37.大峡谷・下層
「けほっ、けほっ……あいたたた……」
着地の衝撃からか、頭がグラグラする。あと、全身が痛い。何とか起き上がって見上げてみると、かなり遠い所に青空が見えた。まぁ、上から見下ろして下が見えないってことはそういう事なんだけど。
……いや、待て。何で俺は生きてるんだ?常識的に考えて、あの高さから落ちたら死ぬのでは?
「痛っ」
右手首に微かな痛みを感じ、慌ててそちらに目をやる。エドワードに貰った腕環が、内側から弾けたようにして割れている。俺の魔力で染められていた琥珀色の魔石はその色を失い、割れたような、砕けたような、溶解したような、そのどれとも言い難い奇妙な変形をしていた。壊れた腕環の破片が、カラン、と小さな音を立てて地面に転がる。
「腕環が、守ってくれた……?」
俺は感謝の意を込めて手を合わせ、砕けてしまった腕環の銀片をポーチにしまう。ポーチの中身は奇跡的に無事だった。ポーションが残っているのはありがたい。
「そうだ、ディレルは……」
周囲を見回すと、ディレルが少し離れた場所で、「痛ぇ……」と腰をさすっているのが見えた。
「ディレルさん、平気ですか?」
ひとまずディレルに駆け寄ると「おうよ」と一言。頼もしいばかりだ。
ディレルは近くに落ちていた自身の槍を背負って、先程の俺と同じように上を見上げた。
「……随分高いな。痛みの感じから、案外浅かったのかと思ったが……何で生きてるんだ?」
「多分、私が持っていた魔導具の効果だと思います。込めた魔力に応じて身を守ってくれる魔導具だったので。……今ので壊れちゃいましたけどね」
念のため、俺は癒しの光を範囲最大で使っておく。落下の衝撃でどこかしら怪我していて気付いてないとかだとその後の行動に支障が出る気がするし、あの白い蛇がうろついている事を考えると、多分慎重なくらいで丁度いい。
「ディレルさんも、ちょっと屈んでください。一応、回復魔法だけかけておきます」
「あぁ、助かる」
ひとまず癒しの光を使い、お互いに身体に痛むところがないのを確認。再度落ちてきた崖を見上げる。
崖は、「大峡谷」の名に恥じない断崖絶壁で、とてもではないがここを登るのは無謀そうだ。命綱もなければ、飛ぶための魔法もない。身体強化で強引に登るには崖の斜面は険しすぎる。
「どうやって帰りましょうか……」
「登るのは、無理そうだな」
斜面に足を掛けたディレルが、鋭い目で崖上を見上げて言った。
「大空洞の入り口を探すしかないな」
大空洞。ディレルの言葉を聞いて、ここに来る途中にカウルから聞いた話を思い出す。
大峡谷がかつて、莫大な鉱物資源を生み出す鉱山だった頃の名残とされる、広大な迷宮。それが大峡谷の「中央大空洞」と呼ばれる場所である。
元は大峡谷全域に張り巡らされていた巨大な地底洞窟だったらしく、神代の頃には地下通路としても利用されていたらしい。尤も、今では詳細な地図も失われて、それこそ魔物くらいしか足を踏み入れる事はなくなってしまったそうなのだが。
随分昔、ヘパイストス全域で鉱石の需要が高まった時期があった。詳しい歴史的背景は分からないが、ともかくあらゆる「未開の地」が開拓され、その鉱脈が掘り尽くされた時代があったらしい。この大峡谷も、当然採掘の対象になった。
優秀な冒険者の手によって大空洞の奥に大きな鉱脈が見つかると、多くの冒険者たちがこぞって採掘に出かけるようになった。ここまでが前提。問題は、冒険者達が採掘のために行った事だ。冒険者達は、大峡谷の鉱物資源を獲得するために、元々大峡谷の全域に渡って張り巡らされていた地底洞窟の内部を掘削で広げだしたのだ。それを鉱脈の有無に関係なく行ったものだから、地下通路として使われていた主要な通りは、軒並み落盤事故で通行できなくなってしまった。メタルジア・タワーは、この時の被害者の慰霊が目的で建設されることになったらしい。
閑話休題、そんなこんなで地下通路としての大空洞は終わりを迎え、代わりに大峡谷の上を通行するルートが整備された。このこともあって、今では大空洞に足を踏み入れるのはよほどの物好きか、過去の冒険者の落し物や確証のないお宝を探すような人たちだけらしい。
「大空洞から本当に帰れるんです?」
不安に思い、ディレルに聞くと、ディレルは顎に手を当てて「あぁ」と頷いた。
「殆どの通路は落盤で塞がったが、採掘した鉱石を外まで運ぶトロッコの線路はまだ残ってるそうだ」
「つまり、そのトロッコの線路を見つけて辿っていけば、外に出られるって事ですか?」
「まぁ、可能性はあるって話だ。こんな谷底まで降りられる長さのロープは流石に無いだろうし、どの道動かない選択肢はない」
