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25.5.フラグニスの竃攻防戦

ヴィスベルサイドです。

本編の補完的なお話です。

普段の1.5〜2話分くらいの分量ですが切るところが思いつかなかったので一挙です。

これらの注意事項にお気をつけください。

 

「来ましたね。では行きましょう」


 ヴィスベル達が小屋に着いた時、フレアは既に武装していた。急所のみを守る簡素なプロテクターと、その腰には二振りの直剣。ヴィスベルが扱うものよりも小さい、片手用の剣だ。


「そういえば、よく準備できたね。武器なんて持ち出したら、タルボにはバレるんじゃないか?」


 ヴィスベルが問うと、フレアはくすり、小さく笑う。


「……ここは以前、山に入ろうとした冒険者達が建てた小屋なの。拠点にするつもりだったからか予備の鎧や武器が結構残されていて。これは奇跡的に保存状態が良かった物を貸して貰ってるの」


 手入れも欠かしてないんですよ、と笑うフレアを見て、ヴィスベルは強かだな、と小さく笑う。


「そういえば、あの女の子……ミカエラちゃんだっけ。あの子は良かったの?」

「留守番くらいできるだろ」


 カウルが言うと、フレアが小さく首を横に振った。


「強い魔力を感じたから、一緒に来るものだと思ってた」

「……あいつはまだまだ未熟者だからな。どんな敵がいるかも分からん所に連れて行くには不安が大き過ぎる」

「そう」


 フレアはそれ以上何も言わず、山の方に向けて歩き出した。


「それじゃ、早く行きましょ。時間が惜しいわ」







「ここよ」


 案内のフレアが立ち止まったのは、山の麓にある小さな茂み。神火の担い手達が暮らす里から一番近い入り口は厳重な警備に守られているため、随分と迂回した。


 里の方から見たら殆ど山の反対側にまで足を踏み入れている。空を見上げると、出発した時に真上にあった太陽は少し傾きかけている。昼頃に里に着いた事も考えると仕方ない事ではあるのだが、これは帰りは深夜ということも考えなければならないな、とヴィスベルは独りごちる。


 フレアがその茂みの中にまっすぐ入って行くのを見て、ヴィスベル達もそれに続いた。


 茂みを抜けると、そこは狭い洞穴のようになっていた。


「火山の中に入る道はたくさんあるの。彼らに見つかる事だけは避けたいからちょっと大回りだけど一番遠い道を選んだわ」


 そんな風に言ったフレアに続いて、一行は洞穴の奥へ向かう。やがて視界が開けると、目の前には真っ赤に燃える海が広がっていた。灼熱の海から立ち上る熱波が一行を襲う。


「そうだ、私は原初の火種のおかげで暑さは大丈夫なんだけど、二人は平気?」


 少し聞くのが遅いのではないだろうか、と疑念を抱きながら、ヴィスベルは首を横に振る。

 少し不思議そうな顔をするフレアに、ヴィスベルは懐から小さな札のような紙片を取り出して見せた。赤色のインクで複雑な紋様が刻まれたそれは、薄い琥珀色に発光している。その光は、それが……『フィブの護符』と呼ばれる魔導具が効果を発揮している証だった。


「フィブの護符。熱や小さな火から身を守ってくれる魔導具だ。僕もカウルも持ってるから、それについては気にしなくていい」

「魔力はたっぷり注がれてるからな。半日以上は効力を発揮し続ける筈だ」


 カウルの言葉に、ヴィスベルは同意を示すように頷いた。護符に注がれた魔力量は、ヴィスベル達が全魔力を注いでも足りるかどうかという莫大な量である。それを実感して、ヴィスベルは改めてミカエラに感謝の念を送った。


 こうしてミカエラに感謝の念を送るのも、これで何度目になるだろうか。ヴィスベルはふと、そんなことを考える。


 魔物との戦闘中、僅かな負傷のリスクを恐れずに済むようになった。無論、負傷は無い方が良いには違いない。しかし、それでも避けなければならない攻撃の数が減るだけで快適性は格段に上がった。


