38.大空洞
修正点の報告です。
ビアンカ婆さんのお師匠さんの魔導書に収録されている魔法の数が千→二百になりました。これによるストーリーの変化はほとんどありません。
度々現れるスケルトンやゴーレムを倒しつつ、俺たちは狭くなって来た道を進む。下っているのか上っているのかさっぱりわからない。定期的にディレルが水源に近付いていることを教えてくれなければ、とっくの昔にへばっていたと思う。
視界は確保できているとはいえ気が滅入るような暗闇に加えて、何やらトゲトゲしい不快な魔力。環境の条件としては最悪だ。バッグから水筒を取り出し、水分補給。何故か水の溜まりが悪いので、雨露の水差しでいくらか補充しておくのも忘れない。
「結構歩きましたけど、水源まではあとどれくらいなんですか?」
「そう遠くないはずだ。反応は間違いなく強くなってる」
この会話も、もう何回目かわからない。だが、こうしてお互いに相手の存在を確認しながら進まないと、気がおかしくなりそうだった。奥に進めば進むほど、ドレークが竃を占領していた時のような嫌な魔力が徐々に強まっているのが感じられる。
ディレルは特に何も感じていないようだが、どうも心が掻き乱されるような不快感がある。ディレルと何か言葉を交わしていなければ、きっと今頃おかしくなっていただろう。喉の奥の息苦しい塊を深呼吸で吐き出して、擦り切れそうな集中力をなんとか繋ぐ。
——今、ヴィスベル達はどうしているだろうか。
半分曇ってきた意識の中に、ぼんやりとそんな考えが浮かんだ。
——無事に帰って、野営地の人達と合流できてるといいな。
それで、皆で笑って、帰ったらエドワードやシルヴィアに今回あったことを話して。それで、バルバトスに出発する。ディレルは傭兵の仕事をするために。俺たちは、土の大神から加護を得るために。その筈なのに、何故俺はこんな薄暗い所を歩いているのだったか。思考が停滞する。
——って、一刻も早くお姉ちゃんを助けなきゃいけないのに、こんな所で時間を食ってはいられないよ!
突然生じた激しく叫ぶような内言に、俺はハッと我に返った。
そうだ、速やかに線路を見つけ出し、地上に戻らなければならないんだった。それに、あの白蛇もどうにかしなければならない。恐らく、俺とディレルだけでは白蛇を倒す事は困難。何をするにも、早いところヴィスベル達と合流しないと。気付けばディレルとの間に少し距離が開いてしまっていたので、俺は慌てて追い掛けた。
狭まった所を何度か抜けると、少し開けた場所に出た。ディレルが立ち止まりぐるりと中を見渡していたので、俺もその後ろから様子を窺う。
採掘が行われていた場所なのか、自然に削れた訳ではなさそうなごつごつとした岩肌の周りには、砕けたピッケルや、まだ削り出した岩石が積まれたままのトロッコが残っている。魔物の姿は見えない。
しかし、何故だろうか。広場からは、妙な圧迫感を感じる。何か良くないものが溜まっているような、淀んでいるような、嫌な威圧感だ。
俺は、一先ずの安全を確認して広場に足を踏み入れようとするディレルの腕を引く。
「どうした?」
怪訝そうなディレルに、俺は小さく首を振る。
「このフロア、何だか嫌な感じがします。抜けるなら、慎重に進むよりも一気に駆け抜けた方がいいかも」
俺の言葉に、ディレルは一瞬考えるような素振りをすると、大きく力強く頷いた。
「……魔導具によれば、水場に近い穴はまっすぐ走ったあの穴だ。走れるか?」
そう言ったディレルの指先には、小さな穴が一つ。間違えようがない。距離は100メートルあるかないかという所で、身体強化魔法まで使えば充分10秒以内に駆け抜けられる距離だ。
「はい。《身体強化・大》、と、念の為《貴き加護の鎧》」
何かあってはいけないと、俺は自分とディレルに鎧を付与する。やっぱり、帰ったら魔導書をしっかり読み直して他の人に付与するための方法を探した方がいいかもしれない。こう何度も力技で付与していたら魔力がもたないし、これだけ使う機会があるならその価値は充分あると思う。
「助かる。《ハイ・ブースト》。3、2、1で走れ。いくぞ、3、2……1!」
俺とディレルは殆ど同時に駆け出した。広場に入ると、先程から感じていた嫌な気配が膨れ上がるのが感じられる。同時に、そこかしこからカラカラカラン、という乾いた音が響いてくる。俺は、その音の元を振り向きもしないで、一目散に指示された穴に飛び込んだ。一足先に穴にたどり着いていたディレルがこちらに手を伸ばしている。今度こそ、俺はその手を掴んで、俺たちは穴の奥にゴロン、と二人で転がった。
