49.聖女とミカエラ
頭が痛い。胸が苦しい。何だか暑苦しいような気がする。寝苦しさを感じて、俺は重い瞼を開いた。見覚えのない天井が目に入る。腰の下に感じる感触的に、どうやらベッドに寝かされているらしい。
窓から差し込む日の角度から考えると、今の時間は早朝だろうか。
「いつ寝たんだっけ……」
どうにも意識がはっきりしない頭でなんとか記憶を辿る。
——昨日の晩は、マルバスに着くなりカウルとフレア、ジョナサンが倒れ、それを助けてくれたアリアとアステラから事情を教えてもらって、俺たちの魔力を調べ、それから聖水作りの手伝いをすることになって——
そこまで辿って、その先の記憶が無い。最後に覚えているのは、ひたすら魔力結晶に魔力を注いでいた所までで、そこからこのベッドにやってくるまでの記憶はどれだけ思い出そうとしてもちっとも思い出せなかった。胸のあたりに魔力切れで気絶した時の独特な感じが漂っているから、おそらくは魔力切れで倒れてしまったのだろう。
とすると、ここまではアリアが運んでくれたのだろうか。まだぼーっとする頭に左手を当てようとして、俺は自身の左手が動かないことに気が付いた。より正確にいうなら、柔らかみと暖かさのある何かに包まれている。
これは何だろうと手を動かしてみると、肩の辺りで「んっ」という、くすぐったがるような声。
無論、聞き覚えはある。左肩の方に目を向けると、気持ち良さそうに眠るミラの顔が見えた。少し視線をずらすと、俺の左手は彼女が大事そうに抱えているらしいことが伺える。……掛け布団があるから、残念ながらその全貌を伺うことはできないが。
これは一体どういう状況なんだろう、とミラの寝顔をしばらく眺めていると、ミラが僅かに身じろいでゆっくりと目を開けた。まだ少しとろんとしている赤と緑の双眸と目が合う。
「えっと……おはよう、ミラ」
「ミカっ!」
俺が声を掛けるとミラが慌てたように跳ね起きたので、俺も身体を起こしてミラと向き合う。俺もミラもインナーウェアだけで眠っていたようで、真っ直ぐ向き合うとミラの白い肌が目に入ってきた。
見慣れないそれにちょっとばかりの羞恥心と罪悪感が湧いて、俺は思わず目を逸らす。逸らした先にはミカエラの肌が見えたが、こっちは見慣れているからか何も思う所はない。
「目を覚ましてくれてほんとによかったぁ……。アリアさんがぐったりしたミカを背負って帰って来て私、すっごく心配したんだから!」
「それは、なんていうか……ごめんね」
どうやらかなり心配させてしまったらしい。心の底から謝ると、頰を膨らませていたミラは大きく息を吐き出して、俺の胸元にがばりと抱き着いてきた。
ミラも心細い思いをしていたのだろう。そっとその肩を抱いてやると、ミラが小さく嗚咽する声が聞こえた。ミラが泣き止むまで、俺はその背をさすり続けた。
ミラが泣き止んでから、俺たちはベッドから出た。朝方の清々しい涼風が、火照っていた体をすっきりさせてくれる。
俺は自分の身体に洗浄魔法《清めの風》を掛けて、ついでなので衣類掛けに掛かっていた服の方にも清めの風をかけて着替える。離れたところでは、顔と目元を赤くしたミラも同じように洗浄魔法を使っていた。
まぁ、ミラが使っているのは古式魔法の方だから俺の使ってるのとは違うけどな。一応効果の程に差は無いらしい。
着替え終わった俺たちは部屋を出て、とりあえず食堂へと向かうことにした。
食堂に着くと、今日は随分と人が少なかった。白い服のプリースト達が何人か固まっているが、その中に見知った顔はない。
ミラと二人してどうしようかと立ち竦んでいると、ポン、と肩を叩かれた。そちらを見ると、アステラがにこりと笑って俺たちを見下ろしている。人見知りのミラが、慌てたように俺の背後に隠れる。まぁ、体格的に完全に隠れられはしないんだけど。
アステラは「驚かせちゃったかな」と茶目っ気のある笑みを浮かべると、「おはよう、二人とも」とにこやかに言った。それに対して俺も「おはようございます」と応じる。
ミラはちょっと驚いてしまっているようで、少しおどおどした様子で小さく頭を下げる。アステラはそれを微笑ましそうに見る。妹か何かを見ているような、そんな目だ。
「ミカエラちゃん、昨日はお疲れ様。完成した聖水を見たけど、中々の出来だったよ」
「ありがとうございます」
「ミラちゃんも、昨日はお手伝いありがとう。凄く助かったよ」
「えと、はい……。錬金術も、少しだけならミカヅキに習っていたので……。役に立てたなら良かったです」
おっかなびっくりという様子でミラが言う。ていうか、そのミカヅキさん錬金術もかじってたんだ。魔法とか神話とかに明るいらしいことは聞いてたけど、錬金術までできたのか。
まだ見ぬミカヅキさんのスペックに感心していると、俺の隣でくぅ、と可愛らしい音がした。見ると、ミラが顔を真っ赤にして俯いている。
まぁ、ミラも育ち盛りだからな。そう思って恥ずかしがるミラを微笑ましく眺めていると、再び小さな腹の虫が自己主張をした。……今度は、俺のお腹の方から。……まぁ、ミカエラも育ち盛りだからな!
