70.大地の愛子
昨日に引き続き連続更新!
自分の意思とは関係なく、身体が動く。
頭は熱に浮かされた時のようにぼうっとしていて、意識は自分の身体が思わぬように動く様を傍観する事しかできない。
まるで他人の腕のような自分の腕が重い鎌杖を振るえば、肉を叩く嫌な感触が伝わってくる。
自分の身体のどこにあったのか不思議な量の魔力が回れば、感じたことのない陶酔から口が勝手に笑い出す。
目の前に立つ人影の動きは目に見えて悪くなり、肉を打つ感触が増える。目の前で、親しい友人が吹き飛ばされたのが見えた。
……見えた、などと他人のふりをした所で、それをやっているのが自分の身体だという事実は変わらない。
キーニは、うまく働かない思考の中で、ずっと首を傾げていた。
——どうして、私は光の御子と、親しい友人と、幼馴染と、父の命の恩人と、戦っているのだろう。
『アナタがワタシを受け入れたからですよ、大地の愛子』
ひび割れたような声が響いてくる。
違う、私はお前を受け入れてなどいない。私は変わろうと思っただけだ。何もできない、嫌われ者のキーニから、誰もに愛される理想の人間に変わりたかっただけだ。
『何もできない嫌われ者からは、変わったじゃないですか。今、アナタは、自分の力で戦っているのですから』
違う。こんなのは、私の望みじゃない。
——でも……
『恵まれた者たちを自分の手で壊したい気持ちは、嘘偽りないでしょう?』
そんな事はない。そんな風に即答できない自分は確かに居て。そんな自分が、この世の何より嫌いだった。
——悲しい操り人形は、諦観のままに鎌杖を振るう。
「フフフ……ハハハハハ!無様ですねぇ、お前たち!」
烏面を被ったキーニが不気味に笑う。鎌杖を振るう速度は、先ほどよりも幾分か遅い。動きも隙だらけ。勝てない筈がない戦いなのに、俺たちは攻めきれずにいた。
武器を壊そうとすれば身体を盾にする。腕を止めようとすれば急所が当たりに来る。それは、俺たちにキーニを傷付ける事ができないことを熟知した動きだった。
「ミカエラ、何とかならないか?!」
僅かに疲労が滲んだ顔でヴィスベル。
「何とかなるならこうはなってませんよ!」
何とかしたいのは山々だ。だが、そんな手段があるならとっくに実行している。そんな想いを込めて叫ぶと、ヴィスベルも思い切り顔を顰めた。
「そもそも、何がどうなってるのかも分からないのに手の打ちようなんてないじゃないですか!わかってる事と言えば、キーニさんがプレイグに乗っ取られてる事くらいなんですから!」
俺が言うのと同時に、俺達の方にクレスが吹き飛ばされてくる。俺はそれを浮揚の輪で受け止めて、追撃の呪いを魔法で防ぎながら回復魔法をかける。
「ジリ貧じゃねェか!てめェ光の御子だろヴィスベル!何とかしろよ!」
「何とかなるならこうはなってないだろ!?」
起き上がるなり威勢良く叫ぶクレスに、負けず劣らずの勢いでヴィスベル。何だか覚えのあるやり取りの後、今度は大鎧を纏ったカノンが跳んでくる。
「ミカエラ、命の巫女の力で何とかして欲しい」
「だからそんな都合よく何とかならないんだってば!」
カノンを追って飛んでくる呪いを魔法で弾き飛ばして、必死で吠える。天丼は2回までだというのに、何回同じやりとりをするんだ。
「大体情報量が多すぎなんですよ!キーニは操られるし、カノンは何か変身するし、プレイグはどうせ大地の大神を殺しに来たんでしょ!?」
「おいミカァ!あいつが大地の大神を殺しにきたってどういう事だ!?」
「そのまんまの意味ですよ!邪神が世界を脅かしてるって言いませんでした!?」
「初耳なんだが!?」
クレスの慌てた声を聞いて、言ってなかったっけ、とちょっとだけ落ち着きを取り戻す。そういえばしっかり事情説明したのトマにだけだったな。そのトマも大々的にそういうことを伝えてる様子はなかったし、そうか、クレス達は知らないのか。
「……その辺はこれが終わったら説明します。クレスさん、ありがとうございました。自分より慌ててる人がいると落ち着けるって本当ですね」
「あ?何か知らんが何もわからんぞ!?」
「クレス、静かに。それはそれとして、何か手はない?御息女を人質に取られていると、私も役目を果たせない」
ますます混乱を極めたクレスを片手で制し、カノンが言う。明らかに元の身長と鎧の頭身が合っていないのが今更ながら無性に気になったが、それを一旦飲み込んで、俺は思考を掻き巡らせる。とはいえ、キーニがいつから、どういう風に操られていたのかを俺は知らない。そもそもキーニとの付き合いだって、二、三日程度なのだ。なんなら操られた状態での付き合いの方が長いまであり得る。
