遭遇
彼女たちは、息をひそめた。ただそれだけで、彼女たちの感じる空気は、一転してねばついた。ユリが、口を開いた。
「さあ、行ってみようか」
「大丈夫なの?」
タマコは疑問をはさんだが、すぐに後悔した。カナミをここに誘ったのも、ユリに今回の依頼をしたのも、タマコなのだ。
「んん……、小さい音、だからね。近づいてみないと、分からない、かな」
ユリは気にしていない様子だった。ユリの言っていることは本当で、その音は小さすぎて何の音だか分からなかった。
音は、本当に小さかったが、絶えることなく、一定のリズムで彼女たちのもとに届いている。虫や風が起こす音でも不思議はなく、しいて言えば、人間が意図的に起こす音ではない、というくらいにしか想像がつかない。
「ふむ。……進んでいいの?」
カナミがユリに訊いた。彼女は、初めての体験である以上、マナーやルールを破ることは避けたいと考えていた。
「うん。行こう」
ユリは答え、タマコもうなずいた。彼女たちは、音のする方向、ゲームコーナーのある方に向かって懐中電灯を向けた。まだ、彼女たちに、音の原因は見えなかった。
***
チャプ、チャプ、チャプ……。
「うん。水音だね!」
ユリが言うまでもなく、全員が察していた。彼女たちに聞こえている音は、間違いなく水音だった。他の音と言えば、彼女らの足音や衣擦れ、呼吸音、そして外の車の音しかない。彼女たちは、ゲームコーナーの入り口まできていた。
「あはは……。どこかに水がたまっているのね」
「この感じだと、随分たまっているっぽいな」
ユリの言葉を待って、残り二人も緊張を解いた。元の空気が戻ってきた。
「私、自分の心臓の音が聞こえるかと思った……」
「どう? 肝試しもいいもんでしょー。また今度、一緒にやろうよー」
「それもいいなぁ。カナミ、どう?」
「その時、手が空いてたらね」
「もう少しマシな返事をしてよ、カナミ……」
カナミの答えに、タマコは肩を落とした。
「やっぱり、ここも色々置きっぱなしだねー」
これまでの場所もそうだったが、建物自体の所有者の行方が知れないせいか、ゲームコーナーも未だに片づけられないまま放置されていた。
「どうする? 水音がどこからしたか、見ておく? ユリの話だと、なんだか、そこには虫がわいていそうだけど」
「ふむ……」
カナミは、懐中電灯で辺りを照らしていった。
置きっぱなしとはいえ、稼働している機器はなかった。格闘ゲームの筐体がいくつか、おもちゃの銃付きのゾンビゲーム、パズルゲームの筐体もいくつか、椅子付きのレーシングゲームにクレーンゲームなどなど。ごく普通のラインナップだ。筐体は、中身が空洞になっていて、中に人間の首がある。クレーンゲームの中は血液でいっぱいで、首や手足が浮かんでいる。それらが浮き沈みして、水音を立てていた。
「…………」
誰も、言葉がなかった。
「……ちょっと、待てよ。これは、ない、よな」
しばらくの沈黙の後、カナミが言葉を発した。タマコが、悲鳴を上げた。
***
「ユリ! ナンカなんて、噂じゃなかったの! こんなの知らないわよ‼」
タマコは悲鳴を上げ終わると、ユリにつかみかかった。ユリも混乱して、取り乱していた。
「噂だったんだよ! あたしも、噂しか聞いてなかったんだよ!」
「そんな、噂で、連れてきたの⁉」
「タマコちゃんが、頼んだんでしょ‼」
カナミは、まだ懐中電灯の光を、血液のタンクに向けていた。タマコは、大きく息を吸って、はいた。彼女はユリの襟首をつかんでいた手をはなした。
「やめましょ。とにかく、逃げましょ」
ユリは、胸元を抑えながらタマコをにらんだが、彼女の言葉に同意した。
「そうだね。早く、逃げよう。……カナミちゃん?」
問われて、カナミはようやく言葉を発した。
「……ありえない。ありえないはずなんだ、こんなことは」
「そうだよ。こんな人が死んでるなんて、本当はなかったはずなんだ。だけど、逃げよう。ね?」
「ありえないんだよ」
ユリの言葉に視線をそらさないカナミに、タマコが怒鳴った。
「カナミ! 逃げるのよ! 分からないの⁉」
「……そう、だな」
「『そうだな』じゃないわよ‼」
「タマコちゃん、カナミちゃんも分かったみたいだから、逃げ出そう」
タマコは、また大きく息をすると、来た道に向き直って、進んだ。二人も、それに続いた。
***
「タマコちゃん! そっちじゃないよ!」
しばらくして、タマコが道を間違え、ユリが声をかけた。
「……ああ、そう!」
そう言うと、タマコは戻ってきた。彼女は、途中で子供のマネキンにぶつかり、また毒づいた。カナミは、今までの悲鳴もこの毒づきも、外で気にする奴はいないだろうと考えた。
周囲には、時折車が通るばかりだ。聞いた人間がいたとしても、多分、気に留めないか、せいぜい通報するだけだろう。どっちにしろ、しばらく誰も入ってこないし、こんなことがあるなんて、考えない。早く外に出たい、カナミはそう思った。
タマコが戻ってくるより先に、ユリは下りの階段に到着した。
「先に降りるよ! カナミちゃんもタマコちゃんも、ついてきて!」
そう言うと、ユリは階段を下りた。二人から姿が見えなくなるとほぼ同時に、彼女の悲鳴が上がった。
奇妙な叫びだった。女性も、こんな声を出せるのかというような、太い、のどを激しく振るわせていることが分かる叫びだった。そして、短くくぐもった声が続き、ユリの音は途絶えた。
カナミとタマコは顔を見合わせ、階段の方を向いた。ゆっくりと、非常にゆっくりと、大きく、太く、丸っこい影が、階段のある場所から上ってきた。そんな風に見えた。
二人は、後ろを向くと、全力で走り出した。