65.独白
今回とある人物の設定がちょっと明らかになります。
「と、言うわけで、ヴィスベル殿は無事、試練を超えてカミツチの儀に参加できることとなった!」
夕食時。俺たちも手伝って作った豪勢な食事がテーブルに並ぶ中、なぜか得意げにトマが言う。隣に座った本人よりも嬉しそうなのはなぜだろう。でもまぁ、嬉しいんだろうなぁ。俺は空気を読んで小さく手を叩いておく。
「それはよかったです。ああ、お父様。こちらのミカエラちゃんも、今日御厨の方で『美味』の評価を頂いたんですよ」
負けじと報告するキーニ。こちらは至って事務的な様子である。それを聞いたトマはパチパチと目を瞬かせたかと思うと、一拍の間を置いて「うおお!」と奇声を上げた。
「幼いながらも勇者様一行の一員ということですな!うぅむ、めでたい!」
などと、トマはこちらから何か言う隙も見つからないほど興奮している。というか幼いは余計だ。……まぁ、ミカエラとしての俺は12歳なので充分幼いと言えないこともないが……。いや、ここは断固として否定しておきたい。俺は、幼なくなんてない。
「今日は宴だキーニ!蔵から酒を持ってくるのだ!ほら、お前が中央から帰ってくる時に買ってきたアレ——」
「はぁ。そう言うと思ってこちらに」
キーニが取り出したのは、大きな瓶に達筆な漢字で「竜殺」と書かれた酒瓶。思いもよらぬ日本語に、俺は思わず立ち上がった。
「それは?」
「えっと、中央で売られていた地酒です。なんでも蒸留酒に地竜の幼生を漬ける、という画期的な製法で作られているらしく……。あ、ミカエラちゃんやミラちゃんは飲んじゃダメですよ」
「いや、飲みませんけど。何か、ラベルの文字が……」
「ああ、これですか。これはカンジと言って、異世界……このテオスフィアとは異なる世界で用いられる文字の一つだそうです。……実は、十数年ほど前に逝去された我が国の筆頭魔導師が異界の出身だそうで、このお酒も彼女の趣味の産物だとか。まぁ、こことは違う世界がどうの、というのは正直眉唾物ですけどね。それでも、彼女が常識外れな発想の持ち主だったのは事実ですけど」
なんと、同郷がこんな所にも。ちょっとテンションが上がる。
「もしかして、マスター・カワグチか?若くしてマスターウィザードの称号を手に入れ、それまで何十年と未完成だった新式魔法を理論として完成させたっていう?」
「あら、ご存知なんですね、カウルさん」
「新式魔法以外にも近代の魔法理論をいくつも世に出してる天才だ、知らない筈がない」
常識とばかりに言い放つカウル。そうなの?とフレアを見るが、フレアはキョトンとした様子。ヴィスベルも同様である。そんな俺たちを見たカウルが信じられない、とちょっぴり目を見開く。
「……とりあえず、長話は食事の後にしませんか?私、流石にお腹が減ってきたんですけど」
このままだとカウルの歴史講座が始まってしまう。そう察した俺は、さっさと予防線を張ることにした。だって、せっかくみんなで作ったご馳走なのに、冷めてしまったら勿体ない。俺の言葉に、トマが豪快に笑った。
「そうですな!せっかくのご馳走、美味しいうちに頂きましょうぞ!今日も恵みを与えて下さった我らの父母に感謝を——」
トマの音頭と共に、俺たちは皿いっぱいのご馳走に口をつけた。
夜中、塔の屋上で。ミラは一人、月の光の下にいた。思い出されるのは、先ほど夕食時に出た知人の名前。
『マスター・カワグチ』。
この名前を、ミラは聞いた事がある。それどころか、実際に面識さえあった。以前、ミカヅキ、レクターと共にバルバトスの首都、ゲーティアを訪れた際によくしてくれたミカヅキの知人。
名を、『ホタル・カワグチ』。
マスターウィザードのカワグチがそう何人もいるとは思えない。だから、きっと今日話題に上がったマスター・カワグチは、ミラの知るホタルなのだろう。
けれど、ミラが知るホタルは、詳しい年齢こそ教えてもらえなかったが、まだまだ若い女性の筈だった。カウルの話では、件のマスター・カワグチは齢九十歳を超えて亡くなったという。つまりは——
