40.5 白蛇、邂逅2
ヴィスベル君達のお話です。
二つに割ろうかなとか考えたけど割り始めると3つとかになりそうだったので長いお話になりました。
レビィのテントを後にして、ヴィスベル達は白蛇、『蠱毒の白』討伐に向けて身支度を始めた。身支度とは言っても、ポーション類や魔導具の補充と確認程度のもので、対して時間はかからない。ヴィスベル達が準備を終えて野営地の出口に着くと、既に二人の冒険者が待っていた。
一人は、明るい茶色の短髪の少女。踊り子のような衣服を身に纏い、その両手にはそれと不釣り合いな無骨な手甲。その隣に立つのは、大きな錫杖を携えた、少女と同じ茶色の髪と瞳の女性。
女性は少女とは対照的に、その肢体を青と白の神官服で隠している。
「お待たせしました」
三人を代表して、ヴィスベルが母娘の冒険者に話しかけた。母娘はその見た目だけでなく、反応まで対照的だった。
母親、シーラの方はヴィスベル達に優しげな微笑みを向けると、「いえ、大丈夫です」と小さく一礼する。
一方で娘、リーの方はというと、興味無さげな様子で、ヴィスベル達を一瞥すると、特に何も言わずに腕を組んだ。
それを見咎めたシーラが、微笑みを崩さず錫杖の石突きの方でリーのスネをピシ!と叩く。錫杖の輪が鳴らなければ気付かなかった程さりげない一撃はしかし、リーが態度を改めるには充分だったらしい。リーは「どもっス」と小さく呟いて、小さく頭を下げる。
「すみません、ウチの子ったら、少し気が立ってるみたいで。改めまして、私はシーラ。冒険者等級は金……ええと、Aランクです。見ての通り、神官をしております。……正式には、もう神官では無いのですが、使える技術はそれ相応のものと自負しています……。ほら、リー。あなたも自己紹介なさい」
シーラに言われて、リーはむすっとした様子ながらも自己紹介をする。
「あーしはリーっス。等級は母さんと違って銀、ジョブは見ての通り拳闘士っス」
「銀……?ジョブ……?」
聞きなれない言葉にフレアとヴィスベルが首を傾げると、シーラが小さくため息を吐いて錫杖を鳴らす。リーはそれにビクリと肩を震わせたものの、特に何かを言うつもりはないらしく、シーラから視線を逸らして黙っている。
「すみません、私どもの故郷の言い方でして……」
シーラの言葉にヴィスベル、フレアの両名が頷いていると、黙って聞いていたカウルが、その顔に僅かにひそめながら口を開いた。
「……ネブラデアの、迷宮国家のご出身ですか」
カウルの言葉に、シーラとリーは小さく目を見開いた。
迷宮国家。今から僅かに16年ほど以前に滅んだばかりの、悲劇の国。その悲壮な最期ばかりは取り沙汰されるものの、既にその国そのものに対して知る者は少ない。シーラは僅かに動揺した様子でカウルを見た。
「失礼ですが、あなたも……?」
長い間逸れていた仲間を見つけた時の感極まったシーラの声音に、カウルは苦渋の表情で首を横に振る。
「いや、俺は……すまない。俺は違うんだ。ネブラデアには、昔……その、知り合いが居て」
珍しく歯切れの悪いカウルの言葉にヴィスベルは違和感を覚えたが、対するシーラとリーの悲痛な表情に、そうなるもの仕方がないのかもしれないと、思い直した。
ヴィスベルにとっては物心がつく前の話でも、当事者にとってはそうではない。カウルの言葉は、その当事者を慮ってのものなのだろう。
「迷宮国家で言う所の銀等級は、冒険者ギルドのBランクにあたる。ジョブってのは、戦い方や得意な役割を伝えやすく符号にした物だ。俺たちで例えるなら、ヴィスベルが戦士、フレアが魔法戦士、俺が斥候だ。シーラ、あんたのジョブは、神官で間違いないな?」
「はい。今は教会には所属していませんが、ジョブとしてならそうなります」
「迷宮国家の神官は、他国の神官とは少し違った魔法を修めると聞いているが……」
