67.土守の里5
ざわめく木の葉の音。集中して矢を番える。狙いは遠くを駆ける小さな影。狙いを澄ませ、込めた力を解き放つ。
「ふっ——!」
ヴィスベルの放った矢は森の中を真っ直ぐに走り抜けて、標的の頭を射抜いた。ぐらりと小さい影が崩れ落ちる。
「はははっ!流石は光の御子殿だ!勇者アスラを彷彿とさせる一矢、天晴れ、天晴れ!」
大声で笑うトマに、ヴィスベルと里の者らが苦笑する。
「里の衆、我らも負けてはおれんぞ!」
トマの号令に、「おー!」と返す土守の民。ヴィスベルの仕留めた獲物を回収し、次の獲物を探す。
「へぇ、お前さん、思ったよりもやるじゃねぇの」
「君は……クレスと言ったか。キーニの幼馴染の」
獲物を探す合間に、ヴィスベルの元に青年、クレスがやって来た。彼は値踏みするようにヴィスベルを上から下まで眺めると、「はん」と小さく笑う。
「何だ、光の御子っていうからちょっと心配したが、この分じゃあ安心だな」
「……心配?」
「あ?何でもねぇよ。こっちの話だ」
「止まれ!」
突然、慌てた風に戻ってきた斥候が叫ぶ。全員が立ち止まって斥候を見ると、斥候は微かに青白んだ顔で口を開いた。
「片牙だ。片牙がいる!」
「ほう。片牙の奴か……!」
片牙。聞き覚えのない単語に、ヴィスベル、カウル、フレアの3人は顔を見合わせた。それでも里の者には伝わったのか、一気に空気がヒリ付いた。
「片牙、ってのは?」
カウルが尋ねると、トマがにやり、と闘争本能をむき出しにした笑みを浮かべ、答える。
「ジャイアントボアの大物よ。デカいだけの豚のくせして、一丁前に里の戦士に手傷を合わせた傑物よ!腕に自信のある者だけが残れぃ!自信無き者は一度下がれ!退くも勇断である!土守の民、巌の闘士の力を見せてやろうぞ!」
トマの号令で、民達が下がる。残ったのは、ヴィスベル達とトマ、そしてクレスを含む数人である。
「さぁ、諸君。狩りを始めるぞ。今夜は宴だ」
大地に響くような雄叫びを上げ、土守の民の……否、巌の闘士の、『狩り』が始まった。
日が暮れた頃。里の入り口の方が妙にうるさかったので、俺はミラと二人で音のする方に向かった。入り口に着くと、丁度、狩りに行った人たちが帰ってきた所らしかったが、何やら様子がおかしい。その人の群れの中に見知った顔を見つけ、俺は慌てて駆け寄った。
「ヴィスベルさん!」
「ああ、ミカエラとミラか」
全身泥まみれのヴィスベル。一瞬振り返った彼は苦しげに顔を顰めて、すぐに元の方向に視線を戻した。
いくらか血の匂いがするのは勘違いではあるまい。ヴィスベルの背に隠れていた向こうを見て、俺は息を呑んだ。
そこに横たわっていたのは、牙が片方かけた、巨大な猪。昨日の夕飯になった大トカゲと比べても遜色ない大きさである。硬そうな外皮には里の人の物らしい槍が何本も突き刺さり、残っている牙にも血痕らしき跡がある。相当な激戦だったのか、荷車に乗せて運ぶ里の人たちも、殆どが満身創痍の様子だった。
「かっかっか……。片牙め、手間をかけさせおって……ごほっ、こほっ!」
その荷車の横に、血まみれのトマが仰向けに倒れ伏していた。纏っていた鎧の腹の部分にはぽっかりと大穴が空いていて、布で押さえていなければどくどくと血が流れ続けていた事だろう。だが、布で押さえるのはただのその場凌ぎだ。早く治療しなければ、手遅れになってしまう。
「族長……!」
「皆の者、よく聞くがよい。この通り、儂はもう長くはあるまい。せっかく祝い事が近い中、皆に訃報を聞かさねばならない事、申し訳ない……かはっ」
「もういい!族長、喋るな!今、クレスにキーニを呼びに行かせた!最後の言葉は娘に聞かせてやってくれ……!」
悲壮な空気が、辺りに満ちる。目の前で命が失われようとしている。この空気を作り出せるという事が、トマという里長がいかに人望の篤い人物であったかが窺える。
「一瞬の事だった。片牙の熾烈な攻撃の中、族長が押さえようと前に出て……僕が慌てて間に入った時には、片牙の痛烈な一撃が族長の鎧を貫いていたんだ。僕とカウルの魔法で何とか即死は免れたんだが、傷が深過ぎた」
ヴィスベルが、苦渋の表情で告げる。
「まぁ、しっかり穴空いてますしね。すいません、ちょっと通して下さい」
