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48.聖水作り

 かつん、かつん、小さな靴音だけ二つ、暗闇に響く。灯りは先頭のアリアが持つランタンだけ。俺たちは二人、町の教会の地下へ伸びる階段を下っていた。


 自己紹介を終えてすぐにアリアに言われるがまま外に連れ出され、今はこうして階段を降りている訳だが、全くもって理由がわからない。


「あの、今ってどこに向かってるんです?」


 地下から吹き上げてくる冷たい風になんだか怖くなって、俺は先導するアリアに聞いた。アリアはこちらを一瞥することもなく、ただ階段の先を見ながら口を開いた。


「比較的大きな町の教会の地下にはすべて、蔵があるのです」


 優しげで、丁寧な声。しかし、どこか冷たい音色。先ほどまでとは全然違う彼女の声音に、やはり少し違和感がある。とはいえ出会ったばかりで「口調を戻してください」なんて言える筈もなく、俺は口から出かかったその言葉を飲み込んだ。


「蔵、ですか?」


「ええ。ミカエラさん、あなたは、教会が販売している『聖水』についてどの程度ご存知でしょうか?」


 聖水。聞き覚えはあった気がする。錬金術関係だったから、多分エドワードの薀蓄だろう。記憶の引き出しを探していると、丁度それらしいものを思い出した。


「ええっと、確か教会がケチケチ製法をひた隠しにするせいで市場に出回る数が少ない割に上級以上のポーションとかの高需要商品の材料として必須な錬金素材……あっ」


 エドワードのグチっぽい言葉をそのまま再生してしまい、俺は自身の失言に口を押さえた。それから一拍遅れて、『あぁ、今の、教会の奴の前で言うなよ?これ以上聖水の供給を減らされたらたまらんからな』というエドワードの言葉が蘇る。蘇るのが遅いよ!


「ええっと、今のは言葉のあやと言いますか……すいません、忘れてください」


 失言をフォローする言葉が思い付かず、そんな風に誤魔化すと、アリアがくすり、と小さく笑った。


「平気ですよ。一部錬金術師の方からそういう声があるのは知っていますから。……ですが、そうですね。一つ訂正するなら、教会もただただケチケチと製法を秘匿している訳ではないのですよ。


 理由は二つ。一つは、聖水の扱いは一つ間違えれば猛毒を作りだせてしまう可能性を秘めているということ。そしてもう一つは、教会以外で作る事が困難だということ。製法が分かったとしても、自分で作ろうという錬金術師は少ないでしょうね」


「あれ、なんでです?」


「材料が手に入りませんもの。少なくとも、今教会で販売している価格より安く作るのは困難でしょうね」


「材料……?」


「ええ。……着きましたよ」


 そう言ってアリアが立ち止まったのは、大きな古ぼけた鉄扉の前だった。とても女手二つでは開きそうにない重厚な扉。アリアはその扉に手を触れると、ぽそり、小さく何かを呟く。


「命の甘蜜が輝く花園に、我らが立ち入る事をお許し下さい」


 アリアがどこかで聞いた覚えがある祝詞を唱えると、鉄扉の表面には薄い線が浮かび上がる。その光が変えると、扉は重い音を立てて左右に開いた。


「どうぞ、中へ」


 言われるがままに中に入ると、そこに広がっていたのは広い酒蔵のような空間だった。大きな樽がずらりと並べられ、床には浅い溝がそこかしこに彫り込まれている。アスベルの蔵を思い出したが、あそこに比べれば広さも樽の大きさも段違いだ。その蔵の中央には小さな円形のステージのような段差があり、その上には大きな魔力結晶であろう水晶玉が鎮座する台座が置かれていた。


「本来なら教会でも一部の者しか入れない場所です。聖水はここで作られているんですよ」


「ここで?聖水って、お酒みたいなものなんですか?」


「見方によれば、そういう見方もあるかもしれませんね。……ここの樽には、霊水と呼ばれる……簡単に言えば特別な水が入れられています。聖水を作る第一段階は、この霊水を『命属性』と呼ばれる特殊な光属性で染め上げることです」


「命属性、ですか」


「ええ。私や、教会の聖乙女と呼ばれる存在。そして、あなたが持つような魔力です。命の女神や、その眷属神の寵愛……という風に言う神官もいますね」


「染めるってことは、あの魔力結晶に魔力を注げばいいんです?」


「ええ。ただ、少し待っていて下さい。今日は樽の二つ分だけで充分ですから、回路を少し調整します」


 そう言って、アリアは魔力結晶の置かれたステージに向かうと、屈んで足元の床をなぞる。それが回路の調整、なのだろうか。見ていても良くわからない。


 しばらく見ていると、アリアはそのまま立ち上がって俺を手招きする。俺はそれに従って、彼女の元に近寄った。


「それでは、魔力を注ぎましょう。ミカエラさんは、二人以上で何かに魔力を注いだ経験はありますか?」


「いえ、ないです」


「そうですか。では、わたくしがリード致しますね。まずは、魔力結晶に手を」


 俺が頷いて魔力結晶に手を伸ばすと、アリアも同じように魔力結晶に手を伸ばす。ひやりとした魔力結晶の冷たい感触。これからどうするのだろうとアリアを見やると、彼女は目を瞑って集中しているらしかった。俺もそれに倣って、集中して魔力を回す。


