30.黒鉄都市メタルジア
リアルが多忙につき月一ペースです申し訳ない。
かたん、かたん。規則正しいペースで車体が揺れる。冶金国家というだけあって、ヘパイストスの馬車はレーリギオンの馬車に比べて乗り心地が良い。揺れは小さいし、まぁ椅子なんてないから座るのは床だけど、それでも質の良いクッションが備え付けられてるからお尻も痛くならないし。自動車や公共機関なんかとは比べものにならないが、それでもドナールで乗った馬車に比べたら快適性は段違いである。なにより、幌を被せたトラックみたいだったドナールの馬車と違って、この馬車は必要とあれば側面の幌を上げて風通しを良くできるから、閉塞感も暑苦しさもない。
俺は視線を上げて、御者台越しに馬車の進行方向に目をやった。恰幅のいい御者の向こうに、大きな真っ黒い鉄の塔が屹立している。
黒鉄都市メタルジア。ヘパイストスの中心地であり、近隣諸国に輸出される金属製品の大半を加工しているらしい。中央に建つ塔は職人が持てる技術をふんだんに使って建てた都市のシンボルであり、その中には目玉が飛び出るくらいお高い武器やら防具やらを生産するブランド店が所狭しと並んでいるのだそうだ。まぁ、今回あの塔を訪れる予定はないのだけれど。
俺たちがメタルジアを訪れるのは、勿論観光や冷やかしのためではない。
次なる目的地、土の聖地がある魔導国家バルバトスに向かうためである。
魔導国家とヘパイストスとの国境は険しい峡谷により隔てられている。その唯一の出入り口との通交があるのが、このメタルジアなのだ。
「こら、ミカ。よそ見をしないの」
遠いメタルジアに思いを馳せていると、フレアの注意が飛んでくる。視線を前に戻すと、呆れと諦めが入り混じったような顔のフレア。最近のフレアさん、なんだかお姉ちゃんに似て来た気がするよ。
「もう、そんなんじゃいつまで経っても火種の使い方なんて覚えられないわよ」
フレアがため息混じりに言う。
「そりゃ、分かってますけど」
言って、俺は小さな自分の手に目を落とした。
「難しいっていうか、コツの一つも掴めないっていうか」
魔力を回して少し集中すると、手のひらに小さな火種が灯った。ここまでは容易い。実際、このままの火を維持し続けるだけなら何時間でも続けていられるだろう。問題は、そこからだ。小さな火種にさらに魔力を注いで、その形を変容させる。明るく照らすだけの小さな灯火から、万物を燃やす裁きの業火へ。火種は徐々にその勢いを増し、激しく燃え盛る炎へとその形を変えようとして……次の瞬間、形を保てなくなってぼろりと崩れ去った。何度となく繰り返した残念な結果に、俺は大きなため息を吐き出した。
「これ、どうやったら上手くいくのか全く想像できないんですが」
自分なりに考えたやり方は身を結ばず、フレアや一足先に次の段階に進んだヴィスベルのアドバイスは感覚的すぎて殆ど理解出来ない。そこには根本的に何かを履き違えているような気持ち悪さがあるばかりで今のまま練習を続けるのは無意味とさえ思えた。
「うーん……。ミカは魔法の素地があるからすぐ覚えられると思ったんだけど……」
フレアが困ったように頰に手をやる。俺は荷物を入れてある木箱にもたれかかって、自分の小さな手を見つめた。
原初の火種。その力を使いこなすことは、アンリエッタを救い出す為には必須事項だ。魔法は結構覚えてきた。攻撃魔法や回復魔法だって、魔導書に載っている範囲ではあるが徐々にバリエーションを増やしている。だけど、それだけじゃあの黒い鎧の男は倒せない。
あの男がどれだけ強いのか、一度見えただけでわかったとは言わないが、それでも今のままで勝てる相手じゃないことは確かだ。なにせ、ヴィスベルとカウル、そしてバンが三人で挑み、一方的に負けた相手だ。勝つために、ここからどれだけの研鑽を積まなくてはならないのか想像もできない。
だけど、いや、だからこそ、俺は強くならなきゃいけない。守ってもらうのではなくて、皆を支えて一緒に戦えるくらいには。
……なんだけどなぁ。
もう一度、俺は火種を顕現させて、その形を変化させようと念じる。何度も見てきたのと同じように、火種はぐにゃりと形を歪め、ぼろぼろと風化するように消えてしまった。
「裁きの火」と呼ばれる、火種の力を用いた攻撃手段。今やっているのはそれの練習な訳だが、これが何回やっても成功しない。ヴィスベルなんかはほんの数日で修得してしまって、今はまた違う技術を教えてもらっているらしいが……。まぁヴィスベルのことはいいや。