そう誰かに弁明するも恥ずかしい事には変わりなく、俺は無言でミラやアステラから目を逸らした。
くすり、アステラが小さく笑う。
「お腹、空いたよね。朝食、わたしもまだなんだ、一緒にどう?
パンとスープの質素な食事しかないけど」
アステラのその提案に、俺たちは黙って頷いた。
食堂の奥で調理と配膳をしていた人からパンとスープを受け取って、俺たちは空いている机に腰掛けた。
ここはこの町の教会が運営する孤児院らしく、今は大勢の寝泊まりと食事の用意ができるということで拠点にしているらしい。
「この食事は孤児院の人が用意してるんです?」
「いや、孤児院の職員も教会の人間も全員病魔に侵されているから、彼らもわたし達と一緒に来たプリーストだよ。
……わたし達教会の人間ってしょっちゅう孤児院の炊き出しなんかに駆り出されるからさ。ちょっとした料理くらいなら誰でもできるんだ。今回はこの町に来たことのあるプリーストが何人かいたから、その人達で料理番を回してもらってる」
「へぇ……」
俺はアステラの話に相槌を打ちながらちぎったパンを口に放り込み、緑色のスープを見下ろす。ポーションに似た薬草の香りが匂い立つスープは、食べ物というか何かの薬品に見える。アステラは美味しそうに口に運んでいるけれど、何となく食べるのに抵抗があった。
……少し前にカウルが嬉々として語ってくれた「不味いポーションスープ」の話が頭を過る。
昔カウルが一人旅をしていた時の話で、どうしても近くに水がなくて携帯していたポーションで魔物の肉を煮たというバイオテロスープの話だ。
よりにもよってスープを飲んでいる時にその話を詳しく語りやがったものだから、思わずそのスープを残してしまった苦い思い出である。ミラもその時の話を思い出しているのか、少し引きつったような笑みを浮かべている。
「スープ、飲まないの?」
こてん、と無垢な笑顔を浮かべ、アステラが言った。あぁ、そんな風に言われて、どうして飲まないことができようか。俺は意を決して、スープを少し、スプーンで掬う。濃厚な薬草の匂いが鼻につく。……これはダメかもしれない。心が折れそうだ。
「うー……。えいっ!」
スープを前に尻込みをする俺の隣で、ミラが漢気たっぷりにスープに口を付ける。俺は横目でミラの様子を窺った。
ミラは最初怯えたようにきつく目を閉じていたが、スープを口にした瞬間驚いたように目を見開いた。
「わ、これ結構美味しい」
言うや否や、ミラが二口目を口に運ぶ。良かった、どうやら食べられないようなものではなかったらしい。
ミラにならってスープを口にすると、口の中いっぱいに爽やかな薬草の香りが広がって、続いてすっきりとした清涼感が広がった。ほんのりとした野菜の甘み。チーズか何かの優しい風味に、辛すぎない程度の薄い塩味。身体の奥に染み込んでくるような慈みの味だ。
「ほんとだ。薬草の匂いがするからどうかと思ったけど、普通に美味しい……」
俺が言うと、アステラはふふ、と嬉しそうに笑った。
「わたしが考案した薬草のスープ、結構美味しいでしょ」
「はい。それに、何といいますか、疲れた体に染み渡るというか、身体の奥に染み込んでくるっていうか……」
「ミカエラちゃんは、昨日魔力切れになったから余計だろうね。そのスープにはマナ・ポーションに使われる薬草数種類や、病魔の退治に使えない低級の聖水を配合してあるから。
……プリースト達も魔力の消耗が激しいから、こういう形でちょっとでも改善しようと思ってね」
なるほど、滋養食、という奴か。二口、三口と口に運んでいると、寝起きから感じていた胸のあたりのぐるぐるした感じがどんどんなくなっていくのがわかる。これなら、今日の聖水作りは倒れずに終えられそうだ。
「……そうだ、アリアさんはどちらに?昨日倒れてしまったので、謝りたいんですが」
