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36.バジリスク退治2

 


 入り組んだ大峡谷の、ヘパイストス側から入って少し行った所に、その場所はあった。大峡谷の中でも、それなりに広々とした空間を誇る高台。端から端まで100メートル……まではないだろうが、50メートル以上はありそうだ。周囲は更に高い崖に囲まれていて、さながらコロッセオのような趣の空間である。この辺りの人間はこの高台のことを大地の眷属の闘技場、なんて呼んでいるらしいから神話の時代には本当に闘技場だったのかもしれない。平らだし、障害物も少ないし。


 まぁ、そんな霊験あらたかな感じの高台は、今や大峡谷の外で倒した魔物の死骸がこれでもかと山積みにされていて、カルトな儀式場の様相を呈しているんだけど。屍肉の山から少し離れた位置にいるが、ここまで血生臭い臭いが漂ってくる。


「ほんとにこれでバジリスクが来るんですか?」


 背後のスプラッターな光景から目を背けて、俺はカウルに聞いた。修羅場慣れしていそうなディレルやヴィスベルも顔をしかめているから、なかなか壮絶な絵面、なんだと思う。フレアに至っては俺達よりも高台の外縁側に寄って高い崖を見上げている。


 何を隠そう、このカルトな光景を作り出したのは俺達である。


 バジリスクが巣食っている大空洞では戦いにくいから適当な高台に誘き寄せる、という名目で提案されたこの作戦は、カウルが昨日の昼間に思い付いたものである。


 いきなり肉をばら撒くなんて言われた時には皆で揃って素っ頓狂な声を上げたものだ。結局、昨日はあの後半日使って野営地付近の魔物を狩り、俺達五人とギルドの方から協力者として派遣されたらしい五人、計十人分の素材袋がそれなりに一杯になるまでの生肉を集めることになった。


 夜中までかかって捌いていたので、今でも少し手が痛い気がする。痛み自体は癒しの光で無くなっている筈なんだけど、不思議だね?


 今この場にいるのは俺達五人だけで、昨日魔物狩りに付き合わされていた斥候の冒険者達は、今はカウルの指示で近くの大空洞へ続く洞穴前に屍肉を撒きに行く作業中で、俺達は彼らの報告を待っている状態である。


「大峡谷は、魔力が集まりやすい地形だが、そこに発生する魔物はワイルドゴーレムやロックトータスに代表される岩のように硬い体や殻を持つ、しかも可食部位が少ない魔物ばかりだ。

 バジリスクは屍肉や生肉を好むが、この大峡谷で番にまで成熟した個体が満足するほどの食糧が得られるとは思えない。その上子供まで生まれたとあっては、奴らは今かなりの空腹状態であることが予想される。そんな所に絶品の餌だ、来ない理由がないだろう」

「まぁ、そりゃ、そうでしょうけども」


 カウルの言うことは尤もだ。尤もではあるのが、何だろう。うまく言葉にできないが、妙な違和感を感じる。違和感の正体を探ろうと考え込むうちに、斥候部隊の餌まきは無事に完了したらしい。


 一人も欠けることなく戻ってきた彼らはカウルに報告をすると、高台の隅で集まって仲間との一時の再開を喜び合っている。


 その光景は、今から相手にする魔物の脅威を如実に表しているようで、俺は口の中に溜まっていた生唾を飲み込んだ。何にせよ、作戦は始まっている。俺にできることは、適切な魔法、適切な支援で戦うこと。それ以外のことは、今は考えなくても平気だ。そう、自分に言い聞かせる。


 斥候達がバジリスクの索敵に出発し、残る全員が警戒態勢に入る。ピリピリとした、静かな時間が流れ始めた。無線機なんて存在しない上、通信機能のある魔導具なんて便利アイテムも無いから、その接近に気付くには斥候の人の合図しかない。その合図を聞き逃さないように、俺達は固まって神経を尖らせた。


