35.大峡谷のバジリスク退治1
朝。まだ陽も登らない時分。俺は、寝心地のいいベッドから抜け出して、俺の荷物が固めてある部屋の隅に移動した。
明るい導の光を二、三点灯し、作業に充分な光量を確保。シルヴィアのお古だという可愛らしいピンクのワンピース風のネグリジェを脱いで手頃な椅子に掛け、昨日タワーで受け取った黒色のインナーに袖を通す。
トワイライトスパイダなる魔物から取れた上質な糸で編まれたというインナーは、なるほど確かに着心地も、動きやすさも申し分ない。これまでも下着は着用していたが、このインナーはそれに比べてかなり動きやすそうである。通気性も抜群で、暑いところでも平気そうだ。インナーをしっかり着れた事を確認し、その上に普段の旅装を纏う。ベルトを締めて、あとは個別の装備品のチェックだ。
ベルトに付けた魔導書ホルダーには、解毒の魔法を始め今回役に立ちそうな魔法が数多く記載されている魔導書が入っている事を確認。ヘパイストスの火は、今回はリュックの方に入れておく。
次に、ポーチの中身だ。昨日の打ち合わせで必要という事になった解毒のポーションが二本と、緊急用の回復ポーションが一本、そして念願のマナ・ポーション(イチゴ風味)が三本入っている事を指差し確認。
次は武器。お父さんから貰った短刀と、一昨日買ってもらった短剣の手入れに不備がない事を確認し、鞘に収めてベルトに取り付ける。
最後に、リュックの中にヘパイストスの火と、緊急時に武器を手入れする為の砥石、携帯食料、そして水筒が入っている事を確認する。
「これで良し、と。……あ、忘れる所だった」
鏡を前に不備がないかチェックして、エドワードの魔導具を装備し忘れていた事に思い当たり、俺はリュックの底を漁る。取り出したのは、銀色の小さな腕環。
エドワードによると、込めた魔力に応じて持ち主の身を守ってくれる代物らしい。どの程度の効果があるとかは検証すらしていないが、まぁ、気休めにはなるだろう。俺の魔力が注がれた事で琥珀色に染まっている腕環の宝石を眺め、気を引き締める。
今日は、カイローから指定されたクエスト出発の日。大峡谷に棲みついたバジリスク討伐の始まりである。
そもそも、バジリスクとはどういう魔物か。名前としては、俺も私も聞き覚えがあった。
ミカヅキの知識では、ファンタジーのド定番である大きな蛇の怪物。もしくは、どこぞの森林に生息するトカゲの一種。
ミカエラの知識では、勇者アスラを苦しめた、御伽噺の中の魔物。神話の中でも難敵として描かれる、石化能力や猛毒を持つ大蛇の魔物。
当然、近しいのはミカエラの知識の方だ。
今回の討伐対象であるレッサーバジリスクという魔物は、神話や御伽噺に存在するようなバジリスクから派生したと考えられているらしい蛇の魔物で、強力な毒性を持つとされている。その大きさは、成熟個体で成人男性を丸呑みにできるレベルだとかなんとか。大きいものだと、頭部だけの高さだけでも俺の身長に届くらしい。
また、素早く、気配や音が少ない魔物とのことで、当然のことながら油断はできない。俺は、昨日カウルから聞かされたバジリスクの特徴を頭の中で反芻しつつ、皆が待っている玄関ロビーへと向かった。
シルヴィアとエドワードの見送りで屋敷を後にし、ギルドに到着する。まだ人の殆どいないホールに足を踏み入れると、ディレルといつぞやの男性職員が立っている。
