに底上げする事で、竜姫から見れば自分よりかなり高い位置に彼がいるように感じてしまうのだ。
しかし、それはあくまで竜姫の側の視点で見、感じた想いであり、見解である。
余裕の水面下で、今ここに久遠がいない事に内心感謝しながら、それでもドキドキする心臓に、ルードは冷や汗を堪えながら、笑う。
ここでまた、下手に怒らせて機嫌を損ねたら、大変だ。不機嫌なままに、彼女の実家の敷居を跨いで、家の主の心証を悪くしてはいささかマズい。
けれども、戸惑う彼女をすぐ隣りに置いて、ついからかいたくなる。
いつまでも、このまま彼女の姿を目に映していたくて。隙あらば、彼女に触れたくて。無意識に、熱っぽく潤む瞳で竜姫を見つめる。
そんなルードの視線を浴びて、何となく気まずい感じのする沈黙に耐えきれなくなった竜姫は、諦めた様に、白飯に数粒のイクラを乗せた箸を口に運び、噛み締めた。
プチッ、と弾けて広がる醤油混じりの潮味が、ご飯の甘みと相まって、至福の旨味を奏でる。
山育ちの竜姫には、久々の味と食感である。口に広がる味に、ついつい頬が緩み、それに伴い表情までも緩む。
程よい塩味に、冷えた体が熱を欲し、胃が、そのためのエネルギーとなる食物を強く要求する。
みょうばんの苦みも薄く、甘いウニ。弾力に満ちて食べごたえのあるカニ。最初の一口を乗り越えた後は、もう瞬く間にそれらは竜姫の口へと消えていき、全てはあっという間に彼女の腹へと収まってしまった。
気味の良い食べっぷりに、クスクス笑うルードを見て、ハッと我にかえった竜姫が、ちょっぴりの後悔に顔を赤らめても、もう遅い。
「貸せよ、捨てて来てやるから、それ。」
手を差し出しながら、肩の震えを必死に堪えるルードは、
「たしか、車両の連結部の所にあった乗り口の脇に、屑入れがあったよな。」
列車に慌てて飛び乗った際に目にした景色を思い浮かべるように、瞳を宙に泳がせた。
さっきの凄みから、もしかしてこのまま成り行くままに流されるかもしれないと、密かに思っていた竜姫は、拍子抜けした気分で彼の台詞を聞いた。
半分は、ホッとしながら――……もしもあのまま迫られていたら。彼を拒めたかどうか、竜姫は自分に自信が持てなかった――。
半分は、がっかりしながら――……助けられて、体を労られて、高ぶった熱を、抱き締めて落ち着けて欲しかったのに――。
ルードは、そんな竜姫の想いを知ってか知らずか、一度閉めたカーテンをあっさり開放し、梯子も使わず身軽に寝台を飛び降りた。
座席の下に畳まれて置かれた安っぽい寝具を引きだし、ルードはシーツを一枚と、毛布を二枚、空の弁当箱と引き換えるように竜姫に手渡した。手渡された物の内容に、物言いた気な竜姫に先じて、ルードがぴしゃりと言い放つ。
「何度も同じ事言わせるなよ?」
先手を打たれ、喉まで出かけた言葉を飲み込まざるを得なくなった竜姫は、迷子になりかけた台詞を形を変えて口にした。
「……あ、ありがとう。」
「これ捨てに行ったついでにトイレ行って来る。……たしか三号車にあるんだよな。」
キョロキョロと、どこかに案内図がないかと辺りを見回しながら、ルードが言った。
「じゃ、ちょっと行って来る。お前は適当に寝ろよ?」
……今すぐ寝ろとは言わないあたり、やはり竜姫の体にかなり気を遣っているようだ。ルードは、下からカーテンの裾を掴み、静かに引いた。
……外から竜姫を隠すように。大切なものを、大事にしまい込むかの様に……。
ルードは、足音を忍ばせて、そっとその場を離れる。
気絶したまま、まだ起きる気配が無い事を、男達の前に立ち、確認し、大丈夫だと判断した上で、ルードはコンパートメントから廊下へ出た。それぞれのコンパートメントから感じる幾つもの人の気配に対し、まるで人気の無い廊下を、走る列車の進行方向に逆らう様に歩き出した。己の運命と決別し、新たな道へと進む。その決意を、確かめるかの様に……。
「全ては明日次第……か。」
いやに火照る身体に、つい苦笑いしながら、
「……少なくとも、明日までは自制しなければ……。叶わぬであろう望みが更に遠くなってしまう。」
そう、一人呟いた。
「……俺の命。無駄に終わらせる以外に、有効な使い道があるのなら。この力が、誰かの役に立つのなら。」
呪わしい過去も、正面から受け止められる様になるだろう。
「リズ、……貴女の幸せを奪った俺の、この想い。貴女は許してくれますか……?」
遠い過去となってしまったかつての友人――初恋の女性――を想い、暗いばかりの窓の外、夜空を硝子越しに見上げ、ルードは祈る様に呟く。
かつて信じていた神には届かぬであろう祈りでも、この土地でならば、誰かが耳を傾けてくれる様な気がして。ルードは祈る。
「俺に、犯した罪を償う機会を下さい。俺に、彼女を支え、この先も生き続ける事を許してください。」
彼の祈りに応えるかの様に、一筋の光が夜空を翔けた。
「流れ星……?」
土地によっては凶事の前触れとされるそれも、ここでは三回願いを唱えれば、願いが叶うと、ラッキーアイテムの様な迷信があるらしい。
ルードは、一瞬で消えてしまった光の残像に、それでも想いを込めた言葉を贈った。
――彼女が、もうこれ以上、不必要に傷つく事のないように――。数知れず瞬く星に。ルードは願った。
過去の為ではなく、未来の為に。
自分の為ではなく、竜姫の為に。
ルードは夜空の向こうまで見透かす様な瞳で空を見上げ、挑戦するかの様な視線を投げた。
星達は、変わらず瞬き続ける。
ルードは、止めていた足を再び踏み出し、三号車へと歩き出した――。