 旅の途中が楽しくなった。カウルと二人で旅をしている時は最低限の情報伝達だった会話は、ミカエラと行動するようになって楽しむものに変わった。


 他にも感謝したいことはいくらでもある。それだけ、ミカエラという少女は多くの物を与えてくれた。


 脳裏に今頃暇だとぶーたれているミカエラの姿が過ぎり、ヴィスベルはその口角を微かに緩める。それを見逃さなかったカウルが怪訝そうに片眉を上げた。


「あん?何だ、ヴィスベル。何か面白いことでもあったか?」

「いや、今頃ミカエラは暇だって言ってぶーたれてそうだなって思ってさ」


 ヴィスベルが言うと、カウルは一瞬虚を突かれたような顔をして、次いで表情を緩めて「違いねぇ」と返す。


「今頃魔導書を読むのにも飽きてきて散歩でもしてるかもな」

「はは、確かに。目に浮かぶよ」


 そんな風に話す二人を見て、フレアが小さく微笑する。


「あの子は、とても愛されているのですね」


 言われ、ヴィスベルは小さく笑って肯首した。

 ヴィスベルにとって、ミカエラはまさに年の離れた妹のような存在だった。無邪気で、純真で、少し危なっかしい。時折驚くほど大人らしい表情を見せるが、かと思えば人混みに呑まれて逸れたりもする。


「……だから、僕が守らないと」


 ——それが、まだ幼い彼女と姉を引き離す原因を作り、あまつさえ両親からも離れる決心をさせてしまった自分の義務であり、責任だ。


 ぎり、胸が締め付けられる。ヴィスベルの脳裏に、アンリエッタを攫っていった黒鎧の騎士の姿が浮かぶ。自分が強くなかったがばかりに奪われた、命の巫女。ミカエラが居なければ、その父親すら自分のせいで失っていたかもしれないと思うと、自身の弱さに怒りすら湧いてくる。


 何としても、アンリエッタを取り戻さなければならない。ヴィスベルは自分の拳を固く握った。


「そういえば、どんな魔族が火山を乗っ取っているんだ?」


 ヴィスベルはふと思い至り、フレアに聞いた。これから戦う上で知っておきたい情報だ。本来ならば出発前に聞いておくべきだった事柄だが、その時間もなく聞きそびれてしまっていた。


 少しばかり聞くのが遅くなってしまった感は否めないが、それでも聞かないよりは随分とマシというものだ。ヴィスベルの質問にフレアは少し思い出すそぶりをして、確か、と口を開いた。


「父の……族長タルボの話では、それは『奸計のドレーク』と名乗る大きな鎧の魔族だったそうだけど——」

「——お嬢ちゃん、今何つった?『奸計のドレーク』?」


 フレアの言葉を遮って、カウルがフレアに聞き返した。フレアが「ええ、確か」と少し驚いた風に答える。カウルはそれに「そうか」とだけ応答すると、険しい顔で顎に手をやった。

 その反応に違和感を感じ、ヴィスベルはカウルに聞いた。


「カウル、何か知っているのか?」

「いや……。いや、やはり共有しておくべきか」


 最初首を横に振ろうとしたカウルだったが、ヴィスベルとフレアの顔を交互に見た後、険しい顔のまま話し始めた。


「確か旧魔王軍の参謀がそんな名前だったと思ってな。暗殺や人質戦術、夢魔、要は悪夢や淫夢を使うタイプの魔族だな、あいつらを使った狡いやり口が巧かったそうだ。……もう百年以上も前の文献の話だが」


 魔王軍。かつて人類を滅ぼそうとした時の魔王が率いた軍勢である。幸い、その魔王軍が人類の領域に侵入する前にクーデターが発生し、未曾有の戦いは回避されたというのは片田舎に住んでいたヴィスベルでも聞いたことのある話だった。


「魔族の寿命は人のそれに比べて随分と長いから、本人の可能性は高いわね。確か、今の魔王も先先代の魔王と同じなんでしょ?」

「ああ、クーデターで王位を追われた後王位を簒奪仕返したって話だ。アレが王位に就き直して魔王軍は解体されて、魔族国家が人類の国家に認定されたんだ。

 ……ドレークはその先代魔王の腹心で、今の魔王の即位と同時に処刑されたことになっている」

「処刑されたはずの魔族が邪神の使いになってるってことか?」


 ヴィスベルが聞くと、カウルは頷く。


「まぁ、本物にしても偽物にしても、用心に越したことはねぇ。残ってる資料によれば、奸計のドレークは罠を二重三重に仕掛けるような用心深い奴だ。ここから先は一層気を引き締めて行くぞ」