「そうですね。回復魔法と守りの魔法、それから撹乱の魔法を修めています」
「撹乱?」
「魔物には本物と見分けのつかない虚像を生み出す魔法や、幻覚を見せる魔法ですね。狭い迷宮で魔物と戦うには必須でしたから」
そう言ったシーラの言葉には、自らもまた探索者として前線に居たのだと感じさせる、ある種の貫禄があった。
「その辺りは道中で話そう。自己紹介が途中だった。俺はカウル。こっちは——」
「ヴィスベルです」
「フレアです」
「はい。今回はよろしくお願いします。私たちにアニムス・シークの加護があらんことを」
シーラがかつて迷宮国家で行われていた結成式の祝詞を唱えたのを合図にして、ヴィスベル達は大峡谷に向けて歩き始めた。長い夜が、始まった。
ソレは、自らの生まれた意味を知らない。意味を理解するよりも、渇望に支配される方が早かった。ソレは、自らの生きる意味を知らない。意味を知ることなく、その渇望に従うことがソレが生きる理由だった。
ソレは家族を知らない。そんな愛着が生まれる前に、共に生まれた兄弟達はソレの腹の中に収まっていた。
ソレは満たされると言うことを知らない。生まれた時に、無限の渇望を与えられてしまったから。
月光の下、白蛇は小さく寝息を立てる。身体の下を走る血管が激しく脈動し、その身体は靭く、大きく成長を続ける。ただ渇望のままに喰らい、渇望のままに眠り、目が覚めれば渇望のままに新たな食事を探す。それだけが白蛇にとっての全てだった。
『殺セ』
今日もまた、声が聞こえる。渇望に起こされて、白蛇は閉じていた目を開く。今日の獲物は何だと辺りを見回すと、小さな存在がいくらか目の前にいたのが分かった。
『忌々シイ人間ドモヲ殺セ。喰ラエ。喰ラエ!喰ラエ!喰ラエ!』
人間。それがこの小さい生き物を示す言葉だと、白蛇には分かる由もない。しかし、餓える白蛇にとってそれはどうでもいいことだ。渇望のままに喰らう。幼い白蛇には、それだけしかない。
「目を覚ました!シーラ!」
「《デコイ・リンク》!」
カウルの号令。シーラが魔法を詠唱する。周囲の人影がいくらか増えたのを確認して、カウル達は白蛇の元へ駆け出した。
デコイ・リンク。実体を持たない以外は本物と全く同じ虚像を作り出す魔法である。突然増えたカウル達に、白蛇は僅かに狼狽する。魁を務めるカウルの一太刀が白蛇の身体を切り裂き、白蛇は初めて感じる「痛み」にその身体を大きく捩った。
『殺セ!』
はっきりと。白蛇の頭の中に、その声が響く。白蛇は渇望が囁くまま、激情とも言える激しい殺意を小さき者どもに向けた。魔力を含んだ甲高い雄叫びが、追撃を仕掛けようと肉薄していたカウルを吹き飛ばす。白蛇は吹き飛んだカウルを大きく開いた口の中に収めて、霞でも食らったかのような軽い感触に驚いた。
驚く白蛇の蛇腹に、鋭い痛み。見おろすと、口に放り込んだはずのカウルがその剣を自身の腹に突き立てていた。沸々と湧き上がる怒りに任せ、白蛇はそのカウルに牙を突き立てようとして、その上空から迫っていたソレに気が付かなかった。
「頭がガラ空きっスね!《ハイ・ヘヴィ》!」
踊り子のような服を着た少女、リーの拳がバジリスクの巨大な頭部を捉える。その拳を覆う黄金色の手甲が、魔法の力を受けて眩く輝く。拳が叩きつけられると同時、ガン!と音がして、バジリスクの頭は勢いよく地面にめり込んだ。
リーはその勢いを空中でクルクルと舞うことで逃すと、軽やかな動きで着地する。
「ってめ!俺まだ下にいただろ!」
「ん?あぁ、スミマセン。いつもは母さんと二人だったんで忘れてたっス」
間一髪地面に埋まるバジリスクの頭を避けたカウルがリーに不満を口にするも、当の本人はどこ吹く風と言った様子でへらりと笑う。軽口を叩きながらもその構えに隙はなく、それが、彼らが正しくベテランの冒険者である事を物語っている。特にリーの動きは、Bランクであることが疑わしい程に洗練されていた。
