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22.神火の里

 


 見渡す限りの岩石地帯を歩き続けて約二日。俺たちはようやく、山の麓に作られた集落へとたどり着いた。


 もう足が棒だ。早く布団にダイブしたい。舗装されていない道があれほど歩きにくいとは思わなかった。こんな時に限ってカウルは俺を担いでくれない。や、まぁ道中には魔物も出るのだからそんなわがままは言っていられないのだが。というか、戦闘の度一旦投げ捨てられる荷物と同じようには扱われたくない。


 ともかく、気の抜けない旅路の終わりに、俺はひとまず安堵した。


 体力の限界を感じて大きく息を吐き出した俺の背を、カウルが頑張ったな、と軽く叩く。あんたのそういうとこ好きだよ。俺が年齢通りの女の子なら、こういう時にトキメキを感じたり年上のおじ様に恋したりするんじゃないかな、多分。俺はちっともそういうことはないけどね。


「さて、着いたはいいが……えらく暗いな」


 暗い、というのは視覚的な明るさの話ではない。集落の中を見渡すとだれもが意気消沈といった様子で、暗い雰囲気を醸し出していた。普段のこの集落を知らないにしてもあまりに活気がなさ過ぎる。


 所々に見える大人達は浮かない顔をしていて、そんな顔をしている大人達に混ざった子供達も何やら深刻そうな顔をしている。


「……何かあったのかな?」


 考えられるのは誰かしらの葬儀か何かか……。いや、しかし、村人から感じる悲壮感はそんな程度のものではないような気もする。


「ひとまず、集落の長に挨拶に行こう。そこで、何か力になれるようなら協力を申し出よう」


 入山の許可も要るし、とヴィスベル。俺とカウルに反対する理由も無く、俺たちは集落の真ん中に立っている大きな家屋に向かった。


 集落の建造物はコッペルの街とは大きく異なっていた。灰色の石と煉瓦、そして黒っぽい木材を用いた独特の形の家屋達。

 立ち並ぶ集落の中で、その家は飛び抜けて大きかった。具体的には、他の家屋が一階建ての平屋である中、その家屋だけが見るからに二階建てになっている。また、門の設が実に立派で、神樹様の上で族長様が住んでいた家に近い雰囲気があった。


 門の前には武装したガタイのいい男が二人、槍を構えて警護と言わんばかりに立っている。

 俺たちが門に近付くと、男は槍で門を守るように構えると、止まれ、と言って俺たちを制止した。


「ここは我らが族長様の屋敷である。用が無い者は立ち去れ」

「僕たちは旅のものです。しばしこの集落に滞在するに当たって、その族長様に挨拶をと思いまして」

「滞在か……」


 聞いた男が、顔をしかめた。嫌そう、というよりも苦しそう、というべきか。ともかく、あまり歓迎されたムードでは無い。


「怪しい者ではないです。こちらがギルドの通行証と、ギルドカードです」


 カウルが懐から取り出したコインとカードを提示する。俺とヴィスベルも続いてギルドカードと通行証を提示した。


 しっかりとこちらの身元を明かせば、男達も認めざるを得なかったのだろう。相変わらず渋い顔はしているが、門をがっちり固めていた槍を立て、半歩隣に逸れた。


「仕方あるまい。族長様は今、重要な儀式の最中におられる。挨拶は構わないが、あまり時間を取らせぬように」


 そう言って、男が屋敷の門を開いた。中は石畳が敷かれていて、壁には何やらストーリー仕立てのタペストリーが何枚も飾られている。火の大神に所縁のあるお話だろうか。中々風情のある内装である。


「こっちだ」


 そう言って、男は俺たちに後に続くよう指示して屋敷の中を歩き始めた。


「ちゃんと着いてこいよ」

「わかってるって」


 ここぞとばかりに揶揄ってくるカウルの横腹を肘で突っついて、俺は先頭の男に続いた。

 やがて男は、とある部屋の前で立ち止まった。他にもいくつかある部屋の中でも、特に立派な扉だ。「執務室」を表す文字が書かれた札がかけられている事から、ここがおそらく族長の執務室なのだろう。男が執務室の戸をノックしようとした直後、部屋の中から怒鳴り声が響いた。