 カウルの言葉にヴィスベルとフレアは頷き、三人は火山の奥へと進む。


 フラグニスの竃に向かう道はフレアにしかわからないので、彼女について複雑な洞穴を右や左に何度も曲がる。


 そうして何度目かの広間に差し掛かった頃、ヴィスベルの視界に何かの光が反射した。


「……何だ?」


 ヴィスベルがフレアに断ってそちらに向かうと、そこに落ちていたのは一振りの短剣。ミカエラが腰に差していた筈のものだった。


 まさか、ミカエラが両親から託された短剣と同じものが二つと存在することなどあるまい。ヴィスベルが拾い上げたそれを見て、カウルが忌々しげに舌打ちした。


「気に食わねぇな、このなんでもお見通しっていう感じは」

「その短剣は?」

「……ミカエラが着けていたものだ」


 ヴィスベルが言うと、フレアの顔からサッと血の気が引く。


「急ごう。フレア、竃まで案内を」

「ええ、もうすぐよ。こっちへ」


 そこからさらに狭い洞穴や小さな広間を駆け抜けてると、何やら広い場所に出る。そこをさらに進んで、一行は漸く大きな扉の前に辿り着いた。

 赤い焔の結晶にも見える素材で作られた大扉は、いつか見た秘密の花園を封じていた扉と似た雰囲気を醸し出している。フレアが扉に手を触れると、扉の結晶は赤く発光し、その重厚な門扉をゆっくりと開いた。


「原初の火種を持つ者が触れなければ開かない仕組みになっているんです。だから、ドレークは父、タルボから火種を奪う必要があった」


 行きましょう、フレアの言葉にヴィスベルとカウルは頷いた。




 フラグニスの竃と呼ばれた場所は、ティンデル火山の中心、その最奥に位置している場所だった。ぽっかりと口を開けた空を見上げれば、暗くなり始めた空には星がいくつか瞬き始めている。外が暗くなっているにも関わらず火山の内部が明るく照らされているのは、その至る所に流れる溶岩のためだった。


 その明るく照らされた広い真円の広場の中心部には、その周りを薄黒く発光する魔法陣に囲まれた、更に底へと続く大きな縦穴。その底には莫大な量の溶岩が眠っているのであろう、穴からは赤々とした光が漏れ出しているように見えた。その縦穴の手前には、場違いにも見える鎧が一体、佇んでいた。


 全長はおよそ4メートル程はあろうか。巨大な体躯と身体を覆う甲冑は、御伽噺の亡霊騎士を思わせた。


 その関節部分からは薄ら青い炎のような光が漏れ出しており、フルフェイスに煌めく一対の光がこちらを不気味に見つめていた。


「カカカカカ。よう来たな、光の御子……。んん、横におるのは神火の担い手か?」


 しゃがれた、重みのある声が辺りに響いた。声そのものに重みがあるかのような錯覚を覚えるほど、その鎧から発せられた言葉には有無を言わさない重みがあった。三人はほとんど反射的に、自身の獲物を構える。気圧されたら負ける。そんな予感があった。


「カカ……そう身構えるでないわ。儂は奸計のドレーク。憎っくきバルザードの手で一度は命を落としこそしたが……今はこうして、邪神様の使いをやっておる」


 ギィ、重い音を立てて、鎧が一歩を踏み出した。一歩、また一歩と歩を重ねるたび、ドレークから感じられる威圧感は高まっていく。


「……何が目的でこの山に目を付けた」


 気圧されていることを悟られてはならない。直感的にそう感じたヴィスベルは、気迫のこもった目でドレークを睨み付ける。しかし、射殺すような視線に当てられてなお、ドレークの余裕な態度は崩れない。


「カカカ……よかろう、ここまで辿り着いた褒美だ。教えてやろう……」


 言って、ドレークは大仰な動作で両手を広げた。


「貴様らは火を使うだろう。あの忌まわしい火だ。夜を照らし、食事を作り、魔物を遠ざけ、剣を打つ。我らが神は、それを疎んでおられる。故に……儂は貴様らから火を奪う事を命ぜられた」


 言って、ドレークは片手を掲げる。その手の中に大きな黒い火が灯る。何もかもを飲み干すような邪悪な炎。それを見て、フレアが目を見開いて息を呑んだ。


「そんな……それは、まさか、原初の火種……?どうして、そんなに禍々しく……!」

「カカカカカ……。その通り、これは邪神様の力により浄化された真なる火の力よ。言うなれば、これは終わりを告げる火、終末の火種ぞ……」


 高らかに笑ったドレークは炎を消して、カカカ、と笑い声を漏らした。ヴィスベルは剣を構えてドレークに向ける。ドレークはそれをおもしろいとばかりに眺め、パチン、と指を鳴らす。


「カカ、まぁそう焦るでない、光の御子よ……。まだ話は終わっておらぬ」

「何だと?」


 その言葉の真意が理解出来ず、ヴィスベルは聞き返す。ドレークはそれに対し鷹揚に頷いた。


「貴様らから火を奪い尽くすのに、たかが火種一つを手中に収めた程度では足らんのだ。そうであろう?現に、そこな神火の担い手は未だに忌まわしい火の力を持っておる……。ではどうするか。簡単な話よ、火を司る神ごと殺してしまえばよい」

