33.メタルジア・タワー2
ほのぼの買い物回です。
エドワードの店を後にして、待ち合わせ場所である50層の広場にてカウルを待つ。パンフレットによれば、このフロアは本当に休憩するだけのスペースらしい。
広場にはベンチと待ち合わせ場所に使えそうな石像がいくつか並んでいる以外は広々とした空間が広がっていて、雑談する人々やどこかのフロアのお店の宣伝らしき人でひしめき合っている。
飾られている像の足元の台座には像のタイトルと製作者の名前、役職が彫られていて、どうやらこの塔の建設に貢献した人に感謝する記念碑的な役割も果たしているようだ。
ちなみに、待ち合わせ場所に指定された獅子の像のタイトルは『騎士王の風格』。製作者は『ヴァルフレア・ワルトロワ』という人らしく、その役職は出資者とだけ書かれている。
何故騎士の王様の風格をモデルに像を作って獅子になるのかはサッパリ分からないが、芸術家の表現するイメージは得てして凡人には理解しがたいものだ。その点、立派なライオンの像だと理解できるだけありがたい。……そういえば、ライオン……というか、向こうと同じ動物ってこの世界にいるのかな。似た形の魔物がいるのは知ってるんだけど。もしかしたら、コレもライオンじゃなくてなにかの魔物なのかもしれない。
その場でヴィスベル達と雑談をしながら待っていると、近くの昇降機からカウルが降りてくるのが目に入った。俺はベンチから立ち上がって、カウルにわかるように手を振る。カウルは俺の動きに気付いたようで、半笑いでこちらまで歩いて来た。
カウルが充分にこちらの声が届くくらいまで近付いて来て初めて、俺はその隣に見覚えのない白衣を着た女性が立っていることに気が付いた。薄紫の長い髪に、紫紺の瞳。白衣の下は、ゆったりとした黒っぽい服を着ているようだ。チラリと見えたネックレスやブレスレットは、目立たないながらも上品で美しい。
歳は分からないが、柔らかい雰囲気の美人さんだ。そればかりか、所作の一つ一つがそこはかとなく優雅でいらっしゃる……気がする。優雅さの基準なんて俺にはよく分からないけれど。
彼女とカウルと二人で並んでいると、『騎士と貴婦人』とかいうタイトルで絵にでもなりそうな予感さえする。それくらい、二人は綺麗な一枚絵を演出していた。
でも、カウルがカッコいいのはなんだか不服だ。急に首をもたげた理解不能な苛立ちに、俺は努めて冷たい表情を作ってカウルを見上げた。
「やぁやぁカウルさん。こんな所に土地勘のない田舎者をほっぽり出して、自分は楽しくナンパですか?楽しそうですねぇ?」
「ちげーよ、バカ。この人とはそういうのじゃない」
「この人とは?ってことは、別の人にナンパしてたってことです?……痛っ!」
カウルの揚げ足を取ってぷーくすくす、と片手で口元を隠し笑っていると、即座に拳骨が飛んで来た。ここしばらくカウルから拳骨を落とされることがなかったのですっかり油 断していた。ダメージは少なく、絶妙に痛みだけが残る拳骨。俺は殴られた頭頂部に癒しの光を当てつつ、じとりとカウルを睨め付ける。カウルは実に涼しげな顔である。何か悔しい。
「人の揚げ足を取るんじゃない。ったくお前は……」
「はいはい、すみませんでしたー」
呆れた風なカウルの物言いに適当な謝罪をしていると、カウルの隣にいた女性がその白手で口許を隠し、くすり、と小さく笑った。洗練された、上品な仕草。思わずそれを目で追うと、丁度、笑った彼女と目が合った。気付いたらしい彼女が小さく微笑みかけて来たので、俺は軽く会釈を返す。
「この子達が、今の貴方のお仲間さんなのね」
「あぁ。まあ、な」
「何ですかその曖昧な言い草……」
濁すようなカウルの言い草に抗議しようと俺が口を開いたのと同時に、フレアが「ほら、ミカ。こっち」と手を引いて来た。完全にお姉ちゃんモードである。こうなったフレアには逆らいようがないので、俺はカウルへの悪態を飲み込んでフレアの隣に戻った。俺と入れ替わるようにして、ヴィスベルが半歩前に出る。
「ええっと、それで、カウル。そちらの女性は?」
「あぁ、この人は……」
と口を開いたカウルを、女性が片手で制止する。
「自己紹介くらいはしっかりしないとね。私はシルヴィア。この人とは長い付き合いだから、ナンパされたとかではないわよ、小さな淑女ちゃん?」
そう言って、女性、シルヴィアがウィンク。その何とも言い難い蠱惑的な仕草に、思わずどきりとしてしまう。この魅力を十全に表現できる語彙力がないのが恨めしい。俺の貧困な語彙で何とか表現するならば、余裕のある大人の魅力とでも言おうか。
「僕はヴィスベルです。それで、こっちが……」
「あ、ハイ。私はフレアといいます。ほら、ミカ」
思わずシルヴィアに見惚れていると、フレアにポンと肩を叩かれた。それで我に返って、俺は背筋を伸ばして直立不動の姿勢を取る。
——ええっと、そうだ、挨拶。挨拶しなきゃ。
俺は、以前にアンリエッタから散々受けた指導を思い出し、体の前で手を組んでお辞儀をした。
「ミカエラと言います。神樹様の導きに感謝と祈りを捧げます」
この場にアンリエッタが居れば、感動して褒めてくれたに違いないくらい完璧なお辞儀だったと思う。やってしまってから、別にそこまでしなくてよかったのでは、という考えが頭に過ぎる。や、でも、俺が知る中では最上級の挨拶なワケで、それが失礼とかは流石にないでしょう。ないよね?