鎧のお陰で痛みはない。俺は起き上がって、今しがた駆け抜けてきた広場に目をやった。
先程まで何もいなかったはずの空洞には、無数のスケルトンが溢れかえっていた。スケルトン達は眼孔に薄ら暗い光を灯し、そこを通り抜けた筈の生者の姿を探している。背筋を、冷たいものが伝う。
もしも慎重に進むことを選んでいたらあの中を進むことになっていた。あんな量とてもじゃないが捌ける気がしない。下手すりゃ「ミカエラさんの冒険はここで終わってしまった!」である。
肝を冷やしていると、ひゅう、とディレルが口笛を吹いた。
「危ない所だったな。流石にあの量は捌けねぇや。助かったぜ、嬢ちゃん」
「そりゃ、どうも」
そんな風に言いながらスケルトンがこちらに来やしないかと見張っていると、どうやらスケルトンは諦めたようで、カラン、と音を立ててその場に崩れ落ちた。こちらを追ってくることはなさそうだ。ホッと息を吐き出す。俺たちは呼吸を整えてから、更に深部へと足を進めた。
「一旦止まれ」
ディレルがそう言って俺を制したのは、それからすぐのことだった。何が、と思ってその視線の先を見ると、そこは大きな岩が道を塞いでいて、行き止まりになっている。
「ここまで来て行き止まりですか……」
随分長い道を歩いて来た筈なのに、その労力が徒労に終わってしまった。がくり、俺は肩を落とす。ここまで分岐路はいくつかあったが、どこまで戻ることになるのだろうか。気分が暗くなる。しかし、落胆する俺の言葉を、ディレルは落ち着いた口調で否定した。
「いや、この岩、思ったよりも薄い。それに、この向こうに何かの空間がある」
「何でそんなこと……」
「よく見ろ。光が漏れてる」
ディレルの言葉に、俺はじっと岩を凝視する。言われてみれば、たしかに光が漏れているような気がする。試しに見通す眼を解除してみると、周囲が見えないくらい真っ暗になった中、丁度岩のあった所から赤っぽい光が漏れ出しているのが分かった。再度見通す眼を発動してディレルを見上げる。
「なんとかこの岩を突き破れないか……?」
「ディレルさんの槍で突く……とか?」
「ここは狭すぎて槍を構える場所がねぇよ」
確かに、ここは他の場所と比べても狭い。ギリギリ槍を背負って動くことは出来るだろうが、構えて突く、となると難しそうだ。とはいえ、俺の手持ちの攻撃魔法は貫く弾丸くらいなものだし、弾丸でこの岩を削り切るのは非現実的だ。
「ちょっと待って下さい」
魔導書に何か良い魔法はなかったかなと探してみる。暗視魔法だけでは文字を読むのは難しかったので、明るい導の光で手元を照らす。これじゃない、これでもなくて……。
「あった!」
開いたページの中に、丁度いい魔法があった。魔法の名前は、『爆ぜる魔弾』。着弾地点で小規模な爆発を起こす中級攻撃魔法。式は初めて見るものだが、思ったよりも難しくない。
使用上の注意点として、あまり近くで爆発させると自分もダメージを被ること、距離に応じて爆発力が下がる事などがつらつらと書いてある。俺はそれを大まかに把握して、掌の上で魔法式を展開。それが魔導書の物と殆ど寸分違わぬ出来であることを確認して、ナイフを構えた。
「ディレルさん、ちょっと下がっていて下さい。この岩、吹き飛ばせるかもしれません」
「お、おう」
ディレルが下がったのを確認して、俺は魔力を回す。最初にあまり威力を高め過ぎて落盤、なんてことになっては目も当てられないので、ある程度威力はセーブして第一射目。
「《爆ぜる魔弾》」
琥珀色の弾丸が飛び、岩に着弾。パン!と軽快な音がして、パラパラと岩の破片が散る。かなり威力は絞った筈だが、それでこの威力。少し調整してやれば、簡単に吹き飛ばせそうだ。
ただ、もう少し離れないと爆ぜた岩の欠片で怪我をするかもしれない。俺はディレルと二人でもう少しだけ後ろに下がり、念のため貴き加護の鎧を纏った。
集中し、魔力を回す。今度は、岩を吹き飛ばすのに十分な威力を出せるように調整。岩の中心をよく狙って、ナイフを構える。一度、小さく深呼吸。
「《爆ぜる魔弾》!」
万全を期した第二射が岩に着弾。魔力弾は第一射目で僅かに削れていた中心部に着弾すると、僅かにその内側にめり込んで、直後、ダゴン!と爆音が響いた。そのあまりの音に、僅かに頭がクラクラする。
予想通り砕けた石片がこちらに飛んで来るも、加護の鎧のお陰で俺たちは無傷である。が、それはあくまで大きな石片の話。辺りに充満した岩の粉塵までは防ぐことができず、俺はむせて咳き込んだ。