そう言われてしまえば、確かに他に選択肢など無いのだが。手持ちの魔導書にも飛行の魔法なんて載ってないからなぁ。
「それで、その線路まではどう行くんですか?」
「……聞いた話だと、冒険者がベースキャンプにしていた、地底湖があるフロアと繋がっているらしいな」
釈然としないディレルの言葉に、嫌な予感がした。普段なら「へぇそうなんですか」と流してさっさと歩き出すのだろうが、現状ではそうも言っていられない。俺は聞きたくないなぁ、と内心辟易としながらも、ディレルに問いかける。
「……それで、そのフロアにはどうやっていくんです?」
俺の質問に、ディレルは目線を逸らして沈黙を返してくる。俺はディレルが逸らした視線の先に移動する。すると、ディレルはまたも俺から目を逸らした。二、三回、そんなやりとりをして、俺は確信する。
「……つまり、知らない?」
「……まぁ、なんとかなる、んじゃねぇの?」
そんなディレルの楽観的な言葉にため息を一つ落っことして、俺達は峡谷の奥へと足を進めた。
大峡谷の底、薄暗い細道を歩くこと数分。バジリスクの影響か、はたまたあの白蛇の影響か、魔物の死体は散乱していたものの特に危険な魔物と遭遇することはなく、順調に進む。いや、この道のりが順調なのかはわからないけど。
魔物の死体とは言っても、ワイルドゴーレムの死体は砕けた土くれの塊だし、ロックトータスはひび割れた殻しか残っていないので臭いとかは全く無い。散らかっていて歩きにくいなぁ、程度なものだ。たまに生きて縮こまっているロックトータスは、可哀想なのと襲ってくる訳でもないので見なかった事にして先を急ぐ。
こう長時間歩いていると、カウルが言っていた「魔力が集まりやすい」という意味が何となくわかってきた。上層にいた時は気にならなかったが、この下層の魔力濃度はほかの場所に比べて随分と濃い。いっそ息苦しさを感じるレベルだ。濃い霧、というよりも水の中を歩くような、重々とした感覚。……あまり、長居はしたくない所かもしれない。
「所で、さっきからちらほら見える洞窟には入らないんですか?大空洞って、大峡谷全体に張り巡らされてるんですよね?どこか適当な所から入ったらその地底湖まで着きませんか?」
「そりゃあ、そうかもしれないな。だが、俺だって何の策もなく、歩いてる訳じゃない」
そう言って、ディレルが懐から銀の懐中時計のようなものを取り出す。かすかに魔力を感じるので、何らかの魔導具だろうか。「それは?」と聞くと、ディレルはどこか得意げにそれを操作した。
「水源を探すための魔導具だ。大峡谷の水源は地底湖くらいしかねぇ。となれば、水源に一番近い穴から中に入れば簡単にたどり着けるって寸法よ」
「ここ、魔力がかなり濃い場所ですけど、その魔導具壊れたりしませんか?」
「魔力が高い秘境で水源を探すための魔導具だ、抜かりはないさ」
ディレルが自信満々に言う。まぁ、そう言うならそうなんだろう。どの道地底湖までは行かなきゃだし、ここはディレルを信じる事にしよう。
「っと、ここだな」
ディレルが、大きな裂け目の前で立ち止まる。それは巨大な裂け目で、高さは6,7メートル程はあるだろうか。幅も4メートルはあるので、二人並んでも広々と歩けそうである。中は当然、薄暗い。
「暗視の魔法は使えるか?」
「えぇ、一応は。《見通す眼》」
視力強化と暗視の効果が一緒になった魔法を使う。初めて使う魔法だったが無事に成功したようで、裂け目の奥を見やると外と変わらない明るさに見えた。
「流石だ。《ナイトヴィジョン》」
ディレルも恐らく、古式魔法であろう詠唱をして裂け目の中に足を踏み入れる。
裂け目の中は、少しごつごつとして足場が悪かったが、しっかり見えていれば歩きにくい、気をつけて歩かなければならない、程度の道だ。先行するディレルに続き、俺も注意しながら進む。
どれほど進んだだろうか。少し集中力が切れかけてきた頃、何かに足を取られてバランスを崩した。
「うおっと!」
「って!」
無防備な顔に正面から鈍い衝撃。額がじんじんと痛む。どうやら前を進むディレルの背中に勢いよく飛び込んでしまったらしい。まぁ、ディレルは驚いたくらいで微動だにしなかった訳だが。痛む額に癒しの光を当てていると、ディレルが怪訝そうにこちらを振り向いた。
「なんだ、嬢ちゃん。急にぶつかってきて。あぁ、アレか?若い娘が意中の男に、っつー感じの奴か?」
なに、この世界そんな文化あるの?若い娘さんって意中の人に対して暗がりからアンブッシュするの?怖すぎじゃない?