顔に出してしまうと色々と台無しなので、俺は努めて平静を装って頭を上げた。皆が少し驚いた風に俺を見ている。初対面のシルヴィアすら、ぽかんとしている。その何だか居た堪れない気がする雰囲気に耐えきれず、俺は思わず狼狽した。
「い、いや、これは私の地元で最大限の敬意を示した挨拶と言いますかなんと言いますかっ!?ていうかカウルさんとヴィスベルさんは見たことありますよね?!」
「いや、それは、そうだが……」
「今それが出てくるとは思わなかったし……」
俺もね、別に今やる必要はなかったと思うよ?だって普通な感じだったしさ。でもほら、うっかりやっちゃうってあるじゃん?
なんて、誰にも聞こえない言い訳を捏ねくり回していると、呆気に取られていたシルヴィアがにこり、と笑みを浮かべた。
「丁寧な挨拶ありがとう。とても上手にできていましたよ」
「ありがとう、ございます……」
シルヴィアの言葉に、益々恥ずかしさが湧いてくる。ホント、なんでやっちゃったんだろうね!視界に入ったシルヴィアの目は微笑ましいものを見るような優しい顔で、それを見てしまうともう限界だった。
「あっ、ちょっと、ミカ?」
俺はミカエラの身体ならではの『子供の特権』を発動し、こそっとフレアの背中に隠れる事にした。少し顔が熱い気がする。
「すいません、この子、何だか恥ずかしがっちゃったみたいで……」
「いいんですよ、可愛らしい妹さんですね」
「いや、私の妹って訳じゃないんだけど……まぁ、妹みたいなものか」
なんて、恥の上塗りがなされそうな会話がされているのが耳に入ってくるが、そこは全力で逃避する。
——『私』は悪くないもん。全部、シルヴィアに見惚れてた『俺』が悪いんだから。
不穏なノイズが、頭を過ぎった。
ハッと我に返ると、周囲の景色はいつの間にかがらりと変わっている。気が付けば、俺達は50層の広場ではなくて、階層を行き来する階段にいた。ここまではフレアが手を引いてくれたらしく、俺の右手はしっかりとフレアに握られている。これじゃあ本当に子供じゃないか。
「ごめん、フレア。もう大丈夫だから……」
フレアの手から離れて、小さく溜息を吐く。最近、少し退行が激しい気がする。由々しき事態だ。
「しかしシルヴィア、本当にいいのか?今からは装備の新調だし、君には少し……退屈な時間になると思うが?」
「いいのよ。どんな商品を取り扱っているかは興味もあったし」
「あっ、一階はダメですよ!カッコいいだけの装備しかありませんでした!」
復帰の報告がてら、一階で見かけた商品の話を振ってみる。カウルはあぁ、と小さく苦笑いをして、がしり、俺の頭に手を置いてポンポンと叩いた。今度は痛くない方だ。
「行かねーよ。あんな土産物で満足するのはミーハーな村人町人か文官貴族のボンボンくらいだ」
ミーハーな村人町人で悪かったな。なんて、内心で悪態を吐いていると、カウルの隣でシルヴィアが小さく笑う。そちらを見ると、シルヴィアは懐かしそうに目を細めていた。その唇が、悪戯っぽく弧を描く。
「あら、そうだったかしら?」
「シルヴィア、よしてくれ」
「うふふ……。でも、私はあの美術館みたいなフロア、嫌いじゃないわよ」
「そりゃ、俺も見て楽しむ分には悪いとは言わんが……」
こちらからは横顔しか見えないが、カウルと話すシルヴィアは随分と嬉しそうに見えた。とてもではないが、ただの友人、という風には見えない。そりゃ、カウルだっていい加減結構な歳のおっさんだ、浮いた話の一つや二つはあってもおかしくない。
あまり邪魔をするのも悪いし、お邪魔虫はさっさと退散する事にしよう。俺はカウルの手から離れ、半歩後ろに下がった。
ヴィスベルとフレアも同じことを考えていたらしい。俺たちは口を合わせるでもなく、三人でカウル達から少しだけ離れた位置を歩く。
「何だか楽しそうね」
フレアの言葉に、俺とヴィスベルも頷いた。もう旅を初めて一ヶ月以上経つが、あんな風にカウルが笑っているのを見るのは初めてかもしれない。普段も笑いはするのだが、今のカウルは普段よりも一段と嬉しそうに見えた。
「カウルがあんな風に笑うの初めて見たかも」
「シルヴィアさんも、嬉しそうですよね」
こそこそと三人で顔を付け合わせ、俺たちは二人を見た。俺たちが少し離れた事にも気付かず、二人は楽しそうに雑談を続けている。心なしか、二人の間に浮ついたような空気が流れているような気がした。