「よう、体調はどうだ?よく眠れたかい?」
指を鳴らして、ディレルが気さくに話しかけてくる。
「まぁな。そっちは?」
「俺はぐっすり眠れたし、体調も最高だぜ。そんじゃあまぁ、今回はよろしく」
ディレルと挨拶を交わし、男性職員の案内でギルドの裏手に向かう。ギルドの裏は専用の馬車置き場になっていたらしく、何台かの馬車が停まっている。俺達が案内されたのは、中でも頑丈そうな馬車だった。大峡谷まではこれで向かうらしい。
「この馬車で大峡谷手前の野営地まで向かう手筈になっています。こちらの斥候については先に野営地に向かわせていますので、あとの事は現場の担当に聞いて下さい。それでは、ご武運を」
俺たちは男性職員に頷き返し、馬車に乗り込んだ。
「そういえばディレルさん、バルバトスで仕事があるって言ってましたけど、どんな仕事かって伺っても?」
馬車が動き始めて何時間か。いい加減変わり映えしない景色にも飽きてきて、俺は隣で退屈そうに外を見ていたディレルに聞いた。ディレルが「ツィーバの一番槍」なる二つ名を持つ傭兵である事は、既にカウルから聞いている。
傭兵国家ツィーバ。ヘパイストスの東に位置する小国で、その名の通り「傭兵」の輸出が盛んな永世中立国家。「ツィーバの一番槍」は、名のあるツィーバの傭兵の中でも実力者として数えられる「ツィーバの七勇士」の一人なのだそうだ。そんなに名のある傭兵がする仕事というのに、なんとなく興味があった。
「まぁ、ざっくり言うと子守だな。依頼主は言えないが、腕に不安がある若者の旅路を安全なものにしてやる、そんな所だ」
「へぇ……?」
何だ、熟練の傭兵に頼むには随分簡単そうな依頼だな。てっきり何かのモンスター退治かと思っていただけに、何だか拍子抜けだ。
「まぁ、傭兵業だと一番メジャーで厄介な仕事だよ」
「厄介、というのは?」
ディレルの言う厄介の意味が分からず、聞き返す。
「あぁ。そりゃあ、結構な額の前金やら追加報酬やらの話は随分と色を付けてもらっちゃあいるがね。それでも、任務の時間とリスクに比べたら下手すりゃ赤字だし」
「えっと、それはどういう……」
ディレルの言わんとしている「厄介」がますます分からず、俺は首を傾げる。前金も貰えるし、追加報酬もあるなら十分実入りの良い仕事なんじゃないのか?
「あー……。冒険者相手にわかりやすく説明するなら、そうだな……。例えば、ただただ「魔物討伐」ってだけ書かれたクエストがあったとするだろ?期限は……まぁ一月くらいだと仮定して。受けたいか?」
「……受けたくない、です」
少し考えて、答える。俺の返答は間違いではなかったようで、ディレルは満足げに頷く。
「その理由は?」
「魔物討伐だけでは何を倒せばいいのかもわかりませんし、自分の腕に見合った相手なのかも、その仕事に釣り合う報酬かも分かりませんから、まぁ、依頼主から詳しい話を聞けるなら受けるかもしれないですけども」
「それがそのまま答えだよ」
言われて、漸くディレルの言葉の意味に思い当たった。なるほど、確かに厄介な仕事と言えてくるのも納得できる。
「確かに、それは厄介なお仕事ですね」
「だが、傭兵への依頼ってのはそういうモンだからな。冒険者じゃなく、奴隷でもなく、傭兵ってのを求めるお客様はそういう便利な戦力を求めてる。言い換えれば、傭兵ってのはそういうお客様が主な顧客な訳だ。値段だけ見てりゃあ割高に見えるが、その分無茶きかせられるっつー利点。そこで食ってるんだよ、俺たちは」
