28.祀り火の儀
ティンデル火山編は次あたりで最後かな。
鳥居のような構造物が林立している山の斜面。どこまでも続く階段を登る。
ティンデル火山、フラグニスの竃へ続く道。フレアによれば、焔の山道と呼ばれるこの道は、以前にアニマ・フィブと共に歩いた道と同じ道のように見えた。前来た時と違うのは、鳥居っぽいものの表面が少し風化しているのと、周りにヴィスベル達がいる事。
フレアが先導し、俺が続いて、ヴィスベルとカウルが神輿のような籠に入れられたサラマンダーを運んでいる。
……いや、俺は浮揚の輪を籠に掛けながらだから何もしてない訳じゃないよ?うん。
「祀り火の儀はフラグニスの竃で行います」
導き手の舞服と呼ばれる特殊な服を着たフレアが言う。導き手の舞服は、つい先日俺が着せられた服に似ている。差異はフリルが付いているかいないかくらいなものだろう。露出が多いとかは同じ筈なのに、フリフリしてないだけで随分まともな民族衣装に見える。
余談ではあるが、俺の分の衣装は導き手の舞服を作った時の余り布で作られていたらしい。よくもまぁ余り布であれだけ作ろうと思ったし作れたよね。ミカエラさんびっくりだよ。
「えっと、最初に供物を捧げて、その後にフレアさんが舞をして、それでヴィスベルさんが火の大神の所に行くんですよね」
鳥居ばかりの景色にはいい加減飽きて来たので、道中の無聊を慰めるのに俺は事前に教えてもらった儀式の流れを指折り数えながら確認する。先頭を歩くフレアはこちらを一瞥すると、ええ、と言って呟く。
「大体そんな感じよ。と言っても、私も初めてだから文献に残っているようにしかわからないんだけど……」
「最後に執り行われたのが勇者アスラの頃ですもんね……」
勇者アスラの伝説は、神代の終わり以降の話とはいえ今よりも一千年単位で昔の話だ。当然、儀式を見た人間はもう一人も残ってはいまい。それでもこの儀式の形式とか作法が今に残っているのは、代々の担い手達がいかにそれを大事にしていたかという現れたなのだろう、きっと。
「そういえば、ヴィスベルさんはともかく私とカウルさんは付いて来て良かったんですか?」
ふと思い当たり、俺はそんなことを聞いた。大切な儀式であればこそ、あまり多くの人を連れて行く訳にはいかない。かつて神樹様の上にいた時は、儀式に向かうアンリエッタに付いていこうとして幾度となく窘められたものだ。少し懐かしい。俺の質問に、フレアがくすりと笑った。
「部外者ならそうだけど、あなた達は当事者じゃない。それに、族長様から許しが出ているのだから気にする必要は無いわ」
「そんなものですかね」
「そんなものよ」
「おい、ミカエラ。浮揚の輪が切れたぞー」
フレアが言うのと一拍遅れて、背後からカウルの不満声が聞こえた。魔法が切れている事に気付き、俺は慌てて振り返る。
「すいません!今掛け直します!」
俺は籠に触れて、浮揚の輪をかけ直した。
それからどれくらいか歩いて、ようやく山頂が見えてきた。階段の終わりには、一際大きく、豪奢な造りの鳥居が立っている。その最後の鳥居をくぐり抜けると、俺たちは巨大な窪地の外縁に居た。
「フラグニスの竃って、火山の中のあの広い場所じゃないのか?」
ひとまず供物の入った籠を地面に置いて、カウルが言った。フレアは少し困った風に眉を寄せると、外の人には何て説明したらいいか、と口を開いた。
「どっちもフラグニスの竃なのよ。一応火山の奥の方を奥竃、この山頂を表竃、なんて言い方もするけど……滅多に言い分ける事はないかな」
へぇ、と三人で頷いて、俺は何となく窪地の中心に目をやった。窪地の中心には大きな火口が口を開けており、水蒸気らしい煙が立ち上っている。
——あれ、ここってこんなんだったっけ?