「アレは昔の恋人ですね。間違いない」
今にも砂糖を製造し始めそうな甘ったるい空気から、俺はそんな推測を口にした。「あぁ、なるほど」とヴィスベルの頷き声。
「カウル、昔の話はあんまりしてくれないんだよな」
「いいじゃない。あまり人の恋路を詮索すると、アニマ・ローゼの棘に刺されるって言うし」
アニマ・ローゼさんちょっと過激だね。邪魔する奴は馬に蹴られるってのは聞いたことあるけど、詮索するだけで刺してくるのか。おっかない。
俺たちは極力カウルとシルヴィアの邪魔をしないように努めつつ二人の後ろに続く。
シルヴィアはカウルと話すのが楽しそうだし、カウルはカウルでシルヴィアといるのは満更でもなさそうだ。ホント、なんでこの人たちくっついてないんだろう?
「ああ、ミカエラ、フレア。ちょっと来い」
そうこうしている間に目当てのお店に着いたらしい。呼ばれてカウルの近くに行くと、目の前に背の高い女の店員さんがいた。背丈は、フレアよりも少し高いくらいだろうか。ショッピングモールの婦人服売り場でよく見かけた感じの雰囲気の人である。
「この子達のインナーを見繕ってやってほしい」
かしこまりました、と女性店員が一度下がる。インナー?と、カウルのチョイスに疑問に思って首をかしげる。
「インナーですか?」
「あー……それはだな……。シルヴィア、頼めるか?」
カウルが、答え辛そうにシルヴィアに目をやったので、俺もそちらを向く。
「世の中には女性冒険者用の動きやすい、防具とも合わせやすいインナーがあるのよ。あなた達、見たところ軽装のスタイルだから、鎧なんか新調しても動きにくいだけでしょう?だから、防御力と機動力を殺さないインナーが必要なのよ」
「へぇ?」
イマイチ実感は湧かないが、先駆者が言うならそう……なんだろうか?となりのフレアを見上げると、彼女もよくわかっていないらしい顔である。
「えっと……ほら、激しく動き回ると、その、色々擦れたりとか……」
「擦れる?ってどこが?」
全く思い当たる節がなかったので、フレアに確認の意味を込めて視線を送る。だが、フレアも俺と同じように首を傾げていて、どうやらこの感覚は俺だけのものではないらしい。シルヴィアに視線を戻すと、彼女は少し顔を赤くして咳払いをする。ちょいちょいと手招きされたので近付くと、シルヴィアは俺たちの肩を抱くようにして、その耳元で囁いた。
「その、胸の先、とか、ね?」
それだけ言って、シルヴィアが体を離す。同時に、俺の胸元に密着していた暖かな柔塊も俺の身から離れる。見れば、なるほど、白衣とその下のゆったりとした服装で気付かなかったが、なかなか立派なモノをお持ちである。どことは言わないが。
それを意識すると同時に、俺はアイデアロールに成功してしまう。それはとなりのフレアも同じだったようで、フレアはなにやら虚無っぽい表情で自分の胸元に手をやっている。俺は自身の大平原と眼前の双子山を見比べて、確かにシルヴィアならばそういうインナーが無いと辛いかもしれないなと頷く。ミカエラにはまだまだ必要ないと思うが。
そんな事を考えていると何故か何処からか非難の声が聞こえてきたような気がしたので、この話題はここまでである。
「お客様。採寸の準備ができましたのでこちらへ」
「それじゃあシルヴィア、そちらは頼んだ。野郎の防具はこちらで揃えておくから、買い物が終わったら下階の……あー、何番だったかな、3番階段か、あの周りで落ち合おう」
「ええ、わかったわ。それじゃあお願いね」
シルヴィアが店員に微笑みかけると、再度「かしこまりました」と店員俺とフレアは女性店員に連れられて店の奥、布の仕切りで隠されたスペースへと連れていかれたのだった。
まぁ、そこから特に何かある訳ではなく。魔導具で隅から隅まできっちり採寸された俺たちは、各々好きな生地を選んでくれという店員さんの要求の元適当に肌触りの良い生地を選択した。どうやらサイズに合わせて作ってくれるらしく、明日また取りに来てくれと言われた。
オーダーメイドの割に早い。不思議に思って聞くと、作ると言っても一番サイズが近いものを調整するだけだから極端な体格でもない限りは1日で用意できると言われた。何だかよくわからないけどすごい。
