紅く染まり……。
ぷーぷーと、太り過ぎで狭くなった鼻が、妙な呼吸音を奏で、せっかくのシチュエーションを盛り下げる中、ルードの腹が奏でた虫の音が、固まった時間に亀裂を走らせた。
「……ルード……、こんな時間にこんな所で何してるのかと思えば……、」
一度治まった笑いを、苦笑に変え、竜姫は全身を震わせた。
「……し、仕方ねーだろ、昨日は飯を食いっぱぐれちまったんだから! ……昨日、竜姫の部屋から帰る途中で、寮の食堂から何か適当にかっぱらって来るつもりだったんだが、奴があの辺うろついてて、断念せざるを得なかったんだから……。」
恨めしげに男子寮をチラリと横目に見ながら、ルードは言った。
「か、かっぱらうって……、」
「だって俺、金なんか持ってねーもん。ま、竜姫に会いに行った日に借りた制服のポケットに入ってた小銭を何枚か拝借したんだが、……喉が渇いたんで、飲み物売ってる箱に全部使っちまったからな。」
途中までは、軽く話すルードの言葉を、竜姫も何となく聞き流していたが、
「……ルード、あんたが『借りた』その制服、私の従兄の誠人君の物だったのよ……。」
制服、の言葉に思わず指摘を入れた。
「あんたが制服を『借りた』後、誠人君、随分こっぴどくクラウス被害にあったらしくてね……。でも、クラウスの存在を知らない先生達は、誠人君が何かとんでもないストレスを溜め込んでいるんじゃないかって考えたの。……で、この先生は、そのストレスの原因が私だって言うのよ。」
竜姫はゆっくりと立ち上がりながら言った。
「……もしかしなくても、竜姫が昨日からヘコんでた理由はコレか? ……え、何、じゃあここ何日かお前が悩んでた事の原因て、全部俺のせい?」
にわかに慌てだすルードに竜姫は、
「別にルードだけのせいじゃないよ。あれはあくまできっかけ。問題自体は元々私と彼の家との間にあったものだから……。……でも、こんな風に他人に色々ほじくり返されるのは、あんまり良い気分じゃないわね……。」
と、フォローを入れつつも、やはり辛そうな顔をして言う。
「……神社を継ぐ事、反対されてるのか?」
気を遣っているのだろう、少し遠慮がちにルードが尋ねる。
「……まあね。この話、話せば長くなるけどいい?」
しかし竜姫はあっさり聞き返した。
「……腹ごしらえが済んだ後なら。」
悲鳴を上げる腹を抱えて、ルードは言った。
「……そうね。ここじゃ寒いし、場所を変えましょ。でも、その前にコレを何とかしなきゃ……。」
足下に転がる人物を見下ろし、困った顔をする。
「……このまま放っておく訳にもいかないし……、どうしよう?」
「何だ、それくらい。気絶する直前の記憶を弄って、忘れて貰えばいいんだろ? ……まあ、いつまでもこんな所で倒れてられるのも面倒だし、軽く暗示もかけて、適当にどっか行ってて貰おう。」
ルードは、整髪剤でテカテカ光る前髪を一房つかんで、男の顔を持ち上げながら、余裕の笑みを浮かべる。
閉じたままのたるんだ目蓋を指で持ち上げ、濁った眼球に浮いた黒い瞳に、自分の紅い瞳を写り込ませる。
ルードの瞳が、ゆらりと妖光を湛え、紅い瞳が更なる紅へと染まり、捕らえられた黒い瞳は、その持ち主の身体ごと硬直した。
パクパクと、口だけをだらしなく動かし、口の端からよだれを零し、男はこわ張る身体を小刻みに震わせた。
「ほら、これでもう大丈夫だ。」
ルードは、その紅い瞳を目蓋の下へと納め、握った髪を放して言った。
紅い瞳が、目の前から消えた瞬間、がっくりと力尽きた様に伏した顔を地面に押しつけた男。
「……とても大丈夫な様には見えないんだけど?」
ルードの、紅すぎる紅に染まった瞳を傍で見ながら、彼が邪眼を使うのを黙って見過ごした竜姫は、少し不安げに言った。
「まあ、見てなって。」
そう、ルードが言うのを、合図にしたかの様に、男はむくりと起き上がり、空ろな瞳を開けた。
のっそりと立ち上がり、ふらふらとおぼつかない足取りでその場を立ち去ろうとする、彼の背を見送りながら、
「本当に大丈夫なの……?」
と、竜姫は重ねて尋ねた。
「大丈夫、大丈夫。もうあと五分もすれば、正気に戻るよ。……それより竜姫、場所を移す前に、血をくれないか?」
……さすがに昼日中に術を使ったのは堪えたのだろう、少し青ざめた顔で、ルードは竜姫を振り返る。
ついさっきまで強気な表情で、術の行使をしていた彼が、世にも情けない、弱った表情を見せるのが何だかおかしくて、思わず失笑しながら、竜姫はブラウスのボタンに手を掛ける。
自分より若干ながら背も高く、美形だけど見た目はしっかり男の子の彼を見て、『かわいい』と思うのは何故なんだろう?
「……助かる。」
ルードの頼みに、嫌な顔もせず、制服の襟元を開放した竜姫に、感謝の笑みと言葉を贈った。思わず赤面する竜姫に、ルードは浮かべた笑みを更に深めながら、彼女の首筋に牙を立てた。
肌に触れる、ルードの唇の感触に、竜姫は心臓の鼓動が早まるのを耳の奥で聴いた。
(……私、もしかして――?)
浮かんできた答に、ようやく自分の想いを自覚した竜姫は、赤らんだ顔を更に赤くそめ、高鳴る心臓を胸に、戸惑う心に咲いた華はようやく小さな実をつけた。