64,大台所
お待たせしました。まだまだスローペースです。
「酷い目に遭った……」
フレアやキーニの協力もあり、俺たちはなんとか御厨から抜け出した。女の子たちは俺が高得点を出したのを利用してキーニがうまく焚きつけたので、今頃は御厨で料理に没頭している頃だろう。
ひとつ心配事があるとすれば、騒ぎの中でカノンと言葉を交わす暇もなく御厨を出る事になってしまったことくらいか。……まぁ、明日にでもこっそり顔を出せばいいか。今戻るのはちょっと怖いし、無いとは思うけど魔導書に良い魔法があるかもしれないし。
とまれ、今は危険を脱したことを喜ぼう。
「フレア、キーニさん、ありがとうございました。押し潰されるかと思ったよ」
「すごかったもんねぇ、何ていうか……みんなの迫力が」
渦中にいなかったミラでさえ、女の子たちの勢いを思い出してかちょっと青い顔で自分の身体を抱いている。ミラはただでさえ人見知りだし、人が近いのも苦手なようだから余計に怖いのだと思う。
「みんな、それだけ豊穣の乙女に選ばれようと必死なんですよ。マルベルはモテるから、なんて言ってましたけど、豊穣の乙女になるということはアニマ・フェテリに認められるという事ですから。誰だって、母なる神には認められたいもの、でしょう?」
母なる神に認められたい。俺は、アニマ・アンフィナから加護を授かった時の事を思い出す。あの時、俺が感じていたのは、どこか懐かしいような感覚と、そして——
——すごく、嬉しかった。生まれてから何もなかった私に、初めて意味ができたみたいな——
「確かに、私も原初の火種を受け継いだ時は一人前に認めて貰えたみたいで嬉しかったわね。あと、アニマ・フラムから継ぎ火を授かった時も」
「継ぎ火?」
フレアの言葉に初めて聞く言葉を見つけ、ちょっと遠いところに行っていた意識が戻ってくる。フレアは小さく頷いて言葉を続ける。
「ええ。私たち神火の担い手は、14歳になると移し火の儀で親から原初の火種を分けてもらう。その日の夜に、大神自らが夢枕に立つ事があって、そういう子はその一月後くらいにある継ぎ火の儀で自分の力を示すの。まぁ、力を示すって言っても、毎年出る時期も場所も分かってる小火の精霊を捕まえるだけだからそこまで難しくもないんだけど……」
「小火の精霊?」
また知らない言葉だ。首を傾げると、すかさずキーニが口を開いた。
「聞いた事があります。確か、火の魔力が強い地域で稀に発生する、火の精霊の幼体だとか」
へぇ、精霊。そういうのもいるんだ。そういえば、前にもどこかで聞いた事があるような。何だっけ?
——確か、勇者アスラの仲間だった初代騎士王が、当代の命の巫女を口説くのに七色の精霊を捕まえる話があったような……
そうだ、七色の精霊だ。『霊山の頂、霊花に漂い遊ぶ茫々たる七色の光を魔晶の小瓶に閉じ込めて』だ。初めて聞いた時はよくイメージできなかったんだ、確か。
「そうそう、小さい火花の塊みたいなものなんだけど、それを捕まえて、フラグニスの竈で捧げるの。そうすると、大神が火種に継ぎ火を……ええっと、簡単に言うと、原初の火種をちょっと強くしてくれるのよ」
「へぇ〜、そんなのもあるんだねぇ。私の所は生まれつき精霊さまに愛されてるかどうかだけだったから、ちょっと新鮮」
フレアの説明に、染み染みとした様子でミラ。そういえば、ミラの地元の話も精霊様だったな。前に聞いた話だと、ただの光の塊っぽい精霊とはまたちょっと違う、どちらかというと神に近しい超常存在のようだったが……。これまで流して来たけど、今度カウルにでも聞いてみるか。
などと話していると、大分日も傾いて来た。日没まではまだ時間はありそうだが、もう少しで綺麗な夕焼けが拝めそうだ。眩しい日光に目を細めていると、「あ」と何かを思い出したようなキーニの声。
「すいません、皆さんの分の食事を用意しないといけないんでした。頂いてくるので、皆さんは広場のカウルさんと合流して帰っていてもらえますか?」
そうか。確かに、俺たちは結構な大所帯。キーニ達は二人暮らしのようだし、あの家の備蓄だけでは食料品は足りないだろう。とはいえ、自分たちが用意してもらう食事の準備を全くせずに先に帰るのも、それはそれで何か違う気がする。
「それなら、私たちも手伝いますよ。一人でこんな大所帯分の食料品を運ぶのは大変ですよね?押しかける形になったのは私達ですし、手伝わせて下さいな」
俺が言うと、ミラとフレアも隣で頷く。キーニは少し申し訳なさそうな顔をしたが、「皆さんがそう言って下さるなら甘えさせて頂きます」と小さく頭を下げた。
キーニに連れられた先は、聳え立っている岩砦の足下。大通りに面した比較的大きな平家の建物だった。大きな入り口から中に入ると、その中はがらんとした大きい広間。広さだけなら、小さな体育館くらいはありそうだろうか。俺たちが入ってきた以外にもいくつか出入り口があり、人の出入りは結構多い。
「ここは、大台所と呼ばれている場所です。里の男衆などが狩猟してきた獲物や、畑で取れた作物のうちその家だけで使いきれないもの等を分配などする場所です」
キーニの言う通り、広間の所々には狩猟されたのであろう魔物や動物が集められていたり、洗われた野菜のようなものが並べられているのが見える。
「ここは豊穣の乙女の主な勤め先でもあります。そして、里の外との接点でも。
