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閑話:アリア・アレア

閑話……ですね。多分。ストーリーにちょっと絡んでくるタイプのお話です。

『ようこそ、人の子。我らの元へ』

『ようこそ、人の子。導きの泉へ』


『我らは女神。双の天涙』

『我らは女神。導きの雫』


『我らの加護を汝に授ける』

『我らの加護を汝に授ける』


『さあ、おいで。導きの一雫を、あなたにあげる』

『さあ、おいで。女神の道導を、あなたにあげる』


 夢を見る。

 忘れもしないあの儀式の日の夢。

 儀式の最中に見た白昼夢、だと思う。ふわりと笑った二つの影に近付こうとして、あたしは手を伸ばした。けれど、あたしの手が影に届く前に——あたしの目の前には、あのおぞましい大人たちだけがいた。


『さあ、アリア。君は誰の加護を賜った?』


 また、あの悪夢のような問い。あたしはまた、答えてしまう。そして、始まるのだ。本物の悪夢が。届きもしない聖女に届くための毎日が。だが、今日の夢は少し違った。おぞましい大人が消え去って、あたしは、今度はどこかの神殿に立っていた。



『その果実をお食べなさい、我が愛子よ。それは私の加護が形を成したもの。それを食べれば、貴女は私の加護を得ることができます』


 髪の短い少女が、真っ白な人影から、果実を賜っている。その人影が高位の女神であることは明らかだった。知らず、祈りを捧げてしまうほどに、その姿には神聖な気配があった。少女が果実を口にすると、少女が、聖女に変身した。迸る女神の力。あたしなんかでは届かない、命の力。それを受け取った少女は、気付けばヴェールのような艶めく白銀の長髪を靡かせて跪いていた。神話を切り取ったかのような光景に、思わずため息が出た。


『もう時間のようです。それではミカエラ、貴女が私の加護のもと、その生命を明るく灯すことを願います』


『——全ては我が母なる女神様の御心のままに』


 これでは、勝てるはずがないじゃないか。


 あたしには、呆然と見ていることしかできない。文字通り、格が違う。大神から加護を授かった本物の聖女と作り物のあたしでは、比べようもないではないか。


『——もっと早く、この力が手に入っていれば……』


 ノイズが走る。その歪な声に、あたしは我に返った。気付けば、そこに神話の景色はなく、白とも黒ともつかないどこかの景色へと変わっていた。


 そして、目の前には知らぬ人影。聖女とは似ても似つかぬ黒い髪の男。半分消えかかっているように見えるその男をもっとよく見ようと意識しはじめて——



 ——アリアは、ハッと目を覚ました。



「——今、のは……」


 アリアの頭の中に巡るのは、少女が女神から果実を授かる一部始終だ。その少女が本物の聖女(ミカエラ)である事を、アリアはすぐに理解した。


 ——本当に、僕らに必要な聖女は君なんだろうか?


 マルバスに来る少し前に言われた言葉が脳裏を過る。きっと、彼らに必要なのはミカエラだったのだろうと、アリアはぼんやりと考えた。


「……ここは、孤児院の部屋……?」


 ここに来て、アリアはようやく自身の現在地に気が向いた。アリアはここに至るまでの経緯を思い出そうとして、自分の記憶が蔵の中で途切れていることに思い当たる。体を起こしてみると、着の身着のままで寝かされていたことから、アリアは、そのまま蔵で倒れてしまって部屋に担ぎ込まれたのだろうと予想を付ける。外を見ると、冷たい月が部屋の中を薄く照らしている。


「……消えてしまいたい」


 ぽそり。小さく零れ落ちた言葉が、彼女の心情を物語っていた。アリアはベッドの上で小さく体を縮めた。


 そのまま、どれくらいが経過したか。気分の落ち込みがひと段落したアリアは、自身の喉の渇きに気が付いた。このまま朝まで耐えることくらい、彼女が幼少期に受けた苦行に比べれば幾分かマシであったが、アリアは何となく、部屋を出て食堂に向かった。


 深夜の孤児院は静かなものだった。窓から差し込む微かな月明かりだけが光源で、誰もが寝静まっている。まるでこの世界に1人だけになれたような、そんな錯覚に陥ってしまう。