「ですから、里の戦士を募りましょうと言っているのです!我らは誇り高き神火の担い手、今立ち上がらずしてどうします!」

「そうはイカンのだ、フレア。放っておけば彼らもこちらには手を出さないと、そう約束した。私は里を預かる長として、民を危険に晒すわけにはいかぬ」

「だからといって黙って見ていろと!?お父様は火種を明け渡し、担い手としての誇りまで失ってしまったのですか?!」


 そこで、一旦声が途切れる。男は口論が一時収まったのを確認すると、部屋の戸をノックする。中から少し疲れたような何か、という声。男はそれに対し、良く通る声で応答した。


「族長様。旅人が挨拶にと参りました」

「うむ、通せ」


 扉が開かれ、部屋の中に通される。

 そこにいたのは、筋骨隆々の中年男性が一人と十四、五くらいの女性が一人。二人とも鮮やかな緋色の髪が目を引く。

 俺たちが入室したのを見ると、女性の方は苛立たしげにこちらを見た後、部屋の隅に引いた。

 なんだろう、あの女の人、何か気になる。何というか、親近感を感じるというか、仲間意識を感じるというか……。目が合うと、女の人はぷいとそっぽを向いてしまう。まぁ、イライラしてたっぽいから素っ気ない態度取られても仕方ないか。


「ようこそいらっしゃいました、旅人殿。私はこの里の長を任されておるタルボ。本日はどのような御用向きかな?」


 疲れ切った様子でタルボが言った。相当忙しいのか、顔を見れば目の下には濃い隈ができている。感じられる命の力も、心なしか少しばかり弱々しい気がした。


「はい。ティンデル火山に用があって、その入山許可を頂きたいのと、しばらくここに滞在したいと思いますのでそのご挨拶にと」

「山に?失礼ですが、どのような御用ですかな。鉱物の採掘の為、という訳ではなさそうですが」


 タルボが俺を横目で見る。その濁り切ったような目に、俺は思わず一歩退いてしまう。タルボが俺を見ていたのは一瞬で、彼はすぐにヴィスベルの方に視線を戻した。


「火の大神に祈りをと思いまして」


 答えたヴィスベルの言葉に、タルボと女の人が対照的な顔をした。タルボは苦虫を噛み潰したよう顔で、女の人の表情は何やら明るい。


「もしかして、貴方が光の御子様!?」


 部屋の隅にいたはずの女性が、気が付けばヴィスベルの目の前に居た。


「フレア!私は旅人殿と話をしている」

「お父様!この方が光の御子様であれば、私達『神火(しんか)の担い手』はその助力を申し出るのが筋というもの!父なるアニムス・イグニス、母なるアニマ・フラムのお言葉まで忘れられたのですか!」

「そうではない……。そうではないが……」


 ——何故よりにもよって今なのだ、と。タルボの口が小さく動いた。タルボは首を横に振って椅子に深く腰掛ける。タルボの言葉について聞き返そうとするも、タルボは有無を言わさぬ強い口調で次の言葉を続けた。


「ともかく、彼らが光の御子の一行であるなら、ますます火山へは入れる訳にはいかん」

「お父様!」


 今にもタルボに掴みかかりそうなフレアを嗜めるように、タルボは右手を上げる。


「分かってくれ、フレア。これは里のためなのだ。彼らのために我ら一族の者が血を流すようなことになっては、これまで一族の血を繋いできた先祖様方に申し訳が立たん」


 額に深い皺を刻み、タルボが言う。しかしそれは、フレアの怒りに火を注ぐだけだった。


「ですから!今、今ここで剣を取らねば神火の担い手としての一族が死に絶えるも同然ではありませんか!それこそ、今日まで火種を繋いできた一族に対する裏切りです!」

「フレア……。頼む、分かってくれ……」


 絞り出すように言ったタルボを、フレアは冷たい目で見下ろした。振り返ったフレアの顔には失望したと言わんばかりの表情が刻まれていて、握り締められたその拳が小刻みに震えているのが見えた。