「ん。アリアは、今朝は他のプリーストと一緒に町の人の問診中。力仕事ができるヴィスベル君にもついて行って貰ったから、多分もうすぐ帰ってくると思う」
「問診?」
「うん。今、病魔の影響をポーションとプリーストの魔法で抑え込んでいるんだけど、定期的に見て回らないと、人によってはすぐに弱ってしまうから。……それに、衛生管理もしておかないと別の病気も出てしまうかもしれないから、一日三回くらいに分けて見て回ってるんだ。その点、力仕事ができるヴィスベル君の協力はありがたかった。プリーストって、皆どうも非力だからね」
「力仕事、ですか?」
「うん、体を拭く水を汲んでもらったり、ここで作った食事を運んでもらってる。いやぁ、助かるよ」
ニコニコと笑うアステラだが、つまりヴィスベルは水汲みとか食事の運搬を長時間やらされてるってことだよな?
俺はヴィスベルが過労で倒れないか少し心配になりつつ、今度見かけたら優しい癒しの光でもかけてやろうと心に決める。
「……ああ、そうだ、ミカエラちゃんには後で上級マナ・ポーションを渡さないとなんだった。大事に使ってね」
アステラの言葉に、俺は思わず食事の手を止め、彼女の顔を見た。アステラは変わらない笑みでこちらを見ている。
上級ポーションは、その種類を問わず製造難易度も高ければ販売価格も、需要も高いという高い尽くしのアイテムである。そうおいそれと渡されて良いものではない。というか普通に対応に困る。
「かなり希少なものですけど、いいんです?」
「聖水を作って貰わないとだし、材料は二人が作ってくれた聖水だからね。……それに、ミカエラちゃんが頑張ってくれたら、アリアも少しは気が楽になると思うから」
そう言って、アステラは優しい微笑を浮かべた。せっかくだし、アリアの事でも聞いてみようかな。
「そうだ、アリアさんの事なんですけど……」
「ん、何かな?」
切り出すと、アステラは興味深そうに、かすかに目を細める。
「えっと、何だか急に話し方が固くなっちゃったのが気になるなー、と。本人には中々言い出せなくて……」
言うと、アステラは少し首を傾げた後、思い当たったらしく「ああ、なるほどね」と頷いた。
「多分だけど、あの子なりに、あなたに思う所があるんだと思う」
「わ、私、何か失礼でも……?」
アステラの言葉に、俺は戦々恐々となる。知らず知らずに失礼を働いてしまって、それでああなってしまったのだとすると申し訳なさすぎる。そう思ってヒヤヒヤしていると、アステラが小さく笑って否定してくれた。
「ごめんごめん、ちょっと言い方が悪かった。あなたが何かしたって訳じゃないよ。むしろ、あの子の……アリア自身の問題だから」
「はぁ」
その、イマイチピンとこないアステラの説明に、俺は小さく首を傾げた。
「二人は聖女についてどれくらい知ってる?」
急な話題転換である。まぁ、今切り出したということは何か意味があるのだろうが……。
しかし、聖女について、と言われると難しいな。ニュアンス的に凄い人だと言うのはなんとなく分かるのだが、具体的に何がどう凄いのかと言われると答えられない。こう言う時にカウルが居てくれると饒舌に話し出してくれるのだろうが……生憎、彼は今はベッドの上だ。それを聞くためだけに起こす訳にもいくまい。
「んー。そうですね、何だか凄そうな人だなぁ、みたいな感じです。ミラは?」
「私もそんな感じかな……です。あ、でも、一回新しい聖女さまが選ばれたら、その人が引退するまでその人しか名乗れない称号だって聞いたことはあるよ」
へえ、そんな扱いなんだ。ミラからアステラに視線を戻すと、アステラが頷く。
「まぁ、だいたいはそんな所だね」
アステラはそこで一拍置いて、カップに注がれたお茶で口を湿らせた。
「聖女っていう役職……まぁ、ミラちゃんが言った通り、今は称号の意味合いが強いけど、この聖女のルーツって二人は知ってる?」