「五十年……。ううん、六十年か、もしかすると、七十年くらい……?」
自分が水晶でいた時間。止まっていた時間。今までずっと、考えないようにしていた隔絶。
「こんなに経ってたんじゃ、ミカヅキもとっくにお爺ちゃんだよ……。生きてたら、だけど……」
いつか会えるかもしれない。そう思っていた。いつか会いたい。そう思っていた。それが叶うと、信じて疑っていなかった。けれど、過ぎ去った時間はあまりに長くて。ミラの心の支えをへし折るには、十分な重みがあった。
足元が崩れ去ったような、突然衣服を剥ぎ取られたような、寒さにも似た孤独感。一人取り残された実感だけが、唯一ミラをこの時間に引き留める。
自分を知る存在は誰も居なくなってしまったのではないか。
その言葉が頭の中を跳ね返り、だんだんと心が重くなる。
そんな時だった。
「あれ、ミラも寝られないんだ?」
背後から声。振り返ると、そこには銀の髪をサラリと風に揺らす少女が、髪と同じ銀の瞳で自分のことを見ていた。
「私も、何か、今日一日色々あったなぁって思うと、ちょっと寝られなくてさ」
寝つきは良い方だと思ってたんだけどね、と付け加え、少女、ミカエラはすっとミラの隣に腰を下ろした。月明かりを反射した銀の髪は、まるで御伽噺の中のように幻想的で、ミラはそれにしばし見惚れる。
「いっぱい、あったよね。里について、御厨ではカノンちゃんに料理教えてもらって、ミカってば沢山の女の子にもみくちゃにされちゃって」
「う、思い出すだけでも震えが……。ミラが人が多いのが苦手なの、ちょっと分かったよ……」
怖いよね、あれ。と笑うミカエラに、何故かミカヅキが重なった。照れくさそうに髪をかき上げる仕草が。ふとした時に見せる癖が。どことなくミカヅキに似ていると思ってしまうのは、願望の現れに違いない。ミラはそう結論付けて、ミカエラから視線を逸らす。
——今は、ミカと向き合えない。ミカヅキを思い出しながら話すのは、ミカに対して失礼だ。
そう思っての行動は、ミカエラから見てあまりに不自然だったのだろう。ミカエラは不思議そうにミラの方を窺い見て、「何かあった?」と問いかけた。
「夕食の後くらいから、ちょっと元気なかったよね?あ、カウルさんが長話するから疲れちゃったとか?」
半分笑いながら、軽い調子でミカエラ。それが、自分を元気付けようとしての態度だと、ミラは何となく察する。
心配させてしまっている。そう思って、ミラは慌てて首を振った。
「ううん、何でもないよ。何でも……」
「何でもないならいいけど……。何か気にかかる事があるなら、話くらい聞けるよ。言いたくないことなら、無理に聞かないけどさ」
『何か気にかかる事があるなら、話くらいは聞くぞ。言いたくない事なら、無理には聞かないが……』
ミカエラの言葉に、かつてのミカヅキの言葉が蘇る。少し前に聞いたはずの言葉。また手が届くと思っていた言葉。また聞きたいと、待ち望んでいた言葉。
あぁ、その言葉は反則だ。我慢できなくなってしまう。
気付けば、ミラはミカエラに抱きついて、その小さな胸に顔を埋めていた。ミカヅキと全然違う小さい体。ミカヅキ全然違う、ほんのり甘い匂い。ミカヅキと全然違う、柔らかい感触。
何もかもミカヅキとは違ったけれど、その温もりだけは、ミカヅキと同じだった。そして、いつかのミカヅキと同じ、ちょっと遠慮したような、割れ物に触るような手つきで、ミカエラがミラの頭に手を添える。
「あのね」
口を開くと、「うん」と一言。心地よい沈黙が屋上に満ちる。その静けさをたっぷりと味わいながら、ミラは言葉を続けた。
「マスター・カワグチって、私の知り合いかもしれないの。でも、私が知ってるホタルさんは、全然お婆ちゃんじゃなくて。私、何年水晶になってたのか分からなくて……。ミカヅキに、また会えるって信じてたのに、もう会えないのかもって、そしたら急に寒くなって、あたし、もう一人なんだって、誰もわたしを知らないんだって、置いてけぼりにされたんだって、取り残されたんだって、思って……!」