「……お父様の考えはよく分かりました。私はこれで失礼します、これ以上何か言われでもしたら、アニムス・アングリフの火に身を焼かれかねませんから」


 フレアはそう吐き捨てるように言うと、足早に部屋を出て行った。何となく、気まずい雰囲気が残る。誰一人として口を開かない時間がいくらか続き、やがてタルボが口を開いた。


「お見苦しい所をお見せしましたな。先も言いましたが、火山にはくれぐれも、入られないようにお願い致します。

 里への滞在は許可します。とはいえ、ここは宿屋もないような辺境。寝泊まりには、西の外れにある赤い屋根の空き家を使うと良いでしょう。少し古い建物で申し訳ないが、手入れだけは充分なされていますからな。……くれぐれも、火山には近付かれることはありませんように」


 最後にそんな風に釘を刺されて、俺たちは半ば追い出されるようにして族長の屋敷を後にした。


 警護の男達に案内され、俺たちは集落の西側にあるという空き家にたどり着く。空き家とはいえ手入れはしっかりなされているらしく、埃も見当たらない位には清潔に保たれている。家財道具も寝具くらいはあるようで、そのまま住み始めることもできそうである。


 とりあえず奥の個室に荷物を置いて、それを見届けた男達が屋敷の方に戻って行ったのを確認し、俺は大きく息を吐き出した。堅苦しい雰囲気で、息が詰まるったらありゃしない。


 俺はリビングに当たる場所に置かれた小さな円卓に突っ伏した。小さな、と言っても四、五人はかけられるくらいの大きさだ。まぁ、椅子は三脚しかないけどね。


 階段下の収納に予備の椅子がいくつかあるらしいけど、三人しかいないのにあまり多く椅子を出す必要もあるまい。


 俺はもはや感覚が麻痺している足に回復魔法を当てる。魔導書によると、どうやら一部の回復魔法はなんと筋肉の疲労とかにも効果があるらしい。そもそも回復魔法の理論には二種類あって〜、と小難しい事が書いてあったが、優しい癒しの光は筋肉の疲労に効果のあるタイプの回復魔法だという所まで読んで読むのはやめた。ぶっちゃけた話、使えさえすれば詳しい理論なんてどうでもいいと思う。