「いつから操られてるかとか、きっかけ、原因何かが分かると思い付く事もあると思うんですけど」
「それなら、怪しいのはあいつの首飾りだろ。あんな首飾り、見たことねェ。あいつが里に帰って来てから毎日見てる俺が言うんだ、間違いねェよ」
落ち着きを取り戻したのか、クレスが構えながら言う。
「それ、ほんとですか?」
「……私も、クレスほど詳しくはないけれど、あの首飾りがおかしいのは確か。……、避けて!」
カノンの声で、俺たちは慌ててその場から跳び退く。飛んできたのは、真っ黒な魔力の槍だ。その槍からは、あの首飾りに感じたのと同じ、悪寒のするような力を感じる。
……待てよ?魔力は、術者の特性に影響される所が大きい。同じ命の属性を持っていた俺とアリアでも、聖水を作る時には波長を合わせなければならなかったように、個人の持つ魔力というのは本来十人十色で個性があるはずなのだ。だが、今飛んできた魔力は、病魔が持っていたそれとよく似た魔力だった。つまり、あの魔力は病魔を生み出したプレイグの魔力であるはずだ。とてもではないが、キーニの生来の魔力が混ざっているとは考えられない。とすると、キーニ本人の魔力を使えていない時点で、プレイグは完全にキーニの身体を乗っ取れてはいないのではないだろうか?
その仮説を確かめるために意識を集中すると、キーニの中で二つの気配が混在しているのが分かる。さらに集中すれば、その気配の元が、一つはキーニの内側にあるのに対し、もう一つはその外側からキーニの中に入り込んでいる事が分かる。おそらく、プレイグはあの黒い首飾りを介してキーニを操っているのだろう。それなら、あの首飾りをキーニから切り離せば、キーニとプレイグを切り離せるかもしれない。
「皆さん、あの首飾りを切り離して下さい!多分、それでキーニさんとプレイグを分離できます!多分!」
「多分って2回言ったかてめェ!?」
「言いました!」
「……でも、他に方法はない。やろう」
「了解だ!」
俺たちは頷き合って、キーニに向かって駆け出した。
「小賢しい作戦会議は終わりましたか?まぁ無駄なことですが!」
「《アクセル》」
先鋒、最も早くキーニの元に辿り着いたカノンが、その拳を振り下ろす。プレイグはそれを鎌杖で受け流すと、バランスを崩したカノンに空いている手を向けて呪いの弾丸を放つ。カノンがそれを紙一重で躱すと、次鋒のクレスがその懐に入り込んだ。
「ハァァァァァ!《インパクト》ォ!」
魔力を込めた渾身の一撃が、キーニの胸元を揺らす。おそらく寸止めしたのであろうクレスの拳圧が影の衣を一瞬払えば、そこにはあの黒い首飾りが収まっている。俺は身体強化魔法をかけて踏み込んで、それに向けて手を伸ばした。
アレがプレイグの魔力による物だとすれば、命の魔力は致命傷になるはず。俺は魔力を回し、力ある言葉を口にする。術式を構築して出力する新式魔法ではなく、俺が使える数少ない古式魔法の一つ。
「《ホーリーブレス》!」
神の祝福を一時的に身に宿す神秘の秘術。命の女神の加護を持つ俺が使えば、それはあらゆる呪いを祓う浄化の力になる。それを伸ばした掌に集約して、不浄の首飾りを握り込んだ。触れた指先から、何かが壊れるような感触。俺はもう一度踏み込んで、その首飾りを引きちぎろうと後ろに跳んだ。ぶち、と鎖が千切れる感触。手の中を見れば、例の首飾りが収まっている。
俺はそれを空中に投げ、叫ぶ。
「ヴィスベルさん!アレ壊して!」
「——《フォトン・セイバー》!」
最後方。ヴィスベルの光剣が閃く。放たれた斬撃は、寸分違わず黒の首飾りを破壊する。破壊された首飾りから、黒々とした瘴気が吹き出し始める。俺は再び魔力を回し、今度は新式魔法の術式を組み上げる。選択するのは、浄化の魔法。
「《潔き解呪の一葉》!」
同時に出せるだけ出して投げつけると、瘴気は一気に霧散する。瘴気を打ち消した葉が砕けて琥珀色の破片が宙を舞う。これで、何とか——
「言ったでしょう?無駄な事だと」
「え——」
上を見上げていた横面に、衝撃。激痛と共に、身体が木っ端のように吹き飛ぶような感覚。天地が一瞬消失する。
「ミカエラちゃん!」
浮遊感の最中、その悲鳴のような声が聞こえて、俺の体を柔らかな感触が包み込む。それが隠れていたはずのマルベルの物だと分かったのは、数秒して、ぼやける視界がようやく像を結び始めるようになってからだった。