「神を殺す……?そんなこと、どうやって」


「神殺し」はなされうるか。これまで幾度となく議論されてきた命題である。今に残っている神話においては、神殺し達成されたという説話は存在しない。どころか、神々には生物でいう所の「死」という概念が存在しないということすら明言されている。


 少なくともヴィスベルの知る神話の中では、神々は「死」という概念から隔絶された存在であったし、そもそもヴィスベルは神を殺す方法など考えたことすらなかった。


 ヴィスベルが横目でフレアやカウルを見遣ると、彼女らも怪訝そうに眉を顰めている。


「カカカ、我らが邪神様の力を使うのよ!見よ、この竃を覆う漆黒の陣を!これは邪神の滅毒、貴様らの神を殺す我らが神の血であり呪詛であるぞ……。今も彼奴等の元にはこの毒が流れ込んでおる。これが彼奴等の喉元に届いた時……貴様らは火の力を失うのだ!

 ククククク……カカカカカ!」


 ヴィスベルの脳裏に、すでに多くの眷属神が彼らの手に落ちたというアニマ・アンフィナの言葉が蘇る。ヴィスベルは件の邪神はこうして少しずつこの世界の力を削いでいるのだと悟り、剣を握る手に力を込めた。


「そんなことさせるか!」


 飛び出そうとするヴィスベル達に対し、ドレークは自身の右腕を緩慢な動作で伸ばす事で応じた。


 妙に自信に満ち溢れた動き。その奇妙な動作に、三人は飛び出すのを踏み止まって油断なくドレークの動きに目を配る。


 カカカ、不敵に笑ったドレークがパチンと指を鳴らした。


 なにかの攻撃かと身構えるヴィスベル達の予想に反して、そこにヴィスベル達を直接害しようとする力は発生しない。


 その代わりに、掲げられたドレークの手の中にはぐったりと気を失った様子のミカエラの姿。ドレークは小さなミカエラの身体を片手で握り締めると、空いた左手をミカエラの首に添えてヴィスベル達に見せ付けた。


「この娘を喪いたいのならば今すぐにでも切り込んで来るが良い。なに、『貴様の刃が届く前には』、この小娘の『首をへし折ってやろう』」


 嘲笑うようなドレークの声。

 ヴィスベルが舌打ちをすると、カカカ、とドレークは愉しそうに笑った。


「そうとも、貴様らには『絶対に』この儂を『倒す事は出来ぬ』。儂は奸計のドレーク、戦場に立つ前には勝つことが約束されておるからのォ……」

「貴様っ!」


 もはやドレークに怒号を飛ばすしかできないヴィスベル達を見かねて、フレアが双剣を構えて駆け出した。ドレークがミカエラの首をへし折るとして、それより早く助け出してしまえばいい。フレアは身体中の魔力を回してドレークに向かって踏み込もうとする。


 しかし、その姿を見てさえも、ドレークは何ら対応しようという仕草を見せない。得体の知れない自信。奇妙な余裕。


 フレアの脳裏にまだ何かあるのかという疑念が過る。それは、ドレークが付け入るには充分すぎる隙だった。


 ドレークはミカエラの首に掛けていた左手をすっと、拍子抜けするくらい簡単に離して顔の横に掲げた。意図が読めず硬直したフレアの腹に鈍痛。硬直したフレアの腹を、ドレークは勢いよく蹴り飛ばした。


 大きく仰け反ったフレアに対し、ドレークはカカカ、と不快な笑い声を上げた。


「神火の担い手よ、お前さんは自分の故郷がどうなっても良いと見える。カカカ、その点ではお前さんの嫌う、あの族長の男の方がよほど賢明よな」

「何?」


 体勢を立て直したフレアに対し、ドレークが挑発するように言った。ドレークの言葉に、フレアは怒りを露わにしてドレークを睨みつける。おどけた様子のドレークは、掲げた左の手をゆっくりと開く。その手に握られていたのは、小さな赤銅色の鈴。


「カカカカ……これが何かわかるか?」


 問いかけられて、フレアは怪訝に眉を顰めて、次いで訪れた驚きにその目を大きく見開いた。


 小さな鈴に込められていた魔力は信じられないほど高密度なものであり、しかもそれは破裂寸前の水風船を思わせる。


 しかし、フレアが驚いたのはそれだけではない。原初の火種をその身に宿すフレアは、その魔力が何の、誰のものであるかを即座に悟ってしまった。それ故の驚き。それ故の硬直。


