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24.夢の牢獄

ほのぼの回です。

目指せ週一投稿!

 

 ——目を覚まして。目を覚まして、命の愛し子。私の声を聞いて——


 誰の声だろう。聞いたことのない女の人の声だ。ぼんやり考える。そういえば、ここはどこだっけ。何だかとっても眠い。何か大切な事を忘れてるかもするけど、それが何かも思い出せない。……でも、思い出せないならどうでもいっか。


 私はこの心地良い微睡みにしばらく浸ることにした。


「こら、ミカ!またこんな所で昼寝して!」

「ひゃい!」


 突然背後から声を掛けられて、私は思わず背すじを伸ばす。恐る恐る振り返ると、カンカンの表情のお姉ちゃん(アンリエッタ)。これはまずい。お姉ちゃんは怒らせると怖いし、何より説教が長い。


「お昼寝なんてしてないよ、神樹サマにお祈りしようとしてただけ!」


 私は慌てて言い繕った。辺りを見渡すと、現在位置は神樹様の中でも特に陽当たりの良いお気に入りの昼寝スポット。そっか、私、お昼寝してたんだ。


 何か近くには神樹サマの若い芽がある。神樹サマの若芽に祈りを捧げるのは『命の巫女』としての職務の一つだから、お姉ちゃんの折檻から逃れるための理由付けには丁度いい、と思う。神樹サマを利用する事にはなるけど、きっと神樹サマも許してくれる。だって神樹サマは余程のこと以外はなんだって許してくれるもん。それに、今からお祈りをしたら嘘にもならないし。


「もう……。まったく、ミカはもう少し命の巫女としての自覚を持った方が良いわ」


 言われ、私は思わず気を引き締めた。そうだ、つい先日、私は命の女神サマから純白の果実を賜って巫女になるための資格を手に入れたんだった。


 生まれてすぐに加護を貰っていたお姉ちゃんに比べたら天と地だけれど、これまでできなかった命の巫女の仕事を教えてもらえるんだと思うと、そんな事は毛ほどもない事だ。この間はビアンカおばあちゃんが魔法も教えてくれるって言ってたし……。


 ——そんな事実は無い。お前は命の巫女にはなれない。


「っ、誰?」


 嫌な声が聞こえた気がして、私は背後を振り返った。黒い髪の男の人が、黒い色の目を私に向けている。お姉ちゃんより少し年上くらいに見える男の人は、私をじっと見つめていた。


 ——誰?


 覚えがない。本当に知らない顔だった。よく見ると顔の作りも何だか少し違う気がする。少なくとも私は、こんな()()()は知らない。


 その人の姿をよく見ようとして目を凝らすが、気が付けば男の人の姿は消えていた。


 寝ぼけていないものでも見たのだろうか。幽霊の正体見たり枯れ尾花という言葉もあるし、そういうものなのかもしれない。……あれ、こんな諺、どこで聞いたんだっけ。


「ミカ、行くよ!今日はヴィスベルさん達が帰ってくる日なんだから。モリスちゃんも待っているし、旅の話を聞くんでしょ?」


 お姉ちゃんに声をかけられて、私は意識をそちらに向けた。そうだ、今日は下界を旅していたヴィスベルさん達が帰ってくる日。ヴィスベルさんは光の御子っていう凄い人で、この神樹サマの上によくやってくる人だ。この人の仲間のカウルっていう人はお父さんやジャンと仲がいいんだけど、三人揃うといつも私をからかって遊ぶから苦手だ。


 そのかわり、ヴィスベルさん達と一緒に旅をしているモリスちゃんとは仲が良い。ヴィスベルさんも凄く気さくな人だけど、やっぱり同性の友達の方が一緒にいて楽しい。モリスちゃんは歳はお姉ちゃんよりも少し上の十七歳だけど、あんまり歳上だって感じがしないから本当にお友達って感じだ。


 家に着くと、もう皆席に着いて神樹サマの恵みを前にしていた。遅いぞ、ミカ、とお父さん。でも、隣にはカウルさんとジャンが居るから行きたくない。私はヴィスベルさんの近くに座る。ヴィスベルさんの隣にお姉ちゃんが座ったから、丁度二人でヴィスベルさんを挟む形だ。ヴィスベルさんが困ったような顔で私達を見たけど、私は気にしない。


