61:大母の御厨
ネタバレします。今回新キャラが出ます。
大母の御厨と呼ばれていたのは、アニムス・アルスの岩砦に沿って歩いた先の広い窪地だった。地下水が湧いているのか、小さな泉や何かの実がなった緑の木なども見える。ここだけ森林の中から切り出して来たかのような印象だ。
その大母の御厨には、下は十になったかどうかくらいから、上は二十代の後半くらいの、実に幅広い年代の女衆が集まっている。人数は、二、三十人という所だろうか。ともかく、両手で数えられないくらいはいるように見える。
彼女らは、まばらに散らばっては屈んだり、何やら鍋のようなものを火にかけていたり、岩壁に手を伸ばしたりして何かをしているように見えるが、ここからでは何をしているのかよく分からない。
「あれは何をしてるんですか?」
「ああ。あれは、この大母の御厨に生えている果物を採取して、調理しているのよ。豊穣の乙女になるためには、より良い食べ頃の果実を見極め、審査員に認められるように調理しなくてはならないの。審査員と言っても、神代からずっと残っている裁定者……。広い意味でのゴーレムなんだけどね」
「ゴーレムがいるんですか?」
大峡谷で見かけたワイルドゴーレムを思い出す。あれは、何だか土塊が固まって歪な人のような形をなした魔物だったが、ぐるりと見渡しても窪地の中にそれらしい影は見えない。
「ええ。ほら、あの、アニムス・アルスの岩砦がちょっと削れている所があるでしょう?あそこが裁定者の口よ。料理を捧げると口が開いて、その中に料理を入れるの。……丁度、誰かが料理を捧げるみたいね」
言われてみれば、確かにそこだけ雰囲気が違っている。一人の女性が岩壁の窪んだ所に、器に盛られた何かを置いている。遠目に見る感じ、鮮やかな緑色の何かを切り分けたもののように見えるが……なにぶん距離があるので、それ以上のことはわからない。と、女性が器を置いて下がると、岩壁の周りで魔力が動くのを感じる。これは、魔導具が起動している時の感覚に近いが……。その規模が段違いだ。魔導具というのは、俺が見たことがある分には殆どが掌サイズか、大きくても抱えられるくらいの大きさしかなかった。だが、今感じる魔力の動きはそんなものではない。それこそ、窪地に面している岩砦の岩壁の全体が振動しているような錯覚を起こすほどにダイナミックな動きを感じる。やがて、器を置かれた岩壁の窪みを中心に、岩壁が横一文字に裂けた。
これが、裁定者の口。およそ三メートルほどの幅と一メートル程度の高さで岩肌が裂けているさまは、遠目に見ても圧巻である。少しして、その裂け目から腕のようなものが伸び、器を掴んでその中身を裂け目の内側に流し込んだ。腕は空になった器をもとに戻すと内側に引っ込み、重い音を立てて裂け目が閉じる。辺りに、しばしの沈黙。数秒後、岩肌に何か不思議な文字が浮かび、器を捧げた女性が咽び泣いてその場に崩れ落ちるのが見えた。
「ああ、ダメだったみたいね」
「あの壁に浮かんだのって……」
何ですか?と、俺が問いかける前に、ミラがぽつり、口を開く。
「あの壁に浮かんだの、神字だよね?意味は、『普通』……?」
神字。聞いたことはある。確か、神々の威を記す記号で、神代から残る特殊な魔導具や何かによく刻まれている文字、だったか。今普段の生活の中で使われている生活言語や、新式古式を問わず魔法で用いられている魔法言語とはまた異なる言語体系の『神言語』を表す文字だと……俺は、一体誰に聞いたんだ?