「その魔力……火の眷属神の……!?」

「いかにも。つい先日、邪神様が捕らえた女神を封じた鈴よ。この片割れが貴様の里に隠してある……。そして、この鈴を少し『潰して』やれば、もう片方の鈴は形を保ったおけず、女神の力がこの一帯を『焼き尽くす』であろうな。その火力は……儂よりも貴様の方がよう分かるのではないか? カカカ、どうした小娘、『攻撃してきても構わん』のだぞ?」

「くっ……。下劣な!」


 ギリ、フレアが歯を食いしばる。仮に神火の里に鈴の片割れが無かったとしても、今ドレークの手元にあるあの鈴だけでこの辺りを焼き払うに十分な魔力は秘めているのだ。動けるはずがない。


 わずかな膠着。その膠着を破ったのは、三人の誰の行動でもなくドレークの手の内にあったミカエラの身動ぎだった。ふむ、とドレークが興味深そうにミカエラを見下ろす。その場の皆の視線がミカエラに向く。パチリ、ミカエラの目が開いて、ドレークの顔を呆然とした様子で眺めた。


「む……カナルの奴はしくじったのか。やはり小さくとも魔導師、あやつでは不足であったか」

「ミカエラ!」


 ヴィスベルが思わず呼びかけると、声が聞こえたらしいミカエラの目線がヴィスベルの方を向いた。そのミカエラの眼を見て、ヴィスベルは思わず息を呑む。


 見慣れたミカエラの目は銀色。しかし、今はその瞳が僅かに赤みを帯びている。その上、彼女の頰は僅かに上気していて、見るからに正常な状態ではない。


「ふん、夢の牢獄が解かれた所でこの娘は吾輩の手の中……。こやつをひねり潰されたくないなら、大人しくしているがいい」


 ドレークの目が再びこちらを向いた。ヴィスベルは咄嗟に斬りこもうと思うが、相手の手にミカエラと鈴がある今、そんな事は出来ない。何とかしてミカエラや鈴をドレークから奪う術はないものか。ヴィスベルは必死で考える。


「んん……小娘、魔力を回し始めたか。何をするつもりだ?」


 ドレークの言葉に、ヴィスベルは背筋がひやりとするのを感じた。


 ミカエラが魔法を使おうとしている。しかし、それが一体何をしでかそうと思ったのものかが読めない。ヴィスベルが知る限り、ミカエラが扱った事のある魔法は最低限の回復魔法と防御魔法、後は生活魔法と自衛程度にしか使えない攻撃魔法だけ。その中で今、この状況で彼女が使いそうな魔法が思い当たらない。


 新式魔法は説明されてもわからないからと殆どミカエラに尋ねなかったことが裏目に出てしまった。余計な事はしでかしてくれるな、と祈るヴィスベルの視線の先で、きゅっ、とミカエラが硬く両目を瞑る。


「カカカ、恐ろしさに声も出んか?」


 そう脅かすように言ったドレークに対し、ミカエラの反応は予想外のものだった。


「――《眩い惑いの光》!」


 直後、眩い閃光が爆ぜ、離れた場所にいるはずのヴィスベル達の視界すらも真っ白に染まった。


「《身体強化・特大》!」


 チカチカとした視界の中、ミカエラの詠唱だけが辺りに響く。それと同時に、チリンという涼やかな鈴の音。爆心地にいたドレークよりも早く視力が回復したヴィスベルが見たのは、ドレークから遥か遠く離れた場所でミカエラが転がっている光景だった。


「こ、娘ェ!どこだ、どこにいるぅ!?」


 慌てたように身体を振り回すドレーク。その両手は空だ。あの鈴はどこに行ったとヴィスベルが周囲を見渡すと、視力が回復してミカエラを見つけたらしいドレークがそちらに向けて走り出すのが見えた。


「貴様、女神の鈴を!返せ!」


 女神の鈴を返せ。その言葉の意味が、一瞬理解できなかった。


 ——ミカエラが鈴を奪った?この瞬間まで気を失っていて、今しがた目を覚ましたばかりのミカエラが?


 状況が好転したのは間違いない。だが、それをやってのけたミカエラの思考回路が理解できない。アレは本当にミカエラか。そんな言葉がヴィスベルの脳裏に浮かぶ。


「やばっ」とでも言い出しそうな表情でドレークを見たミカエラが、素早く姿勢を立て直して走り出す。その速度は身体強化を使っているのかかなり早い。一直線に『竃』中央の深い縦穴に向かって走っているようだった。