嗚咽まじりの独白。もはや自分でさえ何を言っているのか分からなくなりながら、尚もミラは言葉を続ける。
「私ね、ミカヅキが好きだった!私を集落から連れ出してくれて、色んな事を教えてくれて、生きてていいんだって教えてくれて、生きたいを教えてくれたミカヅキが大好きだった!ほんの少し前なんだよ、私の中では1ヶ月くらいしか経ってないんだよ!でも、その間に、何十年も経ってて、ミカヅキだって、もういないかもしれなくて!私、何で生きてるんだろう?何で、一人取り残されてるんだろう?何で死ねなかったのかなぁ!何でミカヅキがいる時に呪いが解けてくれなかったのかなぁ!」
ミラは、頭に浮かぶ言葉を何も考えずに吐き出し続ける。ミカエラは、ミラを抱きしめ、その背中を優しく撫でながら、ただただそれを聞いていた。相槌も何もなく、ただ聞いていてくれるだけ。けれど、ミラにはそれがどうしようも無く心地よかった。
一頻り感情を吐き出せば、あれだけ重々しかった心は、どうしてかすっと軽くなった気がした。
沈黙。静寂。薄い胸板から伝わってくるミカエラの鼓動が心地よい。なだめるようなミカエラの手の感触が愛おしい。泣き疲れた疲労感が、ゆっくりと目蓋を重くする。
「……ごめんな、辛い想いをさせたよな」
「ミカは……悪く……ないよ……」
「一杯話してくれてありがとう。……私は、ここに居るよ。ミラのことをちゃんと知ってて、隣にいるよ。フレアも、ヴィスベルさんも、カウルさんだって。ミラを知ってる人はちゃんといる。君は、もう一人じゃない」
『君は、もう一人じゃない。……少なくとも、今は俺とレクターがいる』
再び、脳裏にミカヅキの言葉がリフレインする。ミカエラと話していると、度々あるのだ。どことなくミカヅキを思い出す言い回しや、いつかあったようなやりとり。それを体験するたび、ミカヅキに会えたような気がして。また会えるような気がして。だから、安心してしまう。だから、つい頼ってしまう。
「ミカは……なんでだろ……?なんだか……ミカヅキ……思いだ……す……」
そう、小さく呟いて、ミラは意識を手放した。
——困った。
俺は、自分の腕の中で寝落ちしたミラを見下ろす。
夕食の辺りから、どうにもミラの様子がおかしいように感じたので何かあったのかと聞きに来たはよかったが、出てきたものが想像以上に重い。
ミラが石になっていた時間の話。そして、今ミラが抱える感情。
新式魔法の生みの親という事もあって、俺もついついカウルに色々聞いてしまったけれど、まさかミラと直接面識がある人物だったとは。知人の名前が過去の人物の名前として語られたことは、きっとミラにはとてつもない衝撃だったに違いない。
「それにしても、なぁ」
何より俺の心に重くのしかかってくるのは、ミラからミカヅキさんへの想いだ。
ミラがミカヅキという人物に心酔しているのは知っていた。偶然にも、前世……と言っていいのか。かつての俺と同じ名前の男。ミラが彼の話をするたび、なんだか自分のことを言われているようで少し気恥ずかしい、なんて思っていた。そして、それはいつしか、この旅の間、旅先でいつか本人と出会うまでは、その彼の代わりにでもなれたら、なんて考えに変わっていて。
本当に、なんて浅はかな考えだったんだと自己嫌悪。ミラにはミカヅキさんしかなかったのだ。ミカヅキという人物がミラにどういうことをしたのかは、俺はミラが語ったほんの少しの内容しか知らない。けれど、それがミラにとってどれだけ大きい存在だったか、今回ようやく分かった気がする。
俺ではミカヅキさんの代わりにはなれない。ミラの「好き」がどういうベクトルのものかは分からないけれど、少なくともただの友愛に収まるほどのものでもあるまい。もしかしたら、恋慕や、家族愛にも近いものだったのかもしれない。そんな、なんとしてでも再会したい相手がもうこの世にいないかもしれない。それは、ミラにとってどれほど辛いことなんだろうか。