微かに頭痛。これは、これ以上考えてはいけない。そんな予感が過り、俺は頭を振って思考を投げ捨てる。ともかく、神字というのは、神代で用いられることがあった特殊な文字だ。それだけ分かっていれば、今は困らない。そう自分に言い聞かせ、俺は話し始めたキーニの言葉に耳を向ける。
「あの裁定者は、捧げられた料理を食べて、その味を評価するの。『不可』『可』『普通』『良』『優』『美味』『極』の七段階で評定してくれて、豊穣の乙女の儀に参加するには『優』以上を貰わなければならないの。優以上を取れるのは、年によるけど大体四、五人くらいかしらね。美味はここ十数年で一回出たかどうか、極に至ってはここ百年くらいは出ていないそうよ」
「地味に評価が細かいですね?」
この裁定者とやらを作った人物は相当味に厳しい人だったんだろう。というか、割とハードル高そうだな。参加者が三十人弱とはいえ、その中でも四、五人程度となると……倍率にして六、七倍という所だろうか?相対評価ではなさそうだが、それにしても難易度の高さが伺われる。
「料理はこの窪地、大母の御厨で取れる果実だけを使わないといけないの?」
「ええ。この大母の御厨に生えているものなら何でも使っていいことになってるわ。……ここは一日で作物が育ちきるから、特に取りすぎとかを気にする必要はないわ。……と言っても、量が多ければ良い評価になるとも限らないから適切な分量を見極める力は必要だけどね」
なるほど、それも含めて料理上手を見極めるってことか。ちょっと楽しそうだ。
「面白そうね。ちょっとやってみましょう」
「うん!……前はミカヅキが持ってきてくれたのを食べるだけだったけど、ちゃんと身体が動くようになったから自分で作ってみたい!」
「果物を調理するだけならそんなに難しくなさそうですし、挑戦だけしてみようかな」
「ふふ。皆さん、頑張って下さい。私は……ええ、ちょっと御厨を見て回ります。ここに来るのは、本当に久しぶりなので」
そんな風に互いに言葉を交わして、俺たちは大母の御厨に足を踏み入れた。
大母の御厨に足を踏み入れて最初に感じたのは、どこからか漂ってくる甘い香りである。果実を調理しているから、というのも勿論あるのだろうが、それだけでなく、どこか懐かしい香りも漂っているような気がする。そう思って地面に目を下ろして、俺はあるものを見つけた。
「へぇ、見慣れた草も結構生えてる」
その辺りに雑草と混ざって生えていたのは、神樹様の上でもお世話になったスイトグラス。まだ花が咲いていない、蕾すらできていないようなものが大半だっだが、実はこのスイトグラスという薬草は蕾ができる前の状態でもほんのり甘い蜜が取れる。ちょっと葉っぱの先を千切って断面を咥えてみると、口の中に久々の甘味が広がった。
「ん〜。スイトグラス、やっぱり美味しい……♪」
昔を思い出してちょっぴり心が温かくなる。このスイトグラスの若草をちょっと集めて煮出すと、花蜜水とはちょっと違った甘味のジュースができて美味しいのだが……今は、他のものを探してみよう。
俺はぐるりと辺りを見回して、ちょっと大きな樹木に目を付ける。
——神樹様育ちの身としては、あの樹がちょっと気になるよね
遠目に見た神樹様に似た雰囲気のある樹木に親近感を覚えた俺は、ふらふらとそちらに向かう。真下から見上げた樹は、大人が三人がかりで抱きついてようやく一周するくらいの太さの幹の大木である。太い根は力強く地面に根付いていて、見れば見るほど良い樹だ。木陰が何ともいえず心地よい。木の実が生っているのか、ほんのり甘い香りもする。
「よぉし、とりあえず登ってみよう!」
凹凸のある樹皮に手足を掛けて、登る。神樹様の枝に比べれば、いくらか凹凸が激しい分かなり登りやすい。登り始めて気が付けば、それなりに高い場所にある太い枝に手が届いた。ここまで登ってしまえば登頂したも同然である。ただ、低いところの木の実は落ちたか落とされたかであまり見えない。……せっかく登ったのだ、木の実の一つでもなければ納得がいかない。見上げれば、もう少し高いところにはまだ木の実が生っているのが見える。
「アンリエッタが見たら必死で止めるんだろうなぁ」
上に登ろうと幹に手をかけて、そんなことを思う。アンリエッタはいつだって、危なっかしいミカエラを気にかけていた。今でこそ、随分迷惑を掛けてしまったと思えるが……そうやって自分を気にかけてくれることが嬉しかった自分の記憶も事実だ。そうやって危なっかしいことをして、アンリエッタが自分を気にしてくれている事を確認して。意識はしていなかったけれど、ミカエラなりに自分がアンリエッタにとってどうでもよくない存在であると確かめたかったのかもしれない。
そんな郷愁の念に浸りながら登って、更に高いところの枝に手をかける。一際太い枝だ。俺の腕より少し太い程度はあるだろうか。俺は枝を両手でしっかりと握りしめて、ぐいと体を引き上げた。
