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21.ティンデル石原

そろそろ書き溜めがなくなってきてしまった……。日刊はそろそろ無理かなぁ

 


 コッペルの街を出て数時間。丁度天辺に太陽が昇り、日差しで少し辛い。ヘパイストスはレーリギオンに比べて気温が高いのか、額から流れた汗が頰を伝ってくる。こうも暑いと普通に歩くより疲れるから嫌だ。


 俺はこっそり魔法で水を呼び出して啜る。口の中に甘露が広がり、疲労を少し回復してくれた。うん、これでまた頑張れる。


 これはビアンカ婆さんの記憶転写のスクロールに載っていた魔法の一つ、『雨露の水差し』と呼ばれる魔法だ。これは簡単に言えば、綺麗な飲み水を精製するという超絶便利な魔法である。最初はそれだけだと認識していたのだが、魔導書曰く、こうして精製される水は魔力以外の不純物を全く含まないため、飲んで安心実験器具の洗浄に便利と錬金術師にもおススメな魔法なんだとか。他にも実は水というよりは魔力に近いとかミネラルとかを含まない水なのに健康被害が出ないとか色々書いてあったけど、正直何言ってるか分からなかったので割愛する。


 あの魔導書、魔法の説明とか術式だけじゃなくてその魔法に対する筆者のコメントみたいなのがそれぞれ添えてあって、読み物として面白いんだよね。魔法が上手く発動しない時のワンポイントとかも書かれてるから魔法の勉強するには最強のテキストなんじゃなかろうか。


 まぁ、最強のテキストなのはあくまで新式魔法(モダン)に限っていえば、であるが。

 この本には古式魔法(クラシック)については序章で軽く触れられたくらいしか載っていないのである。


『古式魔法は魔法の詠唱だけで使える魔法だよ!新式魔法に比べて利用人口が多いし習得も結構簡単だよ!ただし新式魔法の方が少ない魔力で効率的に使えるけどね!』


 くらいしか書いてなかった。まぁ、今は新式魔法で苦労してないから必要になったらヴィスベルかカウルにでも聞こう。あの人たちちょっとは魔法使えるみたいだし。


 さて、この雨露の水差しで精製される水だが、これも魔導書に載っていたのだが、実は術者の魔力特性がある程度反映されるらしい。人によって辛くなったりお湯だったり、氷水になったり甘くなったり、と個人差は様々なのだそうだ。俺の場合はほのかに甘くなるほか、なんと疲労回復の効能がある。きっと命の女神の加護が影響してるんだろう。多分本気で魔力を込めたら擦り傷程度なら治るんじゃないかな。やった事ないし優しい癒しの光でいいからそんな手間なことしないけどさ。


 しかしほんとに暑いな。こんな道のりが、少なくともあと1日は続くのかと思うとなかなか死ねる気分になってくる。


「何で夜に進まないんですか……」


 いい加減気怠さが臨界点を突破したので思わずボソリと漏らしてしまった。慌てた口を噤んだ時には、カウルが「はぁ?」と呆れたような声を上げていた。


「バッカお前、夜も歩くに決まってんだろ?」


 それはこのままティンデル火山まで歩き続けるって事ですか?ちょっと、何を今更って顔でこっち見ないで。


 俺はすかんと晴れ渡った青空を見上げ「嘘でしょ」と漏らす。かんかん照りの太陽が憎らしい。今度この太陽を落とす魔法でも探してやろうか。不意に湧いた物騒な思考に待ったをかける声がする。いや待って。それは流石に過激すぎるって。


 俺は空から視線を落とし、正気かよ、という言葉を飲み込んで項垂れる。このままこの場で大の字になって寝転がりたい欲求に駆られた。いや、やっぱり暑いからエアコンの効いた部屋のベッドがいい。ミカヅキさんは現代っ子なのだ。……あ、今の俺はミカエラだったわ。反省反省、暑い日にクリスが淹れてくれた冷たい樹液と神樹様の恵みをブレンドしたジュースを思い出し、俺は現代風の部屋のイメージを拭い去る。うん、やっぱり暑い時はあのジュースに限る。

 ……今すぐにはどうやっても手に入らない点ではどっちも一緒だけどな!