「ちなみに、今回の依頼の期限とかは?」
「最低半年、最長は未指定。半年ごとに契約更新、て事にはなってるな」
「長いですね」
「全くだ。そんなに時間かけて、一体何をやろうってんだかねぇ……」
熟練の傭兵殿にも色々と苦労はあるらしい。いや、苦労がないとは思っていなかったけど。予想以上にブラックだった。俺はディレルが過労や何かで倒れない事を祈っておく事にした。
馬車の道行は順調だったようで、俺がディレルと話し込んでいる間に目的地に到着したらしい。馬車が止まり、御者をしていた冒険者が「着いたぞ」と荷台に顔を出す。俺たちは促されるまま、馬車から降りた。
野営地は、どちらかというと「ベースキャンプ」といった方がしっくりくる趣だった。平原地帯のど真ん中、簡易の木柵と土嚢で囲まれた中には大人が四、五人は寝転がれそうな大きなテントがいくつか設置されていて、中心に近い位置には5,6メートルはある見張り台まで設置されている。何か役割分担でもあるのか、装備も体格もバラバラな冒険者達は右へ左へ忙しなく動き回っている。
そんな中、俺たちは御者をしていた冒険者の案内で一番大きなテントに向かう。
テントの中に居たのは、簡素な机に向かって書類仕事をしていたギルド職員らしい小柄な黒髪の女の人だった。彼女は俺たちの入室に気付いたらしく顔を上げる。ツンとしたツリ目に、小さな泣き黒子が特徴的である。
「あぁ、君たちがバジリスク討伐を請け負ってくれた精鋭だな?案内は下がれ」
彼女が指示すると、案内の冒険者はビシ、と良い姿勢で敬礼し、退出する。これで、この場には俺たちとディレル、そして女性職員のみが残る形となった。
「私はバジリスク偵察任務の指揮を任されているレビィだ。まずは、バジリスク討伐の依頼を受けてもらった事、感謝する。あぁ、失礼かもしれないが君たちの挨拶は今は不要だ。必要があれば後で頼む。それで、本題に移るが……」
レビィは早口にそう言い切ると、険しい表情で腕を組む。
「諸君らに討伐して頂きたいのは黒色のレッサーバジリスク、その番だということは既にギルドマスターから聞いていると思う。ただ、今しがた少し状況が変わってな。どうやら、仔蛇が孵ってしまったらしい。私も少し前に偵察から報告を受けたばかりだが、目算で10匹程度のバジリスクの幼生体が確認されたとのことだ。幸い、幼生体に異常は今のところ、見られていないらしいが……。Aランカーならば、この事態の重大性は理解してくれるな?」
「つまり、親バジリスクの凶暴性が増している、と」
「そういうことだ。加えて、このイレギュラーな繁殖により発生したバジリスクどもがまともな成長をするとも限らない。くれぐれも気を付けてもらいたい。それで、バジリスクの巣だが……厄介な事に、中央大空洞を押さえられている。大峡谷の全域に渡って、既に彼らの支配下だと思ってくれていい。ここに、先遣部隊によるマッピング成果がある。役立ててくれ」
レビィは机の上の書類の中から沢山の書き込みがなされた地図を取り出し、先頭のディレルに手渡す。
「依頼内容は変わらず黒色レッサーバジリスクの番の討伐。幼生体は、討伐の数に応じて報酬を出そう」
あれ、幼生体が現れたのって、ついさっき分かった事なんだよな?勝手に報酬を出すとかって言っちゃっていいのか?