そんなカルチャーショックを受けていると、ディレルが俺の肩をぽんぽんと叩いてくる。何事かとディレルの顔を見上げると、何やら実に良い表情をしているのが見えた。
「まぁ、何だ。悪りぃな、もう少し色々と育ってから出直してきな。そん時は相手してやる」
「ちーがーいーまーすー!そんなんじゃないですー!」
ああ、これからかわれてるわ。暗視魔法のお陰でくっきりはっきりよく見えるディレルの半笑いを見て確信する。この非常時に、とディレルを睨みつけるも、彼は大人らしい余裕の表情でこちらを見下ろしている。それが何故だかとても腹立たしく感じられた。俺だって大人なんだぞ。確かに肉体的にはお子様だけどさ。
ディレルの顔を見上げ続けるのはいい加減首が疲れるので、俺はディレルから目を離して先程足を引っ掛けた何かの方に目をやった。
「ちょっと何かに躓いただけです、か、ら……」
それを見て、俺は言葉を失なった。
ソレは、以前、俺の世界でも何度か見たことのあるモノであり、しかし、馴染みの薄いもの。
それは、風化した白い塊だった。ぽっかりと空いた一対の何も映さない空洞が、俺の事を見上げている。
生物の教科書で。ホラー映画の一場面で。ゲームの背景で。学校の保健室の片隅で。その独特の形だけは何度も何度も目にする機会があったソレ。
人の、頭蓋骨。古びた髑髏が、そこにはあった。
「あぁ、多分大採掘時代のホトケさんだな。俺たちはこうならないように気を付けたいもんだ」
「……そういえば、この大空洞にも魔物は出る……んですものね」
順調な道のりにすっかり忘れてしまっていたが、ここは魔物が跋扈する洞窟である。加えて、いつあの白蛇が現れるかもわからないし、バジリスクの子供だって残っている。このあたりはまだ広いし、暗視魔法まで使っていれば魔物の接近を察知することは容易い。だが、それでも気を抜いてしまっていたらこの骸骨の二の舞になることだって、十分に考えられるのだ。緩んだ気を、引き締める。
「……先を急ぎましょう。こんな、いつ魔物が出るかわからないような所には長居したくないです」
「同感だ」
ディレルが頷き、前に進む。俺はそれに遅れないように駆け出して、直後、足を何かに掴まれて転倒した。
「っ?!」
何が、と足元を見ると、白い何かが逃すまい、と俺の足を掴んでいる。その白い何かの繋がる先には、先程俺が躓いた髑髏。しかし、その髑髏の目には先程と違い、薄ぼんやりとした紫の光が宿っていた。
「スケルトンだ!頭を潰せ!」
慌てたようなディレルの言葉に、俺は片手を構えて魔力を回す。ナイフを抜いている時間は、無い。俺の足を掴んでいるのとは違う方の骨腕が、俺の方に伸びてくる。先程までバラバラだった白骨は、すでによく出来た骨格標本の形に纏まっていた。足を掴んでいた手が離れ、骨の体が俺にのしかかってくる。気付いた時には、骸骨の頭は目の前にあった。
「《貫く弾丸》!」
がこん、という音を立てて、俺の腕から放たれた魔力弾が頭蓋骨を貫通する。スケルトンの目から光が消えて、骨がその場に崩れ落ちる。四散した骨は、そのままサラサラと崩れて灰のような何かへと変わった。俺は立ち上がり、服に付いた灰を手で払う。
「大丈夫か?!」
「はい、平気です。怪我も、ありません」
念のため掴まれた箇所に癒しの光だけ当てて、ディレルに応える。見上げたディレルは、大槍を構えて周囲を見回していたが、何も居ないことがわかったのか槍を背負い直す。
「すまねぇ……。本来、大空洞にはスケルトンは……いや、何を言っても言い訳にしかならねぇが、俺も今が異常事態だってことを忘れてた」
「いえ、ありがとうございました。スケルトンなんて初めてでしたので、戦い方を教えてくれただけでも良かったです」
「ここから先は、俺が事前に聞いてる情報はアテにならないかもしれん。十分に注意して進むぞ」
ディレルの言葉に、俺は大きく頷いた。
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