「……そういえば、今回のバジリスクって、この大峡谷で生まれた魔物、ではないんですよね」


 物音一つなくなり痛いほどの沈黙が辺りに満ちた頃。ふと、先程感じた違和感の核心に近い考えが頭を過ぎる。カウルが、不審そうに俺の方を見た。


「いや、よく考えたら変じゃないですか?何で、このバジリスク達はこんな食うに困るような場所に態々棲みついたんです?」


「そりゃあ、魔力の変化で凶暴化してたんだろうよ。ワイバーンがレーリギオンの僻地に迷い込むくらいだ、それくらい起こるだろ」


「ですが、もう魔力は正常化してますよね?仮に私がバジリスクだったとして、餌も少ないこんな場所からは一刻も早く離れると思うんですよ。にも関わらず、バジリスクは何で大峡谷に居座り続けて……?」


 俺がその疑問を口にし終わるより早く、偵察に出ていた斥候の「標的発見」という悲鳴のような合図が響く。


「その話は後だ。来るぞ!」


 カウルの言葉で、俺たちはすぐさま臨戦態勢に入った。俺は全力で魔力を回して、集中。近くの仲間に対して支援の魔法を付与する。


「《貴き加護の鎧》」


 使い切りの魔法障壁が、皆の身体を覆う。一度に五人分の鎧を発動したからか、少し頭が痛い。貴き加護の鎧は元々自分にかける魔法で、他の人にかけるのは難しい。他人に付与するならもう少し魔法式を弄らないとダメだろう。そんなことをしている時間も、魔法式を弄る知識もまだないから今回は力技でやった訳だ。


 力技というだけあって、この方法で付与した鎧は自分にかけるよりも耐久性は少ないし、維持できる時間も短めだ。


 それでもそんな力技を使ってまで皆に付与した一番の理由は、バジリスクが非常に素早い魔物であり、今回は番という事もあって、不意打ちによる突然死を防ぐ為である。あと、不意打ちが無かったとしても避け切れない攻撃がないとも限らない。


 ……いや、これ自体はカウルの受け売りなんだけどね?俺は実際にバジリスクを見たことはないし、戦ったことも当然無い。


 しかし、かなりの集中力が必要になるから本格的な戦闘が始まってから掛け直すのは不可能だろう。本当に一撃を防ぐだけの鎧だ。相当魔力を込めたが、何もしなくても一時間程度で効果が切れてしまうはずだ。それまでに決着を付けたい。


 神経を研ぎ澄まし、バジリスクが現れるのを待ち構える。やがて、シュルシュル、という微かな音がどこからともなく響いて来た。その音の発生源を探そうと周囲に目をやって、俺は悠々と歩み寄ってきたソレ(・・)に気が付いた。


 それは、大きな黒い塊だった。チロチロと炎のように真っ赤な舌を揺れている。その緑金色の縦長の瞳孔は、自身のテリトリーに入り込んだ小さな存在を睥睨していた。


 頭だけで俺の身長ほどの大きさがある、巨大なヘビ。ソレは、その巨体の似合わない俊敏な動きで俺たちの待ち構える高台に侵入して来た。バジリスクは、俺達を視界に入れつつも高台中央に積まれた屍肉の方に興味があるらしく、思ったよりもゆっくりと、しかし決して遅くない速度で高台の中心に向かって進んでくる。まだ、仕掛けるには少し遠い。緊張が高まる。


「《ハイ・ブースト》!」


 それが誰の声だったか、もはや分からなかった。ただ、その身体強化魔法の詠唱がトリガーとなって、戦いが、始まった。


 先制攻撃はディレルの大槍による刺突。その背後から、カウルとヴィスベルが剣を構えて突撃する。カウルが振るうのは、いつもの短剣ではなく先日新調したばかりの長剣である。


 屍肉に気を取られつつもこちらを興味深げに観察していたバジリスクは、ディレルの大槍を危なげなく躱すとシャア!と威嚇の音を出しながらディレルに喰らい付こうとする。


 ディレルがそれを姿勢を低くする事で避けると、ディレルに気をとられていたバジリスクに、彼の後ろに控えていた二人の斬撃が襲いかかる。二人の剣が、その胴体に浅いながらも傷を付けた。僅かに赤い飛沫が舞う。


