43.出立、メタルジア
メタルジアでの話はここまでです。
旅装束に着替え、ベルトにポーチ、短刀、魔導書の入った革ケースがしっかり付いている事を確認する。短刀を抜いて、その刀身に顔を写す。昨日念入りに手入れしたから、その刃は顔が映るくらいにはピカピカだ。
俺はもう一度バッグの中身を確認し、荷物に漏れが無いことを確認してからそれを背負って姿見の前に立った。
そこには、もはや見慣れた銀髪の少女が、銀の瞳でこちらを覗き込んでいる。
「……出発、だね」
誰に言うでもなく、口から言葉がこぼれ出た。
メタルジアに滞在して、一週間と少し。今日は、遂にメタルジアを発つ日である。
「……正直な所、もう少し滞在していても良いと思うのだがな」
大きな邸宅の正面玄関前で、エドワードが珍しく名残惜しそうな顔をしていた。その隣に立つシルヴィアも同じような表情をしている。そんな二人を見て、カウルは小さく苦笑する。
「冒険者ってのはそんなもんだよ。……エド、シルヴィア。世話になった」
「礼を言うのは私達の方だとも。良き友人と巡り会えたばかりか、君と再会し、恥ずかしい話だが、いくらか仕事も手伝って貰った。……カウル、死ぬなよ。全てが終わった暁には、もう一度ここに戻って来い」
エドワードはそう言って、カウルと拳をぶつけ合う。二人の間の、なにかの儀式なのだろう。それが終わると、エドワードは今度は俺を手招きした。何事かと近寄ると、エドワードはふっと優しげな笑みを浮かべて俺を見下ろした。
「ミカエラ、手を出しなさい」
「……?はい」
言われた通りに手を出すと、エドワードがその手に何かを置いた。見ると、それは先日大峡谷の底に落ちた時に破損した筈の腕環だった。いくらか小さくなったり魔力結晶の数は少なくなっているが、僅かに残る俺の魔力の残り香が、それが同じ物だという確信を与えてくれる。
「極力復元してみたが、やはり幾らか直せない所がな。効果の程は保証するが、前ほどの強度は望めん。くれぐれも気を付けて、カウルの言うことをよく聞くように」
そう言ったエドワードの顔に、いつだったかのバンの面影が重なって、胸が締め付けられる。湧き上がってくる感情を誤魔化して、俺はエドワードに苦笑いを返す。
「私のお父さんですか、貴方は……」
「む、君の歳の娘がいるほど老けてはいないつもりだが」
「少なくとも私の父はそのくらいの歳で既に父親でしたよ」
言うと、エドワードは少し考え込んだ後、少ししょんぼりした様子で「そうか……」と呟く。まぁ、強く生きて欲しい。
「それじゃあ、エドワードさん、シルヴィアさん。お世話になりました」
パーティーを代表して、ヴィスベルが二人に頭を下げる。エドワードとシルヴィアは、それに対して頷き返すと、「君達も壮健で」と見送りの言葉を口にした。
それを合図に、案内のメイドが格子門に向かって歩き出す。事前にカウルからは聞かされていたので、俺たちはそのままメイドの後ろに続いて歩き出した。
「……カウル!」
その時、背後の方で声がした。シルヴィアの声だ。どうしたのかな、と振り返ると、シルヴィアが最後尾を歩いていたカウルに抱き付いているのが見えた。
シルヴィアはその細い腕でカウルを掻き抱き、その耳元で何かを囁く。そして、今度はその首に手を回してグッと、小さく背伸びをした。二人の唇が重なり合うのが、遠くからでもはっきりと見えた。互いの存在を確かめ合うような、濃密なヴェーゼ。突然の事に驚いていると、突然フレアの手が俺の視界を塞ぐ。
「フレア?」
「ミカにはまだ早いわ」
俺が何か言う前に、フレアがそんな風に言い放つ。いや、早いも遅いもないと思うんだけど……。しかし、そんな事をお姉ちゃんモードに入ったフレアに言える筈もなく、俺は渋々口を噤んだ。
ミカエラは根っからの妹気質、姉に逆らう事など出来はしない。……それ以上に、今この時だけは、カウルとシルヴィアを二人にしてあげたかった。
一週間も同じ家で過ごしたのだ。二人がどういう関係なのか、互いにどんな風に思っているか、薄々察してはいた。……まぁ、夜中に度々ちょっと遠くの部屋から声も聞こえてたし。神樹様暮らしが長いからか静かになると結構遠くの音まで聞き取れてしまうのだが、あの時ばかりはこの身体の耳の良さを恨んだものだ。