 ヴィスベルさんはお姉ちゃんの事が好きだ。そして、私はお姉ちゃんとヴィスベルさんがくっつきそうでくっつかないのを見るのが好きだ。近くにいると初々しい二人の姿は見れないけれど、一緒にお話ができるから構わない。私が座ったのを見て、モリスと幼馴染のジムがこちらにやってきた。


「ミカエラ様ってば本当にヴィスベルさんとアンリエッタさんが好きだよね」

「ミカエラちゃん、たまにはバンさん達の方に行ってあげないと可哀想だよ」


 ジムがとんでもないことを言ったので、私はぷいと彼から目を離す。だって、そんなことしたら私はあの三人の玩具にされちゃうじゃん。私は拘束されることなく自由に生きていたいのだ。


「だってお父さんはすぐお母さんとイチャイチャし始めるし。それならお姉ちゃんとヴィスベルさんの甘酸っぱいのを見てる方が楽しいもん」

「こ、こら!ミカ!なんて事いうの!」


 言うと、顔を赤くしたお姉ちゃんの怒声が飛んでくる。ヴィスベルさん越しに見えたお姉ちゃんの顔はユデダコみたいになっていて可愛い。私とお姉ちゃんの間で、ヴィスベルさんが困ったように笑った。


「ははは……。ミカエラちゃん、あまり大人をからかわないでくれないか?僕は満更でもないけど、アンリがさ……」

「あー、ヴィスベルさんってば鈍感。ううん、でも私はなんにも言わないよ、あの人と違って空気は読めるからね」


 言って、私は自分の言葉に首を傾げた。あの人って、誰だっけ。カウルさんやお父さん達じゃないし、ジャン達守人の人でもない。悩んでいると、くすくすというジムの笑い声で意識を引き戻された。うん、きっと何かの言い間違いだよね。

 楽しそうに笑うジムの顔を見る。


「どうしたの、ジム?」


 私が聞くと、ジムは尚もくすくすと笑いううん、と首を振った。


「ミカがすごい楽しそうにしてたから。ほら、そろそろごはんの時間だよ。食べないと」


 そういったジムの手元には、アプルの香りがするバスケット。サフィーのお母さんが作ったクッキーが入っているはずだ。そうだ、ご飯を食べたらみんなで食べることになってたんだった。


 ——神樹様の上にそんな物はなかっただろ?


 また、誰かの声。振り返ると、部屋の入り口にさっきの男の人。私以外は誰も気にしていないみたいだ。けど、何であの人がこんな所にいるんだろう。あの人がここに居る筈がないのに——。


「あれ?」


 気が付いたら、あの人は居なくなっていた。あれ、私、今何のこと考えてたっけ。そうだ、ご飯を食べないと。私が机に目を戻すと、いつのまにか沢山のお肉が乗ったお皿が置かれていた。隣には綺麗な赤色のブドウジュース。このジュースはすごく美味しから大好きだ。私は取っ手のように飛び出ている骨を掴んで、大きなお肉にかじりついた。


 ——うん、美味しい。







 食事が終わって、アプルクッキーを平らげた後はみんなで遊ぶ。メンツは私、モリス、ジム、それと何人かの子供達。モリスはこの時ばかりは面倒見のいいお姉さんモードだ。私達はスイトグラスの汁を水に溶かしたり、追いかけっこをしたりして遊ぶ。神樹様の大きな枝の上では、こんな遊びしかできない。でも、これはこれで楽しいのだ。それに、部屋に篭ってゲームをしているよりも余程健康的というものだろう。


 あれ、ゲームってなんだっけ。思考に混ざったノイズに気を取られて、私はうっかりコケてしまった。痛い。足を捻挫してしまったようだ。


「ミカッ!」


 どこからともなく、お姉ちゃんが走ってくる。後ろにはヴィスベルさん。お姉ちゃんがあまりに勢いよく駆けてくるものだから、胸元の大きな果実がぶるんと震えた。あ、ヴィスベルさんてば顔赤くしてる。ウブなんだ。


 二人でお散歩デート中だったのだろう。少し悪いことをしたかな。そんな風に思っていると、不意にお姉ちゃんの姿が歪んだ、気がした。


 脳裏に真っ黒な鎧の人に連れて行かれるお姉ちゃんの姿が過ぎって、私は首を横に振った。


 お姉ちゃんはここにいるんだ。どこにも行ってなんかない。


 ——それは嘘だ。何故俺達は旅をしている?