「《優しき癒しの光》……」
ぐらつく頭に回復魔法を当てれば、すぐさま痛みと揺れる感覚が消えていく。口の中に血の味が広がっているのは、あの鎌杖で殴られた時に口の中でも切ったのだろう。まぁ、癒しの光を当てておけば問題ない。それよりも問題は、プレイグだ。
「オイ、あの首飾りを取れば切り離せるんじゃなかったのかよ!」
プレイグから離れたクレスが言う。プレイグの……キーニの中で、二つの魔力が混ざり合おうとしているのが分かる。完全に、プレイグがキーニの中に入り込んでいたのだ。
「フフ……クレス、ミカエラちゃんを責めないであげて?正しい方法だったわ。でも、一歩遅かったのよ」
キーニの声音で、プレイグが笑う。それは、先ほどまでのキーニの口を借りたような感じではなくて、キーニ本人が話しているような感じがする。決定的に何かが変わろうとしているのがわかった。
「この子はね……。もう、ワタシに全てを委ねたの。委ねたんですよ、この子は。フフフ……。愚かですねぇ!自分の感情と、外部から混ざったノイズの区別もつかないなんて!これだから人間は面白い!アハハハハ!ハァ……。でもね、流石にこれは予想外でした」
プレイグの視線がこちらに向いた。正確には、俺を抱き抱えるマルベルを、プレイグが真っ直ぐ見ていた。
「まさか、大地の愛子だと思っていたコレが、ただの抜け殻だったなんてねぇ?」
大地の愛子?抜け殻?プレイグの言葉に疑問が湧く。
「まぁいいでしょう。全員殺して全部奪えば同じこと。ワタシというのはそのための"呪い"なのですからね」
プレイグがそう宣言したのと同時に、キーニの中の小さな光が、ゆっくりとその輝きを失っていくのを感じた。このままでは、間に合わなくなる。
——目の前で誰かを失うのは。その手を掴み損ねるのは。それだけは、もう、絶対に嫌だ。
何か方法は無いか。何か手立ては。相手の情報がいる。相手は伏魔のプレイグ、邪神の使いで、病魔の親。今はキーニを乗っ取っていて、本体はおそらく最初に出てきた時の大男。他に、アレを倒すのに必要な情報はなかったか。記憶の中を、必死にひっくり返す。何でもいい、何か。
必死に思考を巡らせる俺の頭の奥の方で、誰かの言葉が浮かんで消える。それが何か大事な事だったような気がして、俺はそれを手繰り寄せた。
——長く続いた神代においてさえ、強力な呪いに類する逸話は数えるほどしかない。例えば、オリジン・バジリスクの石化の呪い。例えば、始原の病魔、伏魔のプレイグ。例えば、死の女神による死罰の神勅——。
あれは、確か。ミラと初めて出会った時に、誰かが言っていた言葉。
——どのような呪いであったとしても、それが命を蝕む物である限り、命の女神の奇跡で祓えぬ物はない。この世界の神というのはそういう存在なのだよ、ミカヅキ。
そうだ。だから、俺たちは、命の女神に会いに神樹を目指したのだ。
——一体、誰が言っていた?
分からない。一瞬意識が暗転する。
「クソが!キーニを返しやがれェ!」
クレスの怒号。ハッと注意を取り戻すと、くつくつと気味悪く嗤うプレイグに向かって、クレスが駆け出している所だった。先程よりも軽やかな動きで、プレイグはクレスの拳を左右に避ける。その軽やかさが、プレイグとキーニがもはやほとんど一つになりかけている事を如実に示していた。
プレイグから強い呪いの力を感じる黒い霧が吹き出す。至近距離でそれを受けたクレスは、なす術もなくその場に崩れ落ちてしまう。おそらく、あの霧自体が強烈な呪いなのだろう。
キーニを傷付けられないとなると、このままでは遅かれ早かれ全員が倒れてしまう。ヴィスベルを見れば、悔しげに剣を握りしめてプレイグを睨みつけている。
キーニごとプレイグを倒す。それが、最も明確な答えだ。キーニは助からないかもしれない。だが、プレイグを倒さなければここで終わってしまう。それなら、取るべき選択はこちらなのだろう。
けれど、その選択だけは取りたくない。それをしたら、ミカエラがアンリエッタと胸を張って会えなくなる。それだけは絶対に嫌だった。
——だったら、やらなきゃいけない事は一つだ。
呪いを祓う、命の女神の奇跡。幸い、俺の中には命の女神の加護がある。命の女神の力で祓えるというのなら、可能性はあるはずだ。
俺は短剣を仕舞い、目を閉じて、自身の胸に手を当てた。