 癒しの光を足に当ててやると、マッサージの比ではなく筋肉の疲労が解れ、消えていく。端的に言って気持ちがいい。クセになりそうだ。


 痛みは一瞬で消え失せ、後には回復魔法の余韻だけが残った。もう終わりか。少し名残惜しく思いながらも、俺は顔を上げて椅子の背に体重を預ける。


 気が付けば、ヴィスベルとカウルも円卓に椅子を寄せて座っていた。


「しかし、どうする?」

「山に入れないとなると、流石に困る。僕は大神の加護を得なければならないのに……」

「何とかしてほかに入る方法を見つけるほかないですね」


 黙って入るとか。そう言うと、ヴィスベルが露骨に眉を顰めた。


「僕たちを山に入れない理由が分からないのに、それこそ勝手に入るのはよくないと思うけど」

「って言っても、タルボさんのあの感じだと聞いた所でだよね。話してくれなさそう」


 俺が言うと、同意するようにカウルが頷いた。 八方塞がり。重い沈黙が場を満たす。丁度そんな時、家のドアが叩かれた。


「はーい!」


 一番ドアに近かった俺は返事をしてから、すぐにドアを開ける。回復魔法をかけた足はすこぶる絶好調だ。

 ドアを開けると、そこには緋色の髪の女性が立っていた。フレアと、タルボにそう呼ばれていた女性だ。


「光の御子に話しがあるの。取り敢えず中に入れて頂戴」


 周囲を気にしながらフレアが言うので、俺はサッと扉を開けて中に促した。部屋の中に入ったフレアを見て、ヴィスベル、カウルの両名が驚いたように目を開いている。ともかくヴィスベルに話があるそうなので円卓の椅子を勧め、俺は台所らしいスペースに向かう。来客にはお茶を用意するのが礼儀だってクリスじゃない方の母さんが言っていた。食器棚からコップを出して、棚を探してみる。が、お茶の葉っぱどころか碌な調理器具もありはしない。


 ……何も出さないのは失礼だよね。水、は、案内の人は裏手の井戸からっていってたけど……時間かかりそうだし魔法で出しちゃえ。


「《雨露の水差し》」


 コップの中に、並々と水が注がれる。隠し味にちょっと魔力を大目に注いでおこう。俺は水の入ったコップを持って、円卓のあるリビングに戻る。


「こんな物しかないですけど」

「ありがとう」


 円卓に腰掛けたフレアに水を出す。位置関係は、入り口に近い椅子にフレア、その対面にヴィスベルとカウル。残念ながら椅子は三脚しかなかったので、俺の座る場所はない。裏手の物置に椅子の予備とかはあるそうだけど……取ってくるのも面倒だ。脚は回復してるから立ちっぱなしでいいや。カウルが膝をポンポンしていたが、カウルの膝上に座るくらいなら立っていた方が幾分かマシというものだろう。というかね、いくらちょっと小柄だからって12歳の娘を膝に乗せるってどうよ。


 フレアが俺の出した水を一口口に含み、あら美味しい、と微かな笑みを浮かべる。やったぜ、と俺は内心でガッツポーズ。


 人心地ついて、フレアは姿勢を改めた。


「実は、半月ほど前から、ティンデルの山には魔族が住み着いているのです。彼らは自らを邪神の使いと自称していて、今も火山の奥地、フラグニスの竃で怪しげな儀式を行っているのです」


 邪神。俺達が倒さなければならない敵。その使いと聞いて、俺達の間でピリピリとした空気が流れる。


 半月前といえば、あの黒鎧がアンリエッタを攫ったのとほぼ同時期だ。もしかすると、その魔族を締め上げればその動向が掴めるかもしれない。ヴィスベルの方に目をやると、とりあえず話を聞こう、と窘められる。


「私達は遥か昔、火の大神より原初の火種を授かった我等が祖、ロメオスの末裔。古来より神火の担い手を名乗ってきた一族です。ティンデル火山の奥に存在するフラグニスの竃を守護し、原初の火種を守り続けることを一族の使命としてきました」

「原初の火種?」


 思わず聞き返す。フレアはこちらを一目見ると、ええ、と言って頷いた。


「人と神が共に歩んだ神代の始め、原初の神々はその力の一端を人に与えました。原初の火種は、火の大神が人に授けた最初の炎です」

「その大昔の炎が今まで絶えることなく燃え続けてるって事ですか?」


 俺の言葉に、フレアはくすりと微笑んで首を縦に振った。


「といっても、いつでも目に見える形ではないの。……私たち神火の担い手は、十四になった年にフラグニスの竃に赴き儀式を執り行うわ。火移しの儀と言って、親から子へと火種を分けるの。時には、大神様から新たな火種を授かる事もあるのよ。と言っても、最後に新しい火種を授かったのは神話に名高い大英雄アスラ様だけれど」


 その言葉で、俺は何となく原初の火種の正体を悟った。ミカエラが聞いた勇者アスラの冒険譚の中には様々な物語があったが、その中にティンデル火山に住まう火の大神を訪れた物語があったのを思い出す。