「なーんでうまくいかないかなぁ」
フレアとヴィスベルが言うには、この火種の力を使う方法というのは魔法に近い感覚らしいのだが、俺にはそれが少し解せない。火種を使うのには魔法式もないし、何より発動のイメージがイマイチ想像できないのだ。
魔法を扱うのには、正確な魔法式の理解と発動イメージが必要である。ビアンカ婆さんも言っていたし、ビアンカ婆さんの師匠の魔導書にも書いてあった。それに、実際何度か使ってイメージがしっかりできるようになってきた魔法は目に見えて効果が上がっている。
最近では、魔導書に載っている魔法式は読むだけである程度の発動イメージができるくらいにはなっているのだが、火種の扱いとなった瞬間真っ白になってしまう。このままの状態で練習を続けても、時間だけを無駄に浪費してしまうだけなのではないだろうか。そんな自分の弱い心を、「でも」と誰かが叱責する。
——でも、練習しなきゃ何も始まらないよ。
そういえば、できないなら、できるようになるまで繰り返す。その反復だけが重要なんだって、前にも誰かに言われたっけか。もう覚えてないけど、あれは誰だったかな。
思い出せない誰かの激励を思い出し、俺は再び手の中に火種を灯した。
黒く大きな鉄扉を潜り、馬車がメタルジアに入る。火種の練習の方は一度も成功しなかったが、いい加減疲れてきたので一旦やめだ。
疲れ切ってまで練習したって身につくものも身に付かない。技術の習得にはメリハリが大事なんだって、バンも近所の子供達に言っていた。
馬車の縁から外の光景を見やる。黒い鉄壁に守られていた内側は、がやがやという喧騒でどこもかしこも賑やかだった。大きな通りの両側には立派な家やお店が並び、所々には何やら立派な剣や鎧をはじめとした冶金製品が飾られている。
セダムの街と同じくらいか、もしかするとそれよりも多い人の活気に、俺は思わず気圧される。
「聞いてはいましたけど、本当に凄い人ですね」
「メタルジアはヘパイストスの冶金産業の中心地だからな。近隣諸国からも武器の仕入れにやってくる連中が多いんだ。あっちの馬車はユーシアの奴らだな。あれはリザリア、あっちはツィーバの馬車か?しばらく見ないうちにまた賑やかになったもんだ」
などと、カウルが懐かしそうに辺りを指差す。俺は、聞きなれない国の名前を何となく聞き流して、適当な相槌を打つ。
馬車なんて正直どれも同じに見えるのだが、よくもまぁそこまで見分けられるものだ。そんな事を漏らすと、カウルは国によって形や御者の風貌が違う事を教えてくれた。どこそこの国は御者の帽子が特徴的とか、車輪の形が独特だとか教えてくれたが、残念ながら俺には見分けが付かない。
そんな雑談を続けているうちに、馬車が屋根のある大きな建物の中に入る。発着所のようで、周りには同じような形の馬車が何台か見える。少しして馬車が完全に止まると、座っていた乗客達が一斉に立ち上がった。俺も慌てて荷物を背負って立ち上がると、ぐい、とカウルに腕を引かれる。
「出発前に言ったろ、発着所に着いたら周りの客が降りるまで少し待つぞ」
そういえば、そんな話をしていたような。カウルが呆れたような視線を向けてくる。俺は、「覚えてますよ、ええ」と誤魔化して、先程まで自分が座っていたクッションに座りなおす。
「ったく……。降りたらすぐに大峡谷行きの馬車を予約に行くからな。ミカエラ、くれぐれも、だ。はぐれるなよ?」
念を押すようにカウルが言う。いくらなんでもはぐれませんて。そう答えようとして、ふと、脳裏にセダムやコッペルでの出来事が過ぎった。
……そういえば、ちょっと大きい街に行くとすぐはぐれかけてたね、俺。や、はぐれてはなかったと思うけど。ちょっと危なっかしいところはあったかもしれないなー、くらいで。
「……まぁ、肝に銘じておきます」
半笑いになっているカウルの方から目を逸らして答えると、カウルはよろしい、と満足げに頷いた。そんなことをしている間に、馬車の乗客の殆どが降車を終えたらしく、馬車の中には俺たちの他に二、三人を残すのみとなっていた。
「よし、降りるぞ」
カウルの声かけで、俺たちはそれぞれ自分の荷物を担いで立ち上がった。