 何をするつもりだ。ヴィスベルは咄嗟にミカエラの方に駆け出す。目敏くそれに気付いたらしいドレークはヴィスベルの進路を塞ぎながら、何処かにいる部下に号令を飛ばす。


「ええい、ロソニ!そいつを捕まえろ!」


 その号令が響くと同時に、ミカエラの正面に黒髪の魔族が現れる。焦った様子の魔族はミカエラに向かって拳を握ったが、次の瞬間なぜか片足を滑らせてその拳を手刀へと切り替えた。急場でしつらえたとは思えないほど速度の乗った手刀がミカエラに落とされる。


 しかし、その手刀がミカエラに届く事はなかった。振り下ろされた手刀はミカエラに触れる直前で僅かに火花を散らしたばかりで、呆気なく虚空を掠める。その合間を縫ったミカエラが、勢いよく縦穴に向かって飛び込んだ。落下を始める直前、一瞬だけ宙で静止したミカエラの体がこちらを向く。ヴィスベル達を映した瞳は、確かに見覚えのあるミカエラのものだった。どこか抜けていて、緊張感の欠けた子供らしい純真な目。その口元が微かに動いたのをヴィスベルは見逃さなかった。


「すみません、あとはよろしく」


 届く筈のない声。聞こえる筈のない言葉。しかしそれがはっきりと耳に届いた気がして、ヴィスベルはハッとする。


 ミカエラが全霊を賭してチャンスを作ってくれた。この機を無駄にする訳にはいかない。穴の底に消えていくミカエラに、ヴィスベルは力強い魔力を練り上げることで決意を示す。


「《フォトン・セイバー=イノセンス》!」


 世界樹にて命の女神から加護と神託を授かった時、それと同時に授かった新たな魔法。ヴィスベルの剣が曇りない純白の光を纏う。ヴィスベルはその剣を構え、未だミカエラの沈んでいった穴に手を伸ばしているドレークの背後から叩きつける。


 もはや枷は取り払われた。ヴィスベルは全身の魔力を回し、忌々しげにこちらを睨みつけるドレークと相対した。






 ドレークが放つ黒炎を、ヴィスベルの白光が払う。遠くでは、ロソニと呼ばれた魔族を相手にカウルとフレアが立ち回っている。


 ロソニは相当な手練れのようで、二人を同時に相手取って尚も余裕を感じさせた。攻撃に転じない逃げと守りの構え。それでありながら、隙を見せれば一瞬の隙に手痛い一撃を忍ばせてくる。カウルとフレア、ロソニの三人は互いに攻めきれないある種の膠着状態に陥っていた。ロソニ達はただ時間を稼げば良いという事を考えると、状況はジリ貧といっても過言ではない。


 一方ヴィスベル達はというと、僅かにドレークが優勢であった。ドレークはどこからか取り出した大きな錫杖でヴィスベルの光剣と鍔迫り合いながら、カカカと不快な笑い声を上げる。


「見える、見えるぞ貴様の動き。何と『鈍重』!何と『緩慢』!」

「チッ!」


 ドレークが言うと同時に自分の剣速が目に見えて遅くなり、ヴィスベルは舌打ちをして背後に飛んだ。先程から、ドレークのこの奇術のせいで攻めきれない。そればかりか、そうして隙を晒すたびにドレークのペースに巻き込まれている。


 仕組みはわからないが、戦いの最中にドレークが何かを言うたび、ヴィスベルの剣が鈍る。一度離れたヴィスベルが仕切り直しと剣を振るうと、その一振りは既に好調時のそれに戻っている。


「やりにくい相手だ!」


 集中し、構え直して突撃。もう何度目かになる打ち合いは、またしてもヴィスベルが体勢を崩したことで仕切り直しになる。焦りが募る。しかし、その焦りは剣閃を鈍らせるだけだった。ヴィスベルはますます劣勢に立たされる。


「カカカ……どうした?随分と太刀筋が甘くなっているようだが」


 ぶぅん、錫杖でヴィスベルの剣を払い、ドレークが嗤う。ヴィスベルは大きく距離を取って、油断なくドレークを見据えた。


 ドレークの背後で、黒い魔法陣が強く光る。先程から何度も光る魔法陣は、否応無しにヴィスベル達に刻限が近付いているのを突き付けてくる。折角作り出せた隙がただただ浪費されていく嫌な感覚。ヴィスベルの頰を一筋の汗が伝った。汗は地面に落ちて、ジュウと音を立てて蒸発する。

 少し辺りの気温が上昇してきたような気がして、ヴィスベルはそれがフィブの護符の効果が薄れてきているためだと悟る。どうやら時間はあまり残されていないらしい。

 ヴィスベルはありったけの魔力を剣に集め、その輝きを増した光剣をドレークに向ける。

 狙いはドレークの首ただ一つ。次の一撃で決められなければ、もはや勝機はあるまい。

 ヴィスベルの決意に勘付いたらしいドレークは油断なく錫杖を構えると、その杖を中心に黒焔の盾を作り出す。一撃を凌がれたら負け。盾を抜き、ドレークを倒せば勝ち。実にシンプルなルールだと、ヴィスベルは小さく笑った。