 旅。頭の中に私が知らないはずの景色が浮かぶ。下界の馬車に乗り、草原を超え、石だらけの平原を抜けた記憶。でも、神樹サマから一歩も出たことがない私が、こんな事を経験できるはずがない。


 ——ここは神樹様の上じゃない。ここには誰もいない。ここは……俺達のいるべき場所じゃない。


 そんなの、嘘だよ。私はいつのまにか視界の隅にいた男の人を睨み付ける。彼は肩をすくめると、また何処かへ消えてしまった。


 なんで。私はお姉ちゃんに手当てしてもらいながら、疑問符を浮かべることしかできない。


 何で、私はあの人の言葉を正しいと思ってしまうのだろう。あんな出鱈目を。


 ……あれは、出鱈目だったんだろうか?


 目の前に、血の気のないバンの顔。経験したはずのない鉄臭さを思い出してしまい、私は思わずひっ、と悲鳴を上げてしまった。


「おいミカ、それはあんまりじゃあないか?」


 ほんのりとしたお酒の匂いと、少し赤いバンの顔。気が付けば、私は宴会場にいた。広い広場に並べられた机の上にはエールの入ったジョッキがいくつも並んでいて、後ろの方でカウルやジャン、ビリー達がどんちゃん騒ぎをしている。いつもの光景。いつもの祝宴。何故か夜空に打ち上がる光の玉のイメージが過ぎる。


「お父、さん?傷は、もういいの?」

「傷だって? ははーん、さては寝ぼけてるな?お父さんがヴィスベルくんやカウル殿に負けた夢でも見たんだろう。お父さんは強いんだ、まだまだあんな小僧どもには負けん!」


 どん、胸を張って言うお父さん。私は何故か、その姿にホッとした。だって、お父さんは私の魔法で一命こそ取り止めたけど、まだまだ本調子じゃないはずだ。見送りの日も、まだ動きがぎこちなかったのを覚えてる。


 ふと胸に浮かんだ言葉を、私は首を振って否定する。見送りの日なんて知らない。お父さんだって、怪我なんてしてない。そんな、命に関わるような怪我なんて、する筈がない。


 ——だが、その「する筈がない」は、たしかにあった。


 泣き叫ぶお母さんの姿が過ぎる。必死で回復魔法の光を、赤い絨毯の上にある何かに当てている。私はそれに向かって行って……


 ——どうした?思い出せないか?


 思い出したくない。それを認めたら、多分ここには居られないから。


 辺りを見回せば、皆が笑っている。楽しそうに、幸せそうに。だから私も笑う。楽しいから。幸せだから。


 楽しい時間。幸せな時間。ずっとこんな時間が続けばいいのに。




 ——もう気は済んだか?




