29.出立、神火の里
さて、次の目的地はどこにしようかな……
夢を見ていた。
長い長い、旅の夢。
同行者は、俺ともう一人。
どこを目指していたのか。何故彼と旅をしていたのか。
その理由は思い出せなかったけれど、その夢は、何故だかとても懐かしい気がした。
目が覚める。場所はベッドの上。手元には魔導書、『フラグニスの火』が開かれていた。昨晩目を通しておこうと開いたところまでは覚えているから、どうやらそのまま寝落ちしてしまっていたらしい。布団も碌に被らず寝たからか、少し肌寒い感じがする。
俺は本を閉じ、窓の外に目をやった。太陽はまだ登り切っておらず、多分まだ午前中だろう。
……いや、そうじゃなかったら困るんだけど。
俺は箪笥に仕舞っていた旅装束に着替えて、ドレッサー近くの椅子に置いていた装具を取り付ける。
ポーチのついたベルトを着けて、そこにバンから貰った短剣と、魔導書の入った革鞄を取り付ける。最後にフラグニスの火をリュックに仕舞い、それを背負う。あとはドレッサーの鏡を見ながら寝癖を整えれば準備は完了だ。
「……よし」
ヴィスベルが火の大神から火種を授かって一晩。十分な休息を取って、今日は出立の日。神火の里を出れば、コッペルの街まで休息は最低限だ。自分に言い聞かせ、気を引き締めた。
「おはようございます……あれ、ヴィスベルさんは?」
準備を終えて居間に降りると、カウルが一人で剣の手入れをしていた。普段ならヴィスベルも隣で手入れをしているはずだが、今日に限ってはその形跡もない。不審に思って尋ねると、カウルは手入れの終わったらしい短剣を鞘に収めて「あ?」と口を開く。
「朝早くから族長さんから呼び出しがあってな。今しがた出て行った所だ。帰りは昼過ぎになるそうだから、出発はそれからだな」
「タルボさんが。何かあったんです?」
「さぁ、どうだか。何にしても悪い話じゃあなさそうだったぞ」
へぇ。何の話だろうね。まぁそれはヴィスベルが帰った来てからのお楽しみにしておくとして。
「てことは、昼過ぎまでは何もすることがありませんね」
「まぁそうだな。俺は武器の手入れをしておくが……お前は里の奴らに挨拶に行ってもいいかもな」
カウルに言われ、確かにと首肯する。この数日、里の人たちには随分と良くしてもらった。何かしら食事の差し入れはしてくれたし、子供達とも何度か遊んだ。旅装束の修繕もしてもらったし、挙げていけばきりがないくらいの親切は貰っている。挨拶くらいはしておかないと失礼というものだろう。
「そうですね。それじゃあ、ちょっと里の方を回って来ます」
「おう……あぁ、短剣は置いていけ。ついでだから手入れしておいてやるよ」
「あら。ありがとうございます」
俺はベルトから短剣を取り外してカウルに渡す。
「帰ってくるのも面倒だろう。ヴィスベルが帰ってきたら里の出口の方で待ってるから、直接そこで集合にするぞ」
「了解です。じゃあ自分の荷物は持って行きますね」
下ろしかけていたリュックを背負い直して、俺は家を出た。この家とも今日でお別れかと思うと少し名残惜しい気がする。
と、あんまり感傷に浸っていると挨拶して回る時間がなくなってしまう。神火の里はそこまで広い集落ではないけれど、端から端まで回るのは多少時間がかかるのだ。
「あーっ!ミカちゃんだー!」
一番近い広場に着くと、遊んでいた女の子がきゃー、と言って近寄って来た。彼女の声を聞いて、他にも遊んでいた子供達がわらわらと寄ってくる。子供達が騒がしくなったのを聞いて、離れて談笑していた大人達の目もこちらを向いた。
「きょうもまほう、みせてくれるのー?」
キラキラした目で子供達が俺を見る。すっかり人気者になったものだ。今日で最後な訳だし、挨拶の前に少しやっておくのも良いだろう。首を横に降る理由もなく、俺は大きく頷く。子供達や、近くの大人達までもが嬉しそうな顔をしてくれる。
