23.留守番
ここから別行動
ぶらり、集落の中を一人、歩いて回る。どこまでも透き通った青空とは対照的に、村人達の頭の上には暗雲でも立ち込めているのではないかと思うほど、皆一様に暗い雰囲気を纏っている。まぁ、里として大事にしてるフラグニスの竃だっけか、そこが魔族に占拠されてるとなったら、そうもなるよな。
「しっかし、留守番って言われても暇過ぎる……」
部屋の中で魔導書を読み耽っているのにも飽きて外に出てみたものの、する事がないのには変わりない。魔導書の錬金術のページにはポーションの作り方も乗ってたけどいくつも道具とか材料がいるから練習もできない。現物が無いのに知識だけを身に付けるなんて集中力、俺にはないのだ。前は料理とかもスマホでウェブサイト見ながら作って覚えてたしな。見ながら作って覚える、料理はそうしないと覚えられなかった。
これなら、無理を言ってでもヴィスベル達に付いていけばよかったか。いや待て、彼らの邪魔にならないためにという想いはどこに行った。
喉元過ぎれば、とはよく言ったもので、本当に熱さを忘れてしまっている呑気な自分に嫌気が刺す。この調子では俺まで陰鬱になってしまう。それは……ダメなんだろうか。分からなくなった。
しばらくそんな鬱々とした雰囲気で歩いていると、集落の中心あたりに作られた井戸に辿り着いた。結構大きな井戸だ。そう言えば結構喉が渇いている。水筒を取ろうと腰に手を伸ばしてみると、どうやら水筒は家に忘れてしまったらしかった。
まぁ、水筒がなくたって雨露の水差しで水を確保するのは容易い。俺は雨露の水差しを使おうとして、しかしなんとなく井戸が気になったので俺は井戸に備え付けられていた鶴瓶に手を伸ばす。
使い方は、まぁ、わかる。昔読んだ漫画だったかアニメでやってたのをなんとなく覚えている。
ひょいと鶴瓶桶を井戸に放り込んで、着水の音がしたらロープを引っ張って持ち上げる。
「あ、コップが無いや。直接口付けるのは汚い気がするし……小さい守護の盾で代用できるかな」
とりあえずやってみると、手に収まる程度の大きさのお碗っぽい形の守護の盾を形成することに成功する。何でもやってみるもんだね。多分この魔法をこういう使い方しようと思ったのは俺が初めてだろうけど。
俺は完成したお椀に桶から水を移し、一口口に含んでみる。冷たい感触が口いっぱいに広がって、次にいがらっぽい妙な後味に咳き込んだ。
「けほっ……ナニコレ」
まじまじと碗に入った水を眺めてみるが、水自体はどこからどう見ても綺麗な地下水である。そんな妙な味がするはずがない。しばらくそれを眺めていて、この水が妙に魔力を含んでいることに気が付いた。
雨露の水差しで作り出した水にも多少の魔力が含まれるのだが、この水はそれよりもかなり多い魔力を含んでいる。体感的に十数倍といった所か。ここに来るまでに何度か見かけた水源ではここまで魔力を含んだ水はなかった気がする。俺は水を井戸に戻し、守護の盾を解除する。守護の盾に僅かに残った水滴が地面に落ちた。
「その井戸の水、飲んだのか?」
俺が井戸をしげしげと眺めているのを見てか、村の子供が一人、こちらに寄ってきた。年齢はミカエラと同じくらいであろうか。少なくとも身長は同じように見える。髪の短い男の子だ。俺がええ、まぁ、と頷くと、少年が何やら憐憫の目で俺を見る。
「クッソ不味いだろ、その井戸水。ちょっと前までは普通だったんだけど、急に不味くなってさ。水飲むんだったらほかの井戸の方がいいぜ」
「他の井戸水は平気なんです?」
「おう。不味くなったのはその井戸だけだ」
へぇ、と答えて、俺は少しこの井戸に興味が湧いた。
不味くなった、というのは多分、この魔力が妙に多いのが原因だろう。土地に流れる地下水がそもそも不味くなってるなら他の井戸も不味くなっていないとおかしいし、この辺りの他の水源の魔力の量はここまで多くはなかった。つまり、この井戸の水だけが何故か魔力が多くなっていて、そのせいで味が落ちているのだと考えられる。他の理由が思いつかないってのもあるけど、他との違いって多分それくらいでしょ。