 また、誰か(おれ)の冷たい声が聞こえた。振り向くと、あの黒髪の東洋人。私は何だか腹が立って、彼に向かって言った。


「さっきから何なの、貴方!嫌なことばっかり言うし!」


「ミカ?誰かいるの?」


 いつのまにか近くに居たお姉ちゃんが不思議そうに言った。何で気付いてないの?もう一度視線を戻すと、そこにはたしかにあの男の人が立っている。


「あの男の人だよ!そこに立ってる!」

「はっはっは、怖い夢でも見たな、可愛いやつめ!」


 お父さんが私の頭をガシガシと撫でる。私はそれを振り払って、尚も男を指差した。


「あそこにいるじゃない!黒い髪の!」

「黒い髪の……?いないわよ?どうしたの、ミカ」


 お母さんが心配そうに私を見た。


 ああ、どうして。どうして私は——



 ——どうして私は、今私の隣にいる彼らが本物だと思えないのだろう。


 ——決まり切っている。彼らが本物じゃないからだ。


「ッ!そんなこと、どうしてそんなこと言うの!?ここは幸せな時間じゃない……。私達が望む時間じゃない!」


 私の言葉に、男は黙って小さく頷き、しかし、やがて小さく首を横に振った。


 ——だが、ソレは虚構だ。


 世界から色が消える。


「ミカエラちゃん?どうしたんだい?」


 唯一色褪せていないジムが心配そうな顔で言った。


「何も居ない所を指して、叫び出して。皆びっくりしてるよ?」

「いるよ、見たことのない顔の男の人が!黒い髪で、黒い目で、見たことない顔立ちの……ッ!」


 たった一人の幼馴染に、私は告げた。ジムの姿に違和感を感じる。そんな筈ない、だってジムは私の……


『騙してたのか?俺も、ロンも、サフィーも』


 聞いたことのない自分の声がフラッシュバックする。私は思わずその場に固まった。


「……見たことのない?そんな馬鹿な、だってここは君の記憶をもとに作った幸せな世界だ、そんなのいる筈がない」

「……ジム?」


 ジムが何かを言った筈だが、その声が上手く聞き取れなかった。何で。こんなに近くにいるのに。聞き慣れたジムの声を聞き逃す筈もないのに。


 ——だから……


「ジムなんて幼馴染みは、俺達にはいないだろう?」


 すぐ耳元で囁き声。瞬間、脳裏に様々な記憶が浮かぶ。黒く染まったジムの肌。厭らしく歪んだ唇。そして、不愉快な感触を伴った声。


「俺たちに立ち止まっている時間はない。すべきことがあるだろう?」

「そうだ……私は……私達は、取り戻さなきゃいけなかったのに。何で、忘れて……」

「ミカエラちゃん?」


 態とらしく心配したような顔でいうジム……否、カナル。しかし、それが単に心配して幼馴染に向けられたような表情ではないことは、すでに知っていた。


 私はジムと、その周りで同じように心配そうな顔を浮かべる虚構達から、一歩後ろに下がる。俯瞰してみれば、違和感を抱かない方がおかしい奇妙な世界が広がっていた。


「……よく見たら、ヘンな所ばっかり。私は旅装束だし、アンリエッタは神火の担い手さん達と同じ服着てるし。神樹サマの上にお肉もあったし、しかも宴会場はドナールの広場。モリスとビリーはいるのにノリスがいない。そして何より……私が、半分だ」


 言葉にすると、周囲の世界に亀裂が走った。脆いガラス細工のような世界。甘い虚構を積み上げただけの、儚い世界。目が覚めたら消えてしまう、ただの夢。


 砕け散った世界の中には、(わたし)と魔族の姿に戻ったカナルだけがいた。辺りは白とも黒ともつかない意識の空白地。私達の精神の内側だ。(おれ)は憎々しくこちらを見ているカナルに目をやった。


「くそッ!さっきまで『夢の牢獄』は完璧だった筈なのに!何で目が覚めたッ!」

「夢はいつかは覚めるものだから、では陳腐過ぎる答えかな。……でも、私も『俺』がいなかったらずっとあそこにいたいって、そう思ってた」

「何だ、お前、何を言ってる!」


 リィン、鈴の音が辺りに響く。どこから、と音の出所を探すと、それは俺の腰に付けられたポーチの中。開けて中に手を入れてみると、熱を持った鈴がひとりでに鳴っていた。俺の中の深い所と、底なしの大きな力が繋がる感覚。神降ろしの儀でも、アニマ・プロトの時も感じた、あの感覚だ。


 ——私を呼んで——


 胸に誰かの声が響く。それがこの鈴から発せられているのだと、直感的に理解する。俺は鈴を胸に抱き、祈りを捧げる。心の中に、一柱の女神の名前が浮かんだ。俺は思わず、心に浮かんだその名前を口ずさんだ。


「アニマ・フィブ……」


 瞬間、目の前に立ち上る灼熱の火。辺りを覆い尽くさんばかりの轟音。視界が真赤に染まる。火が収まった時、そこにいたのはひとりの女性だった。いや、少女と女性の中間と、そう表現するのが的確だろうか。焔のように鮮やかな赤髪の彼女は、その髪と同じく炎を思わせる意匠の服装をしていた。


 肩から腕までを覆う長い袖は浴衣や着物のように広い袖。胸元はしっかり隠れていて、鎧のようなブレストプレートに覆われている。腹を隠す物はなく、蠱惑的なくびれが露わになっていた。腰には炎を思わせる透き通った布が踝ほどまで垂れていて、その足はファイヤパターンが刻まれた袴のような衣類で覆われている。全体的にどこか和装を思わせる服装だった。


 彼女の真紅の瞳が、カナルを睨みつける。


『憎っくきドレークの手先よ。邪なる異界の神に魂を売り渡した者が命の女神の愛し子に触れた罪、その魂を焼かれて悔いるが良い!』

「お前、その魔力……アニマ・フィブか?!

