51:アニマ・ツィティア
51話です。お楽しみください!
ちゃぷ。ちゃぷ。
耳元で心地良い水音。全身を温かい何かが包み込んでいて、気持ちいい。暖かな春の小川を流れる小さな花弁にでもなったかのような、不思議な心地良さに身を委ねる。
——ここ、どこだっけ。わたしは……
ぼんやりとした頭に、そんな声が浮かぶ。その言葉に対する答えを思い出そうと試みて、俺は頭に掛かっていた霞を振り払った。
目を開ける。仰向けに見上げた空は、白とも黒ともわからない不思議な色彩。身体を起こそうとすると、両腕を何かに拘束されていることに気が付いた。振り解こうと身体を捩ると、耳元で『んっ』とくすぐったそうな声。そこで初めて、俺は自身の両腕に抱き着く2人の少女を認識した。
双子、なのだろう。左右に見えるその姿は、鏡写しのようにそっくりだった。
純白の髪。儚げな眉。透き通るような白い肌。顔立ちは、神樹様の上で謁を賜った命の女神をそのまま幼くしたように見える。彼女らは、何の汚れもない白の衣を纏い、俺の腕に抱きついて眠っていた。
俺がなんとか体を起こすと、双子はぱちりと目を覚ました。どちらが先ともなく、四つの眼がまっすぐに俺の顔を見つめる。その金色の瞳が帯びるのは、間違えようもない確かな神性。人ならざる超越存在の、荘厳な気配だ。俺は、この双子が何かしらの神であることを確信した。双子神はしばらく俺を見つめたかと思うと、すぅ、と大きく息を吸い込んで——
——俺の薄い胸元に、顔を埋めた。
2人分の重みで、俺はそのまま柔らかい地面に背中から倒れる。
『……命の愛子。もう少しだけ』
『……命の愛子。あと十分……』
「いやなんでだ」
思わず声が出る。双子に対して一瞬感じた荘厳な雰囲気は、もはや完全に霧散していた。そこにあるのは、ただ母親にでも甘えたがる少女の姿が二つだけである。
心を鬼にして強引に双子の腕から逃れると、双子はやや不機嫌そうな顔したが、その表情はすぐに落ち着いた……というより感情の薄いものに変わる。何にせよ、荘厳な雰囲気が少しだけ戻ってきた。
俺がその場で正座をすると、双子も同じように正座する。静かな時間。改めて周囲を見回すと、ここは以前にも来た意識の空白地だということがわかる。しかし、少し様子が違う。白とも黒とも言えない不思議な遠景は相変わらずなのだが、その下に広がる景色は前とは似ても似つかないものだ。
地面……だと思われる下側には見渡す限り透明な水面が広がっていて、俺たちはその中にぽつんと一つ浮かぶ大きな蓮の葉のようなものの上にいた。
『……命の愛子』
『……命の愛子』
重い口調で、双子が口を開く。
『……この姿勢、足が痛い』
『……足、崩してもいい?』
……いや、なんでだ。今の、絶対盛大に何かが始まる雰囲気だっただろ。俺は何とも言えない微妙な気分をなんとか押し込めて、「どうぞ」と短く応える。
双子は、ホッとした表情で足を崩した。双子はしばらく足の痺れと格闘したあと、姿勢を正した。心なしか、周囲の空気もピンと張り詰める。先ほどまでの姿を見ていなかったとしたら、まさしく神と言われて納得の雰囲気である。
『さっきのこと、気にしないでほしい』
『母様の力が久々で、少し取り乱した』
「あぁ、いえ……。えっと、あなた方は……?」
問うと、双子は微かに笑った。
『あなたは私たちを知っている』
『私たちもあなたを知っている』
知っている、と言われ、俺は内心で首を傾げる。面識は、無いはずだ。ミカヅキとしては確実に。ミカエラとしても、きっと。そもそも、こんな双子、一度見たら忘れられない。
……いや。実の所、心当たりはある。
双子の女神から感じられるのは、命の女神に近しい、優しい力。命の女神に縁を持つ双子の女神には、一つしか心当たりがない。
双で一の女神。命の女神の涙から生まれた、小さき滴の導き手。
「あなたたちは……アニマ・ツィティア、でしょうか」
俺の答えに、双子は満足そうに頷いた。
『我らは女神。双の天涙』
『我らは女神。導きの雫』
ふわりと、双子が宙に舞う。慌てて立ちがあると、俺の身体も同じように浮きあがる。すると、先ほどまで俺たちがいた蓮の葉が溶けるようにして消える。
水面に残された波紋の中に、誰かの記憶が写り込む。目を凝らして見ると、それは、先程見たアリアの……聖女の使命を押し付けられた、たった一人の女の子の原風景だった。
『あの日、あの子の儀式は終わらなかった』
『あの子は私たちの下に辿り着けなかった』
儚げな表情で、アニマ・ツィティアが言った。
「それは……どういう」
彼女らの言葉の意味が読み取れない。聞き返すが、それには答えてくれないらしい。双子神は互いの手をそっと合わせる。眩い光が辺りを包み、俺は思わず目を瞑った。光が収まったのを感じて目を開けると、アニマ・ツィティアの掌の上では、眩い光を閉じ込めた拳大の雫が微かに揺れていた。