支払いは、カウルからお金を受け取っていたらしいシルヴィアに一任だ。結局同じインナーを合計で3着ずつ注文し、俺たちは例の3番階段とやらから一つ下の階に降り、近くのベンチに腰掛ける。
パンフレットによると、先程の階が布や絹の製品を取り扱っている階で、この階と更に二つ下の階までは金属性の防具を扱う階らしい。ちなみに、そこから下は武器の階層で、大雑把な種類ごとに階層分けされている。武器のフロアが終わると「複合店」なるよくわからない店のフロアがいくつか続き、その下がようやくエドワードの店があった魔導具や小物のフロアとなる。そこから下は格安店と丁稚の習作販売所だ。
「あら、タワーの案内冊子じゃない。どう、使いやすい?」
突然シルヴィアに聞かれて驚いたが、俺は冊子を閉じてええ、まぁ、と返す。
「強いて言うなら、地図にお店の名前がびっしり書いてあるのが見にくいくらいですかね。所々文字も潰れてますし」
多少潰れている程度なら理解の指輪でじっくり見れば単語の意味はそれなりに読み取れるのだが、固有名詞や判別がつきにくい文字なんかは理解の指輪では判読できないところがいくつかある。
覚えている単語とかなら理解の指輪で判読できなくとも何となくで読めたりするのだが、それでもかなり難しい。文字が重なっているところもあってかなり読みにくい。
同じ地図でも、セダムの街で受け取った地図とはえらい違いだ。まぁ、あっちと比べると読みやすさだけじゃなくて紙の手触りとか紙一枚一枚の大きさとか、色々違う所はあるんだけど。
その事を伝えると、シルヴィアは真剣な顔つきで頷いた。
「やっぱりレーリギオンの製紙印刷技術には敵わないか」
「でも、地図が読みにくいのはどっちかというとマップの書式かなぁ。たくさんお店があるから文字が潰れて読めないんだよね。区画ごとに番号振るとかして、お店のリストと地図を分けたらもっと見やすくなるのに」
「それは、どういうことかしら?」
「えっと、ほら、例えばこのマップだったら、フロアの全景を半ページに抑えて、区画ごとに番号かなにかを振るでしょ?それで、もう半分のページにその番号に対応する店名と、あとはスペースがあるなら軽くその店の説明とか入れると見やすいかなぁ、とか?」
昔ショッピングモールだったか駅だったかで見かけた地図を思い出しながら、シルヴィアに指差ししながら説明する。
「なるほど、確かにそれなら……一度職人たちと相談して……」
シルヴィアが何かブツブツと独り言を始めてしまったので、俺は反対側に座ったフレアの方を見る。フレアはといえば、この階の防具に結構興味があるらしく、そわそわと辺りを見回しているようだった。俺も倣って見回してみると、なるほど、確かにフレアが装備しているのに近い軽装鎧やアームガードのような、小さいバラ売り防具のお店が並んでいる。
そんな風にして待っていると、案カウル達は案外すぐにやってきた。
「なんだ、案外早かったんだな」
「採寸してお金払うだけでしたからね。商品は明日取りに行けばいいそうです」
「そうか。それで、シルヴィア……シルヴィア?」
「っ、あぁ、カウル。早かったわね」
「そりゃあこっちのセリフだったんだが……まぁいいか。あとは俺とフレア、それからミカエラの武器と俺とフレアの鎧を新調すればタワーでの用事は済む。君の家へは俺が案内するから、先に戻っていてくれないか?」
「そうね、確かにメイドに準備もさせないとだし……」
「えっと……どういうことですか?」
話の繋がりが見えず、俺は首を傾げて周囲を見回す。何故か、フレアとヴィスベルは知っていた、というような顔をしていて、知らなかったのは俺だけみたいな雰囲気だ。あれ?なんで?
「あ?今日はシルヴィアの家に泊めて貰うんだよ。さっきも言ってたろ?」
「……聞いてませんでした」
さっき、というのは、おそらくショックで現実逃避をしていた時間の事だろう。俺は一体、どの程度逃避していたのだろう。今となっては確かめのようのない事だ。
「それじゃあ、カウル。また後で」
「あぁ。また後で」
そんな風に言葉を交わして、シルヴィアは軽快な足取りで人混みに消えて行った。
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