「……命の女神に導かれし勇者アスラに、火の大神は彼らの竃から赤々と燃えるはじまりの火を与えた。其の火は清浄の火、遍く不浄を清める大神の加護……」

「……勇者アスラの冒険譚にそんなのあったか?」


 カウルが懐疑的な目を俺に向ける。いや、俺はたしかに聞いたことあるんだけど?そう答えてみるが、カウルは未だに懐疑的だ。カウルの隣に座っているヴィスベルに目をやると、彼もまた困ったような苦笑を浮かべている。これは、ヴィスベルが明言こそしないがカウルと概ね同意見の時にする癖である。解せぬ。

 嘘なんか言ってないし、と二人から視線を外すと、フレアが驚いたように目を見開いて、しかしどことなく嬉しそうに笑った。


「その物語はこのティンデルの地に古くから伝わる物です。族長の家の入り口に飾られていたタペストリーと口伝で伝わっているのだけど、長い歴史の中で書物としては失われてしまったみたいで、この里にしか伝わっていないと聞いていたんだけど……」


 貴女の故郷にも伝わっていたのね、とフレア。ほら見ろ、と二人を見ると、二人ともほんの少しだけ驚いたようだった。もう少しくらい驚いてくれてもいいのに。


 でも、おかしいな。この話はビアンカ婆さんが古い本を手に取りながら教えてくれたものだったから、てっきり本として残ってるんだと思ってた。じゃああの本って何なんだろう?帰ったらビアンカ婆さんに聞いてみよう。


「そちらの女の子が言った通り、原初の火種は私たちが火の大神から授かった加護の事です。おそらく、光の御子である貴方が求めているものと同じものよ……です」


 言って、フレアがその手に小さな火を灯した。大きさはライターの火より少し大きい程度のものだが、そこから感じられるのは濃密な神の気配。これが原初の火種と呼ばれるものなのだろうと確信する。


「この火が私が受け継いだ原初の火種、です。といっても、受け継いだばかりでまだまだ小さな火種だけど。以前父に見せてもらった火種は本当に大きくて、力強くて、綺麗で……。あんな火種を育て上げるんだって、憧れてた」


 遠い目をして、フレアは言った。フレアが火種を優しく胸に抱きしめると、その火はフレアの肌を傷付けることなく、その内へと溶けるように消える。その目が懐古と憧憬が入り混じったものから、憎悪と侮蔑の混ざったものへと転じる。


「しかし、父は……族長タルボは、あろうかとかその誇りの証である火種を魔族に渡し、その上フラグニスの竃まで明け渡した。竃がなければ、私たちは火種を次代に引き継ぐことができないというのに……。

 しかも、竃を奪われてからと言うものこの辺りの魔力は変性し、魔物の質も変わってしまって、以前には大人しかった魔物達すら凶暴化する始末です」


 そういえば、と道中もウサギのような小動物的な魔物がいきなり襲ってきた事を思い出す。あの時、確かヴィスベルが無慈悲にも一刀両断にした後に「襲ってくるような魔物じゃないのに」と言っていた気がする。


「……父は、どういう訳か彼らと争うことを避けようとしているわ。あの人は一族の者を守るためと言っているけど……。しかし、今立ち上がらなければ火種を継ぐことができなくなって、そうなれば私たちの一族は滅ぶも同然。そして、父の許諾が得られない以上里の者の助力は見込めないでしょう。

 お願いします、光の御子。私と共に、フラグニスの竃に巣食った魔族を討伐して頂けませんか」


 フレアがヴィスベルに頭を下げる。いかにして山に入るかを考えていた俺たちには福音のようにも思える申し出だ。


「分かった、引き受けよう」


 ヴィスベルの返答を聞いて、フレアがぱぁっと花が開いたような笑みを浮かべる。ヴィスベルも応じるように微笑を浮かべた。


「僕はヴィスベル。こっちがカウルで、そっちの子がミカエラだ。よろしく」

「ご丁寧にありがとう。改めて、私はフレア。よろしくお願いしますね、光の御子……いえ、ヴィスベル様」

「様はいいよ、よろしく、フレア」


 フレアは少しホッとした面持ちで言うと、再度カップを口に運ぶ。緊張で喉が渇いたのだろう。フレアは水をしっかり飲み干すと、真剣な面持ちで「早速だけど」と口を開いた。


「あまり時間はかけたくないの。一刻も早く竃を魔族達から取り戻さなきゃ。可能なら今すぐにでも出発したいところだけど、ヴィスベルさん達は到着したばかりで、火山に向かうには準備もありますよね。