一通り咳き込んで、ようやく呼吸が落ち着く。岩はどうなったろうかとそちらを見ると、そこに岩は無く、大人も屈めば倒れるくらいの穴が空いていた。穴の向こうは、明るい。
「何とか成功、ですかね?」
「だな。助かったぜ。……何があるか分からん、ひとまず俺が先行する」
ディレルの言葉に頷くと、彼は慎重な動きで穴を潜る。ディレルの身体が完全に向こう側の空間に出たのを確認して、俺も続いて穴に入る。
穴を抜けた先には、先ほどの広場よりも大きな空洞が広がっていた。そこに広がっていた光景を目にして、俺は思わず息を呑む。
「何だ、こりゃあ……?」
ディレルが驚いた風に呟く。そこに広がっていたのは、朽ち果てたベースキャンプと、廃棄されて久しい掘削道具。そして、怪しく赤い光を放つ、一面に広がる地底湖だった。
ここが、ディレルの言っていた地底湖のあるフロアだろう。事実、放棄されて長そうなベースキャンプらしいテントもあるし、遠くには線路も見えた。
地底湖の光は、暗視の魔法を切ってもこの広場全体を見通すには充分なだけの光量を放っている。俺は周囲を警戒しつつ、歩き出したディレルの後に続く。
「この地底湖、何で光ってるんですかね?」
「分からん。だが、あまり触らない方が良いだろう。何が起こるか予想もできねぇ」
俺もそれには同感である。光る水、というと夜光虫とかが思い浮かぶけど、あれは刺激を与えて初めて発光するのであって、こんな風に水そのものが光っているような感じにはならないはずだ。……まぁ、これもテレビか何かの聞きかじった知識でしかないんだけどさ。
ディレルが半分朽ちかけのテントの中を覗く。俺は、特にできることも無いのでフロア全体の様子を何となく見回す事にした。採掘道具や何かの道具らしかった物の破片や、隅の方には朽ちた木箱が積まれているのが見える。その中に、奇妙な塊が紛れている事に気が付いた。
「ベースキャンプはまだ使えそうだ。最近誰かが持ち込んだのか、新しい毛布と布がいくらかある。ただ、魔物除けは機能していないようだから警戒は必要だな」
「なるほど。……ディレルさん、あれ、何ですかね?」
テントの物色を終えて出てきたディレルに、俺は先ほど見つけた奇妙な塊の方を指差す。それは一見して何かの岩の塊のようにも見えたが、よく見ればそれが周囲の床や壁とは全く違う材質のものだとわかる。近付いてみると、それは何かの『殻』の破片だということがわかった。
大きさは、人の頭よりも少し大きいくらいだろうか。表面は多少歪でごつごつしているが、大まかには流線型を描いている。球形のものが割れたのか、内側に何かの粘液が付着している破片は辺りにいくつも散乱していた。目を凝らすと、その中には何やら白っぽい革紐のようなものも混ざっていることがわかる。
「……こりゃあ、バジリスクの卵と抜け殻か?」
「……ていうことは、ここがバジリスクの巣?」
「可能性は高い。だが、そうなると却って好都合だ」
ディレルのとても正気とは思えない発言に、俺は目を剥いて彼の顔を見上げた。ディレルは自信ありげな様子で、顎を撫でている。俺の顔を見て言いたい事を察したらしいディレルは言葉を続けた。
「ここの主だろうバジリスクはもう倒した後だし、あの白いバジリスクがあの番とは無関係のバジリスクなら、ここには近寄ってこない。バジリスクは縄張り意識が強いからな。
幼生が怖いとはいえ、見た感じこの大きさなら何とかなりそうだ。
今日の所は、ここで一旦休もう。洞窟の中じゃあ時間感覚が狂うが、外じゃ今頃日も落ちてる。こんな時だからこそ、少しでも休めるうちに休んでおきたい。嬢ちゃんもそろそろ限界だろう?」
「それは……」
否定しようとした俺の全身を、どっと疲労感が襲う。言われてみれば、今日は朝から歩き続けていた訳で、しかもバジリスクとも戦って、こうして大空洞を探索している。疲れていない筈がなかった。
それを自覚すると、瞼が少しずつ重くなって来たような錯覚を覚える。くらり、立ちくらみがしてふらついたのを、ディレルが支えてくれた。
「言わんこっちゃない。嬢ちゃんはもう休め」
これ以上の活動は、さすがにディレルに迷惑をかけるだけになりそうだ。俺は、ディレルの言葉に甘えて、半分朽ちかけのテントの中に入り、毛布にくるまった。
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