俺はフレアの手を退けて前を向くと、フレアと、その隣で顔を真っ赤にしていたミラの手を引いた。目の前にはどうすべきかと困惑した様子のヴィスベルとメイドの人が見える。
「私たちは先に行ってよう?カウルも、用事が終わったらすぐ出てくるでしょ」
俺の言葉に、ヴィスベルは小さく頷いた。メイドの方を見遣ると、彼女も少し躊躇した様子だったが、すぐに「こちらです」と門に向けての案内を再開した。
門の前で待つ事数分。気まずそうな顔で、カウルが屋敷から出て来る。
「その、すまん。待たせた」
「随分お楽しみでしたねー?」
その申し訳なさそうな顔が何だか気に食わなかったので、俺は思い切り茶化す事にした。半笑いでカウルを見上げると、彼はいつもの調子でごつん、と俺の頭に拳骨を落としてくる。痛い。
「茶化すんじゃないよ。ったくお前は……」
「カウル、もういいのか?」
呆れたように言ったカウルに、ヴィスベルが聞く。カウルはそれに「ああ」と短く答えると、どこか吹っ切れたような顔で笑った。
「何にせよ、全部終わってからだ。何もかも終わったら、その時は……」
カウルはそこで言葉を止めた。適当な言葉が思い付かなかったのかどうなのかは分からない。短い沈黙の後、カウルは「行くか」とだけ告げた。
大きな街でしばらく滞在する時には、冒険者ギルドで滞在手続きをする必要がある。これは、今街にいる冒険者の数をギルド側が正確に把握するのがどうとかいう小難しい説明をされたが、そこはひとまず置いておいて。滞在するのに手続きがあるなら、当然出立する時にも手続きがある。その手続きのためにメタルジア・ギルドの本部に着くと、ギルドは今日も朝からうるさいくらいの喧騒で賑わっていた。
大量の依頼書が張り出されたクエストボードの前に群がる冒険者達を尻目に、俺たちは出立手続きのカウンターに向かう。
『スライヴの祝福』なる未曾有の冒険者ラッシュを迎えているメタルジア・ギルドで出立手続きをしようと言うものは皆無らしく、ほとんど待つ事なく俺たちの順番が回って来た。ギルドカードを提示して書類にハンコを押してもらうだけなので、手続き自体は一瞬で終わる。
「あれ、みんな、もうメタルジアから出るんっスか?」
手続きを終えて出口に向かうと、そんな風に声をかけられた。振り向くと、リーとシーラが立っている。
「あぁ、僕らには目的があるからね。充分な路銀も溜まったし……」
「まじかー。今日もミカの大道芸楽しみにしてたんスけどねぇ。母さんも見たがってたんスけど、残念っス」
言われてみれば、リーはしょっちゅう見に来てくれていたがシーラは俺が演目を披露している間は見なかったような気がする。確か、治癒院の方の依頼が忙しくて、とリーには説明されていたっけか。シーラを見ると、彼女は少し残念そうに微笑を浮かべているのが見えた。
「リー、良いのよ。皆さん、短い間でしたがリーとも仲良くしていただいてありがとうございました。お気を付けて」
シーラの言葉で、心が痛む。冒険者は一期一会。リー達と会うのは、もしかするとこれで最後かもしれないのだ。そう思うと、今ここで「はいさよなら」とするのは、何かが違うような気がした。
——ちょっとくらい、大丈夫だよ。カウルだってやってたんだし。
ふっと、悪魔の囁きが聞こえる。確かに、ちょっと芸をするだけなら、そこまで時間も取らない。次の目的地まではどの道徒歩で、乗らなければならない馬車も臨時で大量に増便されている大峡谷行きの馬車だ。大峡谷周りで野営して本格的に大峡谷を超えるのは明日という予定でもあるし、今少し時間を使った所で予定の変動はほとんどない。
「ヴィスベルさん、その、こう言う事言うの良くないかもなんですけど……最後に、いつもの場所で芸をしてきてもいいですかね?」
言うべきか言わないべきか僅かに悩んで、結局俺はヴィスベルに聞いた。ヴィスベルが俺の問いかけに苦笑する。
「ヴィス、私からもお願い。それに、せっかくだしミカがどんな芸をしてたのか見てみない?」