「《ハイ・ブースト》」


 なけなしの魔力を絞った身体強化魔法が全身を覆い、力が湧いてくる。剣を構えると、その刀身に宿った魔力がパチパチとした光の粒を散らすのが見える。

 大きく息を吸い込んで、精神を集中。一拍の間を置いて、ヴィスベルはドレークに向けて踏み込んだ。

 何の小細工もない、ただ上段から振り下ろすだけの剣閃。しかしそこから感じられるのは、これまで打ち合ったどんな剣撃よりも強烈な力。ヴィスベルの剣は抵抗なくドレークの構えていた錫杖を黒焔の盾ごと切り裂く。これでドレークの守りは消えた。ヴィスベルはその首を落とさんと二の太刀を振るった。


 しかし、その一太刀は、ドレークの首には届かない。甲高い音が響いて、ヴィスベルの手には硬い感触。見れば、剣とドレークの首の間には分厚い鎧に覆われたドレークの腕が添えられていた。


 しくじった、ヴィスベルは急ぎ後方に跳び退いて、忌々しくドレークを睨みつけた。


「カカカ……あと一歩、届かなかったのォ?」


 そう嗤ったドレークの背後で、爆音と共に大きな火が爆ぜた。


 小さな太陽が、そこに居た。空に投げ出された白銀の髪が靡く。その身体の周りの空間は揺らめく陽炎に支配されていて、その身から迸っているのは信じられないほどの熱。


 圧倒的な存在感を放つそれは、先程縦穴に沈んでいったミカエラの姿に酷似していた。


 ゆっくりと、閉じられていた両眼が開かれる。その瞼に隠されていた瞳を見て、ヴィスベルは息を呑んだ。


 そこに収まっていたのは、明々と燃える炎をそのまま閉じ込めたような、輝く真紅の瞳。その目は不機嫌そうに細められていて、遥か高みから眼下の光景を見下ろしていた。


 ずるり、黒々と光る魔法陣から、鞭のような光の帯が起き上がる。天に浮かぶ太陽を落とさんと勢いよく伸びた黒帯は、ふん、という吐き捨てるような声と共に消し飛んだ。

 いつのまにか、太陽の手には白く輝く焔の剣が握られていた。振るわれたそれが帯を焼き払ったのだとヴィスベルが察した時には、地面に刻まれていた魔法陣さえも跡形もなく消えさられていた。


『ドレークと言ったか。貴様、随分好き勝手にやってくれたな?』


 威厳ある声が響く。その覇気を纏った低い声は、ミカエラのものではない。慌てて振り向いたドレークが悲鳴のような声を上げた。


「馬鹿な!小娘、貴様何をした!その火は何だ!」

『聞く耳持たぬ!』


 もはや平静を保っていないドレークの言葉を一蹴し、太陽がドレークの懐に向けて跳ねた。振るわれた焔の双剣を、ドレークが既の所で回避する。ドレークは太陽から距離を取り、ゆらりと宙に浮いた彼女を睨みつけた。


「貴様、火の大神か!何故この小娘に!コレは貴様の眷属では……!」

『聞く耳持たぬと言った!燃え尽きよ!』


 再度ドレークの言葉を一蹴し、太陽が剣を振るう。浮いている位置は微動だにしていない。ただその手に握られていた灼熱の剣が、轟と音を立ててドレークに向けて飛来する。


「くっ!『当たりはせん』!」


 もう幾度となく聞いた、重圧を纏った声が響く。その不可解な力に依るものなのか、ドレークを焼き殺さんとしていた焔剣が微かに揺れたのが見えた。

 ドレークが、僅かに逸れたその剣閃から逃れようと駆け出す。それを見た太陽はつまらないとばかりに鼻を鳴らすと、もう片方の手に持っていた焔剣を小さく振った。剣を避けたばかりのドレークに、第2の剣が迫る。


「ドレーク様!」


 悲鳴のような声が響く。そちらを見ると、カウル達に背を向けたロソニが駆け出すのが見えた。韋駄天の速さで、ロソニはドレークを庇うようにその前に立ち塞がった。


「ドレーク様!お逃げくださ……」


 その言葉を最後まで残す猶予すらなく。ロソニと呼ばれていた魔族は、断罪の火に焼かれて跡形も残さず消滅した。くっ、とドレークの口から忌々しげな声が漏れ出る。その足元に、小さな魔法陣が閃いた。しかし、その瞬間には、太陽の矮躯はドレークの懐に潜り込んでいる。