「《バーン・セイバー》!」
怯んだ白蛇の元に、焔剣を構えたヴィスベルが迫る。頭を上げたばかりの白蛇にそれを避ける事はできず、焔刃が白蛇の身体に突き刺さる。
昼間は親バジリスクの頭を簡単に落としたヴィスベルの魔法剣だったが、白蛇に対してはその胴の半分程までを断つに留まった。ヴィスベルが舌打ちをして背後に跳ぶ。白蛇は叫びを上げて退くと、ギロリ、ヴィスベルを睨み付けた。
「《フレイム・ランス》!」
ヴィスベルを睨む白蛇の横面に、フレアの魔法が炸裂する。意識外から放たれた炎の槍に、白蛇はギロリ、その下手人を睨めつける。その視線の先では、フレアが射殺すような眼を白蛇に向けている。
フレアの身体が僅かに前に沈んだのを見て、カウルが慌てて声をかけた。
「フレア!待て!」
カウルは咄嗟に制止しようと試みたが、激情に支配されるフレアにその言葉は届かない。引き絞ったバネが弾けるが如く、フレアは勢い良く白蛇に向かって駆け出した。
「焔よ!」
フレアが叫ぶ。辺りに、濃密な「焔」の気配が広がった。気温が上昇したかのような錯覚。吹きすさぶ熱風の幻覚が、フレアを中心に発せられる。
一瞬で、その場の全員の意識がそちらに向いた。その視線の先で、フレアが構える双剣が、白熱の焔を纏う。フレアは一気に白蛇の眼前にまで肉薄すると、輝く双剣を振りかぶった。
「《バーン・エッジ》!」
白熱の焔刃が、フレアの剣から放たれる。先のヴィスベルの魔法剣にも劣らない威圧感を持つ焔の剣が、白蛇に迫る。
白蛇はそれを間一髪で回避すると、その長い胴をフレアに叩きつけようとする。そのよくしなった鞭がフレアの身体を捉える直前、フレアの真横からカウルが飛び出し、押し倒した。
白蛇の意識を勢い良く転がった二人から逸らそうと、リーが金の鉄拳で白蛇の顎を揺らす。
「ってぇ……」
カウルはすぐさま身体を起こすと、すぐにでも飛び出しそうな顔で白蛇を睨み付けているフレアを抑えつけた。
「カウルさん、どいて!あのバジリスクは私が……!」
「フレア、落ち着け」
「落ち着いてるわ!早くあのバジリスクを殺さないと、ミカが……あの子はまだ、谷底にいるのよ?食料もあまり無いのに」
「お前が焦る気持ちは分かる。だが、冷静は欠くな。敵をよく見ろ。魔力を無駄にするな。ほら、マナ・ポーションだ」
カウルに小瓶を差し出されて、フレアは自身がいつも以上に魔力を消耗していることに思い当たる。その様子を見て、カウルはフレアの拘束を解いた。フレアはマナ・ポーションを一口に飲み干し、カウルを見上げた。
「落ち着いたみたいだな。ったく、しっかりしてくれよ、神火の担い手さんよ」
カウルが優しい手つきでフレアの頭に手を置いた。
「……ごめんなさい。私」
「なに、戦場慣れしてない時にはよくある事だ」
そう言って、カウルはフレアを引き上げると、剣を構えて白蛇を見据えた。
ヴィスベルは剣に魔力を流し込み、白蛇を睨み付ける。白蛇の回復能力は相当なものらしく、先程胴体を半分まで切り裂いた傷は殆ど塞がってしまっているらしかった。ヴィスベルは勢い良く振るわれた白蛇の尻尾を避けると、その僅かな隙に白蛇を斬りつける。殆ど即座に塞がる傷でも効果はあるらしく、白蛇の動きは目に見えて鈍っている。それでも、全く油断はできないのだが。
白蛇は警戒したような動きでするり、広場の隅へと移動。動きが多少鈍っているとはいえ、目に見える外傷は殆ど塞がっている。これまで戦ってきた魔物とは全く違う感触に、ヴィスベルは徐々に焦りを感じていた。
ヴィスベルの出せる最大火力であった魔法剣でさえ、白蛇を倒すには至らなかった。そのことが益々ヴィスベルの焦りを掻き立てた。
——これじゃあ埒があかない……。どうすればいい?