 なんて、何の益体もない無益な思考に耽っていると、くつくつとヴィスベルが小さく笑う声が聞こえた。


「カウル、いくら冗談でもあんまり酷い事を言うなよ。ミカエラ、間に受けてるじゃないか」


 え、とカウルの顔を見上げると、ニヤニヤとイタズラが成功した悪童のような顔で俺を見下ろしていた。この目は見た事がある。幼少期、俺を散々いじり倒してくれた幼馴染女子と同じ目だ。俺の分のアイスを俺の目の前で食べた挙句周到に用意していた別のアイスを目の前でちらつかされた記憶が蘇る。


 ここにきて、俺はまんまとハメられた事に気が付いた。


 こんのおっさん、歳の割にやることがガキかよ」

「おら、声に出てるぞ小娘」


 カウルに言われ、内心が口から漏れ出ていた事に気付く。俺は、愛想笑いを浮かべ、努めて上品な口調で謝罪した。


「あら、失礼。ついつい本音が」


 まぁ、言ったことが事実であることは否定しないのだが。


「おう、余程痛い目見たいらしいなぁ?」


 言って、カウルが俺の頭に向かって手を伸ばす。この短い間に何度も食らったアイアンクローだ。直近に受けた痛みを思い出し、俺は咄嗟に頭を抱える。


「と見せかけてこっちだ!」


 すっと、カウルの腕が一気に下に落ちる。それは俺の脇腹を捉えていて、しまったと腕を下ろした時にはカウルの両腕は俺の脇腹に添えられていた。


「やめっ!やめて!それダメ!犯罪だからっ!」


  堪え難い苦痛が脇腹を襲う。いやほんとダメ!耐えらんない、お腹が捩れるぅぅう?!


「はははははー!悪ガキにはくすぐりの刑が一番聞くんだよー!」

「おまっ!それ絶対体験談でしょ?!はーなーせー!」


 苦痛のあまり口調が崩れる。だってホントに辛いんだもん、くすぐりの刑。いや、もうこれ地獄だわ。くすぐり地獄だ。


 カウルのくすぐり地獄から這い出すことができたのは、それからたっぷり数分もした頃だった。俺はぜぃぜいと荒い息を吐き出しながら、からからと笑っているカウルを睨みつける。ミカヅキのころから脇腹をくすぐられるのは苦手だったが、よもやミカエラになっても苦手とは思わなかった。


「お前脇が弱いのな!こりゃあ良いこと知ったわ!」


 愉快愉快と笑うカウルを目の前に、俺は体を隠すようにして下手人を睨みつけた。まだ手足に力が入らない。


「場所が場所ならセクハラ案件なんですが?女の子に対してしていい仕打ちじゃないよね?」


 深呼吸で何とか平静を取り戻し、俺はカウルに抗議する。中身の俺はともかくミカエラは女の子なんだ、気を使ってやってくれ。ついでに俺も甘やかして欲しい。


「あー。そういえばお前、女の子だったか。忘れてたわ」


 素で言い放ったカウルの脛に思わず蹴りを一発お見舞いしてしまう。いや、俺は無罪だ。だって身体が勝手に動いたんだもの。


 とはいえ身体強化も乗せてないような非力な肉体では大した効果が得られなかったようで、カウルは飄々とした表情を崩さない。その余裕がある感じが何とも腹立たしい。


「そういうこと言うからお父さんと似た年で伴侶の一人もいないんだ」


 捨て台詞のように吐き捨てると、こちらの言葉は思ったよりもダメージになったらしい。カウルは額に青筋を浮かべ、手をわきわきと動かし始める。さあっと血の気が引く。


 俺はおぞましく蠢くカウルの腕を、ヴィスベルの後ろに隠れることで回避する。秘技、ガード○ントだ。ガー◯ベントの効果は絶大で、カウルは大人しく諦めて手を下ろした。


「ほんっと小生意気になったよな。旅に出た当初の恭しさはどこ行った」


 呆れたように言うカウルに、俺ははん、と鼻で笑ってやる。散々人を小馬鹿にしておきながら敬意を求めるなんて片腹痛いぜおっさん。


「残念ながらカウルさんに払う敬意はもう満額支払済ですー」


 当然、ヴィスベルを盾にしたまま言う。だってくすぐり地獄二回目とか勘弁して欲しいし。俺たちのやり取りを見て一頻り笑っていたヴィスベルがこほんと咳払いをする。少し頭を出してヴィスベルの顔を伺ってみると、まだ頰が少し引きつっている。笑い、堪えられてませんよ。