『自分の身体の、ううん、魂の奥の方に燃えてる種火を感じて、そこから力を引き出して意味ある形に作り替える感じなんだけど……』
いつかにフレアが教えてくれた、加護の扱い方。
意識を集中すれば、"俺"の最奥で、二つの大きな力が浮かんでいるのが分かる。一つは煌々と燃える小さな火。そしてもう一つは、かつてアニマ・アンフィナから授かった純白の果実だ。
これまで無意識的に力を引き出していた純白の果実から、俺は初めて意識的に力を引き出した。脳裏に浮かぶのは、濃密な命の気配を秘めた純白の光のイメージ。どこか、ヴィスベルが魔法剣を振るう時に放っている力に似た雰囲気がある。俺は心の中に浮かんだその光を現実側に引き出そうと試みて……刹那、力ある言葉が、胸中に浮かび上がった。
「《セフィロト》」
身体から魔力と、体力と、そしてそれらとは違う『何か』が消費される感覚。ゆっくりと目を開けると、俺の手元には、琥珀色に輝く一本の枝が握られていた。新緑に輝く葉がいくつかついた、30センチほどの小さな枝。強い加護の力を秘めたそれは、神樹様の上で見かけた小さな枝によく似ている。
その枝を握り締めると、はっきりとその使い方が頭に浮かんだ。
「ミカエラ、それは……」
ヴィスベルが目を見開いて俺を見る。正直、やってみた俺もびっくりしている。だが、時は一刻を争う。しっかり驚くのは全部を終えた後にしよう。
「ヴィスベルさん、あいつの動きを止めて下さい!《身体強化・中》!」
「何を……ああ、もう、とりあえず分かった!《ハイ・ブースト》!」
プレイグに向かって、ヴィスベルが肉薄する。しかし、プレイグはそれを後方に跳ぶ事で躱す。渾身の一撃を空振ったヴィスベルに向かって、プレイグが呪いの弾丸を放つ。ヴィスベルは間一髪、その弾丸を転がるように避けるが……その避けた先に向かって、プレイグが鎌杖を向けていた。その先端部には先ほどよりも濃密な気配を放つ呪いの弾丸が浮かんでおり、それを貰えばヴィスベルとて無事では済まないと悟る。
万事休すか。そう思った瞬間、プレイグの背後で影が動いた。
「《インパクト》」
立ち上がったカノンが振り上げた拳が光る。その詠唱で背後のカノンに気付いたプレイグが、呪いの弾丸を放つ直前だった鎌杖でその拳を受け止める。弾丸が明後日の方に飛んでいく。
そして、思っていたのとは違ったが、カノンが作り出してくれたそれは、俺がやりたいことをするのに十分な隙だった。プレイグが射程に収まる。俺は、全身の魔力を回し、カウル直伝の踏み込みと同時に枝を振りかぶった。
身体中の力が消費される感覚。倒れそうになるのを辛うじて踏みとどまれば、俺が構えた小枝から大量の葉が舞い散って新緑の光を放つ柱へと変わっていく。
「馬鹿な、命の女神の奇跡だと!?」
プレイグが、焦ったように叫ぶ。
「キーニから、出て行けぇ!」
「ぐわぁぁぁぁぁ!!!」
踏み込み、一閃。翠の奔流が、プレイグを包み込んだ。清浄な力が吹き荒れて、プレイグの纏っていた影の衣と烏の面を吹き飛ばしていく。
それは表面だけでなく、キーニの内に向かって伸びていたプレイグの気配さえも圧倒的な力の奔流にかき消されていく。
「おのれ……!おのれおのれおのれェ!話が違うではな——」
そんなプレイグの最後の言葉さえ掻き消して、光は辺りを染めていく。やがて、空間を染め上げた光が収まると、そこに病魔の気配はない。
やった、と思ったのも束の間。世界が急速に色を失い始めた。これは、これまでもたびたび経験した覚えがある。最近はすっかり魔力制御にも慣れて忘れかけていた、魔力を使い過ぎた時の反動だ。いや、それだけではない。何か、未知の疲労感も含まれているように感じる。
天地の感覚が消え、世界が遠のく。分厚い水の壁を隔てたような向こう側から、誰かの声がする。崩れた身体が誰かの手で抱き止められたのか、地面に近付きかけた視界ががくんと大きく揺れて中空を向く。
遠のき始めた意識の中、視界の遥か奥の方で大きな岩の扉が開くのが見えて——
俺は、意識を手放した。
これで大岩編もひと段落です。
設定書きたいのでここで書いちゃいますけど、"呪い"そのものが意識を持った、みたいな背景のプレイグ君では呪い特効のあるミカエラさん、というかちゃんと力を使えるレベルの命の女神の身内には絶対勝てないんですよね。相手が悪いよ、コレに関しては。
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