何となく違和感を感じ、その正体に首をひねる。いや、ていうか、俺がここに来るのは初めてじゃん。何かアニマ・フィブに連れられて一回来たような気になってたけど、あそこは神界だったわ、そういえば。
なんて、俺が勝手に自己解決している間にも、フレアは火口に向けて歩き出していた。俺はカウルにせっつかれて再度び籠に浮揚の輪をかけると、慌ててその後に続いた。
辿り着いたのは、火口のすぐ側に建てられた祠の前。赤色の石で作られた祠で、その大きな石扉は固く閉ざされていて中を窺い知ることはできない。見た目通りの広さではあれば中には大の大人が数人は入れるだろうかという大きさだ。
鍵すらない石扉には複雑な紋様が刻まれていて、何か魔法的なギミックがあるであろうことが伺える。まぁ、俺は新式魔法しかわからないから古式魔法の魔法陣とかはサッパリなんだけどさ。
感心して祠を眺めているとフレアがその扉の前に跪き、何やら祈りを捧げ始める。フレアの身体が薄い赤色に輝き、その光が帯のように扉に向かって伸びる。光の帯が扉に触れると、今度は扉に刻まれた紋様が赤い光を放ち始めた。やがて扉の紋様の全てが赤の光に染まると、ガコン、と音を立てて祠の扉が開いた。
中へと促され、俺達は祠の内部に足を踏み入れる。長年閉ざされていた空間独特の静謐な空気。不思議と埃っぽいとかカビ臭いということはなく、ただただ静かな、眠ったような雰囲気だけが漂っている。
俺達が足を踏み入れると同時に、茫、と音を立てて隅にあった燭台に火が灯り、薄暗い祠の内部が明るく照らされた。
そこに安置されていたのは、小さな鏡と鞘に収まった剣。その手前には円形の紋様で囲まれた小さな台座と、さらにその前には一段高くなった舞台のような空間があった。
「捧げ物をあちらの台座に」
フレアに言われ、ヴィスベルとカウルが籠を台座の上に乗せる。台座の下に刻まれていた紋が薄く輝き、籠が燃える。台座が下がり、火が勢いを増した。籠の中にいたはずのサラマンダーはいつのまにか消えていて、猛る紅炎の中核には濃密な蒼色だけがあった。
その火の勢いを確認し、フレアが舞台に上がる。フレアが舞台の中央に立って小さく祝詞を唱えると、舞台の床に刻まれていた紋様に赤い光が灯った。
すっと音もなく、フレアが舞を始める。最初は弱く緩やかな動きから、徐々に激しく、力強く変じていく。それはさながら、燃料を焚べられた炎のような動きだ。
フレアが、その双掌に原初の火種を顕現させる。気が付けば、舞は火種を剣に見立てた剣舞に変わっていた。美しい炎剣の軌跡が辺りを照らし、思わずその美しさに見惚れてしまう。
それから幾許かの時間が経って、フレアの舞が終わる。両隣でカウルとヴィスベルが溜息を漏らしたのがわかった。俺もまた、彼らと同じように溜息を漏らす。
舞の余韻に浸る俺達を現実に引き戻したのは、祠の扉が勢いよく閉ざされた音だった。
我に返ったカウルが警戒心からか懐に手を伸ばす。フレアを見ると、彼女も何が起こったのかわからないようで困惑したように閉じた扉の方を見ていた。祠に満ちる空気が変わる。俺は祠の奥に目をやって、驚きに目を見開いた。
「皆、祠の奥に!」
俺の言葉で、全員の視線がそちらを向いた。
勢いよく燃える大火の向こう側。最奥に祀られた剣と鏡の前に、二つの人影が立っている。
一方は見事な意匠の甲冑を纏った巨漢。もう一方は、鮮やかで美しい意匠の和装を纏った少女。
二人は畏怖と安堵を同時に与えるような気配を放っており、俺と視界の端に居たフレアは彼らを認識するのとほとんど同時にその場に跪いていた。背後から衣摺れの音が聞こえたことを考えると、ヴィスベルやカウルも跪いているのだろう。