急にって言ってたし、中をのぞいたら何かあったりして。
ふっとそんな考えが浮かんで、俺はひょいと井戸の底を覗き込んでみた。結構深い井戸みたいで少し覗いただけではそこまで見通せないほど暗い。俺は右手を伸ばして、その先に明るい導の光を灯す。懐中電灯代わりだ。魔法を見るのは初めてなのか、後ろの男の子がほうと息を呑んだのが聞こえる。とはいえ、右手の先に灯しただけでは見える範囲に限度がある。俺は、導の光を手先から切り離して井戸の底に向かって落としてやる。
俺は魔法で照らされた井戸の底を見て、キラリと光るなにかを見つける。それが何かをよく見ようと身を乗り出して、
「あっ」
つるり、井戸の中に滑り落ちた。着水まではほんの一瞬だ。ばしゃーん、凄まじい音がする。水が結構深さがあったお陰で怪我こそないが、背中が打ち付けたように痛い。
「大丈夫かよー!」
上から顔を覗かせる男の子になんとかー、と声を掛けつつ手を振る。男の子はちょっと待ってろ、助け呼んで来るからー、と手慣れた様子。こういうことは結構あるんだろうか。
さて、男の子が助けを呼びにいってくれた所で、俺は水底にある光る物体に目を凝らした。俺の胸下ほどまである水の底だ。結構見にくい。潜って取ってしまった方が早そうだ。
俺は息を大きく吸い込んで水に潜ると、目を瞑って手探りでそれを探し当てる。恥ずかしい話だが、俺は水の中で目を開けられないのである。
幸いにもその光る物体はすぐに見つかった。ぷはぁ、と水面から顔を出して、俺は自分の手に握りしめたそれの正体を確かめる。
それは、小さな鈴のような形をしていた。赤銅色、といえばいいのだろうか。赤みを帯びた金属質の光沢がある材質で、その中からは熱っぽい魔力を感じる。少し攻撃的な感じの魔力で、そりゃ、こんな魔力が漏れ出てたらいがらっぽくもなりそうだと納得できる代物である。鳴らしてみると、チリン、と小さな音がした。
「なにかのお守りかな。レアアイテムっぽいし持っとこ」
俺はとりあえず、腰のベルトに付いているポーチに鈴を仕舞う。本来なら薬草だのポーションの小瓶だのを入れる用途らしいが、俺はそんなものを持たされていないので完全にファッションだったポーチだ。心なしか、ポーチが水の中で少し誇らしげにしているように見える。よかったなお前。
そのまましばらく待っていると、上から誰かが顔を覗かせた。さっきの男の子と、別の男の子が一人。そして女の子が一人、だろうか。顔立ちが幼いのと髪が短いのが相まって見分けが付かない。彼らはせーの、という掛け声とともに縄ばしごを井戸の中に落としてくれた。
俺はそれにしがみついてよじ登る。水を含んだ服はとんでもなく重く、このまま脱ぎ捨ててしまいたい衝動に駆られるがそんなはしたない真似はしたくない。仕方がないので身体強化の魔法を使う。終わってみれば、井戸の外に出るのは思いの外すぐだった。
……あれ、浮揚の輪と身体強化の組み合わせで一人でも上がれたんじゃないか、今の。いや、よそう。考えない方が精神安定によさそうだ。
地面に倒れこむと、ばしゃりと水を吸った服が音を立てた。
こんなことになるなら衣類乾燥的な魔法を探しておけばよかった。そんな風に考えた俺の頭に、真っ白な布がかけられた。
試合終了のアレ?オツカレサマーって奴だろうか?そう思う俺の手を、ぐいと誰かが引っ張った。ぷにぷにと柔らかい手だ。
「早く着替えないとカゼ引いちゃうよ!アタシの家近いから、乾くまで服も貸したげる」
「わ、ありがとうございます」
言われるがまま、俺はどこかの家に連れられた。出迎えてくれたのは、俺の手を引いてくれた少女の母親らしき女性。ずぶ濡れの俺をみるなり何かを察してくれたのだろう。浴室にまで案内してくれた。
浴室といってもユニットバスとかそんなんがある訳ではなく、外に水が流れるように溝が掘られたごつごつした岩っぽい床に、神樹様にもあったような水呼びの魔導具とシャワーヘッドみたいなパーツが連結されたものが置かれただけの簡素なものだ。
