34.シルヴィアの館
まだ少しだけほのぼのです
装備の新調を終え、俺たちはシルヴィアの家に向かう。カウルの足取りは慣れたもので、 幾筋にも分岐した大通りを迷いなく進んでいく。
「カウルさん、シルヴィアさんのお家って、その、私たちが全員泊まって平気なんですか?」
この世界の一般的な家屋がどの程度の広さなのか、この数ヶ月でおおよそ理解しているつもりだ。とてもではないが、四人も追加で宿泊できるスペースなどない。床に雑魚寝でもすれば別だろうが、それはそれで迷惑ではなかろうか。俺の不安に同調するように、ヴィスベルとフレアも頷く。
「確かに、かなり急なお願いだったし……」
「場合によっては、今からでも宿を探した方がいいんじゃ?」
「あー。あいつの家なら、平気だよ。今回の宿泊だって、元はあいつの申し出だし……。まぁ、見れば分かるさ」
見れば分かるって、どういう意味だ。まさか、とんでもない豪邸なのか?いやまさか。
しばらく道なりに進んで行くと、大きな鉄格子で囲まれた区域に沿って取り付けられた道に出る。そのまま鉄格子沿いに歩いて行くと、大きな門の手前にシルヴィアが立っていた。一度帰って着替えたようで、先程とは違う白が基調のシックな装いのドレスを着ている。ほんと、美人って何着ても似合うから羨ましい。
「カウル、随分遅かったから心配したわ」
「すまない。古い装備の処分も頼んでいたら、思ったより時間が掛かったんだ」
「そう……。夕食の準備はできているわ、早く行きましょう」
なるほど、なかなか来ないカウルを心配して、わざわざこんな所まで迎えに来たということか。この辺りは家もあまりないようなので、この人は本当にカウルのことが好きなんだろうなと感心する。そして、シルヴィアはくるりと体を反転させて、
大きな、タワーと同じ色彩の豪奢な格子門に手をかけた。格子門は一瞬薄く発光すると、キィ、と何の抵抗もなく開く。
ぽかんとしてしまったのは、俺だけじゃなかったと思う。何の疑問もなく中に入っていくシルヴィアとカウルに続き、俺達もいそいそとその中に入った。俺達が全員格子の中に入るや否や、背後で格子扉がガシャン、と音を立てて閉まる。いよいよ引き返せない、という謎の感想が頭に浮かんだ。二人に続いて歩いていると、やがてたどり着いたのはとんでもなく広そうな大豪邸。向こうで言うところの小学校か、中学校くらいの大きさがありそうだ。
「あの。カウルさん、もしかして、シルヴィアさんてちょっと普通じゃない家の人だったりします?」
カウルの袖を引っ張って恐る恐る聞くと、カウルは呆れたような顔を首を横に振る。それにちょっと安心しかけて、続いた言葉に度肝を抜かれた。
「ちょっと、どころじゃねぇよ。シルヴィア・ワルトロワ。メタルジアの領主一族の長女様だ」
「……は?」
その言葉とともに、俺の思考はフリーズ。そんな俺など御構い無しに、シルヴィアがパンと手を叩く。するとどこからか数人のメイドが現れて、俺たちの荷物を回収していく。手際いいなぁ。
「お嬢様。食堂に食事の用意ができております」
「エミリー、お客人を食堂まで案内してくれる?
あと、お兄様はどうしているかしら」
「はい、少し前にお帰りになられ、今は支度を……」
シルヴィアがテキパキとメイド達を動かしているのをぼんやりと眺めていると、不意に、俺の右手を誰かの手が引いた。そちらを見ると、不安そうなフレアの顔。わかるよ、何かよくわからない状況にびっくりしたよね。俺もそうだよ。
普段の勝気な様子ではなく、しおらしい雰囲気のフレアに何と声をかけようかと少し考えていると、フレアがこちらに顔を近付けてきた。見慣れない表情に、少しどきりとしてしまう。
「ミカ、はぐれて高価そうな壺とか割らないようにね」
前言撤回。そうだね、よくわからない状況に置かれたことよりも幼子が何かしでかさないかのほうが不安だよね!俺もわかるよ、ちくしょう!
最近フレアのお姉ちゃん化というかお母さん化というかがすごいや。俺はそんなに行動が幼いのだろうか?最近はちょっと行動の退行が多いなぁ、とは自分でも思うけど、中身は成人済みだよ?ていうか肉体年齢も12歳だからそこまで幼くはないよね?