 ここから少し北東に向かった先に、今は使われていない小屋があります。準備ができたらそこで合流しましょう。きっと、表の入り口はタルボが封鎖している筈ですから。

 ……あまり私がここにいても不自然だから、もう行きます。万が一タルボの手の者が来たら、私は来たけど追い払った事にしてください。それでは」


 そう言ったフレアが席を立ったのを見計らって、俺は玄関の方に向かう。あ、でも見送りとかしたら不自然かな。まぁいいや。俺は手早く玄関の扉を開けてフレアの方を見る。すると、フレアは何か微笑ましいものを見るような目で俺を見ていた。何故だ。


「どうかしました?」

「いいえ。さっきの花蜜水、とても美味しかったわ」

「それは、どうも」


 花蜜水、というのは花の蜜、基本的にはスイトグラスという花から取り出した蜜を溶かし込んだ水の事だ。すっきりとした甘味とさわやかな後味が特徴で、しかし蜜と水の分量が結構難しい。ほんの一滴の差で味がガラリと変わってしまい、多過ぎると甘くなりすぎたり渋みが出たりするし、少な過ぎると舌が少し痺れたり苦味が出たりする。


 神樹様の上ではこれくらいしか娯楽がなかったから、子供達でこぞって一番美味しい分量を探したものだ。出来上がればそのままおやつになる遊び道具という事で、皆結構必死になって花蜜水を作ったものである。……ビアンカ婆さんの知恵というチートを用い、一人だけ甘い汁を啜っていたのがミカエラではあるのだが。


 ——仕方ないじゃん、おばあちゃんが知ってるって言ってて、聞いたら教えてくれたんだもん。


 誰に向けて言い訳しているのだろうか。まぁいいや。


 これもビアンカ婆さんに聞いた話だが、このスイトグラスという薬草は神樹様の上のみならず、世界中の本当に至る所に生えているらしい。実際にヴィスベルやカウルに聞いてみたところ、彼らの故郷でも花蜜水といえばちょっとしたオヤツから来客時のお茶がわりとかで使われるのだとか。さっきも群生地を見かけたので、折を見て蜜を採取に行くのもいいかもしれない。


 まぁ、今回出したのは俺が魔法で入れただけの水なんだけどね。たしかにちょっと甘い感じだし、フレアはそういう風に感じたんだろう。掘り下げても何かある訳ではないので軽く流しておく。引き止めるのも悪いしね。