俺はこの数日ですっかり馴染んでしまった大仰な動作で一礼すると、明るい導の光を作り出してジャグリングを始めた。
「今日も良かったよ。ありがとう」
「いえ、こちらこそありがとうございます」
「しかし、そうか……。今日で旅立ってしまうんだなぁ」
芸の披露を終えて、近くにいた人達に順番に挨拶をして回る。子供達も思いの外聞き分けが良く、また来てねー、と軽い感じのお別れだった。不思議に思って聞いてみると、近くの大人の人が「出会いも別れも巡る火のお導き。我々は火の摂理を受け容れる」という小難しい言葉を教えてくれた。皆笑顔で旅立ちを祝福してくれる様子で、俺も何だか寂しい気持ちが吹き飛んでしまう。
「そういえば、サフィーやロンがいませんね。いつもはこの時間、ここにいるのに」
あと挨拶していないのは何人だ、と指折り数えて、そういえば二人を見かけていない事に思い当たる。
「ん、あぁ……。ロンの奴なら修練場の方に行くのを見かけたぞ」
「修練場、ですか?」
「あぁ……。閑暇期の猟師が腕が鈍らないようにって矢撃ちとかする所だよ。針子の工房は知ってるよな、あそこをもうちょっと行ったところにあるんだが」
そういえば、そっちの方にはまだ行ったことがなかったっけ。針子の工房までは足を運んだことはあったが、そういえば道はまだ先に続いていた。針子の工房への挨拶回りが終わったら行くことにしよう。
俺は広場の人達にもう一度だけ一礼をして、針子の工房の方へと足を運んだ。
針子の工房での挨拶回りを終えて、俺は修練場に辿り着いた。修練場は大きな広場で、柵で囲われた中には、ゴロゴロとした岩の間に無数の的が配置されているのが見えた。その一角、何も配置されていないスペースに、ロンの茶髪とサフィーの黒髪が見えた。
「あ、ミカちゃん」
俺に気付いたらしいサフィーが大きく手を振る。俺は手を振り返し二人の方に近付いた。
ロンとは前に喧嘩別れっぽくなってから一度も会っていないので、少し気まずい。
「どうしたの、修練場まで来るなんて?」
「広場に二人がいなかったからですよ。今日で出発するので、その挨拶回りにと」
「今日!急だね?」
「昨日は竃から帰ってタルボさんに報告したら夜中でしたから。ほんとは挨拶周りも昨日のうちに済ましておきたかったんですけど」
サフィーと話をしつつ、横目でロンの表情をうかがう。ロンも俺と会うのはまだ気まずいのか、目が合うと露骨に顔を逸らされる。や、さすがにそれは傷付くんだけど。
「二人のお陰でここ数日は本当に楽しかったです。また会うことがあれば、是非仲良くしてくださいね」
「うん、もちろん!我らが母、アニマ・フラムに誓うよ!」
眩しい笑みでサフィーが笑う。俺もそれに笑顔を返して、次いでロンの顔を正面から見据えた。このままお互いにすっきりしないわだかまりを残しても気分が悪いだけだ。ここはひとつ、俺から謝って全て丸く収めてしまおう。
「えーっと、ロン、先日はロンの気持ちも考えないで酷い事を言ってしまって。すいませんでした」
頭を下げると、ロンは驚いたような顔をして、なにやらしどろもどろになる。首を傾げると、隣にいたサフィーがくすりと笑った。
「先に言われちゃったね、ロン」
「うん?」
サフィーの言葉の意味がよく分からず、俺はサフィーとロンの顔を交互に見比べる。俺の一つ下とは思えないくらい達観した顔付きのサフィーと、顔を赤くしているロン。サフィーが、ほら、といって肘でロンをせっついた。ロンは口を何度かパクパクさせると、やがて意を決したような顔をした。
「……べつに、俺も、担い手として相応しくない態度だったし……」
もごもごと、小さな声でロンが言う。その要領を得ない言葉に、サフィーが少し悪戯っぽい顔をした。