女の子は手慣れた動きで俺の衣服をぽいぽいと脱がせると、それをカゴに放り込んで水呼びの魔導具を起動させる。人肌より熱いくらいのお湯がシャワーヘッドから流れ出る。
こっちの世界に来てからは水浴びか、宿屋で体を拭くくらいしかしてこなかったので久々のシャワーに謎の感動を覚える。
あぁ、シャワーってこんなに気持ちいいものだったっけ。生き返るような心地とはまさにこんな感じなんじゃないかな。生き返った事は無いから知らないけども。
とはいえ、あまり長い時間使っても迷惑だろう。水呼びの魔導具は水筒と同じように、時間をかけてタンクに水を貯め、必要な時に取り出すという魔導具だ。無駄遣いは良くない。俺は魔導具の表面の結晶体に触れ、お湯を止める。浴室から出ると、女の子がはい、といって体を拭くための布と彼女のものだろう服を渡してくれた。ちょっと顔が赤いけど大丈夫?聞いてみると何でもないと言われたのでこれ以上は聞かないことにする。
「えーっと、さっきはありがとうございました」
外に出て、さっき声をかけてくれた男の子含めた三人に頭を下げる。
「いいってことよ!」
と、元気よく親指を立てた茶髪の少年がロンというらしい。年齢は十二歳、好きな近所のお姉さんはジミーさんだそうだ。
「ロンはよく井戸に落ちて泣いてたもんね」
と、妙にいい笑顔で毒を吐いている赤毛がジム。ロン君憧れのジミーさんの弟らしい。こちらもロンと同じ十二歳。
「気を付けなさいよね。女の子はオシトヤカにならないとダメなんだから!」
と、可愛らしく頰を膨らませてる黒っぽい短髪の女の子がサフィー。勇者アスラの伝説に登場する大賢者サフィラスから取った名前だそうで、名前に恥じない賢くてステキなレディーを目指しているのだとか。こっちは彼らよりひとつ下で十一歳だそうだ。……背は、ひとつ年上の俺の方が若干低そうではあるが。いいんだ、発育は個人差があるから。クリスもバンも結構身長高いから将来性は充分あるしな。
「なぁなぁ!それよりさ、ミカエラって魔法使えるんだろ!見せてくれよ!」
キラキラした目で俺に近寄ってくるロン。俺は思わず一歩後ろに下がってしまう。子供特有のものか何なのか、ちょっと距離が近い。俺の心情を悟ったのか、サフィーの拳がガツン、ロンの頭を殴打する。いや、それはオシトヤカな淑女さんとしてはどうなんだろう。
「ロン!あんまりがっつかないの、ミカエラちゃんだって見せ辛くなっちゃうじゃない!」
「イッテェ!オシトヤカなジュクジョだったら幼馴染の頭にゲンコツなんてゼッテー落とさねーって!」
「ジュクジョってなによ!シュクジョよシュ、ク、ジョ!ロンのノータリン!」
「まぁまぁ二人とも落ち着いて。どんな魔法が見たいの?使える範囲で見せたげるから」
喧嘩がヒートアップしそうだったのでひとまず仲裁に入る。ちらりとジムに目をやると、何やら面白いものを見る目でこちらを見ている。あ、こいつ絶対性格悪い奴だ。自分以外の全てを見下してる感じの目だよそれ。俺知ってる。
「じゃあ、あれ!勇者アスラ様の必殺技!」
意外にも、そんなリクエストをしてきたのはサフィーだった。夢見る乙女のキラキラした目が俺を射抜く。勇者アスラの必殺技で魔法といえば、うん、5、6個あるけどどれも物騒なものばかりだな。しかも俺が使えるような魔法でもないし。勇者アスラの居た時代は古式魔法しかないし。俺の使える新式魔法は残念ながらここ500年くらいの間に勃興した新しい魔法なのだ。
「あれはちょっと危ないから、他ので……」
言うと、今度はロンがちょっと現実的なリクエストをしてくれた。
「じゃああれ!さっき井戸に落としてた光!あれのスゲー奴!」
スゲー奴とはまたアバウトなリクエストが来たな。しかし、今度のは普通にできそうだ。
明るい導の光は本当に応用の利く魔法で、色を変えたり明るさを変えたり大きさを変えたりといったことが簡単に行える。使い方によっては、多分救難信号代わりにも使えるんじゃないかな。少なくとも花火の代わりにはなった。アレなら危ない事も無いし良いだろう。俺は肯首する。
「おっけー、色変えられるけど、何色にする?」