「……食堂じゃなくて、井戸水にしようかしら。ここの井戸水は、まだ病魔に侵されてはいないはずだし……」


 何となく、このひとりの時間をすぐに終わらせるのを勿体無く感じて、アリアは孤児院の外に向かう。


 外へ出ると、冷たい風がアリアを出迎えてくれた。元々教会が設置していた結界をアリアとアステラが補強しただけあって、孤児院の周りは比較的平常時に近い気配を保っている。尤も、平常時のマルバスを知らないアリアにとっては、今の街中と比較する事しかできないのだが。どちらにせよこの空間は病魔に犯されきっていないということは確かだ。アリアは井戸に向かうと、水を汲み上げて一口啜った。何となく感情が和らいだ気がした。


「やぁ、アリア」


 心の中で何かが解けるような、フワフワとしたような感覚にアリアが身を任せていると、背後から誰かの声が響いた。アリアがびくり、肩を竦める。


「っ、アステラ?びっくりさせないでよ」


「ごめんごめん。でも、こんな時間にこんな所にいるからさ」


「それはあたしのセリフじゃないかしら。随分遅くまで起きてるのね」


「誰かさんが起きだしたのが分かったからね。

 ……何かあったの?アリアが倒れるなんて、らしくないじゃない」


「……あたしも、何が起こったのか。あの子が祝詞を唱えて、それで……。ねぇ、アステラ。変なこと聞くけど、もしあたしが本物の聖女じゃないって言ったら、どう思う?」


「何言ってるのさ。本物の聖女もなにも、教会が定めた聖女はアリアじゃないか。……それとも、例の『聖水の聖女』のことをまだ根に持ってるの?」


 聖水の聖女。素性も、姿も、何もかもわからない存在。数ヶ月前、『勇者の聖装』を作るために、教会はレーリギオンの各地から光属性の魔力で染め上げた素材を集めた。そうして集められた素材は玉石混交だったが……まさに、その中にあった『玉』が問題だったのだ。


 これは元々、玉石混交の素材からより良い素材を選りすぐり、それをアリアの儀式によって更に品質を上げることで最高の武具を作り出すことを目的に行われた依頼だった。しかし、実際に集められた素材に紛れ込んでいた『玉』は、アリアが手を加えるまでもなく、聖装の素材として完成していたのである。


 その素材を齎したのと同じ工房から届いた『ただ染められただけの霊水』が、教会で製造販売している最高ランクの聖水に匹敵する効力を持っていたことから、その素材を染めた誰かは、誰が呼び始めたか『聖水の聖女』と呼ばれるようになった。


 アステラは、アリアがその聖水の聖女に対して並々ならぬ感情を抱いている事を知っていた。他ならぬアリア自身に相談されたのである。アリアは小さく首肯した。


「やっぱり、考えてしまうのよ。あたしが聖女でいる事が正しいのかどうか」


「……それが、今回君がヒイロ君と距離を置こうと思った原因?」


 図星を突かれ、アリアはうっと息を飲む。マルバスへの救援を一も二もなく受け入れたのは、聖女である自分の力が必要だという使命感以上に、ヒイロから……教会が定めた『勇者』から離れたいと、そう思ってしまったことが大きい。むしろ、離れるための口実を探していたくらいだったのだから。


「……昔から、アステラには隠し事できないわね。ええ、そうよ。ヒイロと……勇者と一緒にいるべきなのはあたしじゃないのかもって」


「……少し、散歩しようか。ここだと誰が聞いてるか分からないし」


 ちらりとアステラが目をやった先には、夜間の巡回をしているプリーストが見える。事態が事態だけに、ああして結界に綻びが無いかを定期的に確認しているのだ。病魔は非常に強い呪いを振りまくが、ほんの少し散歩するくらいなら影響も少ない。命の眷属神の加護を持つアリアはもちろん、アステラであっても魔導具を装着すれば、数時間程度であれば無理なく活動できるだろう。