 悲鳴のような声を上げて、バジリスクがその身を捩った。三人がバジリスクの元から離れたのを見計らい、俺とフレアは攻撃魔法を撃ち込む。


「《貫く弾丸》!」

「《フレイムボール》!」


 琥珀色の弾丸と小さな火弾がバジリスクの頭に着弾。突然眼前で爆ぜた魔法の光に、バジリスクがキシャア、という叫びを上げる。


 悶えるバジリスクは、憎悪の目で離れた位置に居る俺たちの方を睨み付けた。


「っ、《硬き護りの殻》!」


 射殺すと言わんばかりの鋭い眼光。今にも飛び出して来そうなバジリスクに、俺は思わず防御魔法を展開した。半透明な魔力の壁の向こうで、バジリスクがこちらに向けて身を縮める。

 来るか。衝撃に耐えるために護りの殻に衝撃軽減を付与する。バネのように縮まったバジリスクの筋肉が解放される、その直前。


「《ハイ・エンハンス》!」


 聞き慣れない魔法の詠唱。いつの間にかバジリスクの目の前にまで迫っていたディレルが、その青白く輝く槍をバジリスクの長い胴体に突き立てた。バジリスクが悲鳴をあげてその身を激しくうねらせる。


「うぉっ?!」


 バネのようなその勢いに、バジリスクに槍を突き立てていたディレルは体勢を崩す。


 ディレルは慌ててもがくバジリスクから槍を引き抜き体勢を立て直そうとする。硬直したディレルの元に、怒り狂ったバジリスクの歯牙が迫る。


 その牙がディレルの身体に届く、その直前。琥珀色の燐光が爆ぜ、ディレルはするり、バジリスクの眼前から離脱した。


 鎧がうまく機能してくれたらしい。俺はほっと胸を撫で下ろしたが、ディレルの上腕に僅かな裂き傷を見つけて血の気が引いた。バジリスクの牙には猛毒がある。僅かな傷が致命傷になりかねないと、カウルやディレルには口を酸っぱくして言われている。


 急ぎ離脱しようとするディレルしつこく追い迫るバジリスクを、ヴィスベルとカウルが攻撃して引きつける。


 バジリスクの意識がディレルから二人に移ったのを横目に、俺は身体強化をかけて全速力で駆け出した。そんな俺をカバーするような動きでフレアが追従してくれる。


 俺の役目は身体強化も用いた機動力で速やかに負傷者を治療し、手の空いた時には攻撃魔法でヴィスベル達を援護すること。それが、今回の戦いに向けてディレルと打ち合わせたフォーメーションだ。


 負傷した時の打ち合わせ通りにディレルもこちらに向かって駆けてくるが、その顔色は目に見えて悪く、動きも僅かにだが精彩に欠けるように見える。フレアに背中を預け、俺は片膝をついたディレルに解毒魔法と回復魔法を掛けた。


「《聖なる滅毒の光》《優しき癒しの光》」


 魔法がかかると、ディレルの顔色が目に見えて良くなる。余程効果があったのか、ディレルがひゅぅ、と口笛を吹く。思ったよりも余裕はあるらしい。


「こりゃあ、いいや。助かった」

「少し、待っていて下さい。鎧の方も掛け直してみます」


 深呼吸、集中。バジリスクはヴィスベル達が抑えているし、背中はフレアが守ってくれる。ここは安全、だから、いつもと同じように……。


 魔力を回し、魔法式を組み上げ、魔力を込める。先程よりも硬く。先程よりも強くなるように。


「《貴き加護の鎧》……!」


 急に立ち上がった時のような微かな目眩にふらつきそうになるのを、何とか堪える。こんなの、やっぱり戦闘中に何度も掛け直す魔法じゃないな。また使う機会が無いとも限らないし、早い所改良できるようにならないと……。


「助かる。あんまり嬢ちゃんに頼ると腕が鈍っちまいそうだ」

「褒め言葉として受け取っておきます」

「ん、ありがとよ」


 ディレルが拳を突き出してきたので、俺はディレルと拳を突き合わせた。確か、ツィーバで感謝と激励を表す動作、だったと思う。


 ディレルが先程よりも軽やかな動きでバジリスクに迫る。少し一呼吸置こうかと腰のポーチからマナ・ポーション(イチゴ風味)を取り出そうと手を伸ばすも、バジリスクはそんな時間は与えてくれないらしい。