メタルジアに来るのはカウル以外初めてなので、今日の引率はカウルだ。俺達は並んでカウルの後に続く。
「これだけ広い建物に、こんなに沢山の馬車が停まるのね……」
馬車から降りて、辺りを見渡したフレアが感嘆の声をあげる。俺も同じように見渡して、同様の感想を抱いた。
俺達が降ろされたのは、小さな村くらいなら簡単に収まりそうな広さの建物。馬車を停めておく施設のようで、柵で囲まれた区画がずらり、人や馬車の通れる最低限の通路だけ残して所狭しと並んでいる。視界に入るだけでも十台以上の馬車が止まっており、その規模の大きさを物語っていた。
「ヘパイストスの国内便は、全部このターミナルで管理、運営されてるんだぜ」
「へぇ……。すごいな」
「ん、国内便ってことは、国外に向けては別なんです?」
「まぁな。つっても、建物挟んですぐ隣だ。あぁ、この建物から出るのにこいつが必要だ、出口で衛兵に渡してくれ」
そう言って渡されたのは、掌に収まるくらいの小さな金属片。馬車に乗る時にカウルが受け取っていたものだ。表面には魔法陣が刻まれていて、割符と似た機能を果たす魔導具であることが伺える。カウルから受け取ったそれをしっかりと握りしめて、俺達は建物の出口に向かった。
「おいおい、便が無い?冗談はよしてくれよ!」
恙無く乗降場から出て、国外へ向かう馬車の受付だという建物に入ってすぐ、そんな声が聞こえた。時間帯故にか人は疎らで、それ故にその声の主はよく目立っていた。
声の主は、ボサボサの青っぽい髪をした、大柄な体躯の男。背中に槍を背負い、質の良さそうな装備に身を包んでいる。動きを阻害しない革のような質感の装備で、急所や手脚、関節部のみ金属質のアーマーが覆っていた。槍も素人目で見て分かるくらいよく手入れされていて、いかにも使い込まれている、というような風情だ。
男は受付のカウンターに両手を突いて抗議しているようで、受付嬢が困惑したような顔をしている。奥に見えた男性職員は何やらご愁傷様という目でそちらを見ているが、助けようという気は無いらしく、別の書類仕事に戻って行くのが見えた。あれ、これ、仲裁入らないとマズいやつじゃないの?
堪えきれずそちらに向かおうとしたヴィスベルを、カウルが片手で制止した。
「カウル、何で止めるんだ?」
と、不機嫌そうにヴィスベル。俺も不思議に思ってカウルの顔を見上げると、カウルは何やら落ち着き払った様子でまぁ待て、と首を振った。
「こういう時、変に突っかかるとかえって大事になるんだよ」
「だからって、放っておくのは……」
「そういう訳じゃないさ。俺に任せとけって」
そう言ったカウルが男の方に歩き出したので、俺達もその後に続く。
「よう。何かあったのか?」
「んん?あぁ、何か便が無いって言われてよ」
カウルがフレンドリィな感じで声をかけると、男は拍子抜けするくらいあっさりとした様子でこちらを振り向いた。その顔を見て、俺は少しだけ息を呑む。
まず特徴的なのが、男の顔の右側。目元から頰まで、大きな傷跡が走っている。よく見ると額や首元にも小さな傷跡が散見され、その体格もあってか正面から相対するとそれなりの威圧感を覚える。視界の端っこで、男の視線が外れた受付嬢がホッとした顔をしているのが見えた。
「便が無いって?」
「あっ、はい……。現在メタルジアからバルバトスに向かう便は全便休止してまして……」
カウルが受付嬢に問うと、受付嬢が少し明るい表情で言った。あれ、バルバトス行きって、俺達も乗りたい馬車だよね。
「や、だから、何で便が無いんだよ?」
もううんざりしたという口調で、男がガリガリと頭を掻きながら言う。その声に怯え、受付嬢は再び萎縮してしまったようで、強張った笑みで男の方を見た。
「ひぃっ!あ、あの、すいません、バルバトス行きの馬車は全便休止中なんです……」
……あぁ、何か、何が起こってたのかちょっとわかった気がする。俺は怯えたようにその言葉を繰り返した受付嬢に全てを察した。
どうするかな、と困り顔のカウル。俺はその傍をすり抜けて、ひょいとカウンターに身を乗り出した。
大人用のカウンターだから乗り出さないと多分カウンターからは見えないんだよね。ほら、ミカエラさんって小柄だから。……成長期まだかな。まぁ、身長に対する不満はさて置いて、俺はカウンターの受付嬢の顔を見やる。少し怯えた様子の受付嬢と目が合ったので、愛想笑いを浮かべてやる。