 走り去っていくフレアを見送り、戸を閉める。さて、俺も準備をしないと。


 そう思って振り返ると、二人は何やら深刻そうな顔で俺を見ていた。せっかくアンリエッタへの手掛かりが見つかったというのに、何だろうか、あまりいい雰囲気ではない。


 そのまま手で座るように指示され、俺は無言で先程までフレアが座っていた椅子に座る。


「今の話だけど」


 少し間をおいて、ヴィスベルが口を開いた。俺は背筋を伸ばし、ヴィスベルの次の言葉を待つ。


「すまないが、君を火山には連れて行けない」

「何でっ!」


 俺は思わず机を叩き、立ち上がる。

 ガタン、すごい音だ。自分で立てた音に驚き、俺は我に返った。

 すみません、と謝罪して、俺は椅子に座り直す。机を叩いた腕が痛い。

 俺は一度大きく息を吐き出して、胸の中に満ちていた熱気を外に追いやると、努めて冷静な態度を装ってもう一度ヴィスベルに問いかける。


「どうしてですか。私だって、そりゃ、お二人ほどではないにしても戦えます。自分の身を守ることだってできるし、負傷した時には回復魔法だって」

「たしかに、並の冒険者くらいの戦力にはなるとは思うぜ。信じられない話だが、お前の魔法センスはずば抜けてる。俺が見てきた限りじゃ、間違いなく天才の域だろうよ」


 珍しく、カウルが俺の能力を買ってくれているような発言。ならばこそ、と俺は食い気味に続けた。


「だったら、それこそ私も連れてってよ。お姉ちゃんの足取りが掴めるかもしれないって時なのに、私だけ連れてって貰えないなんてさ」

「……お前は、魔法に関しちゃ天才だ。けどな、お前は自分の限界が見えてない」

「限界?」


 聞き返すと、カウルはああ、と頷いた。


「お前の防御魔法は、一体どれくらいのものまで防ぐことができる?」


 言われ、俺は詰まった。俺の防御魔法、硬き護りの殻と広き守護の盾、そしてもう一つ。前者二つはこれまで何度も戦闘で使ってきたが、残る一つはビアンカ婆さんのスクロールで覚えてから二度、ビアンカ婆さんの前で実演しただけに過ぎない。どの魔法も、どれくらいの攻撃まで防げるのか、その見通しは無い。

 隻眼の紅の火球は防ぐことができた。だが、あの強靭な爪や尻尾から放たれるような攻撃を受けた事は無い。ブラッドウルフやバレットヘアの攻撃は難なく防ぐことができた。だが、それ以上となれば、どこまで保つかわからない。

 カウルは大きく息を吐き出して、その茶色い目で俺を見据えた。


「お前はまだまだ戦い慣れて無いんだ。限界の見極めが出来て、場合によって色々な行動が取れるなら連れて行くことも考えられる。だが、これまでの道中、お前は一体どれだけの経験を積んで来た?その防御魔法がアテにならないとき、一体どれだけの行動が取れる?」


 何か言い返そうとして、俺は自分が反論の余地無しと認めてしまっていることに気が付く。今までは何があっても防御魔法で防ぎきれる自信があった。だが、それは俺の少ない経験の中だけでの話。カウルが言う通り、俺の防御魔法で防げないような攻撃をしてくる魔物と、魔族と対峙した時。本当に、俺は動く事ができるだろうか。その自信が、持てない。


「今回は見送るってだけだ。もう少し時間をかけてその辺りを教えていこうと思ってた俺たちの見通しが甘かった。

 勘違いしないで欲しいが、相手が魔族じゃなけりゃ、お前は充分頼り甲斐がある魔導師だと思ってる。もう少し経験さえ積めば、何処へだって連れて行けるようにもなる。

 だが、今回はダメだ。フレアって子がどれだけ戦えるかも未知数で、相手する魔族がどれだけの強さなのかもわからない。

 ……それに、万が一俺たちが負傷して帰ってきた時、回復してくれるお前がいないと困るだろ?」


 子供に言い聞かせるようなカウルの言葉。いや、今の俺は実際に子供だ。それは知ってる。俺は何かを言おうとして、その言葉にならない言葉を飲み込んだ。


 結局、俺は「分かった」とだけ言って頷いた。


 悔しい想いが無いと言えば嘘になる。それでも行きたい、私は戦えると、そう告げる内心が存在するのは事実だ。けれど、俺がいる事で二人が戦い難くなる可能性が少しでもあるのなら……俺は、ここで待っていた方が良いのだろう。


 それからしばらく、俺は準備を進める二人のことをぼんやりと眺め、そして準備が終了して出発する二人を見送った。


 ……こういう時、錬金術でも出来たなら、回復のポーションなんかも渡せたんだろうか。無いものねだりは分かっていたが、思わずにはいられなかった。

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