「わっ、私も……。その、ミカの芸が見てみたい、なんて……」
ヴィスベルが答える前に、フレアとミラの援護射撃。どうしよう、とヴィスベルがカウルに視線を向けると、カウルは最高にいい笑顔で「お前次第だな」と笑った。
「……まぁ、ミカエラの芸に興味が無いって言ったら嘘になるし……。手短にね」
ヴィスベルからのゴーサイン。視線を戻すと、リーとシーラも心なしか嬉しそうな表情をしている。
「そうと決まれば、ササッと向かいましょう!あの場所、早く取らないと別の人が取ろうとしちゃうんですよね!」
俺たちは、この数日ずっと俺が芸をしていた大通りの広場へと向かった。
いつもの場所で、いつものように芸の準備をする。荷物を下ろし、小さな鉢を足元に置く。それだけで、「今からここで芸をやるよ」という意思表示になる。まだ芸を始まる前から、いくらか見覚えのある顔触れの冒険者や街の人達が集まって来た。
俺は気を引き締めて、息を大きく吸い込む。
「ようこそおいでくださいました!今日は皆様に少し悪いお知らせと、良いお知らせを持って参りました!悪いお知らせは、今日が私がこの街で芸を行う最後の日だということ。そして良いお知らせは、今日の芸が今日までで一番だということです!どうぞ皆様、お楽しみ下さい!」
こういう前口上にももうすっかり慣れたなぁ、としみじみ思う。俺は、周囲の観客が息を呑んだのをぐるりと見回して、今日最初の魔法を打ち上げた。
導の光のお手玉、宙に浮いた光を射撃で落とす芸、原初の火種を用いた舞と火吹き芸、爆ぜる魔弾を応用した小さな花火。この街で人気のあった芸を順番に披露していく。そして、いつものように導の光と広き守護の盾を用いた派手な花火で締めようと、虚空から光の玉を取り出して手元に集める演技を始めた所で、人を押しのけて前に出てくる一団があった。何事かと、俺を含めたその場の全員の目がそちらに向く。
一団の先頭にいたのは、銀色のウィッグを被った、白い服の少年。背後に控えていたのは、年齢も格好もバラバラだが、皆同じ一つの志を持つ魔導師達だ。
この街で人気を集めるマジシャン達が十人ほど。俺自身も何度か見かけたことのある面々が、そこには居た。
「師匠っ!」
「わ、で、弟子……?」
急なことで、俺は演技を忘れて素で応答してしまう。弟子……そういえば名前知らない……とその一行は、ツカツカと俺の前にまでやってくると、演技をする時のよく通る声で名乗りを上げた。
「私たちはメタルジア・マジシャン同盟!我らが師、変幻の白銀に、義を果たすべく馳せ参じた!」
「我らの魔法に「奇術」という新たな道を授けて下さった我らが師、変幻の白銀に感謝を!」
「感謝を!」
一団が、俺を中心に跪く。その過半数が俺よりもゴツい体格の男女で、俺は思わず萎縮してしまう。
メタルジアマジシャン同盟ってなに。奇術ってなに?色々と疑問が湧いてくるが、何となくここはどっしり構えなければならないような気がして、俺は極力余裕のある態度を心がける。
「師匠!これから旅立つ師匠に、一つお願いがございます!」
「あ、はい。何でしょう」
あ、やべ。また素で返しちゃった。内心でそんなことを考えた俺に、先頭の弟子が顔を伏せたまま口を開く。
「師匠最後の晴れ舞台。畏れ多いことではありますが、我らもその奇術に加わる事をお許しください!」
弟子が言うと、周りの人達が声を揃えて「お願いします!」と叫ぶ。これはつまり、最後にみんなで芸をしようという事……なのだろうか。ふと顔を上げて観衆を見ると、皆期待の篭った目でこちらを見ている。まぁ、折角だしやってみてもいいかもしれない。最高の演目にするって言っちゃったしね。
「良いでしょう。私の旅立ちに相応しい奇術を期待します!」
俺が言うと、観衆と一団の全員が沸いた。
小さな光の鳥や氷の兎、魔力で作られた花弁や光が舞う中で打ち上げた花火は、俺から見ても今までの中で一番美しく、観衆の歓声も過去最大級のものだった。
その後、観衆やマジシャン達に見送られて、俺達はメタルジアを後にした。
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