『よく来たな、我が眷属達と……そして、光の御子よ』
しばしの静寂の後、ビリビリと畏敬を感じる声が心に響く。
『あら、お客様はもう一人居ますよ、イグニ』
『む。そうであったな。まぁよい、そなたら、面を上げよ』
言われ、俺は顔を上げた。いつの間にか供物の火は無くなっていて、二柱の大神は俺たちの目の前に居た。
『ミカエラよ、貴様とは少しぶりだな。貴様の肉体、中々良い器であったぞ』
「それは……どうも、ありがとうこざいます」
いきなり話しかけられてびっくりするが、ひとまず普通にお礼を言っておく。アニムス・イグニスは満足げに笑うと、俺から目を離し、次はフレアを見やる。
『貴様はロメオスの末裔だな。奴の娘によく似ている。先程の舞は見事なものであったぞ』
「恐縮です、我らが父よ」
フレアが再度跪いて答える。アニムス・イグニスはそれに頷くと、次いでヴィスベルを見た。
『さて……光の御子よ。我らも色々と聞き及んではおるが、問うこととしよう……。貴様は何を欲し、この場に足を踏み入れた?』
横目でヴィスベルを見ると、彼は力強い目でアニムス・イグニスを見据えていた。ヴィスベルは生唾を飲み込んで、意を決したように口を開く。
「命の女神の神託を受け、火の大神の加護、原初の火種を授かるために参りました」
『ふむ。原初の火種は神の火。その身では受け容れ切れんかもしれんぞ?そうなれば貴様に訪れるのは死だ。それでも原初の火種を欲するか?』
え。ちょっと待って、俺は受け容れ損なったら死ぬとか聞いてなかったんだけど。ぎょっとしてアニムス・イグニスの方を見ると、その隣のアニマ・フラムがにこりと微笑む。何だろう、意思疎通ができてない感じがする。いや、手を振って欲しいって訳でもなくて。とりあえずアニマ・フラムには頭を下げておく。顔を上げると、アニマ・フラムの笑顔が一層輝かしいものになっていた、気がした。
「それでも、それが僕の使命だと思っています」
絶賛困惑している俺とは対照的に、ヴィスベルが固い決意の篭った言葉を放つ。実に立派な心意気である。俺も見習いたい。
……うん、まぁ、俺もこうして生きてる事だし、何も言う事はないか。ひとまず考えを意識のどこかにしまいこんで、俺はヴィスベルとアニムス・イグニスの方に視線を戻した。
ヴィスベルの言葉を聞いたアニムス・イグニスが鷹揚に頷きその手を掲げると、その手に以前見たものと同じ蒼白の至宝が現れた。その美しさに皆が息を呑むのが分かる。
『これこそが原初の火種。さあ、光の御子よ。受け入れるが良い』
莫大な熱量を持つそれに、ヴィスベルは躊躇する事なく手を伸ばした。ヴィスベルの手に収まった原初の火種は、彼の意思に呼応するように輝くと、ゆっくりとその形を変える。
アニムス・イグニスがほう、と感心したような声を上げる。果たして、原初の火種は一振りの剣へと転じていた。見るもの全てを魅了するかと思える程に美麗な炎剣はヴィスベルの身体の中に音もなく吸い込まれるようにして消える。
しばし目を瞑っていたヴィスベルは、やがてその目を開けると、右手を正面に掲げて力ある言葉を口にした。
「《バーン・セイバー》」
轟、音を立て、ヴィスベルの手に赤い炎の剣が現れる。原初の火種と同じ波長の力を放つ焔の剣。ヴィスベルはその剣を二、三回振ると、それを消してアニムス・イグニスに跪いた。
「火の大神よ。感謝致します」
『うむ。大義を果たせよ、光の御子』
アニムス・イグニスのその声が響くと同時に、世界が反転するような感覚。気付けば二柱の大神はその姿を消している。
がこん、という大きな音を立てて、背後で石扉が開いた。
