46.疫病の町
二日連続の投稿でしてよ!
ジョナサンの整備はほんの数十分で完了し、俺たちは太陽が真上に上がる前にはアンドレアルフスを出発した。
魔導馬、スレイヴニールの搭乗スペースはジョナサンの言う通り手狭であったが、俺とミラの体格であれば余裕で入り込めるだけの広さがあった。
この搭乗スペースは、整備や動作確認の時に作業者が乗り込んで調整するスペースらしかったが、乗り心地そのものはそこまで悪くはなかった。なんでも、この魔導馬は単体で動かす事も想定しているため、それ単体での乗り心地にも気を使っているのだとかどうとか。魔導サスペンションと稼働時に発生する余分な魔力波を変換したエアクッション機構がどうのと小一時間かけてジョナサンが語ってくれた訳だが、サッパリ理解できなかった。
まぁ、そんなことは重要なことではない。むしろ問題だったのは、そこに搭乗するのが好奇心旺盛な少女であったということだ。
「わぁっ!はやぁい!」
アンドレアルフスを出て数時間。じっとしているのに飽きてしまったらしいミラが、スレイヴニールの搭乗席から身を乗り出して興奮したような声を出す。俺はその裾を引いて着席させようとするが、体勢からか体格差からか上手く力が入らない。
「ミラ!危ないよ、ちゃんと座ってなきゃ!」
俺がミラに声を掛けると、上の方からジョナサンの笑い声が聞こえてくる。
「なぁに、ちょっと立ち上がったくらいで落ちやせんよ!はっはっは!」
「や、普通に危ないですってコレェ!」
俺はスレイヴニールの座席にしっかりと座り、魔力供給管なる金属の棒を握りしめて叫ぶ。左右の景色は凄い速度で後ろに流れていき、正面から吹きすさぶ強風は、ミカヅキの経験的に絶叫マシンのそれと相違ない速度感だ。
こんな所には一刻たりとも座っていたくはないが、スレイヴニールに魔力を焼べるにはここに座らなければならないのだ。
俺は少しでも恐怖を和らげようと目を瞑り、それはそれで逆に恐ろしくなったので目を開ける。
ミラはしばらく身を乗り出してはしゃいでいたが、漸く気が済んだのか「はー、楽しい」と言って着席した。それを見て、俺は安堵のため息を吐いた。
「よくこんな速さで動いてる所から身を乗り出せるよ……」
感心と非難が半々くらいにそんな事を言うと、ミラはいつものニコニコとした笑みを崩す事なく俺を見た。
「えー?景色がクルクル変わって楽しいじゃない?あ、ミカってば、もしかして怖いの?」
「怖っ、怖かぁないですけどっ!」
揶揄うように言われ、俺は売り言葉に買い言葉で反論する。その俺の様子を見て、ミラの笑みがますます深まった。いや、怖くないって。本当だよ?常識的な範囲で身の危険を感じてるだけで。
「落ちたら危ないじゃないですか」
「落ちないように魔導具貸して貰ったじゃない?だからへーきだって!」
ミラの言葉に、俺は首から下げたペンダントを握りしめた。落馬防止の魔導具。高速で動く魔導馬者の御者が安全に運転できるようにと、かつてはワイバーンを駆る竜騎士達が愛用したという魔導具を改修して作られた魔導具である。強い風や衝撃から持ち主を守ってくれる優れもので、これがなかったらと思うと辟易とする。
しかし、その魔導具を持っているからと、安心して全身を預けられる勇気は俺にはない。前の世界の常識が邪魔をしているのだろう、俺はどうもこの手の魔導具を完全に信用しきることができないでいた。今も、心はどちらかというとシートベルトか安全バーを欲している。いや、怖がってる訳ではないよ?その方が安心できるってだけで。
まぁ、シートベルトの話をしてもこの世界の人間には伝わるまい。俺は喉元まで出かかった言葉を飲み込んで、進行方向に目をやった。まだ、人の住む町らしいものは見えてこない。
「マルバスまではあとどれくらいなんだろう。もう結構進んだよね?」
「そうだねぇ。あの辺りの岩には見覚えがあるから、今で丁度半分くらいかな?」
「おっ、そっちの嬢ちゃんはマルバスに行ったことがあるのか?」
ミラの言葉に、ジョナサンが上機嫌に反応した。ミラも、当時の事を思い出しているのか嬉しそうな笑みで頷く。
「うん!ちょっと前にね!」
そう言ったミラは、例のミカヅキという男との思い出にでも浸っているのか、ふふふっ、と楽しそうな声で笑っている。ミラは本当にミカヅキさんが好きだなぁ。