「んんっ!とりあえず、今日はティンデル石原の中頃で野宿の予定だよ。夜は魔物も活発化するし、出来ることならあまり歩きたくないからね」


 ぽん、俺の頭に手を置いて、ヴィスベルが言う。相変わらず、この感覚には慣れない。何となくむず痒いというか、違和感があるというか。俺はあまり好きではない感覚だと思うのだが、どこか落ち着くのもまた事実。


 しかし、そうか。夜間は暑さはなくとも魔物の脅威があるのか。たしかにそれならば夜間は避ける方が安全というものだろう。現実ってそうそううまくいかないな。


 そういえば、馬車でも夜間はキャンプしてたっけ。あれ、馬を動力にする以上休憩時間が必要なのだろうと思っていたけど、魔物が活発化する時間を避ける意味もあったのかもしれない。


「この辺はまだコッペルの魔物除けの範囲内だから安全だが、もう少しでその範囲からも抜けるからな」

「……そういえば、その範囲ってどうやって確認してるんですか?」


 前々から疑問に思っていた事を口にする。ドナールの時もそうだが、二人はその魔物除けの効果範囲をかなり正確に理解しているようなのだが、その範囲というのがよくわからない。


「ああ、ミカエラは知らないか。ほら、そこに赤い柱があるだろ?あれが、魔物除けの魔導具の範囲、安全に歩ける場所を示してる。あそこを超えてしばらくすると魔物が出始めるってことだ」


 カウルが指差した先には、未だに殆ど読めない記号の羅列が刻まれた赤い柱が立っているのが見えた。『ここから』『魔物』の単語は覚えたからそれはわかるけど、あとがわからない。指輪をして確認すると、『これより先魔物注意』といったことが書かれているようだった。


「そこを超えたら野営予定地まで一切止まれないから、この辺で一服するかどうかが初心者と熟練者の境目って所だな。ほれ、干し肉と水だ」


 言って、カウルが担いでいた荷物の中から小さな水筒と干し肉を渡してくれた。二人も干し肉を取り出しており、手には同じような水筒を持っている。


「水寄せの魔法を刻んだ水筒だ。安物だが、一時間程度でコップ一杯分くらいは集まる。だいたい三時間で満杯になる筈だ。渡しておくから、ここから先は自分の判断で水分補給をするように」


 水寄せの魔法。たしか、雨露の水差しの魔法のページに、『これは古式魔法、もしくは錬金術における水寄せに類する魔法で』と書かれていたっけ。つまり、役割的には雨露の水差しと同じ効果の魔法が付与してある魔導具、という事だろ。


 それと互換性がある魔法を使えるから今までも適度に水分補給してたんだ、なんて言えるはずもないのでありがとうと言って受け取っておく。この魔導具は、周辺の余剰魔力で動くようだ。余剰魔力というのは、簡単に言えば常に体から溢れ出している余分な魔力のことである。


 魔力を持つ生物は常に体から微量の魔力を放出しているそうで、その魔力を余剰魔力というらしい。魔導書の序盤の方に書いてあった。他にも魔力の状態を細かく定義した表があったが……正直見るだけで頭が痛くなったので時々確認するに留まっている。


「肉体を流れている状態の魔力」と「魔法を使う直前、肉体を流れている状態の活性化した魔力」、「魔力が枯渇した後、一定時間の間肉体を流れている状態の魔力」にそれぞれ別の名称が付いているとかもうね。ちなみに先の三つは前から順に対流魔力、励起状態魔力、枯渇後増幅魔力というらしい。


 水筒の口を開き、少しだけ口に含んでみる。冷却の魔法も刻み込んであるのだろう。ひんやりと冷たい感触が口の中に広がる。中身の水は、余剰魔力を拾っているせいかあまり魔力の影響を受けていないようで、無機質なミネラルウォーターと言った風情の味である。少し味気ない。もちろん、そんなことは二人には言わないけれど。飲み終わった水筒はセダムの街で買ってもらった俺専用のリュックの中にしまっておく。魔導書は魔法触媒としても優秀だそうなので腰のベルトに付けられた専用の革ケースに入れてある。これもセダムで買ってもらった。