『あの日、あの子に授けられなかったもの』
『あの日、あの子が授かるはずだったもの』
双子神は愛おしそうに雫を見下ろして、そっと、雫を俺の方に押しやった。雫は女神の手を離れ、ゆらりと俺の目の前にやってくる。それを両腕で抱え込むと、これまでに加護を授かった時とは違って、この加護が「俺ではない誰か」の物であることがひしひしと伝わって来る。
これは、アリアの力だ。アリアが受け取るべきだった、加護の力だ。そう認識すると同時に、辺りの景色が白みはじめる。この感覚には覚えがあった。目が覚めてしまう。
慌てて顔を上げた時には、双子の姿はもうどこにもない。
『導きの一雫を、あなたに託します』
『どうかあの子に、届けてください』
目覚める直前、その言葉だけが心に響いた。
目が醒めると、そこは孤児院の一室だった。昨晩、ミラと二人で泊まった部屋だ。違うのは、近くには誰もいないということ。衣装掛けにはミラの上着もないので、恐らくはもう下で働いているのだろう。しかし、何だろうか。何となく胸がざわつく。
魔力的にあまりよくない気絶の仕方をしたからだろう。体がずしりと重い感じがする。別に動かないと言うほどではないが、不快な感覚には違いない。
「アステラさんに、何かいい薬でも処方してもらおうかな」
そんな風に考えて、俺は食堂へと向かった。
食堂に着くと、アステラがいつも座っている机で、彼女とヴィスベルが話しているのが見えたのでそちらに向かう。
「あぁ、ミカエラちゃん。目が覚めたんだ」
「ミカエラ、もう平気なのか?」
声をかけると、二人は心配と安堵が入り混じった表情でこちらを見た。随分心配をかけてしまったらしい。
「はい、おかげさまで。まだちょっと怠い感じですけど、平気です」
とん、と胸を叩いて宣言すると、二人はようやく安心したらしい溜め息を吐き出した。
「……ところで、アリアさんに話があるんですけど……」
聞くと、微かに緩んでいた二人の顔付きが、険しい物へと変わった。何だか嫌な予感がする。
「……実は、昨晩からいないんだ。夜に少し約束をしたんだけど、それもすっぽかしてどこかに行ってしまったみたいで。今、手の空いてるプリースト達に言って孤児院の中を探してもらってるんだけど、どうにも見当たらないらしくてね」
視線を落とし、アステラが呟く。明らかに沈んだ声音。アステラはアリアと長い付き合いのようだから、余計に心配なのだろう。落ち込んだアステラの言葉を、ヴィスベルが引き継ぐ。
「それで、今も話していたんだけど、僕とミカエラ、あとミラで外の方も探しに行こうって話になってたんだ。……そういえば、今日はミラは一緒じゃないのか?」
「私が起きた時には居ませんでしたよ。上着もなかったし、もう仕事に向かったんじゃないかな?」
「そうか。確かに、あの子は頑張り屋さんだものね」
しみじみとした様子でアステラ。ミラは一日中孤児院で仕事を手伝っていたようだから、どこかで接点があったのかもしれない。ミラが上手くやっていたらしいことが伺えて、少し嬉しい。
しかしまぁ、アリアを探すだけなら、何も必ずしもミラを連れて行かなければならないということもないだろう。高位の神からの加護のおかげで特別な魔導具がなくとも平気だというのは、彼女自身も言っていたし、大神の加護を持つ俺とヴィスベルなら多分、病魔に侵される心配もなく街中を歩ける筈だ。……火の大神の加護、原初の種火を持っているフレアが倒れてしまっているから油断はできないが……それこそ、ヴィスベルと俺ならどちらが倒れても二人同時に倒れない限りは帰って来れる。
「ちょっと探しに行くだけなら私とヴィスベルさんだけでも大丈夫だと思います。ね、ヴィスベルさん?」
ヴィスベルの方を伺うと、彼は力強く頷いてくれる。
「そうだね。それで、僕らはどこから探せばいいかな?」
ヴィスベルが聞くと、アステラはふむ、と少し考えてから、ひとまずは教会かな、と口を開いた。
「……あの子、昔から何かあると礼拝堂に引きこもる子だったから。そこに居ないとなると……うん、その時は一旦戻って来て欲しい。アリアが戻ってきてるかもしれないし……最悪、浄化するだけならわたしとプリースト達でもできるから、その手伝いをしてもらいたい」
「それじゃ、決まりですね!そうと決まれば善は急げです、サクッと行ってきましょう、ヴィスベルさん」
「あぁ。……ミカエラ、一応魔導書と短剣は持ってきてくれ。何もないに越したことはないけど、何かあるかもしれないし」
一応、非常事態だものな。ヴィスベルの言も尤もだ。俺は大きく頷いた。
「分かりました。ヴィスベルさんは……準備万端ですね。私も整えてから向かうので、ヴィスベルさんは先に門の辺りで待っていて下さい。すぐ向かいます」
言って、俺は部屋に戻った。
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