魔力を回しながら聞くと、三人からほとんど同時に赤!の一言。火の神の象徴色である赤を迷いなく選択したのは、そういう土地柄だろうか。ともかく、俺は赤いお手玉大の光球をイメージしつつ手先に魔力を込める。
「《明るい導の光》」
目に悪くないくらいの明るさにして、二個、三個ほど出してジャグリング。ジャグリングなんて普通のボールとかじゃ絶対に出来ないが、この導の光を使ってなら簡単だ。ある程度は操作できるからね。そんなのズルじゃん?知らんな。
三人は口々におおー、と言って光の球を見ている。こうも感動してもらえると俺も嬉しい。俺は得意になって、無言で光の球を追加していく。操作する事を前提にすると十個くらいで制御がパンパンになったので、今度は数を減らして大きくしていく。最後に一つだけ残った時には、その球はドッジボール大の大きさにまで大きくなっていた。
これ以上はどれだけ頑張っても大きくならないので、導の光の大きさはここまでなんだろう。最後に光をポイと空に放り投げ、激しく点滅させて消してやると、三人はおお、と言って拍手。俺はどこぞの手品師みたいに頭を下げると、いつのまにか集まっていた数十人の村人達からも大きな拍手が上がる。
魔法に集中するあまり、近寄ってくる他の村人達に気が付かなかったらしい。俺は急に恥ずかしくなって、そのまま硬直した。
「なんだい、お嬢さんたちは旅芸人さん達だったのかい?物々しい格好だったから、冒険者かと思ったよ!」
「里は今こんなムードだからね、丁度何か娯楽が欲しいと思ってたんだ!」
「お捻りはどこに入れたら良いんだい!」
などなど、陽気なおじさんおばさんが愉快そうに笑っている。さっきまでの陰気な雰囲気が何処かへ行ってしまったようで、こちらも少し気分が明るくなる。皆があまりに期待したような目で俺を見るので、俺は他に何ができたかなと自分のレパートリーを思い浮かべる。
こうも喜んで貰えると悪い気はしない。だから、俺はもう少しだけ、彼らがいうところの旅芸人のフリをする事にした。
色々と試行錯誤しながらやってみたが、一番ウケが良かったのは小さな明るい導の光に極限まで威力を絞った……具体的にはゴムのパチンコよりも弱いくらいの威力の……貫く弾丸を当て、パラパラとあたりに散らす芸だった。切り離した明るい導の光は魔力で壊れる性質があるので、それを利用したものだ。うまく当たると小さい花火のように破裂する。実用性は皆無だが、五、六個の導の光を続け様に破壊すると壊れた光が結構綺麗なのだ。一回思い付きでやってみたらアンコールの渦で、もうこればっかり8回くらいやってる。
あんな小さい的によく当てられるなぁ、と猟師をやってるらしいおじさんに言われたが、導の光は結構自由に動かせるから目を瞑ってても当てられる。射的能力がそんなに高い訳ではないんだ、ごめんね。
しかし、あまり魔力を使うような事をしていないとはいえ消耗が殆どない。酔った勢いの時は本当にすぐに魔力が切れていたイメージがあったので随分慎重に出力は絞っていたが、そんな必要も無かったかと思うほど、魔力の消耗が少ない。あの時は本当に、一体どんな勢いで魔法を使っていたのだろう。……正常じゃなかった時のことを考えても仕方ないか。
すっかり乾いていた服に袖を通し、沢山のお捻りをアイテムポーチに仕舞い込む。というのも、時間を忘れて楽しんでいた里の人達が仕事に戻る時間だったからだ。いい気晴らしになったと手を振ってくれる人達に手を振り返し、俺はふぅと小さく息を吐く。
……あれ、そういえばあの三人どこに行った?キョロキョロと探して見るが、彼らの影はない。はて、さっきまで居たと思ったんだけど。
ちらり、遠くに小さな人影。アレは……ジムだろうか?どこに行くんだろうか。俺は気になって、ジムの後に着いて行く。
「ミカエラちゃん!」
「ひゃあ?!」
突然背後から声を掛けられて、俺はびくりと身体を震わせた。振り向くと、ニコニコと笑顔のサフィー。その手には何やら香ばしい香りのするバスケットが一つ。
「芸のお礼にってお母さんが焼いてくれたの。アプルとスイトグラスを混ぜて焼いたクッキーよ。お兄さん達と一緒に食べて欲しいな」