「心を落ち着けて、魔力を回す所までは一人でやる時と同じ。違うのは、そこからです。まずは魔力結晶の中に自分の魔力を薄く広げて、一緒に魔力を注ぐ相手の魔力を探すのです」


 言われた通りに、俺は魔力を広げ、アリアの魔力を探す。先ほどのマナージャ紙で感じたものと同じ魔力は、すぐに見つかった。


「見つかりましたね。次は、相手の魔力の波を感じて」


 波。思い出すのは、初めてビアンカ婆さんから魔力の扱いに関する手ほどきを受けた時。集中すると、その波はすぐに見つかった。


 麗らかな春の小川のような、淀みない小さな波。対面で、アリアが小さく息を呑む音が聞こえた。穏やかだった波が、微かに揺れる。目を開けてアリアの顔を見ると、アリアの紺碧の瞳がかすかに揺れているのが見えた。


「アリアさん?」


 声をかけると、アリアの肩が微かに震える。


「っ、どうかしましたか?」


「えっと……これからどうすればいいのかな、と。大丈夫ですか?」


 もしや体調が良くないのでは、と尋ねてみると、アリアは「大丈夫です。ありがとう」と短く応答した。


「波を感じることができたら、お互いの波の形を合わせていきます。形を全く同じにするのではなくて、混ざりやすい形に変えるイメージです」


「なるほど」


 要は、魔力同士が反発しないように混ぜ合わせる、という工程なのだろう。魔導書の『複数人で行う儀式魔法』の項にあった『相互の魔力親和性を極限まで高める』という工程と同じものか。俺は魔力の波を制御して、アリアの魔力と混ざり合うように変える。幸い、アリアの魔力の波と俺の魔力の波は元々それなりに高い親和性があったようで、完全に混ざり合うように調節するのは簡単だった。


「といっても、感覚的なものですし……ッ?!」


「あれ、何か間違いましたかね?」


 アリアが再び驚いたように目を見開いていたので、俺は思わず首を傾げた。


「い、いえ……。まさか、こんなに早く混ぜ合わせられるとは思っていなかったので……。長年寝食を共にした者同士でも、下手をすれば半日以上かかる事もある工程でしたから」


「あぁ。私って、魔法とか魔力の扱いは結構上手いらしいんで、それでですかね?」


「それは……分かりませんが。……魔力を混ぜ合わせることができたなら、あとはお互いの魔力のバランスが崩れないように注ぐだけです。ゆっくり、息を吐き出すように……」


 そう言って、アリアが魔力結晶に注ぐ魔力の量を増やしたので、俺もそれに合わせて魔力を注ぐ。注がれた魔力は一箇所に集まって、どこかへ流れ出ていく。それをただひたすら続けていると、先に俺の魔力が尽き始めた。


 それはそうだ、今日は昼間から魔導馬車の動力をしていたし、マナ・ポーションを飲んで休憩したとはいえ、消耗している事には違いない。


「もう少しですから、頑張って下さい」


 俺の魔力の限界が近いことを悟ったのか、アリアがそんな風に言う。俺は頷いて、魔力を注ぎ続ける。


 魔力切れ特有の感覚が酷くなり始めたところで、アリアの「ここまでです」の声。魔力を止めると、全力疾走の後のような倦怠感に襲われる。


「ここまでで聖水作りの第一段階は完了です。あとは、魔力が抜けてしまわないうちに仕上げをしてしまいましょう」


「え、それって、私が、立ち会ってもいい、ものなんです?」


 息も絶え絶えに問いかける。アリアは先ほどよりも少し柔らかい顔つきで、「ええ」と小さく頷いた。


「先ほども言いましたが、材料が手に入りませんからね。十分な量の命属性の魔力を厳選して収集できなければ、製法の一部が漏れた所で教会は何ら不利益を被りませんから。……それに、門外不出の聖水の製法を貴女が知っていると言って、どれほどの人がそれを信じるかも分かりませんからね」


 それはそうだ。俺は、アリアの言に納得する。


「それじゃあ、しばらくここで休んでますね。魔力を使い過ぎちゃって、結構しんどいので」


「ええ、どうぞゆっくり」


 アリアが離れる。俺はポーチからマナ・ポーションを取り出そうと考えて、やめる。今は魔力がどうしても必要な場面ではないし、魔力は休めば回復するもの。この先どうなるかもわからないし、取り敢えず取っておくのが得策だろう。


 離れた大樽の前で、アリアが手をかざし、何かを呟く。アリアの手から、神聖な魔力を伴う柔らかい光が放たれて、樽の中に入っていく。初めて見る光。そのはずなのに、なぜだか見覚えがあるような気がする。


 その光に見惚れている内に、その日の疲れからか、俺は眠りに落ちてしまった。

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