「ん?」
達成感たっぷりに枝の上に腰掛けて、俺は近くの枝に先客を見つけた。彼女は枝を両足で挟み込むようにして腰掛け、幹に背を預けているらしかった。先客の姿がよく見える位置に移動する。歳の頃は、ミカエラと同じくらい。背丈も、きっと同じくらいだろう。
腰まで届きそうな、くすんだベージュ色の長い髪。前髪の一部には、鮮やかな緑のメッシュ。何かの花を模した髪飾りと、白い襟が付いた緑のワンピースの裾が、微かに風に揺れている。眠っているのか、安らかな顔付きで目を閉じる彼女の顔には、木漏れ日がいくらか差し込んでいて幻想的な雰囲気さえある。その腕の中には分厚い、どこか見覚えのある装丁の本が抱えられている。お人形さんみたい、という感想がふっと頭に浮かんだ。
一枚の絵画のような景色に、思わず小さなため息が出る。生きているのか、生き物でないのか、何とも言えない不思議な感覚。しばらくその少女を見ていると、不意にパチリ、と少女の眼が開いた。眠そうな半眼の、深い黄玉色の瞳と目が合う。彼女は目の前で枝に跨る俺を上から下まで眺めて、こてん、と小さく首を傾げた。
「……見覚えのない顔に、服。珍しい、あなた、外の人?」
その滑らかな静音が目の前の少女の声だと気付いたのは、一拍の間を置いてからだった。
「あ、うん、えっと。私、ミカエラです。あなたは?」
「……カノン」
無駄のない、短く端的な応答。言い換えると、素っ気なくとっかかりのない反応。なんとなく離脱のタイミングも逃してしまったような感覚で、しばしの無言が訪れる。何か話さなければ。胸中に謎の焦燥感が広がり始める。
「ええっと、カノン……ちゃん。は、ここで何してるの?」
「私は、ここで休眠中」
焦燥感に煽られるまま放った言葉に、またも少女、カノンは端的に答える。休眠。昼寝だろうか?俺の推測の答え合わせと言わんばかりに、カノンが小さく欠伸をする。昼寝だな、多分。
——なんていうか、変わった雰囲気の子だな。
でも、何だろう。このマイペースさは、何となく覚えがあるような気がする。
俺は適当に手を伸ばして鮮緑の丸い木の実をもぎ取ると、ナイフを抜いて半分に切って片割れをカノンに差し出した。カノンは俺と差し出された木の実をしばらく見比べて、こてん、再び小さく首を傾げる。
「半分どうぞ。寝起きのおやつだよ」
「……ありがとう」
カノンが果実を受け取って、小さくかじる。俺も、いつも神樹様の恵みをかじっていた時のように、木の実に勢いよくかじりつく。口の中に爽やかな香りが鼻を抜けて、微かな甘みと清涼感が広がる。これは、神樹様の恵みには及ばないながら美味しい木の実だ。
「私は、大母の御厨でやってるっていう豊穣の乙女の資格審査?に参加しに来たんだけど、カノンちゃんは?」
「手伝いのない十を超えた里の子供は強制参加だから来るだけ来た。……けど、別に興味がないから適当に時間を消費している」
へぇ。マルベルの話だと、里の女の子はこのために料理をするとか言ってたけど……。まぁ、興味がない子くらいいるか。
「ミカエラは、豊穣の乙女になりたいの?」
「うん?いや、別に。でもまぁ、美味しい料理には興味があるから、やるだけやってみたいかな?」
美味しいは正義だ。この世界で生活する中で常々感じることだが、美味い食事というのは毎日を頑張る気力に直結している気がする。先日のゴルドラビットのシチューとか絶品だったし、更に前にドナールで飲んだブドウジュースも、よく覚えてないけどすごく美味しかった覚えがある。ミカヅキの頃は三食インスタントなんてザラだったから、人生かなり損していた気がする。
「美味しい料理……」
カノンが、小さく呟く。
「うん。美味しい料理。美味しいものを食べると、元気になるっていいますか。頑張ろうって感じになるなぁって」
「ふふっ」
そこで初めて、カノンが小さく笑った。
「ううん、前に……同じようなことを話しているのを、聞いたから。懐かしくて」
抱えている本の表紙を愛おしそうになぞりながら、カノンが呟く。カノンは、ひょい、と軽々しい動作で枝の上に立つと、背伸びして一際鮮やかな緑の果実をもぎ取って、俺に差し出した。
「お礼。……あと、とびきり美味しいもの、教えてあげる」
「そりゃあ、嬉しい限りですね。よろしくお願いします」
俺は、カノンから木の実を受け取って、同じように枝の上に立ち上がった。
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不安に思われる方、おられると思うので先に言っておくと、私この話はどれだけかけても最後まで書きたいと思ってるので更新が止まることはないですよ。……ストーリーが思い付かないとちょっと長期間休載はするかもしんないですけど。