そう言ってサフィーがバスケットを手渡してくれる。
「最近皆暗かったから、ありがとね、ミカエラちゃん。それじゃあ、アタシ、お母さんのお手伝いしなくっちゃ!もうそろそろお夕飯の支度をしないといけないから!」
そういえば、もうそんな時間だったろうか。俺はありがとう、とバスケットを受け取って、後ろを振り向く。すでにジムの姿はない。
「そういえば、ジムくんがどこ行ったかって知りませんか?」
「ジム?ジムなら、この時間は外れの山小屋の方に行ってると思うけど」
ふと、その言葉に何か違和感を感じた。しかし、その違和感の正体が具体的に何なのか、思い付かない。俺はもう一度サフィーにお礼を言って、一度荷物を置きに貸家に帰る事にした。なんとなく、ジムを放っておいてはいけないような気がする。バスケットを置いて、あとお金も置いて、念の為短剣と魔導書は持って……。
そんな風に算段を立てて居たからだろう。俺が家に向けて歩き出した直後に背後から聞こえたサフィーの声に、俺は気付く事が出来なかった。
「あれ、ジムって……誰だっけ?」
準備は万端。外れの山小屋とやらに到着した頃には、いい感じに陽が沈みかけていた。暗くなると帰るの面倒臭そうだ。まぁ、導の光があるから困りはしない……とは、思うけど。
さて、ジムはどこにいるのだろう。見渡して見ると、山の方にそれらしい人影。
ジム君、と呼びかけながら駆けて行くと、ジムらしい人影はこちらを一瞥したあと山に向かって走り出す。
「ったくもう。《身体強化・中》」
魔法を掛けると、身体能力がぐんと跳ね上がる。元が貧弱だから、一回身体強化の中を掛けた程度では素のカウルやヴィスベルと並べるかくらいの身体能力であるが、それでも元から比べたら凄いものだ。クラウチングスタートがどうとかは分からないから、俺はそのまま自然体で走り出した。
一歩踏み出すたび、どんどん景色を置き去りに……という程ではないにしても、かなりの速度でジムに近付く。しかし、元々距離があったからだろう。ジムの姿はだんだん大きくなってくるものの、そう易々と近付けさせてはくれない。小さな鳥居のような門を越え、傾斜を登る。慣れない地形に戸惑いながら進むと、小さな洞穴にジムが入って行くのが見えた。秘密基地だろうか?だとしたら良い趣味をしている。
俺も続いてその洞穴に足を踏み入れる。中は真っ暗だ。俺は明るい導の光を眼前に出し、洞穴の奥を照らす。どうやら洞穴はまっすぐと続いているらしい。一歩踏み出すと、パキン、足元で音がした。見おろすと、何やら風化した白い破片。
「ん?これ……骨?」
導の光で照らしまじまじと眺めると、それがどうやら動物の骨らしい事が見て取れた。少なくとも石ではない。改めて辺りを見回すと、動物や人間の骨なんかがポツポツと落ちている。少し不気味だ。
「……ジム君、どこに言ったんだろ。こんな時間にこんな所、危ないでしょ」
これは見つけたらお説教コースだな、と一人で合点する。洞穴の中は骨が散らばったりしているものの大まかにはまっすぐの道が続いていて、特に分かれ道もない一本道だった。これなら迷ったり入れ違うこともあるまい。
まっすぐ進んで行くと、何やら広い所に出た。まず目に入ったのは、一面に広がった、溶岩らしい真っ赤な液体。気が付かなかったが、周囲はかなり熱くなっていた。サウナのような熱気に、額に汗が浮かぶ。
「ジム君?」
その溶岩の上、溶岩が固まって黒い道のようになっている所に、ジムが立っていた。俺が駆け寄ると、ジムは何やら意味有りげな表情で俺の方を見ている。帰るよ、と声をかけようとして、俺は思わず一歩退いた。
ジムは、この灼熱の空間において、汗一つない涼しい表情をしていたからだ。俺の眼前で、勢いよく溶岩が爆ぜる。
「あらら、直前で効果が切れちゃった」
愉しげに頰を歪めて、ジムが言った。
「ジ、ム……?」
「うん、ミカエラちゃん。ようこそ、ティンデル火山……ぼくたちの住処へ」