俺はトマを囲うように立っていた人垣の間を縫うように歩いて、トマの下へ向かった。近くで見たトマの傷は、遠くで見るよりずっと酷い。骨や内臓が見えてある、なんてレベルではなく、完全にかき回されているように見えた。
「おお……?君は、御子殿のお仲間の……」
「君、下がりなさい。族長は今危篤なのだ、子供に構っているような時では……」
「かなり重度の怪我で、失血と損傷が激しいから……これかな?《聖なる癒しの極光》」
横の人が何か言っているのを無視して、俺はベルトに付けている魔導書を取り出し、開く。その中から目当ての魔法のページを開いて、早速、その治癒の魔法をトマにかけた。俺の指先から、優しい色の光が迸る。
聖なる癒しの極光。手に入れた魔導書の中では、最も高位な回復魔法である。著者曰く、「命の大樹に伝わる巫女の秘術、奇跡を理論的に分解し、治癒を齎す効果のみを抽出して再現した大魔法」との事で、大魔法の名に相応しくかなり複雑な魔法式の魔法である。安定して成功させるのに今のところ一番時間がかかった魔法だが、その分効果は折り紙付きだ。……こんな魔法が必要なほど負傷する事もこれまでなかったので実戦で使うのはこれが初めてにはなるのだが。
トマの内に宿っていた命の火が、一気にその輝きを取り戻す。それに呼応するように、トマの腹に空いていた傷がゆっくりと塞がっていく。一度に沢山の魔力を使ったために小さな目眩がしてきた頃、トマの傷は完全に塞がっていた。
「ふぅ……。トマさん、他に痛むところとかありますか?」
「いや……。うむ。実に快い心地であるが」
「お父さん!?」
トマが不思議そうに傷のあった場所を触っていると、悲鳴のような声が聞こえた。
「まて、キーニ!族長の怪我は相当ひでぇ、ちょっと落ち着いてから——」
人垣を割って現れたのは、取り乱した様子のキーニと、彼女の手を引いているクレスだった。キーニは焦燥しきった顔でトマを見て、至って元気そうな実父の様子にすっと無表情になる。
「えぇっと。ミカエラ殿、ご説明を」
いち早く正気を取り戻したトマの側近が、俺を見て言う。
「えっと。治せそうな傷だったので治しちゃいました……。みたいな?」
答えた直後、その場に居た人々から爆発したような歓喜の声が沸いた。
「うむ、いやー、本気で死を覚悟していたのですがね!ミカエラ殿が命の巫女様であったとは!黙っているなんて人が悪いですぞ、皆々様!」
「いや、私は命の巫女ではなくて、その妹ってだけなんですけど……」
「いやいや、姉妹揃って命の巫女であらせられるとは、何たる数奇!事実は物語よりも素晴らしい物ですなぁ!」
「はぁ。もうそれでいいです」
こうなってしまっては聞く耳もあるまい。突如開かれることになった宴会で、俺は延々とトマの感謝と感動をぶつけられていた。何度同じ言葉を聞いたかも分からないが、それだけの感慨があったのであろう。
「しかし、今年は素晴らしいな!光の御子様の御一行が我が里を訪れ、我が愛娘キーニも試練の資格を得ようとは!」
「え、キーニさんが?」
「そうなのよ〜。キーニったら、突然参加したと思ったらぶっちぎりで『美味』をもぎ取って行くんですもの!私も嫉妬しちゃう!」
突然現れたマルベルが言う。美味、と言うことは、俺が作ったのと近い出来のものを作ったと言う事か。俺の場合はカノンの手助けがあったとはいえ、すごい事だというのは分かる。
「ほら、ミカエラちゃん、そろそろこっちでお姉さん達ともお話ししましょ!族長様、それでは失礼します!」
そう言って、マルベルは俺の手を引いてトマの横から連れ出してくれた。どうやら、最初から俺をトマから遠ざけてくれるつもりで来てくれたらしい。
「いやー、ああなると族長は長いからねぇ。災難だったね、ミカエラちゃん」
「いえ、助かりました。中々抜け出せなかったので」
トマの周りにできていた人垣から出ると、トマは片牙狩りの武勇伝を始めたらしく、片牙を見つけたという斥候を席に上げて堂々たる様子で語り始めていた。吟遊詩人とか向いてそうだな、とちょっぴり思う。
「族長はあんなでも皆に慕われてるんだ。悪く思わないで欲しいな」
「まぁ、いい人なんだろうな、とは思います」