『逃さぬ』

「————ッ!」


 ドレークが咄嗟の判断で背後に跳び、逃げ遅れたドレークの腕が宙を舞う。ドレークの腕が音を立てて落下した時には、その姿は完全に消え去っていた。


 転がった腕を見下ろし、太陽が小さく舌打ちする。


『逃し……た……か……』


 ふっと、太陽の両手に収まっていた焔剣が消え去る。それと同時に、太陽の周囲を覆っていた陽炎も、発せられていた熱も消失し、弱々しく衰弱した気配だけが残る。

 糸が切れた操り人形のように、ミカエラの体が崩れ落ちる。


「ミカエラ!」


 慌てて、ヴィスベルは倒れたミカエラの下に駆け出した。


「大丈夫か!?ミカエラ!ミカエラ!」


 駆け寄ったヴィスベルの事を、眩しそうな眼でミカエラが見上げる。その瞳は見慣れた銀色だったが、光の加減か僅かにくすんでいるように見える。ミカエラはヴィスベルに向けて小さな笑みを浮かべようと口角を僅かに上げる。ヴィスベルの中で、母の死に際がフラッシュバックする。


「――あ――」


 最後に何の意味もなさない音を吐き出して、ミカエラはその目を閉じた。慌てて身体に触れると、その体温は極端に低い。顔色も悪く、呼吸こそしているが、このまま放置しては命に関わることも考えられるだろう。慌てるヴィスベルの横から、カウルが顔を覗かせた。


「ちょっと見せろ」


 言って、カウルが薄く光る掌をミカエラに翳す。険しい顔付きだったカウルは、ポーチから液体の入った小さな小瓶を取り出した。その薄い青色の液体は、先日アスベルの店を出る時にカウルが受け取っていたものだ。何の為の物なのかは、はぐらかされていたが、確か届け物だと聞いていた。


「カウル、それは……」

「……低級エリクサーだ。騎士国家にいるベル爺の娘夫婦に渡してくれと言われていた」


 エリクサー。聖水と特別な薬草、そして熟練の錬金術師が居て初めて完成する秘薬の一種。低級でさえ、庶民には手が届かないほどの値段がすると聞いたことがある。あらゆる病を癒し、呪いを解き、衰弱した生命すら活性化するとされる一級品である。

 カウルは何の躊躇もなくその薬ビンの蓋を外すと、ミカエラの口に流し込む。こくり、ミカエラの喉が微かに動く。土気色だったミカエラの頰に僅かに血の色が戻ったのが見てとれた。ヴィスベルはホッと息を吐き出す。


「カウル、良かったのか?」

「……いざという時は使ってくれて構わないと、ベル爺は言ってたからな」


 カウルは中身が半分ほどになった薬ビンに蓋をしてポーチに戻す。何を言えば良いかとヴィスベルが僅かに逡巡したその時、開け放たれた扉の方からガチャガチャとした多くの音が響く。

 そちらに目をやると、タルボを含め十数人ほどの神火の担い手達が入ってくるのが見えた。


「これは……」


 呆けたように言うタルボの額には大粒の汗が浮かんでいる。少し離れた場所にいたフレアが、神火の担い手達の前に立ち塞がる。


「……お父様」

「フレア……」


 静かに歩み寄ったタルボは、そのままフレアに手を挙げて近付き、その頰を打った。ぱん、乾いた音が辺りに響く。


「長!?」


 ざわめいたのは、タルボの背後に控えていた担い手達だった。呆然とした様子のフレアに、タルボが険しい顔をする。


「何故、言いつけを守らなかった」

「……ッ!あなたはまだそんなこと!」

「そんなことではない!」


 ピシャリ。タルボの剣幕に、フレアは思わず固まった。


「どこに我が子を危険な目に遭わせたい親がいる。どこに里を守りたいと思わない長がいる。どこに竃を奪われて何も思わぬ担い手がいる。まったく、こうならぬよう入念な準備を重ねてきたと言うのに……」


 言った後、タルボはフレアの隣を抜けてヴィスベル達の下にやってくる。タルボは満身創痍のヴィスベルを見て頭を下げた。


「光の御子よ。まずは竃を取り戻して頂けたこと、娘を守って頂いたこと、感謝します。色々とお話ししたい事もありますが——まずは、里に戻りましょうか。ここは少し、暑いですからな」


 柔和な笑みを浮かべたタルボに、ヴィスベルは頷き返す事で応じた。

という訳で実質説明回。

要約すると

ドレーク「人間から火の力うばったろ!」

大神『は?許さん。燃やす』

ドレーク「逃げます」


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