油断なく白蛇を見据えながら、ヴィスベルは必死で頭を回転させる。魔法剣は既に一度放ってしまった。ヴィスベルの魔法剣は威力も高いが、その分消耗も大きい。魔力的な消耗は勿論のこと、体力や、それとはまた違う「何か」までも消耗する魔法剣は、ヴィスベルにとってそう何度も連発できる代物ではない。
後先を考えず放つなら、残り3回。その後に多少なりとも活動することを考えると2回が限度だろう。
その2回、最悪3回で倒し切れなければ後がない。焦るヴィスベルの元に、先ほどまで白蛇の周りをそれこそ踊り子のように舞っていたリーが現れた。
「あー。金髪の人、大丈夫っスか?顔色悪いっスけど」
「……ヴィスベルだ。平気だよ、君の方こそ、体力は平気?」
「そりゃ、まぁ。鍛えてるんで。で、そのヴィスベルサン……長いしヴィスって呼ぶっスね。ヴィスは、何をそんな焦った顔をしてるんスか?」
リーの問いに、ヴィスベルは白蛇を睨み付けながら苦々しい思いをそのまま口にする。
「僕の魔法剣はあと2回か、3回が限度だ。それで倒し切れなかったら、後がない。だから、」
もし倒せなかった時には。そう口にしようとしたヴィスベルの背を、リーが勢いよく叩いた。
「何をっ!?」
「いや、何かムカついたんで」
あまりに理不尽な物言い。一言抗議をしなければと、ヴィスベルはそこで初めて、背後のリーを振り返った。リーは、茶色い瞳にどこか剣呑な光を宿し、ヴィスベルを見ている。
「アンタの魔法剣だっけ、凄い力だとは思うっス。正直、あーしや母さんよりも単純火力だけ見たら上かもしんないっスね。まぁ、あーしもまだ銀っスし、母さんも金等級の中でも地味っスから、それがどうしたって話なんスけど」
「何が、言いたいんだ」
リーのはっきりとしない物言いに、ヴィスベルは少し苛立ち混じりに応答する。リーはそのヴィスベルの態度にニヤリと口角を吊り上げると、ぐいとその胸ぐらを掴み、額と額をぶつけた。ヴィスベルの額に、僅かに痛みが走る。
「自惚れんなよっつってんスよ。さっきから聞いてりゃ、自分がいなきゃ戦えないみたいな物言い。ここはアンタ一人の戦場じゃないんスよ。
アンタはさぞや立派なお力を持ってるんでしょうけど、あーしも母さんも、もっと言うならアンタのお仲間だっているんスよ。自分ひとりの力が全てだみたいな態度、あーしは気に食わない」
言って、リーがヴィスベルを突き放す。リーの言葉に、ヴィスベルは僅かに放心した。その胸中に満ちるのは、疑問。自分ひとりの力が全て。そんな事は考えていない筈だった。カウルやフレア、今はリーとシーラがいる。その事だって、理解しているつもりだった。なのに、何故そんなことを言われるのだろうか。
「あーしは視野が狭い」
決して誇れることではない筈の言葉を、リーは胸を張って言い放った。
「でも、アンタの場合はもっとタチが悪い。見てるのに、向き合わない。向き合ってない。あの赤髪の子、フレアの魔法は見てたっスよね?あの魔法だって、アンタの魔法剣とやらに匹敵する威力はありそうでしたよね?何で、そこを勘定に入れないんスか?」
リーに指摘されて、ヴィスベルはようやく、彼女が言わんとしている事に気が付いた。
確かに、あのフレアの魔法はヴィスベルの魔法剣と比べても見劣りしない威圧感があった。それもそのはず、ヴィスベルもフレアも、同じように大神の加護を受け、その力を使っているのだ。
大神の加護の強力さはヴィスベル自身がよく知っている。加護を得る前のヴィスベルには、魔法剣を扱う事すら出来なかったのだから。
——僕は、仲間を本当の意味で信頼する事が出来ていなかった。
脳裏に浮かんだそんな言葉が、ヴィスベルの心に重くのしかかった。確かに、ずっとそうだった。
ミカエラの魔法も最低限しか聞こうとしなかった。
フレアとだって、火種の扱いを教わる以外で戦闘の話をする事はほとんどなかった。
カウルは何も言わずとも連携してくれたが、それだって、カウルが合わせてくれていただけに過ぎない。
これまで、ヴィスベルは誰かと共に戦うことをしてこなかった。
「一人で足りないから、仲間がいる。探索者ってのは、冒険者ってのは、人間ってのは。そういうモンなんスよ。だから、アンタはもっと仲間を頼れ。そしたら、あーしもアンタを頼りにするっスから」