「あー、ロン、そんな風に言っちゃうんだ。さっきまでミカちゃんに嫌われてたらどうしよう、とか仲直りしたい、とか言ってたのにー」
そうなの?とロンの方を見ると、ロンは顔を真っ赤にして慌てふためいていて、サフィーの言葉が真実であることを如実に表している。
「サフ?!それは言わないって——」
ロンの半分裏返ったような声を「だって」とサフィーが遮る。ロンはその声に気圧されてしまったのか、う、と言って口を噤む。サフィーはそれを満足げに見て口を開いた。
「だってロンがほんとのこと言わないんだもん。常に真実を照らす火であれ、族長様だっていつも言ってるじゃない」
「それは、そうだけどさぁっ!」
サフィーの言葉に、ロンが悲鳴のような声を上げる。ロンは何か反論しようと言葉を探していたようだったが、やがてサフィーの有無を言わさない笑みに押されて、観念したようにがくりと肩を落とした。
「うぅぅ……悪かったよ!俺が悪かった!俺だって猟師の一員なのに、うまくいかなくってムシャクシャしてました!」
「うん、よろしい。ミカちゃん、ロンのこと許してくれる?」
「許すもなにも……」
「許してくれる?」
サフィーがとびきりの笑顔を俺に向ける。この子本当にミカエラの一個下なんだろうか。普段のアンリエッタより怖いんだが?
「や、はい。許します」
サフィーが期待する以外の言葉を放つのは自殺行為だと悟り、俺はおとなしく首を縦に振った。許すもなにも起こったこと自体に対する感情はほとんど残ってはなかったんだけど、多分サフィーはそんな言葉は許してくれないだろう。
「うん、これで仲直り、だね!」
言って、サフィーが俺とロンの手を取って握手をさせる。サフィーの顔を見やると、彼女は未だに満面の笑みを浮かべていて、何だろうか、少し怖い。対面のロンに視線を戻すと、ロンも恐れ慄く表情でサフィーの顔を見ていたらしく、少し青い顔と目があった。
サフィーという共通の恐怖対象を獲得して、俺とロンの間の友情は少し深まった……ような気がした。
三人で里の入り口に向かう。挨拶回りはタルボ達族長の館に常駐している人たちを除けば二人で最後だ。タルボ達には一応昨晩挨拶は済ませているから、あとはヴィスベル達と合流して出発するだけである。入り口に着くと、そこには既にヴィスベル達が待っていた。俺は二人にもう一度だけ別れを告げて、ヴィスベル達の方に駆け寄る。俺の接近に気付いたらしい三人の目が、一斉にこちらを向いた。彼らに「お待たせしました」と声をかけようとして、俺は一度立ち止まって首を傾げた。
ヴィスベルの隣に、フレアがいた。
纏っているのは担い手の女性服ではなく、丈夫そうな動きを阻害しない衣服。服の上には急所を守るための金属製のプロテクターを装着しており、その腰には二振りの直剣を帯びている。今から旅に出ると言われても違和感がない装備だ。
「あぁ、ミカエラ。紹介するよ」
不思議に思って眺めていると、視線に気付いたらしいヴィスベルが口を開いた。
「今日から旅に同行してくれる、フレアだ」
「よろしく、ミカエラちゃん」
「あ、はい、よろしくお願いします……え?あれ、何で?」
フレアが旅に同行する理由が思い当たらず、俺はますます、首を傾げた。
「原初の火種は、私たち神火の担い手が繋いできた力。新たに火種を授かった二人は、まだ火種の使い方をほとんど知らないでしょ?だから、私が同行して使い方を教えるように、って父……族長タルボのお考えなの」
「あぁ、今朝ヴィスベルさんが呼ばれてたのってそういう……」
「ええ。……改めて、神火の担い手フレア、光の御子ヴィスベルの旅に同行させて頂きます」
言って、フレアは小さくお辞儀をした。
フレアが仲間に加わった!
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