そして、悪く思うつもりもない。ちょっと大袈裟な所はあるが、良くしてもらっているのも事実なのだ。
「ふふっ。今日は疲れたでしょう?このまま宴会場にいてもそのうちもみくちゃにされるだけだし、お姉さんと静かな場所に行きましょうか」
耳元で囁くマルベル。俺は思わずどきりとした。夜の宴、年上のお姉さんと抜け出して二人きり。何も起きないはずがなく——
——間違いなく何にも起きないよ……。
呆れたような内言が聞こえたような気がして、俺は正気を取り戻した。
「静かな場所?」
「ええ。一足先にミラちゃんをカノンが案内してるはずよ。食べ物と飲み物もいくつか持って行ってるから、そこでゆっくり休むといいわ」
なんと、マルベルは随分気を回してくれていたようだった。不埒な想像をしてしまった少し前の自分をぶん殴りたい。
その羞恥に悶絶していると、目的地に着いたらしかった。
「ここは……」
実を言うと、この目的地には見覚えがあった。というのも、ヴィスベル達が帰ってくるまでミラと一緒に歩き回っていた遺跡の一つが、ここだった。遺跡の中に入ると、石の机の上に料理が並べられ、ミラとカノンが何か話しながら席についている。
「あ、ミカ!ようやく解放されたんだねぇ」
「かなり長かったけどね。マルベルが助けてくれた」
席に着くと、その目の前には巨大な石像がこちらを見下ろしている。戦士の像と言うらしいそれは、ミラの話……というか、ミラが聞いたレクターの話によると、現存する世界最古レベルの人造ゴーレムなのだそうだ。ミラが訪れた時には辛うじて動いていたらしいゴーレムだったが、この時代はもう動いていないのか黙したまま仁王立ちをしている。
「この子も、眠れる日が来たんだねぇ」
俺の視線に気付いたらしいミラが、ゴーレムを見上げて呟く。ミラが最後に見た時には随分ガタついていたらしい。その無理矢理にでも動いていた頃を知るミラにしてみれば、こうして完全に機能を停止している状態は決して悪いものでもないのだろう。
「それは、眠っているだけ。いつか目覚めなければならない」
ミラの言葉を拾ったのは、意外にもカノンだった。
「古の巨兵。その役割は守護。……いつまでも眠っては、いられない」
「それって、どういう……?」
「……何でもない」
何でもないことはなかろうに。気にはなったが、完全に口を閉ざしたカノンからは、それ以上聞けそうになかった。
「それより、明日が来たらみんなライバル!なんだから、今のうちにしっかり休んでおきなさい?」
「明日?」
「そ!空いた時間にカウルさんが手伝ってくれたのとかもあってね、無事、明日にはカミツチの儀が始まるのよ」
カミツチの儀。グランドカノンの大岩を登り、その頂点で大神の加護を授かる儀式。近い内に始まるとは聞いていたが、どうやら明日から始まるらしい。
「今年は挑戦者も多いのよね。豊穣の儀だけでとミカエラちゃんの他はあたし、キーニ、カノンに、ピーナ。巌の儀にはヴィスベルさんと、クレス、それからカインが挑むみたいだし……」
「カノンも挑戦するんだ?」
「……必要だから」
なんだかんだと言っても、カノンも土守の民と言うことなんだろうか。
「男衆にモテモテねぇ……」
俺としてみれば、モテるならやはり女の子の方が嬉しいのだが。第一、男にモテるという感覚がよくわからない。
「まぁ、今後旅を続けるにも豊穣の加護は良いものよ?食べられる物かどうかを感じたり、大地の食べ物なら美味しい食べ方が分かったりするって話だから」
それは、なんとも心強い加護である。むしろ、モテるとかより余程重宝されそうだ。
「やっぱり、大神の加護って凄いんですね」
自分も既に持っているものではあるが、改めて思う。カウルは神の時代は終わり、とっくに人の時代だと言っていたが……それでも、これだけ神の力による恩恵を受けられるというのは、本当に神のいない生活を知っている俺にしてみれば十分『神がいる』時代だ。
「あ、このジュース美味しい」
「ちょっ!ミカエラちゃん、それ私のお酒〜!」
そんな風に騒ぎながら、短くて楽しい最後の時間は過ぎていった。
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