言って、リーがヴィスベルの胸に拳を当てた。その拳からは、暖かい「何か」が感じられる。ヴィスベルはその何かを噛み締めると、輝く眼でリーを見た。その顔に、もはや焦りは無い。それを見て、リーはニッと笑った。
「リー。頼みたいことがある」
「いいっスよ。何っスか?」
「あのバジリスクに、隙を作って欲しい。僕がフレアと、タイミングを合わせて攻撃する」
「……まぁ、合格っスね。そっちの準備が出来たら合図して欲しいっス。そしたら、バッチリ隙の一つや二つ、作ってやるっスよ」
「頼んだ」
「任せるっス。アンタも、頼むっスよ」
確かな信頼の篭った言葉に、ヴィスベルとリーは互いに頷き合った。
「フレア!」
リーが白蛇の下に戻り、戦闘が再開する。その戦列に加わろうと魔力を回すフレアの下に、ヴィスベルが駆けてきた。戦闘中にヴィスベルから話しかけてくるのはこれが初めてで、フレアは少し驚いたようにヴィスベルを見た。それは隣にいたカウルも同じで、白蛇を警戒しつつも何事かという目をヴィスベルに向ける。
「どうしたの、ヴィスベル」
「あのバジリスクには、僕の魔法剣だけじゃ足りない。だから、さっきの君の魔法と僕の魔法剣で、タイミングを合わせて攻撃しよう。隙は、リーが作ってくれる」
「ヴィスベル、お前……」
ヴィスベルからの提案を考えてもいなかったのだろう。カウルの口から、驚いたような声が漏れる。
「……僕は、自惚れてたんだ。これまで、一人で戦うことしか考えてなかった。皆と向き合おうとしていなかった。でも、それじゃあダメだと気付いた。だから、頼む!」
少しは罵倒されるかもしれない。見放されるかもしれない。そうは思ったが、ここで本心を伝えられないようでは、本当の意味で仲間を信頼していないこれまでと同じだ。
ここで亀裂が生まれてしまうなら、それも自分のしてきた事の結果。そう覚悟を決めていたヴィスベルの言葉に、フレアとカウルがフッと笑った。
「そんなこと、わざわざ頼まれなくたって」
「あぁ、そうだ。ヴィスベル。俺たちは仲間だろ?」
「二人とも……!」
ヴィスベルはその顔に喜色を浮かべると、先程リーと決めた合図を送る。
『話が纏まったら、その剣を掲げてほしいっス。見えたら、こっちもこの手甲を光らせるんで』
その言葉の通りに剣を掲げると、すぐにリーが手甲を光らせた。
——視野が狭いなんて、とんでもないな。
その反応の速さに、ヴィスベルは思わず苦笑する。
「で、ヴィスベル。俺は何かすることはないのか?」
「あー。カウルは……リーと一緒にバジリスクの足止めと隙を作って欲しいかな」
「お前、それ今決めたな?……まぁ、どの道それしかねぇか。頼んだぞ、ヴィスベル、フレア!《ハイ・ブースト》!」
カウルが剣を構えて、白蛇に向かって走り出す。ヴィスベルとフレアは、隙を逃さないために自身の中の魔力を回し、その力を高める。その感覚は、普段魔力を回す時の感覚とは決定的に違っている。
不思議な感覚だった。二人が魔力を回すたび、その力が呼び合うかのように高まっていく。
自分の中の焔の気配が、いつも以上に強く、激しくなっていく。それはヴィスベルの隣のフレアも同じようで、フレアはいつもと違う違う感覚に戸惑いながらも、その魔力を練り上げ、剣に纏わせていく。その焔の色は、先ほどと同じ白。しかしその輝きは、先ほどに比べて力強く、激しい。
ヴィスベルもまた自身の剣に魔力を纏わせると、その光もまた、普段に増して輝かしいものだった。力が溢れる。魂が震える。その力が最大まで高まった時、白蛇の方から轟音が響いた。
「《ハイ・ヘヴィ》ッ!!!」
輝きを放つ手甲を、リーが白蛇の頭に叩き込んだ。白蛇は地面にその頭を激しく打ち付けるが、それは2回目だとばかりに踏み止まり、未だ空中に留まるリーに食らいつかんと口を開く。
「なんの!師父直伝のぉ!《エクストラ・ヘヴィ》!」
リーは器用に空中でくるりと体勢を変えると、今にもリーを飲み込もうとしていた白蛇の鼻面に重いかかと落としを叩き込んだ。ぐらり、白蛇が僅かに揺れたのを、地面から伸びた魔力の鎖が拘束する。それがシーラの手によるものだということは、シーラが翳す錫杖の先に浮かぶ魔法陣を見れば一目で分かった。一人空中に取り残されたリーを、跳躍したカウルが抱きとめる。一時の隙が、完成した。
「今だ!ヴィスベル!フレア!」
「ヴィス!フレア!やっちまえっス!」