 バジリスクが暴れたことで地面の一部が削れたのか、決して小さくない石片がこちらに向かって飛んでくる。俺はそれを護りの殻で弾いて、お返しに貫く弾丸を傷口に向けて撃っておく。フレアの火弾も命中し、バジリスクが益々苦悶の声を上げた。


 追撃とばかりに、ディレルが発光する槍を構えて突貫、バジリスクに致命傷を増やす。


 俺はポーチに伸ばしていた手を戻し、警戒しつつナイフを構える。この調子なら、あのバジリスクはすぐに倒し切る事ができるだろう。魔力にも余裕はあるし、ポーションを飲むのはこれを倒してからでもいい。


 それで、これを倒したらあと一体だ。そこまで考えて、目の前に現れたバジリスクが一体だけであることに違和感を覚えた。果たして、番のバジリスクが、相方の危機に気付かないものか?


 最悪のケースが脳裏に浮かび、俺は辺りをぐるりと見渡す。バジリスクが暴れまわったせいで、高台の中心にあったはずの肉片は色々な所に飛散しており、スプラッターな光景に拍車がかかっている。その端から端までを注意深く見回して、視界の端に黒い塊が迫っていたことに気が付いた。その視線は、真っ直ぐに俺、ではなく、その前方でバジリスクを注視しているフレアに向けられている。


「っ!フレア、危ない!《広き守護の盾》!」


 慌ててフレアの側に寄り、防御魔法を展開する。ガァン、と爆音が響き、俺達と障壁一枚隔てた先に一回り小さいもう一匹のバジリスクが姿を現す。バジリスクは緑金色と瞳孔を針のように細くして、俺達のことを睨みつけている。ガリガリと、微かに、しかし確かに盾が削れる音がする。


 このままではジリ貧だ。焦る俺の背中を、フレアがそっと叩く。


「ミカ、私が『裁きの火』を使うわ。タイミングを合わせて、盾を解除して」


 裁きの火。原初の火種による、強力な攻撃手段。原初の火種を受け継いだ者だけが使用を許される『火』の秘術。


 フレアの言葉に頷く。それと同時に、フレアの方から膨大な熱が吹き出してくるのを感じた。


 いや、これは、物理的な熱ではない。その熱から感じられるのは、俺の中にも確かに流れる強い「火」の気配。練り上げられた火種の魔力が、周囲の魔力を染め上げているのだ。


「ミカ、3、2、1で解除して。いくわよ、3、2……」


「1」が聞こえた瞬間、俺は盾を解除した。俺の真横を、小さな太陽が走り抜ける。バジリスクもその火には恐怖を覚えたらしく、大慌てで射線から退避する。


 だが、直前まで盾に張り付いて居たからだろう。完全に避けるとまではいかない。太陽がバジリスクの尾を僅かに掠め、そのバジリスクの尾が、焼滅した。


 悲鳴。太陽はそのまま少し進んだ所で形を維持できなくなったのか、ドロリと虚空に溶けるようにして消える。背後で、フレアの荒い呼吸が聞こえた。


「フレア、大丈夫?!」

「私は平気、それより、あのバジリスクの足止めをしないと!」


 そうだ。今はフレアの裁きの火の痛みで悶えているが、立て直されてもう一匹のバジリスクと合流されでもしたら手がつけられなくなる。


「何か……そうだ!」


 俺はふと妙案を思い付き、未だに暴れまわっているバジリスクを視界に収める。そして、魔導書を取り出してそれに魔力を回した。


 この魔導書は、魔法触媒としても優秀だ。普段も身に付けていることで魔力の回転効率が随分上がっていることを実感しているし、これを身に付けているだけでもかなり魔法が使い易くなる。それは、ビアンカ婆さんにも言われて知っていた。


 しかし、この本の力はそれだけに留まらない、らしい。エドワードの屋敷に滞在した時、機会があってエドワードにこの魔導書を見せる事があった。その時、エドワードはこの魔導書は『魔法使いの杖』としても使えるらしい、という事を教えてくれたのだ。


 魔法使いの杖は、それに魔力を回して魔法を使う事によって杖が無い状態よりもかなり効率よく、強力な魔法が使えるように支援してくれる魔導具で、自分専用の杖を手に入れるのが一流魔導師の入り口なのだそうだ。