 くそ、ぼくの牢獄が破られたのは貴様のせいか!ハッ!だが、小さな鈴っころに封じられただけの女神様なんざ怖くもないさ!どうやってそこの小娘に取り憑いたかは知らないが、今のお前にぼくを焼くような力はない!残念ダッ……」


 轟と。カナルが言葉を言い終える前に、白い炎がカナルの身体を焼き尽くした。一瞬のうちだったが、本当に跡形も残っていない。カナルが消え去ったからか、薄っすらと意識が覚醒していく兆候を感じる。くるり、少女がこちらを振り向いた。


 アニマ・フィブ。何度も聞いた創世神話の中で、火の大神アニムス・イグニスとアニマ・フラムの間に生まれたとされる女神様。降りかかる火から罪なき生き物を守るとされる、火の眷属神の一柱。彼女は俺を安心させるように微笑んで、すぐに表情を引き締めた。


『命の愛し子。今は目を覚まして。あなたが囚われていることで、光の御子は苦境を強いられています。

 私も助力したいのは山々ですが、私はあの夢魔が言う通り小さな鈴に封印された身。こうしてあなたの精神世界に干渉することができたのも、あなたが私を封じた鈴を身につけていたからに過ぎません。

 ですから、このままでは大神様を助けることもできないのです。どうか、命の愛し子よ。我らに力を貸して下さい』


 急ぎ口調で女神様がまくし立ててくる。が、そんな事を一度に言われても反応できる筈もなく。ただ聞き捨てならない事ばかりたくさん並べられたような気がしたので、俺は慌ててストップをかけた。


「ちょっと、ちょっと待って!情報量が多くて整理できない!いまヴィスベル様がヤバいって言った?封印されてるって何の話!?大神様を助けるって!?」


 聞くと、アニマ・フィブはその紅玉の瞳の端にちいさな涙を浮かべ、なんとももどかしそうな顔をした。その姿がぼんやりと薄れてきて、とうとう時間まで少なくなってきている事を悟る。ああ、という女神の焦ったような声が聞こえた。


『全て伝えられないのがもどかしいッ!

 命の愛し子、今は大事な事だけを伝えます。

 目を覚ました時、あなたのすぐ隣にいるのがドレークです。ドレークが持つ鈴の片割れ、いえ、小さな鈴を何とかして奪い取り、その後は火口に飛び込んで下さい!』


 今度は短くまとまっていたのでその内容は理解できた。その、今俺の隣にいるらしいドレークさんとやらから鈴を奪って火口に飛び込めば良い。なんとも単純な話である。って、今とんでもない言葉が聞こえたぞ!


「火口に飛び込む?!死んじゃうよ!ていうかそもそもそのドレークさんから鈴を奪い取るのがムリゲーだってば!」


 こちとら齢十二の幼女枠だ。そんないかにもガタイが良さそうな名前のドレークさんとやらから鈴を奪える公算はどんなものだ。多少魔法は使えるが、そのレパートリーは主に自衛に偏っているのでそんなことができるとは思えない。


『あなたならできます!絶対に!やって下さい!できなくてもやって下さい!でないと大神様が——』


 というアニマ・フィブの言葉を最後まで待つ事なく、俺の意識は現実に引き戻された。まず感じたのは熱気。ついで、胴体を拘束されている感触と浮遊感を感じた。え、ナニコレ。どうなってんの?