カウルとリーのその言葉で、ヴィスベルとフレアは剣を振り上げた。
「「《バーン》……」」
二人の詠唱が重なる。呼応するように、二人の剣が纏った焔が激しく燃え上がる。
「《セイバー》!」
「《エッジ》!」
一対の焔剣が、白蛇に向かって飛翔した。いつか、ヘパイストスの竃で火の大神が憑依したミカエラが放ったものを彷彿とさせる、濃密な火の気配。大神の畏敬。焼き尽くす焔の奇跡を体現したかの如き焔刃は、白蛇を身体を焼き尽くす。眩しい光が放たれて、後にはぶすぶすと焼き焦げた黒い塊が転がっていた。
「やっ……」
「やりやがったっスねこのー!」
カウルの声を遮って、カウルに抱き抱えられていたリーがばたばたと暴れ、カウルの顎にいい一撃が入る。軽い脳震盪でも起こしたのか、カウルがふらりと倒れ、抱えられていたリーがその上に覆いかぶさるように倒れる。
「ってぇな、てめぇ……」
「わ、今のはホントにごめんっス!?」
その微笑ましいやりとりに、ヴィスベルはくすりと笑い、そのリーの足が酷く腫れている事に気がついてギョッと目を剥いた。
「リー?!その足は……」
慌てて駆け寄ると、リーは気恥ずかしそうにそっぽを向いた。
「ちょっと骨が折れただけっスよ、よくある怪我っス」
「よくあるで片付けて欲しくないのが親心なんですけどね……。リー、足を診せなさい」
いつの間にか近くに来ていたシーラが言うと、リーは「はーい」と嫌そうに応じる。
シーラによる「《ヒール》」の詠唱で、彼女の持つ錫杖の先から優しい光が放たれる。その光を浴びると、リーの腫れた脚はすぐに元の細くしなやかなものに変わった。
リーは立ち上がって脚の感覚を確かめると、ちゃんと治っているとシーラに報告。
次いで、リーはニッと笑うとヴィスベルの肩にぐいとその腕を回した。
「やるじゃないっスか、この〜!」
ぐりぐりと、抱えたヴィスベルの頭をリーが撫で回す。踊り子のような薄い布地故に、ヴィスベルの頰に、その柔らかな感触がほぼダイレクトに伝わる。
「ちょっ、リー!?」
ヴィスベルは顔を真っ赤にして抗議するも、リーは心底嬉しそうにヴィスベルの頭をガシガシと撫で続けている。
「……ちょっと、リー。あんまりやるとヴィスベル君が苦しいでしょ」
「いいじゃないっスか!喜ぶ時は喜ぶ!それが一流ってモンっスよ!」
そのリーの言い分に、フレアは少しムッとした様子でヴィスベルを引っ張る。その力でリーの腕から抜け出せたヴィスベルは、その柔らかな感触から離れる事にほんの少しの寂しさを覚えつつも、フレアに「ありがとう、助かった」と声をかけた。リーは少しつまらないような顔をしたが、やがて白蛇だったものの方に目を向けると、その真っ黒な塊に口笛を吹く。
「さすがヴィスとフレアっスね。アレが『蠱毒の白』なんて、ギルドで判断つかないんじゃないっスか?」
「たしかに、黒焦げだしな」
リーの言葉に同調するように、カウルが頷く。
「ヴィスベル君、短い間で随分リーと仲良くなったみたいね」
少し離れて、フレアがヴィスベルに言う。ヴィスベルはそれに頷いて、リーの方を見た。
「……あぁ。リーは、大事な事に、気付かせてくれたんだ」
仲間と共に戦う意味。仲間と共にある事の意味。まだその全てを理解できたとは言わないが、そのキッカケを作ってくれた。ヴィスベルがリーに感謝の念を抱いていると、フレアは少し、つまらなそうな顔をした。
「でも、私たちの方が長くいるのに。少し、悔しいかも。私もヴィスって呼んでもいい?」
「えっ?それは、まぁ……構わないけど」
——愛称で呼ばれたことがないから、少しむず痒い。
その言葉を飲み込んで、ヴィスベルは白蛇の残骸に目を向けた。白蛇の残骸は、先程リーが言った通り、あの『蠱毒の白』と同じ個体とは思えないほど真っ黒だ。
——凄まじい威力だった。
ヴィスベルは、フレアと二人で放った魔法の威力に想いを馳せる。ミカエラに宿った大神が放った一撃と遜色ない、強力な魔法。消耗も普段より少ないような気さえする。この力は、邪神と戦うためには大きな力となるはずだ。
——この力の使い方を理解しないと。
そう、ヴィスベルが決意した、その時。黒焦げだった残骸が、ぴくりと小さく動いた。
「っ!皆!まだ終わってない!」
ヴィスベルの言葉で、緩んでいた空気が引き締まる。皆が武器を構え、臨戦態勢を取る。その視線の先で今一度、残骸が小さく蠢動した。