 まぁ、俺は今まで必要性を感じなかったし杖を振り回すのは……何だか違和感があったので欲しいとは思ってなかったんだけど。


 魔導書に流し込んだ魔力は、普通に回した時よりもかなり効率良く回転しているし、その上増幅すらされているような気さえする。これは、たしかに杖を持っている方が良いと言われても納得できる。


「《広き守護の盾》!」


 守るための魔法を、小さい方のバジリスクを中心に発動する。突如現れた琥珀色の檻に、バジリスクは驚きながらも体当たりをした。内側から弾け飛びそうになる守護の盾を、何とか気合いで押し留める。


 大きい方のバジリスクは既に満身創痍。ここであのバジリスクを足止めできれば、すぐにでも決着が着く、筈である。そんな俺の期待通り、視界の端に真っ赤な焔の剣が顕現する。


「《バーン・セイバー!》」


 ヴィスベルの渾身の一振りが動きの鈍ったバジリスクを捉え、その焔剣はバジリスクの首を両断する。バジリスクが断末魔の悲鳴を上げた。


 首が離れてしまった胴体がビタンビタンと苦しげに跳ねるのを横目に、ヴィスベルは俺が拘束しているバジリスクに目を向けた。一体目を始末し終えた三人の標的が二体目に向くのと、二体目を拘束していた俺の盾に限界が来るのはほとんど同時だった。


 ——もう、限界っ……!


 流石にそう何度もバジリスクの体当たりを受けて盾を維持し続けられるような力はない。無数の罅が入っていた盾は、最後の体当たりを受けて無残に破散した。膝から力が抜ける。


 思わず片膝を着き、俺は荒くなった呼吸を整えようと試みた。少しして、魔力切れ特有の胸がぐるぐるする感覚が襲ってきた。そんなに使った覚えはないのに、と手元に目をやると、もう魔法は発動していないはずなのに、魔導書が魔力を吸い続けている。


 このままだと、魔力が無くなって気絶してしまう。俺は慌てて魔導書に流れようとする魔力をカットし、魔導書を腰のケースに戻した。何度か練習をして、慣れるまでは使わない方が良いかもしれない。


 バジリスクの方を見ると、先ほど倒したものより小さい個体だからか、皆余裕を持って立ち回っている。これならポーションを飲むくらいの時間はありそうだ。


 俺は震える手でポーチの中からマナ・ポーション(イチゴ風味)の瓶を取り出し、蓋を開けて一口に煽る。ほんのりした甘味と酸味が口の中に広がり、全身の魔力が少し戻ってくるのを感じた。俺はそのままへたり込みたくなるのを身体強化の魔法で誤魔化して、ナイフの切っ先をバジリスクに向ける。うん、やっぱり、今はこっちの方がしっくりくる。俺は深呼吸をして、全身の魔力を回した。


「《貫く弾丸》!」


 俺の詠唱と同時に、琥珀色の弾丸がバジリスクに向けて射出された。





 それから僅か数分ほど。満身創痍になったバジリスクが、ディレルの槍を受けて硬直する。その僅かな隙を見逃さず、ヴィスベルが剣を上段に構えた。


「《フォトン・セイバー》!」


 煌めく光剣が、バジリスクを両断する。2頭目のバジリスクの断末魔が響き、辺りには静寂のみが残る。


 俺はすっかり息が上がってしまって、ぜぇ、とかひゅー、とか鳴っている自身の呼吸を整えようとし深呼吸をしようとして、失敗して咳き込んだ。あ、コレダメな奴だ。過呼吸で倒れる前に癒しの光しておこう。


 癒しの光を胸元に当てると、僅かに呼吸が和らぐ気がする。ほんと、この魔法ってすごい。疲労から怪我まで何でも効くんだから。俺はフレアと共に、倒れたバジリスクの前に立つ男衆の方に向かう。