 目を開けると、遠くの方に武器を構えたヴィスベル、カウル、そして二刀流で直剣を構えるフレアの姿。三人は何故か一歩も動かず、場は完全な膠着状態だった。


「む……カナルの奴はしくじったのか。やはり小さくとも魔導師、あやつでは不足であったか」


 ずしり、何やら重みのある声。声の主は俺の側方にいたようだった。その方向を見上げると、そこにあったのは、目の位置に薄ぼんやりとした光が二つ浮いたフルフェイスの兜。ゆっくり下に顔を向けると、それは四メートル弱の大きなフルプレートアーマーらしい事が分かった。関節部分から炎のような光が漏れ出ている。俺は、その大きな手に囚われているらしかった。


「ミカエラ!」


 ヴィスベルが声を上げ、鎧の目がそちらを向いた。


「ふん、夢の牢獄が解かれた所でこの娘は吾輩の手の中……。こやつをひねり潰されたくないなら、大人しくしているがいい」

「くっ!」


 悔しげに剣を握りしめるヴィスベル。そうか、俺、人質になってたのか。そういえば気絶する前カナルの奴が人質がどうとか言っていたのを思い出す。俺のせいで光の御子が苦境に立たされてるってこういうことか、とアニマ・フィブの言葉に合点がいった。


 とすると、この鎧がドレークで、こいつが隠し持ってる鈴を取って火口に飛び込めばいいんだっけか、と目覚める前の言葉を思い返す。


 寝起きだというのに俺の頭は実に冷静に回転してくれている。意味不明な状況も極まると却って冷静になるよね、なんか。いや、もしかすると女神様のなんか凄い力の結果かもしれないけど。身体の奥にはまだアニマ・フィブの気配が少し残っているし、それのお陰で少し落ち着いていられるというのもあるのだろう。


 なんて、結構どうでもいい事を考えながらドレークの全身を見回していると、丁度俺が掴まれているのとは反対側の手に小さな鈴が握られていることに気が付いた。


 アニマ・フィブ様が言ってた鈴って多分アレだよね。となれば、あとの問題はどうやってこの拘束から逃れるかだけど……。


 身体強化だけで抜ける、のは多分無理だろう。がっちり掴まれてるし逃げようとした瞬間また捕まるのが目に見えてる。何か隙を作らないと。んー、後回し。


 次、抜け出したらあの鈴を取る。距離的には随分近いし、集中すれば浮揚の輪程度ならかけられる位置だ。それなら、浮揚の輪で鈴を浮かせて咄嗟に掴めないようにして、この鎧が取ろうとしてスカッた所を横から掻っ攫うか?うん。それが良さそう。上手くいくかは知らないけど、それしか思い付かない。幸い、離れた場所に浮揚の輪を付与するのは馬車の旅のあちこちで練習してたから、魔法をかける事自体が達成可能なのは間違いないし。


 となるとあとはこの手から逃れるだけだけど……。


 頭を巡らせて、俺はビアンカ婆さんのスクロールにあった魔法に思い当たる。


 眩い惑いの光。目くらましの魔法だ。何でも逃げる時に使う魔法との事で、強烈な光で一時的に相手の目を潰すらしい。炸裂させる距離が近いほど効果が高くなるらしいが……。この鎧に効くかどうかはわからないけど、とりあえずやってみよう。目があるのは間違いないし。


 あとは、何かあったら危ないから防御魔法も自分に付与しておく。こういう時に便利なのが、覚えた三種類の防御魔法の三つ目、貴き加護の鎧である。


 これは、一定量のダメージを肩代わりしてくれる魔力の鎧を纏う魔法である。……こうやって考えると、本当にビアンカ婆さんは俺が身を守る術ばかりを重点的にスクロールにしていたらしい。もう本当に自衛特化の魔導師を名乗ってもいいような気さえする。俺はビアンカ婆さんに感謝しつつ、魔力を回した。


「んん……小娘、魔力を回し始めたか。何をするつもりだ?」


 圧迫感のある声。気迫というか威厳というか、妙な説得力がある。思わず全部白状しそうになるが、それを飲み込んでドレークの目を見る。兜に浮かんでいる光の球がドレークの目だとすると、彼の目はしっかりとこちらを向けられていた。何をしでかすのかと様子を伺っているようだ。随分慎重派なんですね、ドレークさんとやらは。


 しかしまぁ、それなら逆に好都合というもの。俺は視界の隅に移る小さな鈴に浮揚の輪をかけそれが微かに浮いたのを確認してきつく目を瞑る。魔法の炸裂地点は、ドレークの眼前。


「カカカ、恐ろしさに声も出んか?」


 愉快愉快といった声音で言ったドレークの言葉を無視して、俺は全力の魔法を発動した。


「——《眩い惑いの光》!」


 瞼をきつく閉じたはずの俺の視界すら真っ白に染まる。直視しようものなら数十秒は視界が効かなくなる事だろう。固く握り締められていたドレークの手が微かに緩む。俺は鈴に掛けていた浮揚の輪に更に魔力を注いで、身体強化の魔法を発動した。