 下手にプリーストの耳に入ってもいけないと考えて、アリアはアステラの提案に頷いた。


「わたしはアリアと違って外に出るには魔導具が必要だから、先に門の所で待ってて。部屋から取ってくる」


「分かったわ。ごめんなさいね、明日も忙しいのに」


「明日も忙しいのはお互い様でしょ。それに、アリアには病魔を祓うっていう大切な仕事があるし。アリアがゆっくり休めるようにするのはわたしの役目だよ。……それじゃあ、ちょっと行ってくる」


 アステラを見送って、アリアは再び、井戸水を汲み上げた。冷たい水が、身体中に染み渡る。アリアは、ふらりとした足取りで、孤児院の外門へと向かった。



 アリアが外門に辿り着くと、そこには既にアステラが待っていた。


「やぁ。行こうか」


 短い言葉に頷いて、アリアはアステラに続いて外に出た。


 暗い、静まり返った街中に二人分の足音だけが響く。夜間は昼間よりも病魔の魔力が活性化するため、足元に立ち込める瘴気の霧は昼間と比べても随分と濃い。しかし、濃いとは言っても、強力な命の魔力を持つアリアと専用の魔導具を身に付けたアステラにとっては、それこそ心地良い夜霧と変わりはしない。


「あたしはさ。あの日からずっと、本物の聖女になるために生かされてた。神の家の、他のみんなと離されて、何時間も聖書を読んで、難しい祝詞を覚えて。マナーも厳しく躾けられたし、大人ばかりの社交界にだって、何回も連れて行かれたわ。魔法だって、先代の聖女を筆頭に、教会の名のある魔導師達に教えられた。できるまで、何度も、何度も」


「知ってるよ。君は誰よりも頑張っていたし、誰よりも聖女に相応しい。君の努力は結ばれてる」


 心地よい言葉。欲しかった言葉。アリアは僅かに頬を緩めたが、頭に浮かぶのは、ヒイロの言葉だ。


『本当に、僕らに必要な聖女は君なんだろうか?』


「……そんな風に、ヒイロに言われたの。あたしは……言い返せなかった。だって、作り物なのよ。神話や、おとぎ話に出てくる聖女様じゃない。あたしは、そういう風に作られただけ。


 ……ヒイロの言葉が正しいんだって、あの子を見て思ったわ。なにもかも違うのよ。私の感じたことのない女神の加護、あたしなんかではとても及ばない底なしの才能。あたしの乱れた魔力に、あの子はぴったり同調させてきた。


 長年研鑽を積んだ魔導師でも、見ず知らずの他人と魔力を同調させるのは難しいのよ? あたしだって、血の滲むような努力をして、やっとできるようになったのに。きっと、あの子が本当の聖女だったんだわ。あたしは、偽物だった。偽物が、本物の居場所を奪っていただけ。そのくせ、自分の居場所がなくなるって言って、今も心を乱してる。


 あたしが積み上げてきたものって何なの?急に出てきたあの子が、なにもかも横から奪っていけるような軽々しいものだったの?あの子がいなければ……いいえ、あたしがいなければ。最初から交わらなければ、こんな事、考えなくてよかったのに。


 ……聖女失格よね。今も、自分の役割よりも……自分のエゴの事しか、頭にないんだから」


 自分の思いの丈を吐ききって、アリアは恐る恐る、アステラの方を見た。もしかしたら、幻滅されたかもしれない。嫌われたかもしれない。しかし、それでもよかった。アステラは唯一、聖女ではないアリアを見ていてくれる。アステラはアリアにそっと微笑んで、


「君は誰よりも頑張っていたし、誰よりも聖女に——」


「——さん!アリアさん!」


 アステラの言葉を遮って、誰かの言葉が響いた。アリアが驚いて振り返ると、そこにいたのは、 肩にかかるローズブロンドの髪を小さなバレッタで留めた、紅深緑眼(ヘテロクロミア)の少女。ミラが、慌てた様子でアリアの元に駆けてきた。


「あなた……どうして」


「どうして、は私のセリフだよ……。風に当たりに庭に出たらアリアさんが()()()外に出る所が見えて、それで、私……。なのに、アリアさんってば、ずっと話しかけてるのに独り言喋ってるんだもん……」