「それで、マルバスにはどれくらいで着きそうなんです?」
思い出の世界に旅立ってしまったミラを現実世界に引き戻すのも悪いので、俺は後ろのジョナサンを見上げた。ジョナサンは顎に手をやると、何やら手元を操作しながら口を開いた。
「そうさなぁ。いつもより馬車の調子もいいし、日が暮れるまでには着けそうだ」
それは助かる。少なくとも日没には解放されることが分かり、俺はホッと胸を撫で下ろした。
その直後、背中にゾク、という悪寒のようなものが走る。
「あれ、この感じ……?」
気のせいかと片付けようとする俺の隣で、先程まで心ここに在らずだったミラが、不思議そうに首を傾げた。
「どうかした?」
「ううん……。きっと気のせい。前来た時よりも時間が経ってるから、不思議に感じるだけだと思う。ただ……」
「ただ?」
「ちょっと、嫌な感じがする、かなって」
ミラの言った「嫌な感じ」と、俺の感じた悪寒の正体は、そう遠くないうちに明らかになった。
そのまま馬車を走らせて進んでいると、遠くに町が見えて来た。「あれがマルバスの町だ」と、ジョナサンが笑う。しかし、町に近付くにつれてジョナサンの顔がみるみる険しいものになっていくのが分かった。
「どうかしました?」
心配になって声をかけると、ジョナサンは険しい顔のまま口を開いた。
「町に活気がない。普段なら、この距離でも手を振ってくる見張りの憲兵が、何人か見えてくるモンだが……」
「ライフライン線以外止まってるみたいですし、そのせいでは?」
「だと、良いんだが……」
重い口調で言ったジョナサンの言葉は、悪い形で的中する。
マルバスの町が近付いて来るにつれ、その異様さが浮き彫りになっていった。
この規模の町だと、この時間はもっと活気があるはずなのに、人っ子一人居ないどころか、全く人の気配がないのだ。
ライフライン線以外が断たれたとしても、子供の何人かが遊ぶ声くらい聞こえても良いはずだ。しかし、今はそれすらも聞こえてこない。馬車が徐々に速度を落として町の中に入って、その異様さはますます顕著になった。
生活感がない、とでも言おうか。まだ日も落ち切っていないのに、町には真夜中のような静けさが満ちていた。それだけではない。まだ秋にもなっていないというのに、真冬のような冷気が満ちている。いや、これは物理的な低気温による冷気ではない。この肌を刺す寒気のような感覚は、間違いなく魔力によるものだ。これは、流石に異常な事態ではなかろうか。
「ミラ、前来た時もこんなだった?」
確認のためにミラに聞くと、ミラも首を横に振る。
「ううん。建物はすごく増えてるけど……もっと明るい、普通のところだったよ」
「……とりあえず、馬車の乗り降り場まで、向かおう」
沈んだ口調のジョナサンに頷き返す。ゆったりとした速度で町の中を移動する間、しきりに辺りを見回す。しかし、人の影はおろか声の一つすらも聞こえない。感覚を研ぎ澄ましてみると、人の命の気配は相当数感じられる。が、その感覚もなんだか違和感があった。一箇所に固まって震えているような、そんな感覚だ。
馬車の乗り降り場に着き、馬車の停車を確認してすぐ、俺はミラの手を引いてスレイヴニールから飛び出した。すると丁度、荷台の方からヴィスベル達も降りて来た。その姿を見て、俺は思わず声をあげた。
「フレア?!どうしたの?!」
フレアが、ヴィスベルに肩を預けて降りて来る。その顔色は青を通り越して白い。乗り物酔い、という訳でもあるまい。ヴィスベルの顔を見ると、彼はわからない、とばかりに首を横に振った。
「急に顔色が悪くなったんだ」
「あぁ、途中までは、随分はしゃいだ様子だったんだが……」
疲れたようなカウルの言葉。俺はカウルに目をやって、その顔色がフレアには及ばないものの随分悪くなっていることに気付く。
「そう言うカウルさんも顔色悪いですよ?大丈夫ですか?」
「ん……。あぁ……。言われて、見れば、少し……」
ぐらり、カウルがその場に崩れ落ちる。俺は咄嗟に浮揚の輪でカウルの身体を浮かし、駆け寄った。
「……これ、命の灯火が……おかしい?!」
カウルの身体から感じられる命の灯火の気配がおかしい。正常であればゆっくりと力強く燃えているはずの灯火が、激しく、しかし強風に煽られるような不自然な燃え方をしている。初めての感覚。どう手当するべきか悩んでいると、さらに背後で人が倒れる音がした。