俺とミラはアステラのその質問に顔を合わせて、揃って首を横に振る。俺に至っては神話や伝承には多少詳しくても、教会の話なんかは全然知らない。聖女の話なんて、これまでカウルに聞く機会もなかったし。
俺たちの反応に、アステラは少し苦笑したようだった。
「そっか。確かに、聖女の謂れについて教会以外の人はあんまり知らないよね。それじゃあ勇者アスラの伝説については?」
そちらについてはよく知っている。頷くと、アステラは今度はホッとしたようだった。
「命の女神様に使える巫女の話があったでしょう?勇者アスラを命の女神様の御許に誘い、その後の旅に同行した人」
思わぬところで思わぬ単語を聞き、俺は思わず身を乗り出した。知らない話どころか、俺は今代の命の巫女の妹だ。突然身近さを増したアステラの話に、次の言葉を聴き逃すまいと耳をそばだてた。
「あら、ミカエラちゃんはよっぽどこの話が好きみたいだね」
「えっと……まぁ、はい。地元で結構聞いた話なので」
「へぇ、そうなんだ。地元で、ね」
露骨に態度に出てしまったことを突かれて、少し恥ずかしい。とりあえず適当に誤魔化して、アステラに先を促した。
「話を戻すと、教会史上初めて「聖女」って呼ばれたのは、実はその命の女神様の巫女なんだ。
それからしばらくは、その命の巫女を指して聖女様って呼んでたんだけど、今は少し事情が違ってね。
その昔、魔の神の大厄災って呼ばれた時期があって……それは、話すと長くなるから今日は省いちゃうけど、その時に聖女様の力が必要になった。
でも、恥ずかしいことに教会は命の女神の巫女を探し当てることができなかったんだ。最初の聖女様はビスマルク地方、今の騎士国家に当たる所だけど、そこに骨を埋めた事は有名だったけど、どこで生まれ育ったかは終ぞ明らかにならなかった。
だけど、世界には聖女様が必要で、そこで教会は当時最も高位の命の眷属神から加護を授かっていたプリーストを「聖女」にして……それがうまくいったんだ。
以来、聖女は当代でもっとも高位の眷属神から加護を授かったプリーストに与えられる称号になったって訳」
「ってことは、アリアさんって凄い神さまから加護を受けてるってこと?」
ミラの問いかけに、アステラは小さく頷くことで肯定した。確かに、アリアの持つ魔力は非常に強力で、優しい力だった。触れた時間は僅かでも、それだけは何となくわかる。
「あれ、でも、それが何でアリアさんのあの態度に繋がるんです?普通に凄いねってだけの話なんじゃあ……」
「わたしもそう思うよ。でも、アリアにとっては少し違うみたい」
「それってどういう……」
詳しく聞こうとすると、アステラはそっと口元で人差し指を立てて片目を閉じた。
「これ以上は、わたしの口からは言えないかな。流石にアリアに悪いし。気になったなら、本人に直接聴くといいよ。真摯に聞けば、多分話してくれるから」
「う……。当人に直接聞きにくいからアステラさんに聞いたのに……」
思わず出てしまった恨み節っぽい言葉に、アステラはかすかに笑って首を振った。
「わたしにも友情ってものがありますからね。……それに、こういうことは当人同士で話す方が良いんだよ。アリアにとっても、あなたにとっても。……話し込んじゃったね、アリアが戻ってきちゃった」
アステラさんの言葉に振り向くと、丁度食堂に入ってきたアリアとヴィスベルがすれ違うプリースト達に挨拶をしている所だった。
「ただ今戻りました。アステラ、まさか、何か変な事を吹き込んでいた訳ではありませんね?」
「お疲れ、アリア。大丈夫だって。わたし、その辺はきっちり弁えてるつもりだよー」
にへら、笑って言ったアステラに、この二人は本当に仲が良いのだと再確認した。
次の話は少し時間がかかりそうです。
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