すこし悶々としている間にもメイドさんに連れられて、食堂らしい大広間に通される。広い部屋の中心には食事会でも開けそうな長いテーブルが設置されていて、(まぁ、専らそのためのものであろうが。)そのテーブルの上には銀の食器とナプキンであろう白い布が並べられている。あれ、これかなり本格的な奴では。
椅子の前まで連れてこられると、いつの間にか各人に一人ずつ付いていたメイドさんが椅子を引き、座るよう勧めている。俺も皆と同じように座ると、上座だけ開けてその両隣にカウルとシルヴィアが向かい合うようにして座った。
「もうじき、領主代理の兄が卓に着きますのでしばらくお待ちを」
そのシルヴィアの言葉で、「あ、これ結構正式な会食だ」と悟る。領主代理のシルヴィアの兄、一体どんな人物であろうか。異世界モノとかでテンプレの平民蔑視な貴族とかだったら嫌だな。そんな失礼な事を考えながら待つ事数分、食堂の大扉が使用人の手によって開けられた。
「いや、すまないな客人。少し待たせてしまった」
現れたのは、白い上等なシャツの上に黒地に金の刺繍がなされたそこはかとなくロイヤルなベストを纏った、いかにも貴族という風貌の男。
彼は実に優雅な足取りで上座の席に腰掛けると、ぐるりと席に着いた来客を見回して、ほう、と興味深げな顔をした。というか、違和感なく上座に座った御仁には、見覚えがあった。
「……エド?」
「ふむ、一期一会と思っていたが。存外、奇縁というものもあるのだな」
細身の銀縁眼鏡を押し上げて、男……エドワードが言った。
エドワードの合図で、次々と食事が運ばれてくる。料理はコース仕立てらしい。近くに居たメイドがナプキンを膝にセットしてくれた。
前菜は薄切りの生ハムっぽいお肉と葉野菜のサラダみたいだ。手元にフォークとナイフが用意されていたので、エドワードが食べ始めたのを見てから俺も食べ始める。異世界で初めて食べるフォーマルな食事は、緊張で味がわからないとか言うこともなく、まぁ、普通に美味しかった。
「しかし、驚いたな。急な来客と聞いていたが、まさかその相手がカウル君で、しかもミカエラ達が一緒だったとは」
「驚いたのは私の方よ。まさか、お兄様がミカエラさん達を知っていたなんて」
「あぁ、店の客でな……。ついさっき、友誼を結んで来た所だ」
客になる前にお友達認定された気はしますけどね。なんて言うのは無粋かな。今は黙って目の前の食事に集中しよう。サラダの次はスープで、これは何やら良い香りのする冷たいポタージュスープだ。スプーンで一口掬って……うん、美味しい。
「そうだ、シルヴィア。珍しいものが手に入ったから、あとで私の書斎に来ると良い」
「あまり時間がかからないのでしたら。私、夜は少し用事があって……」
「構わん。何、少し物品を鑑賞するだけだ、時間は取らせんよ」
「では、湯浴みの後にでも……」
「うむ。ところでミカエラ、せっかくの食事の場だ、君たちの話も聞かせてくれないか?」
「うぇっ?!」
突然エドワードから話題を振られ、俺は狼狽する。なんで突然そんな話になったのだろうか。少し前の二人の会話を思い返してみるが、特に思い当たる節はない。困ってカウルに視線をやる。カウルは俺と目が合うと、やれやれ、と肩を竦めた。これでなんとかなるか、と一先ず胸をなで下ろす。
「お貴族様の前で冒険譚を話す機会なんて稀だぞ。それにせっかくのご指名だ、断るのは失礼、だろ?」
「ですけど……どこまで話せばいいんですか?話していいのかっていうか」
邪神がどうとか、光の御子がどうとかってのは説明していいのか悪いのかもわからないし。
「別に全部話して構わないだろ。エドもシルヴィアも信頼できるし、隠さなきゃいけないことはしていない。ヴィスベルも、構わないよな?」
「ああ、構わない……。それに、僕もミカエラから見てこれまでの旅がどんなのだったか興味があるしね」
ヴィスベルとカウルにこうも言われてしまったら、もう断る理由なんてどこにもない。最初から、大きい出来事を順を追って話していくことにしよう。
「私は、神樹様……えっと、皆さんがご存知の所の『世界樹』の上で育ったんです……世界樹の巫女の、妹として——」
「——で、カウルさんてば予定してた馬車を乗り間違えちゃって、慌てて経路を修正したんですよー」
「お前、アレはお前が直前でフラッとどっか行っちまうから時間に余裕がなくなったんだぞ!でなきゃ乗り間違いなんてしてない」
「うぐっ。それはそうですけど、あんなの大きい石材を一瞬で小さいタイルに切り分けたり精巧な彫像にしたりしてる人がいたら見ちゃうじゃないですか!逆になんで皆さんスルーしてられるんです?!」
「あー……。僕らはアレ、前の日に見てたから……」
「私が知らない人と薬草採取してる間にそんなことしてたんですか?!」