「ね、私達もバルバトスに行きたいんだけど、何で馬車が出てないの?」
小さく首を傾げて聞く。受付嬢は少し困った顔で、えっとね、と口を開いた。
「バルバトスとの国境付近の大峡谷に、バジリスクが居座っているの。それで、ウチからは馬車が出せないことになってて……」
「バジリスクだぁ?!んなもんこの街の戦力なら……」
「おじさん、受付の人が怯えるからちょっと黙ってて」
男が再度大声をあげたので、俺はそれを遮る。あまり行儀の良い行いではないが、そうでもしないと受付嬢が怯えて話が進まないと思ったからだ。
「おじっ……!うぅむ……」
男は俺と受付嬢、ついでにカウル達を何度か見比べて、仕方ない、と呟いて一歩後ろに退いた。よし、これで話が聞ける。そう思って受付嬢に視線を戻すと、ぐい、と襟首を掴まれて俺の体が宙に浮いた。ぐぇ、と潰れたような声が口から漏れ出る。
「お前もあんまり迂闊な事をするんじゃない。話が拗れたらどうする……」
「だって話が進まないじゃないですかぁ……」
「やり方があるって言ってんの。ったく、それで、バジリスクが出たってのは?ここのギルドは十人単位のAランカーを保有してるって聞いてたが」
そのままカウルに荷物のように肩に担がれたので、無駄な抵抗は諦めて脱力する。暴れると余計に苦しい思いをするのはこの一月で骨身に沁みている。
「えっと……ギルドの方からはバジリスクが観測されたから便を止めるように言われただけですので……それ以上のことは、ちょっと」
「そうか。分かった、それじゃあギルドの方に問い合わせることにする。邪魔したな」
そう言って、カウルは出入り口の方に踵を返す。俺は、どうやらしばらくこのままのようだ。フレアとヴィスベルに救援要請の視線を送るが、帰ってきたのは諦めろ、と言わんばかりの苦笑だけだ。解せぬ。
カウルに担がれたまま外に出ると、先程の男が話しかけて来た。
「さっきは悪りぃな、何か」
「いいさ。俺達もバルバトスに行くつもりだったからな。こちらこそ、うちのチビが失礼した」
「あー。まぁ、その年頃のガキにしちゃあ礼儀正しい方だと思うぜ。俺が子供の頃はもっと腕白だった。それで、ギルドの方に行くんなら同行しても構わないか?メタルジアは初めてなもんで、立地をよく分かってないんだ」
「あー。どうする、ヴィスベル」
カウルがひとまず俺を下ろしてくれたので、俺はカウルから離れ、ヴィスベルの隣にまで後退する。カウルの問いに対し、ヴィスベルはあまり悩むこともなく、構わない、と言って頷いた。カウルはそれに、了解だと頷き返す。
「ウチのパーティリーダーも言ってるし、いいぜ。俺はカウルだ。んで、こっちがヴィスベルとフレア。このちっこいのがミカエラだ」
「丁寧にどうも。俺はディレルだ。ディレル・カミンスキ」
男、ディレルが片手を差し出す。カウルはその握手に応じると、その片眉を小さく上げた。
「……ディレル・カミンスキ? お前、ツィーバの一番槍か?」
カウルの口から知らない言葉が飛び出した。何やらその筋では有名な人なんだろうか。ディレルとカウルを見比べていると、ディレルも少し驚いたように眉を上げた。
「おっと。その二つ名を知ってるってことは……同郷か?」
「や、俺はツィーバの人間じゃねぇよ」
「そうか?んん……待てよ、カウル、カウル、赤毛のカウル……何処かで覚えがあるような……」
握手を解いて、ディレルが指で自分の頭を叩く。ディレルは暫く考え込んでいたが、やがて何か思い当たるものがあったのか、ぱちん、と指を鳴らしてカウルの事を指差した。
「ひょっとして血塗れカウル?」
血塗れ。そういえば、アスベルの所でもそんな言葉を聞いた覚えがある。カウルの顔を見上げ、俺はおもわず硬直した。見上げたカウルの顔には、一切の感情が欠落した無表情が浮かんでいた。普段の人好きする顔からは想像もできないくらい、怖い顔だ。
しかしその表情が浮かんでいたのは一瞬で、カウルはすぐに困ったような愛想笑いを浮かべていた。……さっきのは、何かの見間違いだったんじゃないだろうか。そんな考えが頭を過る。
「……そりゃあ、人違いだな。生憎、そんな二つ名が付くほど戦慣れはしてないもんで。俺はしがない冒険者だよ」
カウルはそれだけ言うと、ギルドはこっちだ、と言って通りに向かって歩き出す。俺達は慌ててその後を追った。
感想はいつでもウェルカムですので是非