「依頼内容、勝手に変えちゃって大丈夫なんですか?」
うっかりその疑問を口にしてしまって、俺は慌てて口を閉ざす。ギロリ、と擬音がつきそうなレビィの鋭い目付きが俺に突き刺さる。ひっ、と喉の奥から小さい音が鳴る。怖い。
「失礼、私の自己紹介が不足だったな」
そう言って、レビィが席を立つ。先程までは気が付かなかったが、そのささやかな胸元に銀の羽を模した徽章が輝いていた。
「私はメタルジア・ギルドでは副ギルドマスターを拝任している。本件に関しては多少の依頼内容改変の許諾も受けているから、安心してくれて構わん」
フッと笑い、レビィが養豚場の豚でも見るような冷たい目で俺を見下ろす。顔全体としては笑っているように見えるが、そのオーラは怒りか、もしくは苛立ちに満ちているような気がした。
俺は殆ど反射的に、平身低頭で「すいません」と頭を下げる。それを見て、レビィは溜飲を下げてくれたらしい。彼女は席に座り直し、机の上で腕を組んだ。
その後、標的に関するいくらかの情報を共有し、(何を言っているかは少ししか理解できなかった)俺たちはレビィのテントを後にした。テントから出ると、先程案内してくれた冒険者が立っていて、どうやら俺たちの荷物を置いておくテントに案内してくれるらしかった。まぁ、リュックとか背負っては戦えないし、それはありがたい。
ともあれ、冷や汗ですっかり濡れてしまった服に清めの風をかけ、気分をリフレッシュする。
いやぁ、レビィがいつまでも俺のことを冷たい微笑で眺めてくるから正直気が気じゃなかったね。逃げずに黙って話を聞いていたことを褒めて欲しいくらいだよ。
「ったく、ヒヤヒヤしたぜ……」
カウルが、俺の頭をガシガシとしながら言った。同調するように、ディレルも「全くだ」と言いながら俺の肩をポンポンと叩いてくる。しかし、今回のことに関しては俺にも言いたいことはある。
「だって、勝手に依頼内容変えていいのかとか思うじゃないですか。副ギルドマスターなんて知らなかったんですよ」
「銀羽勲章は副ギルドマスターの証なんだよ。ギルマスに次ぐ権威の持ち主が、依頼内容に手を付けられない訳ないだろ?」
「そんな勲章の意味とか知りませんもん。聞いてないことはわかりません!」
知らない事は知らないと全力で抗議してみると、カウルがあぁ、そういえばと少し申し訳なさそうな顔。俺の正当性は証明されたらしい。やったぜ。
「これまで言う必要もなかったし言ってなかったわ。悪りぃ」
半分笑いながらの謝罪。なんだか無性に腹が立ったのでカウルの脛を蹴るも、カウルは涼しい顔をしている。おのれ。俺のフラストレーションを置き去りにして、話が進む。
「しかし、繁殖までしているとなると厄介だな。いくら幼生体が弱いとは言っても、親とセットで相手するのは骨だぜ」
「少しずつ幼生体の数を減らしながら戦うしかない、かな」
「そうだな。大峡谷の中央大空洞は薄暗いしバジリスク退治には向かない。一番良いのは高台に誘き寄せる事だが、そうなると問題はどう誘き寄せるか、だ」
ヴィスベル、カウル、ディレルがバジリスク退治の具体的な計画について話し合う。俺の方から具体的に何か出せる案もないので、黙って聞いているだけしかできない。バジリスクの生態についても、大峡谷の地形についてもカウルから教えてもらった以上の知識がない俺では突然良案を思いつく事なんてできるはずもない。
「バジリスクって何食べてるんでしょうね?」
ふと気になったので、俺は同じように置いてけぼりにされているフレアに話しかけた。
「さぁ……やっぱり、ほかの魔物じゃない?」
「でも、大峡谷って、結構食べられる魔物って少ないですよね?ワイルドゴーレムとか、ロックトータスみたいな硬そうなのばかりですし……」
以前、どこかで聞いた話を思い出しながら言うと、フレアがきょとん、という風に首を傾げた。あれ、何か変なこと言ったかな?
「そうなの?」
「え、何がです?」
「大峡谷にいる魔物の話よ。ワイルドゴーレムとか、ロックトータスとか」
「はい……あれ、前に誰か言ってませんでしたっけ?」
多分、カウル辺りが言っていたんだと思うが、具体的にいつ聞いたかまでは思い出せない。いつだっけ?記憶を手繰っていると、不意に、前を歩いてカウルが立ち止まったらしくその背中に頭をぶつける。
「いった!カウルさん、急に立ち止まらないで下さいよ!」
流石にこればかりは俺の落ち度ではあるまいと抗議するが、カウルからの反応はない。「カウルさん?」と呼びかけてみると、カウルは何かブツブツと呟いていた。
「確かにそうだ、大峡谷は魔物の餌になるような魔物はいない……とすれば」
何かに思い至ったように、カウルが頭を上げる。俺たちの視線が一斉に向く中、カウルは自信満々の声音で言った。
「バジリスクを高台に誘き寄せる作戦を思い付いた。ありったけの肉を用意するぞ!」
……はい?
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