「《身体強化・特大》!」


 身体強化魔法は、その強度によって全く別の魔法式で成り立っている。強度が上がる度術式の複雑さが増していくこれら身体強化魔法の最上位がこの『特大』である。この魔法を命名した人にはもう少しネーミングセンスが無かったんだろうか。いや、俺に代案がある訳ではないし実用重視の名前だから悪いとは言わないが。


 ともかく、俺は強引に引き上げた身体能力で強引にドレークの腕から逃れると、まだ少し白んでいる視界の隅で浮いていた鈴に向かって飛びかかる。身体が勢いよく跳ね、鈴が一瞬で眼前に迫る。俺は咄嗟にそれを胸に抱くようにして抱え込んだ。

 身体強化がかけられた俺の身体は正しく―弾丸のような速度で飛び撥ねて、ドレークからは随分離れたところでごろりと地面に転がった。


 勢いが良かったからか、貴き加護の鎧が僅かに削れる。お陰で俺は無傷だ。身体に傷がない事を手早く確認した直後、身体強化魔法が解ける。特大の身体強化魔法は効果の幅こそ大きいが、効果時間が長続きしないのだ。身体強化魔法にあるまじき消費量を誇る超高燃費魔法だから長続きさせようとも思わないが。


「こ、娘ェ!どこだ、どこにいるぅ!?」


 少し離れた所で、鎧がガチャガチャと暴れている。俺はそちらを一瞥だけして、火口を探した。火口が見つかるのは一瞬だった。火口は何やら怪しげな黒く発光する魔法陣で覆われていたからだ。あそこに飛び込めば、アニマ・フィブに言われた事は達成できる。


「貴様、女神の鈴を!返せ!」


 視界が戻ってしまったのだろう。ドレークがこちらをしっかり捉え、走り出しているのが見えた。俺は身体強化の大を発動し、火口に向けて走る。元々火口とは目と鼻の先だ。


「ええい、ロソニ!そいつを捕まえろ!」


 ドレークの号令で虚空から黒髪の魔族、ロソニが現れ、俺の眼前で拳を握る。俺は咄嗟にロソニの軸足である右足に浮揚の輪をかけた。軸足が浮いた事で、ロソニが体勢を崩す。しかし、ロソニは素早く拳を手刀に変えてすり抜ける俺の後頭部に向けて振り下ろす。恐ろしく早い一撃。バランスを崩した状態から放たれたとは思えない攻撃だったが、その手刀は貴き加護の鎧に阻まれて俺に届くことはない。舌打ちをしたロソニが俺に向かって手を伸ばしたのをするりと抜けて、俺の身体は火口に向けて飛び込んだ。


 自由落下の直前、呆然とこちらを見ている三人と目が合う。うん、そりゃあ、今まで寝てた人質が急にこんな動きしたらびっくりするよね。俺でも混乱すると思う。でもほら、女神様に言われたら仕方ないっていうかさ?


 頭の中の常識人が「人にやれって言われたらやるの?」と茶々を入れてきたので「状況によるけど今はやるべきだと思いました、まる」と返答しておく。あれ、結構余裕あるな、俺。


「すみません、あとはよろしく」


 声が届く距離ではなかったが、それだけ言っておく。ヴィスベルの表情が少し変わったような気がした。自由落下が始まり、火口の溶岩が近付く。このままでは焼け死ぬだけだ。さっき手刀を防いだので貴き加護の鎧は解除されている。俺は慌てて浮揚の輪を発動しようと魔力を回すが、それより早くアニマ・フィブの声が聞こえた。


 ——心配しないで。そのままあの火の海に飛び込んで!


 マジかよ、思わず呟く。しかし相手はアニマ・フィブ、生き物を熱から守るという神話をもつ女神様だ。信じるしかあるまい。


「南無三!」


 そう叫ぶ同時に、ドブン、という音が聞こえ、俺の視界が真っ赤に染まった。






※超人的な動きは全て身体強化魔法の効力によるものです。良い子は真似しないで下さい。


感想ご指摘等ございましたらぜひに。

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