「ミラっ?!」
ミラまで倒れたのかと思って振り向くと、ミラが倒れたジョナサンの前で戸惑うような声を上げている。浮揚の輪でジョナサンの身体を浮かせ、こちらに引っ張ってくると、ジョナサンの命の灯火もまた、不自然な燃え方をしている。頰に触れると、僅かに熱があることがうかがえた。
「急に、倒れて!私、回復魔法は……!」
「回復魔法!えっと、熱がある時に効果があるのは……!」
俺はポーチから魔導書を取り出し、回復魔法のページをめくる。その中で丁度良いものを見つけ、俺は即座に魔法を発動した。
「《清き慈愛の雫》!」
俺の手から光の雫が湧出する。俺はそれをカウルとフレア、ジョナサンの口に注いだ。魔導書の通りならこれで効果が出るはずだ。しかし、俺の思いとは裏腹に、魔法の効果は全く見られない。
「失敗はしてない筈……。魔法を間違えた?今のでダメなら……《慈しむ安らぎの灯火》!」
優しい光を放つ小さな火が手元に灯るそれを三人に翳してみるが、こちらもまた、効果が出ない。
「《優しき癒しの光》!《貴き破毒の光》!《愛しき聖の祈り》!」
続いて知り得る限りの回復魔法を放つが、そのいずれも、多少の効果こそあれど彼らの灯火の力を完全に取り戻すには至らない。僅かに良好に転じたはずの容態は、すぐに元の状態にまで悪化する。
他には何かないかと魔導書をめくり、回復魔法を片っ端から使ってみるが、どれもこれも魔力ばかりかさむが効果がない。魔力の使い過ぎで、胸の奥でぐるぐるとした感覚が強くなってくる。さらに魔力を引き出そうとして、俺は強烈な目眩でその場にへたり込んだ。いつの間にか、自分の呼吸が荒くなっていた事にその時気付いた。
「ミカエラ!」
「はぁ……はぁ……。なんで、どれも、効果が……!」
どうして助からない。何故。俺には命の女神の加護があるのではなかったか。瀕死のバンを、私のお父さんを助けただけの力があるんじゃないのか。何で今、みんなを助けられないの!
——魔法に焦りは禁物だ。落ち着け。手を探せ。その本にはそれがある。
落ち着いた風な誰かの声。そんな事、言われなくても分かってる。私は心を落ち着かせようと試みるが、失った魔力の多さからかざわつく心は少しも落ち着いてはくれない。私はポーチのマナ・ポーションを呷り、再び魔導書のページを探した。
「っ、誰だ!」
ヴィスベルの声。つられてヴィスベルの向けた視線の先を見ると、ランタンを持ったフードの影があった。気付けば、随分時間が経っていたようで、日が落ちかけている。
「町の外から馬車っていうから来てみたら、案の定。私は怪しい者じゃないわ。あなたたち、倒れた人から少し離れなさいな」
声は、若い女性のものだった。いや、少女の声と、そういう方が適切かもしれない。フレアと同じくらいか、少し上くらいだろうか。
「でも、早く処置しないと!」
「だから、離れてと言っているのよお嬢ちゃん。大した魔法の使い手のようだけど、今のあなたには無理よ」
「そんなこと、やってみなきゃ!」
反駁しようと口を開いたのを、ヴィスベルに肩を掴まれて止められる。
「ミカエラ、落ち着いて。この人は何か訳知りのようだし、一回任せてみよう」
「あら、そっちの男の子は物分かりがいいみたいね」
言って、フードの人影は屈んで、一番手前に居たカウルの首に手を当てる。彼女はしばらくそのままでいたが、やがてポーチから一本の薬瓶を取り出すと、それをカウルの口に注ぎ込む。
「飲めば楽になるわ」
彼女のその言葉は正しかったのだろう。彼女がその薬を飲ませて本の数十秒で、カウルの命の灯火が弱々しいまでも平静の状態にまで戻ったのがわかった。彼女がフレアとジョナサンにも薬を飲ませると、二人の命の灯火も平静を取り戻した。
「さて、と。病人には寝床が必要よね。丁度いくらか床がある場所があるから、そこまで運ぶわよ。そうね、金髪の男の子はその赤毛のおじさまを。お嬢ちゃん二人は、そっちのおじさまを運んでくれるかしら?こっちの女の子は私が運ぶわ」
彼女に言われるがまま、俺たちは三人を担いでその後についていった。
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