「お前なぁ、今日は一日休みにするぞって言った時に『私はもう少し冒険者のお仕事やってみたいので皆さんはゆっくり休んでいてください!』とか言って出掛けて言ったのはどこのどいつだ?」
「私です!が!仕方ないじゃないですか、その前の日は街の隅から隅まで使いっ走りクエストですよ?!薬草採取のがまだ楽しいってモンです!」
「の割には帰ってくるなり倒れ込むくらい疲れて帰ってきたよな?長旅になるから軽めになっつったのに半日がかりで依頼してたよな?」
「うぐ……アレは、依頼で見てくれてた人の妹さんがですねぇ……!」
食事が終わってしばらく、俺たちの冒険譚は続いた。コッペルを出て丁度メタルジアとコッペルの中間くらいにある街で降りた時の話をしていると、どこからともなく鐘の音が聞こえた。
「あら、もうこんな時間。エミリー、湯浴みの用意はどうかしら」
「もうじき完了致しますわ」
シルヴィアの問いに答える形で、どこからともなく現れたメイドさんが言った。この人今までどこにいたんだろう。全然気付かなかった。
湯浴みってことは、シャワーか風呂だよな。そういえば、神火の里でもサフィーの家にはシャワーもあったし、ヘパイストスではあまり珍しいものではないのかもしれない。最近ずっと清めの風頼りだったし、清潔感は保てているとはいってもそろそろシャワーとかお風呂が恋しい時期ではある。あとでシルヴィアに頼んでみようかな。別に、スペースさえあればお湯とかは自分で用意できるし……。なんて考えていると、シルヴィアがこちらを見てにこりと微笑んだ。何だ?首を傾げていると、シルヴィアが近くにいたメイドに、俺たちの方を見ながら言い付けた。
「では、ミカエラさんとフレアさんを案内して差し上げて。私もすぐに行くわ」
これに驚いたのは、俺とフレアだけでなく、周囲に居たメイド達も、である。
「よろしいのですか?」
恐る恐る尋ねたメイドに、シルヴィアは見惚れてしまいそうな微笑を浮かべ、頷く。
「ええ。少し聞きたい話もありますから。ミザリーはカウルとヴィスベルさんをお部屋にお連れして頂戴。それで、お兄様、見せたいものとの話ですが……」
シルヴィアが席を立つと、周囲の使用人達も慌てて動き出す。
「フレア様、ミカエラ様、こちらへ……」
そう言って、メイド、エミリーが俺たちの前に立つ。その傍にも何人かメイドがいる。俺とフレアは彼女らに従って食堂を後にした。後ろを見ると、カウルとヴィスベルの方には別のメイドが付いていた。複雑そうな廊下を渡り、階段を降りる。浴室は、地下に設けられているようだった。明るい魔力灯が部屋を照らしている。
「こちらでお召し物を脱いで下さい。衣類の方は私どもで洗浄しておきますので」
「あ、はい——」
と頷いて、俺はあることに思い当たり、硬直した。
……あれ、もしかして、周り女の子の中で全裸になるの、俺?
いや、この体は間違いなく女の子な訳で、つまりはこの場には女性しかいないのは間違いないんだが……。よくよく思い出してみても、俺の記憶にある他の女性の裸は幼少期にアンリエッタと一緒に水浴びしたくらいなもので、今の状態で誰かの裸を見るのは……うん、モリス以来か。じゃなくて。肉体的に女同士だから云々という以前に、恥ずかし過ぎるだろ?!
俺が硬直している間にも、フレアはささっと服を脱いでしまっている。ぷるんとした形の良い塊が視界の端に見える。あれを見てはいけないと視線を上に遣ると、いつまでも服を脱がない俺に対して不思議そうな視線が向けられているのに気が付いた。
「わ、私は後でもいいかなー、なんて……わひゃっ!?」
逃亡を試みた俺に待っていたのは、一瞬の蹂躙。キラリとその目を怪しく輝かせたメイドさん達は互いに目配せしたかと思うと、一瞬で俺の視界から消え去る。そして、気付いた時には、俺は彼女らにがちりと拘束されていた。
「お嬢様?湯浴みを嫌がっていては、淑女失格でしてよ?」
不思議と、「わあい夢のお嬢様呼びだァ」なんて感慨は少しも湧かない。いや、夢でも何でもなかったけども。
やめろ、やめてくれ、と内心で叫びながらもがく俺のもとに、すっかり装備を外したフレアが近寄ってくる。綺麗なさくらんぼが二つ、俺の視界のセンターに飛び込んでくる。下はダメだ、と俺は慌てて視線を上に跳ね上げる。しかし、その先には少し残念そうなフレアの顔という、俺の罪悪感に大ダメージを与える難敵が待ち構えていた。何だ、何が言いたい。背筋に冷たい汗が伝う。心臓はさっきから早鐘のようだ。しっとりとした桜色の唇が、何かを告げようと小さく開いた。
「ミカ、私と一緒は……いや?」
「……いやじゃない、です」
それが、俺の降伏宣言となった。
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