 休憩を終えて、俺たちはとうとう赤い柱の向こう側へと足を踏み入れた。カウルによると、ここから先がざっくりティンデル石原と呼ばれる地域になるらしい。


 ティンデル石原はティンデル火山を中心に広がる広大なティンデル地方の一部で、全体的に石や岩場が多い土地となっているそうだ。ただし、湧き水や背の低い草木が所々に散在しているので痩せた土地ではないらしい。暑いけど。暑さは関係ない?あ、はい。


 白っぽい石の塊が多いから、もしかしたらコッペルの街に使われていたような石材はここから持ってきたものかもしれない。


 遠くの方には草を食んでいる草食らしい牛のような影もあり、空を見上げればコンドルが大翼を広げ、悠々と舞っていた。うそ、コンドルかどうかは分かんないけど大きな鳥が飛んでただけだ。ちょっとふざけた。


「この辺は大人しい草食魔物が多いが、それでも凶暴な肉食魔物もいくらかいる。夜はそいつらが活発化するから安全のために野営するんだ」


 カウルの言葉に一度頷き、次いで降って湧いた疑問に首を傾げる。夜は安全のために野営する。それは理解するが、この石原は見渡す限り平地である。大小様々な大きさの岩こそばらばらと落ちているが、とても人が三人隠れて過ごせるような場所はありそうにない。まさかこんな見通しの良い場所のど真ん中に迷彩テントを立てて休むのだろうか?

 危険を避けるためのキャンプのはずなのに、そんな事をしたら却って危ないような気がする。


「こんな所でキャンプ、んん、野営して安全なんですか?却って危なそうですけど……」


 気付いたか、とカウルが少し驚いた風なリアクション。気付いて悪いかと不満げな目を向けてやると、カウルは何事もなかったかのように前を向く。


「それについては設営の時に詳しく話すが、まぁ安心しろ。少なくともワイバーンに頭を齧られるような事にはならねぇよ」

「ワイバ……って、この辺はそんな物騒なのまでいるんですか」


 脳裏に先日の『隻眼の紅』の姿が過ぎる。あんなのが出てきたら、身を守ることはできるかもしれないが倒せる気がしない。あの時は優秀な魔導師であるモリスの攻撃魔法があったし、何より攻撃の手数も多かった。


「まぁ、冗談だが」


 付け加えられたカウルの言葉に、俺はもはや呆れたため息を吐き出すことしかできない。ほんと、一体なんなんだこのおっさん。


「カウルさん、少し冗談が過ぎますね。というか、先日は出没しない筈の所に出たスカーレット・ワイバーンの討伐に参加したんですよ?不謹慎にも程があります」


 実際今の冗談は本当に驚いてしまったんだが。主に「ありそうだ」という経験則からくる予測のせいで。ミカエラさん怒ってもいいよね?


「お前は反応がいちいち面白いからなぁ」


 失敬な。しかめっ面で抗議してみるが、カウルは少しも悪びれる様子もなく「あんまり離れんなよー」といつもの飄々とした顔をしている。


 俺はため息を吐くと、少し早足に歩いて元の距離に戻った。あまり離れて危ない目をみるのはごめんだ。それに、下手に妙な動きをしてまた荷物扱いされても嫌だし。馬車が無いとき、魔物と遭遇したら担いだ荷物ってどうするのって前に聞いたら「中身が壊れたりしないよう配慮しつつ放り投げる」って即答されたからね。流石に俺が投げられる事は、ない……かな。八割くらいの確率では。


 そのまま変わらぬ平坦な道を行く。ただ、先程までの緩んだ空気はなくピリピリしている。あれだけ軽口を叩いていたカウルですら真剣に周囲を見渡していた。そうしてれば頼れる雰囲気でかっこいいのに。別に普段の軽いノリが嫌いって訳でもないけどさ。俺もいつでも護りの殻を使えるようにだけはしておこう。


 しばらく何事もなく進んでいると、急にヴィスベルが立ち止まって剣を抜いた。空気が変わる。ヴィスベルと同じくカウルも武器を抜いたのを見て、俺もバンから託された短刀を構える。


 馬車での移動の間、何も読書と魔法の勉強しかしてこなかった訳ではない。短刀の扱いだって、合間合間にカウルに何度か手ほどきを受けていた。……魔法と違ってこっちのセンスはイマイチだったようで、指導してくれたカウルには「全く触ったことのない素人よりはマシ」レベルだと評されるくらいの腕しかないけれど。