ジムの姿が霞む。気が付けば、そこにいたのは幼い顔立ちはそのままに、頭から小さなツノを生やしたジムだった。その背中からは同じく小さな羽と、先端が鏃のように尖っている尻尾。その肌は、先程までの肌色ではなく、黒く染まっていた。
「ニンゲンに擬態するのは疲れるんだ。アイツらクサいし、弱っちいくせに威張り散らしてるしさ」
コキコキと関節を鳴らしながら、ジムが……否、ジムだった魔族がこちらに歩み寄ってくる。
「ほんと、ドレーク様はどうしてこんなニンゲンを警戒してるんだか。弱っちい群れるしか能が無いイキモノなのに」
「……来るな」
俺は短剣を抜いて、魔族に向ける。いつでも貫く弾丸を放てるように、切っ先に魔力を集中。魔族の一挙手一投足に気を配る。
「イキナリとんだゴアイサツじゃないか、ミカエラちゃん。キミとボクの仲だろう?一人いなくなったボクを心配して追いかけてきてくれた、違うかい?」
「お前は誰だ。本当のジムはどこに行った?」
馴れ馴れしい魔族の態度に、俺は苛立ちを隠せない。あの魔族が喋るたび、頭の中を掻き回されるような不快感がある。
「ハハハっ!ジムはボクさ。最初からボク、最後までボクがジムだ。あの里にジムなんて子供はほかに居ないから」
言われ、俺は自分の耳を疑った。サフィーもロンも、ジムをジミーの弟として認識していた筈で、俺はそのように自己紹介をされた。もし、そこから欺かれていたのだとしたら。
「……騙したのか。俺も、ロンも、サフィーも」
俺は頭の中を引っ掻き回す不快感を我慢して魔族に問う。何がおかしいのか、魔族はケラケラと不快な笑い声を上げた。
「あれ?キミ、そんな喋り方だっけ。まぁいいや、そういう事になるかな。ボクってばあんまり力の強い魔族じゃないからさぁ。夢魔って言って、他者の精神に干渉するしか能がない魔族なんだケド」
——キミみたいに弱いニンゲンくらいなら簡単に殺せるんだぜ?
その言葉が耳に入った瞬間、俺は硬き護りの殻を発動する。ガツン、小さな衝撃。目の前には、忌々しげな顔をした魔族。
「チッ。催眠が浅かったか。ったく、あんまり手間取らせないでよね。殺しちゃったら人質にできないじゃん」
「《貫く弾丸》!」
硬き護りの殻を消し、切っ先から弾丸を放つ。しかしそれはお見通しと言わんばかりに、魔族はひらりと宙を舞って躱す。
「その切っ先に向かって弾丸が飛ぶのは『知ってる』。石原では一杯使ってたよね?でも、飛ぶ方向が分かってるなら、回避は簡単だ」
「《貫く弾丸》!」
嗤う魔族に向けて第二射。今度は何故か回避行動を取らなかった魔族の肩を、琥珀色の弾丸が掠める。赤い血が吹き出す。すうっと冷えていく頭で、魔族も血は赤いのかと何の益体も無い事を考えた。魔族の顔が怒りに染まる。
「劣等が、何でボクの催眠にかからないんだよ!さっきまではあんなに……!」
「《貫く弾丸》!」
第三射。今度はしっかり頭を狙う。しかし、狙いが露骨過ぎたからか、魔族はそれを容易く躱した。続く第四射を放とうと魔力を込めたその時、トン、首筋に小さな衝撃。
「な……」
がくり、体が崩れる。倒れた俺の隣を、誰かが歩く音がする。俺は目の前に立つ二人の魔族を睨みつけた。ジムであった魔族ともう一人、見覚えのない青年の魔族。真っ黒な燕尾服に身を包み、真赤の目が蔑むように俺を見下ろしていた。
「カナル。ドレーク様は「無傷」で光の御子の仲間である少女を攫って来いと命じた筈だが?」
「そうは言っても、ロソニ。コイツボクの催眠が急にかからなくなってさぁ」
「コレは魔導師だ。魔力が高いのだから、警戒されれば効果が落ちるのは当然だろう。貴様、よもや夢魔としてそんな当たり前の事も忘れたか?」
「お、前、たち、は……」
「眠れ、小娘。貴様の価値はそれだけだ。カナル、夢の牢獄は貴様に任せる」
「はいはい、全く……」
言って、ジム……カナルと呼ばれていた魔族が俺の顔を覗き込む。その緑の瞳が怪しく光った、気がした。体から力が抜けて、意識が遠退く。俺は必死で意識を繋ごうとするが、その努力もむなしく、俺は意識の空白へと落ちて行った。
囚われのお姫様って良い言葉ですよね。
感想などコメントは広く受け付けております。是非どうぞ。