「何とか、なりましたね」


 声をかけると、カウルとディレルが応、と笑う。ヴィスベルは魔力の枯渇か体力を使い切ったのか、肩で息をしながらマナ・ポーションを呷っている。


「今の、大きさ的に親の個体ですかね」

「まぁ、そうだろうな。幼生と合流される前に始末できてよかった」


 言って、カウルがポーチから青く塗られた発煙筒を取り出した。討伐完了の合図だ。大きすぎる魔物は解体して素材袋に入れるよりもそのまま運ぶ方が楽なんだそうだ。まぁ、あの大きさの魔物がすっぽり入るような素材袋を持ってないっていうのが一番の理由だけど。


 どの道この人数で運べるはずがないので、野営地で待機している人を呼んで野営地まで持って帰り、このバジリスクが本当に目標だったかどうかの確認を行うのだ。


 ちなみに、討伐が不可能だと判断したり、討伐できずに止むを得ず撤退する時には赤色の発煙筒を焚くことになっていたのだが、今回は必要なさそうである。思いのほか簡単に終わった大仕事に、俺はようやく一息ついた。


 これが終われば、あとはバルバトスへ向かうだけである。


 俺はバジリスクの死体から少し離れて、大峡谷の断崖を見上げる。太陽はまだまだ高い。朝方からの大仕事だったし、今で昼過ぎ、という所だろうか。


「天気も良いし、風は気持ちいいし、お弁当でもあればピクニックだったのに」


 冗談めかしていうと、カウルがふっ、と小さく笑う。


「おいおい、こんな血生臭い所でピクニックか?流石にそりゃあないだろ」

「血生臭くしたのはカウルさんでしょうに。ともあれ、これでバルバトスに向かうだけだね」


 地の大神の聖地があるバルバトス。聞けば魔法の研究が盛んで、「魔導国家」なんて呼ばれ方もするらしい。俺はまだ見ぬ魔法の国に思いを馳せる。


 そうやって、気を抜いてしまったのが悪かったのだろう。視界の端に白い何かが横切ったのに、反応出来なかった。


「危ねぇっ!」


 ディレルが俺に手を伸ばしてくるのが、いやにゆっくりに見えた。直後、側方から強い衝撃。体が浮く。気が付けば、俺の身体は大きく宙を舞っていた。状況に頭が追いつかない。みんなが、随分遠くに見えた。絶壁の崖が、眼科に見える。


 あんまり端に寄っていたつもりはなかったけど、物凄い勢いで飛んだんだなと、そんな場違いな感想が頭に浮かぶ。


 そして、次に目に入ったそれに、俺は大きく息を呑んだ。


 高く舞った上空から見えたのは、真っ白な大蛇。停止したかと錯覚するほどに鈍麻になった時間感覚の中で、不思議そうに細められたそれの視線と目が合った。


 その瞳は、先ほどのバジリスクと同じ緑金色。


 ソレは、その目に憎悪とも飢餓ともつかない奇妙な色を浮かべたかと思うと、すぐに興味を無くしたと言わんばかりにするりと俺から視線を離し、散らかっていた屍肉の一部を咥えて何処かへ消える。最初から何もいなかったかのように、何の痕跡も残さずに。俺だけを、宙に残して。


 重力に従って、体が自由落下を始める。見下ろした眼下には、暗くて底が見えない渓谷が広がっていた。

 お腹の下から身体中が冷え込む、あの感覚。考えを巡らせても打開策など思い浮かばない。四肢の先が急激に冷めていくのが分かる。


「嬢ちゃん!」


 必死の形相のディレルが、高台の淵から俺に向かって手を伸ばすのが見えた。その後ろには、慌てた様子の皆が見える。

 俺は、伸ばされたディレルの手を掴もうと手を伸ばした。だが、(ミカエラ)の手が届く範囲はあまりに短く、狭い。自分の手と、ディレルの手を見比べる。届かない。届くはずがない。俺の胸中に、諦めの念が渦巻き始める。


 しかし、ディレルは違った。その届かないはずの手に向かって、ディレルがその身を投げ出した。勢いを増したディレルの身体が、急速に近付いて、俺の矮躯を抱え込む。


「ちょっ?!ディレルさん!?」


 そのあまりに突拍子も無い行動に、そんな声を出してしまったのは、多分、仕方ない事だと思う。俺とディレルは一塊となって、深い谷底に落ちていった。

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