「え……?」


 一人。そんなはずはない。だってさっきまで、たしかにアステラがとなりに——


 ミラの言葉に、アリアは慌ててアステラの居た方を向く。しかし、そこには虚空が広がるばかり。人が居た形跡は、どこにもなかった。


「そんな……あたしは、確かにアステラと……」


「アステラさん?アステラさんなら、さっき私が庭に出る時にすれ違ったけど……きゃっ!?」


 その時、強い風が吹いた。濃密な瘴気を孕んだ、禍々しい風。アリアは嫌な気配を感じて、腰に差していた短杖を引き抜いて風の源を見た。


 果たして、そこには大きな体躯の人影が立っていた。全身を覆い隠す漆黒の外套の内側からは瘴気が漏れ出し、その手には大きな鎌を思わせる大杖。そして、その顔は、大きな嘴が特徴的な烏のような意匠のマスクで覆われていた。


 そのあまりに異様な気配に、アリアとミラはすぐさま身構えた。


「お嬢さん方、そう警戒なさらないで。ワタシは怪しいモノではございませんよ」


 ひび割れた不気味な声。薄ら寒い感覚は、周囲に満ち始めた瘴気によるものだけではないだろう。アリアは魔力を回し、杖に力を込めた。


「《ホーリーブレス》」


 アリアとミラの周囲を、薄い銀白色のベールが覆う。あらゆる攻撃や呪いから身を守り、内に存在する者の能力を強化する神性の護り。教会でも聖女と教皇にのみが継承してきた秘術である。……しかし、そのベールはすぐに輝きを失って、空に溶けるようにして消える。


「っ! どうしてっ!?《ホーリーブレス》!」


 アリアは再度魔法を使おうとしたが、今度は発動すらしない。魔力を回そうとすると、ずくずくという疼痛が全身に走り、アリアは思わず膝をついた。


「これは……まさか、呪い……?!」


 幾度となく、処置した街の住人や修道騎士から聞いていた症状だ。しかし、今マルバスに満ちる病魔には、アリアを蝕むような強力な力はなかったはず。戸惑うアリアに対し、烏面の影はくつくつと不快な声で嗤った。


「ええ、ええ。我が子の呪いはしっかりとあなたを蝕んでくれたようで、ワタシとしても鼻が高い。いくら命の神の加護を持つ聖女でも、内から蝕む呪いには敵わなかったようですね?」


 内から蝕む。一体いつ?


 鈍い頭で逡巡したアリアは、先ほど飲んだ井戸水の違和感に思い当たった。


 あの水を飲んだ時に感じた感覚は、思い返せば病の熱に浮かされた時のそれと同じ。一度意識してしまえば、その内から蝕まれる感覚は一層はっきりとする。


 アリアは自身の迂闊さを恥じると同時に、目の前の存在に脅威を感じた。ただの病魔なら、大したことはない。多少レアではあるが、まだ年に数回は報告される災害だ。だが、それを操る存在がいたとしたら。


「……あなたは逃げて。このことを皆に伝えて!」


 アリアは脱力したがる体に鞭打って、ミラに呼びかける。アレは、これまでの教会史に残る大災害レベルの存在か、あるいはもっと脅威的な存在かもしれない。それこそ、『勇者』の力が必要となるレベルの脅威たり得る。どちらにせよ、今の人員では対応できない公算は大きい。


 しかし、アリアの呼びかけに反して、ミラが取った行動は、アリアと烏面の影との間に割って入る事だった。


「あなた、何を……!」

「アリアさんを置いて行くなんてできないよ。……ミカだって、ミカヅキだって、みんなきっとこうする。だから……。《ソード》!」


 力強い詠唱と共に小さな結晶が舞い、ミラの手に翠の透剣が形作られる。ミラは烏面の影を睨み付け、その剣を両手で構える。


「フフフ……。威勢の良いのは好ましい。ですが、そちらの聖女の言う通りでしたね。そのちっぽけな力では——」


 す、と。烏面の影が手をかざす。その動きに嫌な予感がしたアリアは慌ててミラを突き飛ばそうとして、


 二人は、屹立した瘴気の黒柱に呑み込まれてしまった。


「せいぜい、ワタシの病魔の糧となりなさい、人間」


 誰もいなくなった路地で、一つの影だけが小さく嗤った。

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