取れた毛皮なんかは商人さんの指導の下でより高価に売却できる処理方法なんかも教えて貰っていて——ってこんな事言っててもつまらないですよね」
ちょっと気まずそうにキーニ。俺としては、そういう話も面白いのだけど。
「あ、でも、食料を買うならお金とか必要ですよね。今、ちょっと手持ちがないので後ででも大丈夫です?」
「ああ、しっかり者なのね、ミカエラちゃんは。気にしなくて大丈夫ですよ。確かに里の外の方と取引するのには貨幣を使うこともありますけど、里の者同士でやり取りする場合は普通に譲って頂けるので」
里の中ではあまり貨幣経済というのが根付いていないんですよ、と付け加えて、キーニは「この時間ならもう帰ってきてるはず……」と誰かを探すように調理場の中を見回した。お目当てはすぐに見つかったらしく、キーニは「こっちです」と歩き出す。
キーニに連れられたのは、まだ原型を残している大きなトカゲが仰臥する一画。数人の男衆が、包丁……というか、サイズ的に剣という方が似合いそうなものだけれど、とにかく刃物を手に何か話し合っている。そのうちの一人が、キーニに気付いたらしく大きく手を振って駆け寄って来た。
「よお、キーニ!」
「クレス!」
駆け寄って来たのは、飴色の髪の青年。冒険者らしい革の鎧を纏っていることから鑑みるに、里の戦士だろうか。年は、ヴィスベルよりもやや歳上に見える。がっしりとした体格で、その身からは何かの神の加護らしい力強い気配を感じた。ニカッという擬音のつきそうな眩しい笑顔は、ワイルドさの中に頼りがいが感じられる。
「どうしたんだ?族長のお使いか何かか?」
「まぁ、そんな所。それにしても、今日は随分な大物が獲れたのねぇ」
キーニが青年の問いに笑って答える。二人は随分仲が良いのか、かなり砕けた雰囲気だ。青年は、キーニの感心したような呟きに笑みを深めると、「おう!」と今にも飛び跳ねそうな喜色たっぷりに頷いた。
「今日はいつもよりちょっと遠出して恵みの森の方まで行ったんだけどよ、そこでこのトカゲ野郎を見つけてな!中々の大物だったから、逃す訳にはいかねぇってぶっ倒してやったんだ!オレとトカゲ野郎の一騎討ち、キーニにも見せてやりたかったぜ!」
刃物を地面に突き立てて、両の拳を打ち合わせる青年。なんでも良いけど、そんな雑な使い方してたらその刃物、欠けちゃうんじゃなかろうか。そんな青年に小さく笑いかけて、「見たかったな、残念」とキーニ。ちょっと楽しそうだ。
そんな風に二人を眺めていると、青年はようやくキーニの後ろの俺たちに気付いたようで、その緑の瞳と目が合った。
「ん。そいつらは?里じゃ見ねえ顔だな」
「この人たちは、光の御子殿の一行よ。里の案内をしていたの。皆さん、こちらはクレス。私の昔馴染みなの」
キーニの紹介に、「おう」と気さくな感じでクレス。
「フレアよ。この子はミカで、その後ろの子がミラ」
フレアが一歩前に出て紹介してくれたので、俺も軽く会釈する。クレスは少し値踏みするように俺たちを眺める。
「何か、思ったよりフツーなんだな。光の御子の一行って、勇者アスラみたいにもっとスゲー連中かと思ってた」
拍子抜けしたと言わんばかりの雰囲気でクレス。そのがっかりしたというのを微塵も隠そうとしない態度にちょっとだけ立腹。けどまぁ、確かに光の御子の〜って仰々しく言われてもイマイチピンと来ないから普通っていうのは多分間違いではないんだけど。それでも何か勝手にがっかりされるのも癪である。
「クレス、里のお客様なんだからもうちょっと言葉選んで」
呆れたキーニの言葉に、クレスが少ししゅんとする。おや、何だろう。もしかして結構打たれ弱い系なのか?
「わりぃ、つい」
「謝るのは私にじゃないよね?」
「う……。その、口が滑った。ごめん」
言って、俺たちに頭を下げるクレス。何だろう、大したことでもないのに、こうも深々と頭を下げられるとちょっと居心地が悪い。フレアも同じ気持ちなのか、ちょっとバツの悪そうな表情で、顔の前で手を振った。
「大丈夫よ。それに、凄いのは私たちじゃなくてヴィスなのもほんとの事だしね」
フレアの言葉に、クレスとキーニはほっとしたように小さく息を吐く。
「……この三人とあと二人、ここにはいないけど光の御子のヴィスベルさんとカウルさん。合計5人がうちに泊まる事になったの。それで、一度に5人も増えるとうちの備蓄じゃ足りなくて」
キーニの言葉に、クレスが頷く。
「なるほど、それで。いいぜ、あのトカゲはオレの獲物だ、多少多く貰っても文句は出ないだろ」
そう言って、クレスは包丁を引き抜いてトカゲの元に戻る。キーニがそれについていくので、俺たちも後ろに続く。
「なぁ、おやっさん。肉の分配なんだが、キーニんトコにいくらかやりたいからさ。先にキーニに渡す分だけ決めちまって構わねぇか?」
「ん?おお、族長の所の。いいぞ、もともとお前の獲物だからな。好きに決めな」
「助かる。んじゃあキーニ、どこの肉が欲しい?」
「そうね、それじゃあ尻尾の付け根から腰の辺りの——」
そこから先はトントン拍子で色々と決まり、俺たちは切り分けられた肉といくらかの野菜を手に家路に就いた。
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