『殺セ……殺セ……』
遠ざかる意識の中で、また、声が聞こえた。その声で、ソレの意識は辛うじて現世に踏みとどまる。
『殺セ……殺セ……人間……生命……全テ……』
未だに魂の底から沸き立つ殺意の声。その声に、ソレは初めて、耳を塞いだ。
『殺セ』
——逃げろ。
『人間ヲ、奴等ヲ殺セ』
——アレには勝てない。今は逃げるべきだ。
『喰ラエ……殺セ……』
——それには力が要る。もっと、強い力が。
『力ガ欲シイ?ナラバ喰ラエ。殺セ!』
——そのためには……力の源へ帰らなければ。
身体を動かす。全身が痛む。焼け焦げた表皮が痛い。ならば、そんな皮は脱げばいい。ソレはずるりと、肉の塊を脱ぎ捨てる。冷たい外気に触れた体は痛んだが、それでも焼け焦げた表皮を纏っているよりは幾分かマシだった。
身体を起こすと、眼下には原型が分からない程に黒く焼けた塊が転がっている。それがかつての自分の身体で、その先で油断なくこちらを見ている小さい生き物がそれをやったのだと、直感的に理解する。
小さい生き物に対する殺意が、魂の底から湧き上がってくる。しかしソレは、その殺意に呑まれることなく、慎重に古い肉体を脱ぎ捨てるとずるり、ずるりと後退を始めた。
目指すのは、父母が力を得た泉。自分が生まれた場所。あそこに帰れば、自分は強くなれる。ソレは油断なく小さき者共を睨み付け、するり、かつて通った古巣への帰路へと駆け出した。
白蛇が、脱皮した。否、それは、従来の脱皮とは根本的に違っている。真っ黒に焼け焦げた体表の下から現れたのは、おぞましく脈動する桃色の肉塊。先程相対したソレよりも一回り小さくなったソレは、油断なくこちらを睨み付けている。焼け焦げた表皮を脱ぎ捨て、真皮を剥き出しにした白蛇は、威嚇するようにシャー、という鳴き声を発していた。
あの攻撃を受けてまだ生き延びる生命力に、ヴィスベル達は驚愕する。
どう来る。ヴィスベル達が武器を構えると同時に、白蛇がその身を縮める。
——来る!
明確な殺意にヴィスベル達が身構えると同時、白蛇はヴィスベル達とは正反対に飛び出した。
「なっ?!」
全く予期しない動きに、全員の動きが止まる。その隙を突いて、白蛇は何処かへ消えてしまった。
「逃げた……?」
「まずい!貪食進化の個体は魔物を食って回復する!早く追って倒さねぇと、手がつけられるなるぞ!」
カウルの言葉に、一同は慌てて駆け出した。幸いにも、柔らかな真皮は鋭い小石に傷つけられてしまったらしく、真新しい血痕がずるずると真っ直ぐに続いている。血痕は、高台からほど近い位置にあった洞窟の中へと続いている。
「この洞窟は……大採掘時代の坑道か……?」
明らかに人の手で整備された痕跡のある入り口に、カウルが呟く。
「この先は暗い。暗視の魔法は使えるか?」
カウルの問いに、皆が頷く。暗視の魔法は、夜間にも活動することが多い冒険者には殆ど必須の技能であり、魔力の消耗も少ないことからギルドでは無償の講義が行われている。ヴィスベルやフレアも、冒険者ギルドに所属してすぐに教わっていた。
暗視の魔法を発動し、白蛇の血痕を追って奥へと進む。
「おかしい……」
白蛇の通過に怯えていた小さなロックトータスや、その移動に巻き込まれたらしい小さな魔物の残骸を避けながら進んでいると、カウルが不可解そうな顔をした。
「カウル、どうかしたのか?」
「いや、貪食進化の個体が通った後には骨の一つすら残らない筈なんだ。だが、この有様は……まるで、何処かへ急いでいるような……」
カウルが違和感を口にすると、「そういえば」とシーラが口を開いた。
「出発前にレビィさんが気にならことを言っていましたね。大峡谷の奥地で大規模な魔力反応が確認されたとか……」
「そこに向かっているの?一体、何のために?」
フレアの言葉を聞いて、カウルの脳裏にミカエラの言葉が思い浮かんだ。
『いや、よく考えたら変じゃないですか?何で、このバジリスク達はこんな食うに困るような場所に態々棲みついたんです?』
『もう魔力は正常化してますよね?仮に私がバジリスクだったとして、餌も少ないこんな場所からは一刻も早く離れると思うんですよ。にも関わらず、バジリスクは何で大峡谷に居座り続けて……?』