——もし、アンリエッタが死んじゃってたら。もう会えないってなったら。私も、きっと……。
——きっと、とても耐え難い、忘れられない痛みを抱く事になるのだろう。かつての俺のように。
チリ、と、こめかみの奥の方に僅かな痛み。思考にノイズが走る。ノイズをかき消そうと深呼吸をして月を見上げると、先ほどまでの思考は綺麗さっぱり消えてしまった。残されたのは、胸中にわだかまったような罪悪感と悲しみだけ。
「……ミカヅキさんの代わりにはなれなくても、俺は、私は、君の。ミラの友達として、ずっと側にいるよ。ずっと忘れないでいるよ。だから……」
だから、何なんだろう。自分でも何を言おうとしたのか分からないまま、その言葉はどこかに消えた。何となく、サラサラのミラの髪を手ですく。ミラは、くすぐったそうに小さく身を捩った。
「ふわぁ……よく寝たぁ……」
朝。ごそごそと、俺の隣で何かが動く感触で目が覚めた。夜通し抱きしめられていたのか、腕がちょっと痺れているような感じがある。
「おはよう、ミラ」
「あれ、ミカ?何で私のベッドに……?」
「いや、ここ私の部屋だよ。昨日、ミラってば屋上で、私にしがみついたまんま寝ちゃって離してくれなかったから、とりあえず私の部屋まで運んだんだよ」
説明すると、ミラは昨晩のことを思い出そうとしてかしばし目を瞑り、あっ、と大きく目を見開いて手を打った。それと同時に、ちょっと頬の辺りが赤くなる。
「……なんか、昨日、ちょっと何言ったか覚えてないんだけど、変なこと言ってなかったかな……?うー、なんか滅茶苦茶言っちゃった気がする……。ごめんね、迷惑だったよね、いきなり。私も色々整理できなくて……」
「迷惑なんて思ってないよ。それに、ミラにとって大事な事だもん。いきなりで整理できなくて当たり前だし、むしろ話してくれて良かったと思うよ。それで、えっと。ミラはさ、これからどうしたい?」
あまりに捉え所のないふわっとした問いかけ。けれど、ほかにどう聞けばいいのかも分からない。もしかすると聞くべきじゃなかったかもしれない。そんな考えが頭を過ぎる。ミラは目を閉じて、少し黙り込む。やがて開いたミラの目には、強い決心の光が宿っているように感じられた。
「私、最後までみんなについていきたい。それに、ミカヅキと絶対会えないって決まった訳じゃないし。昨日のマスター・カワグチさんだって、私の知ってるホタルさんじゃないかもしれない。ちょっとでも可能性があるなら、私、なんでもやりたいから。……でも、昨日のこと、みんなには内緒だよ?
その……私がミカヅキのこと好きだとか、色々言っちゃったと思うけど、何か恥ずかしいし……」
「それは安心して。絶対誰にも言わないから」
というか、言えない。ミラが恥ずかしがるとか以前にことが重大過ぎて人に話す事に責任が持てない。むしろ俺が聞いてしまって良かったのかという罪悪感さえある。
「……でも、ミカには聞いて貰えて良かったかも。ミカが知っててくれるのは、何だかちょっと心強いし」
「そう、かな。私、全然力になれないかもだけど……」
「ううん。ミカは私の呪いを解いてくれた人だもん。それだけですっごく心強いんだ。ついつい頼っちゃいそうになるくらいね」
そう言って笑うミラは、どこか吹っ切れたような顔付きで。そんなミラに、俺は、「また何かあったら聞くよ」と返したのだった。
……俺ではミカヅキさんの代わりにはなれないけれど、ミカエラとしてなら、ミラを助けることができるかもしれない。そんな風に思った俺に、ミラはとびきりの笑顔で頷いた。
「うん、ありがとう。これからもよろしくね、ミカ!」
というわけでミラちゃん回でした。ミラがこの先これを乗り越えられるか、ミカヅキさんと再開できるのか……ちょっと楽しみが増えましたね!
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