緊張が解け、俺は小さく息を吐く。大神と相対していたのはほんの一瞬のはずなのに、かなり長いこと対面していたような疲れがある。大きく伸びをして背中の筋肉をほぐしていると、不意にからん、と背後で音が聞こえる。振り返ると、カウルが荒い呼吸で片膝を着いていた。
「カウルさん?!どうしたんです?!」
慌てて駆け寄ると、カウルは僅かに青褪めた顔で、その額には大粒の汗が無数に浮かんでいる。
「どうしたって、お前……。お前らは、なんともないのか……?」
いつもと違い、余裕のない声音のカウル。俺と同じように駆け寄って来たフレアやヴィスベルも不思議そうな顔をしている。
「ひとまず壁の方に」
俺が声をかけると、ヴィスベルとフレアが頷いた。俺たちは三人がかりでカウルを担ぎ上げると、何とか壁際まで連れて行く。俺はポーチから小さなカップを取り出して、雨露の水差しで水を注いだ。カップの水を飲むと、カウルの体調は多少はマシになったらしく、呼吸も落ち着いた。
「何があったんだ、カウル」
ヴィスベルが聞く。カウルはそれに頷くと、小さく震える自分の手を見つめながら口を開いた。
「あの二人、火の大神か。あいつらを見つけた瞬間、全身を押し潰されるようなプレッシャーを感じた……。いや、あれはもう、実際に物理的に押し潰されている感覚だった」
カウルの言葉に、俺たちは三人して顔を見合わせる。確かに大神が現れた時、プレッシャーのような感覚はあった。だが、それは自然に跪いてしまう程度のもので、物理的に押し潰されるというような感覚は無かった。それはヴィスベルとフレアも同じようで、二人とも不思議そうに首を傾げていた。
俺たちは何も感じていないのに、カウルだけが感じたプレッシャー。俺達とカウルで、何か決定的な違いがあるのか?まぁ、年はかけ離れてはいるけれど。あとは出身なんかも皆バラバラだし……。
「……あ」
「何か気付いたの、ミカエラちゃん?」
「いや、もしかしたら、なんですけど。カウルさんが持ってる神様の加護ってどんなのです……?」
聞くと、カウルは少し渋い顔をして、次にハッとしたように目を見開いた。
「確かに、俺は下級の神からの加護しか受けていない……お前達は、確か全員原初の大神の加護を持っているんだよな」
フレアの火種や俺の果実は言うに及ばず、ヴィスベルも光の大神の加護を受けているからこそ光の御子と呼ばれている。と、考えるならば。俺達とカウルの決定的な違いというのは——
「加護を得ている神の格……」
「……そう考えるのが妥当だな」
そう言って、カウルは立ち上がって服の表面を払う。大丈夫かと声をかけると、カウルはおう、といつもの顔で応じた。その普段と変わらない態度に、少しだけ安心する。
「何はともあれ、これでようやく一つ目だな。早い所あと五つの加護を得て、邪神とやらをぶっ倒してやろうぜ」
快活に言い放ったカウルに、俺は思わず苦笑する。
「お姉ちゃんのことも忘れないで下さいよ」
「分かってるって。忘れる訳ないだろ?」
そう言ったカウルは優しげな顔付きで俺の頭に手を置くと、らしくない優しい手付きで俺の頭を撫でた。てっきり忘れてねーよ、と乱暴にガシガシやられるものだと身構えていた俺は、予想外の対応に少し拍子抜けしてしまう。やっぱりどこか問題があるのではなかろうか。
「アンリエッタ、お前の姉も助けて、邪神も倒す。……頼むぜ、ヴィスベル」
真剣な声音のカウルに、ヴィスベルは力強く頷いた。
大神と相対し、その力に耐えられなかったカウル。大神の加護なんて持ってる方が稀なんだ、気にすんなって、て言ってあげたい。
次回、多分次の目的地に向けて出発です。
感想疑問点などございましたら是非コメントをどうぞ。筆者はいつでも設定メモを片手に待機しておりますゆえ