「その理由がコレだってのか……?バジリスクが執着する「何か」?クソっ!急ぐぞ、もしかするとまずい事態になっているかもしれん!」
何が起こるか全く予想できない。カウルの言葉に全員が頷き、一同は洞窟の奥へと足を進める。
血痕を追って走ること、幾許か。バジリスクの血痕は徐々に少なくなってきており、傷の治癒が始まっている事を表している。急がなければ。焦るカウルの耳に、しゃらん、という音が聞こえる。音源は背後。振り返ると、シーラが額に玉のような汗を浮かべて膝をついていた。
「母さん?!」
慌てて駆け寄るリーに、シーラは微笑みかけて立ち上がる。
「大丈夫か?神官には少し、キツいペースだったか?」
カウルが問うと、シーラは首を横に振る。
「いえ……。あまりに強力な負の魔力が満ちていて……。迷宮にもこのようなフロアは存在したのですが、それと比べても酷い魔力で、思わず……。
ですが、負の魔力自体は徐々に減っているようですから、じきに良くなると思います。それに、動けないほど酷い魔力でもありませんから」
魔力が強い人間ほど、この手の気配には敏感になる。シーラの変調は、彼女が優れた魔導師であることの証明であるとともに、この先にその『酷い負の魔力』の根源が眠っていることの証明に他ならない。
貪食進化というイレギュラーが、強力な負の魔力を取り込んでしまうイレギュラー。そんなことになれば、今のメンバーで対処できるかどうかも疑わしい。
カウルの背中に冷たいものが走った、次の瞬間。どごん、大きな音が、洞窟中に響いた。重たい物が、何かにぶつかるような音だ。
「悪い、先を急ぐ。シーラ、俺の背中に」
カウルはそう言ってシーラを背負うと、ヴィスベルに先頭に立つよう指示し、一同は洞窟の奥へと走る。血痕を追って走る一行を出迎えたのは、一面に白く光り輝く大きな湖だった。
大きな音は、落盤で通れなくなっていた道を白蛇が体当たりで無理矢理開通させた音だったようで、一行が飛び出した通路の周りには砕けた岩が散らばっている。
「地底湖?こんな所に、何が……!」
辺りを見渡したカウルの視界にが白蛇を捉えた。白蛇は、白い鱗が体の所々を覆い始めてはいるものの、未だに体の一部は真皮が剥き出しになったままだ。その白蛇の視線の先を見て、カウルはその目を大きく見開いた。
白蛇の背中の向こうにあったのは、大きな槍を構える巨漢。さらにその向こうに見えるのは、テントか何かだろうか。
「ディレル!」
「ヴィス!」
「リー!ヴィス!待って!」
ヴィスベルが駆け出し、それを追いかけてリーと、フレアが駆け出す。
カウルはシーラをその場に下ろし、ザッと辺りを見回した。湖の水が光り輝いているのは、おそらく強大な魔力が溶け込んでいるから。とすると、白蛇が目指した魔力の源もこの場所にあるはずで、それと白蛇を接触させないことが第一目標となる。
「シーラ、負の魔力は感じるか……シーラ。シーラ?」
声をかけるが、シーラからの返事はない。何事かとシーラを見ると、彼女は跪いて祈りを捧げている所だった。
「シーラ、どうした?何があった!」
まさか、神に祈るほどの危険がこの場にあるのかと、カウルの背にまたも冷たいものが走る。しかし、それに対するシーラの答えは、カウルの予想だにしないものだった。
「いいえ、いいえ……この場に、負の魔力などありません……。感じます、全ての生命の母、命の守り手、生を司る大神の気配……!私自身が知らずとも、私の魂が知っている……!
この場に満ち溢れているのは、命の女神、アニマ・アンフィナの御力そのもの……!」
命の女神、アニマ・アンフィナ。それは、ミカエラが加護を受け、ヴィスベルに神託を与えた、原初の大神の一柱。
その力がこの場に満ちている。その意味についてカウルが想いを巡らせた直後、フロアに聞きなれた声が響く。快活とした、少女の声。カウルがそちらを向くと、ディレルの背後、テントから外に出てきたのであろう銀髪の少女の姿が視界に入る。
「ミカエラ……!」
カウルの視線の先で、少女……ミカエラは、その場に似合わない素っ頓狂な驚き声を上げていた。
ミカエラさんは純度100%の負の魔力の中を歩いていたのに対してシーラさんは純度50%くらいの負の魔力でああなってます。こんなメタな話本文には書けないのであとがきでの補完でした。
ご意見、ご感想、ご要望などございましたらいつでもお待ちしております。