 まぁ、俺の戦闘スタイルは短刀に頼り切ったものじゃないし、寧ろ魔法がメインだから短刀のがおまけだし、と誰に向けてか本当にわからない言い訳をする。虚しい。ともかく、俺はいつでも魔法を使えるように全身の魔力を活性化し、循環させる。


「来るぞ」


 緊張が限界まで高まった時、近くの岩の陰から小さな影がいくつか飛び出してきた。さほど大きくはない。標準的なサッカーボールよりも一回り程度大きいくらいの影だ。


「《広き守護の盾》」


 俺は落ち着いて三人全員を覆う防御魔法を展開、その影の突進を止める。殆ど全方位からの一斉攻撃。だが、全力を込めた守護の盾を突破するには弱い。きゅい、という甲高い声を立てて弾かれたのは、一見して兎のような形をしていた。障壁に弾かれた数は合計で8。俺は目の前でのけぞっている兎をよく観察した。


 大きな耳、岩場に隠れやすい灰色の毛皮に、くりくりとした真っ黒な瞳。しかし、その愛らしい顔付きに反して、それらの後脚は異様に発達していた。実にマッスルで気持ち悪い。


 特徴を合わせて考えると、確かバレットヘアとか呼ばれる魔物だろう。ティンデル石原に生息する魔物だといくつか教えてもらった中の一種だ。


「突進してきた数は8です!」

「よし、こいつらはそれだけだ!盾を解け!突進に気を付けろ!」


 カウルの指示と警告。俺は守護の盾を解き、即座に硬き護りの殻で防御を固める。大丈夫、背後は二人が守ってくれる。俺は目の前に集中してればいい。そう自分に言い聞かせ、兎、バレットヘアの次の動向を伺う。

 大丈夫だ、落ち着いて対処すれば何とか出来るはず。そのための技術はあるんだから。……経験は足りてないけど。


 いち早く体勢を直す事に成功したバレットヘアが素早く地面に着地して再び俺に向かって突進してきた。後脚のバネが一気に解放され、目で追えるギリギリの速度に加速する。俺は琥珀色の障壁を地面に突き刺し、魔力を込めて衝撃に備える。1度目よりも少し大きな衝撃が障壁越しに伝わり、バレットヘアは再び甲高い声を上げて仰け反った。盾に傷は無い。我ながらなかなかの魔力制御だ。俺は守りの殻を消し、バレットヘアの着地予定地点に狙いを定めて短刀を構える。


「《貫く弾丸》!」


 初級の攻撃魔法、貫く弾丸。魔力を固め、弾丸に見立てて飛ばすだけというシンプルイズベストな攻撃魔法だ。初歩の初歩だけあって魔法式はとっても簡潔である。熟練者ならば素手でも使いこなせるのだろうが、初心者の俺には短刀とか杖とかを銃身に見立てて放つ方が狙いが安定する。これも魔法書のワンポイントアドバイスに書いてあった。


 短刀の先から放たれた弾丸は見事着地しようとしていたバレットヘアの頭に直撃、着弾地点で真っ赤な華が咲く。弾丸は頭部を貫通して反対側に抜けるとそのまま消失した。初めてこの手で命を奪った感触はあまりに希薄だ。消えていくバレットヘアの命の灯火を幻視してしまう。そこに、魔物や人間という差はないのだろう。いつ自分もああなるか。様々な思考が浮いてくるのを押し込める。

 感傷に浸っている場合ではない。この世界では、誰もが平等に、いとも容易く傷付けられるのだ。


「ッ!《硬き護りの殻》!」


 一瞬反応が遅れてしまった。慌てて護りの殻を発動し、背後から突進してきていたバレットヘアの突進を止める。間一髪防御が間に合い、痛みを伴わない軽い衝撃が身体を駆け抜ける。勢いよく突進してきたバレットヘアが宙を舞う。


「《貫く弾丸》ッ!」


 即座に構え、護りの殻を消すと同時に貫く弾丸を放つ。構えた短刀の切っ先から飛び出た弾丸が、今度はバレットヘアの肩あたりを掠めた。弾かれたバレットヘアがゴロゴロと地面を転がる。うまく起き上がれないのかその場で体をジタバタさせるバレットヘアの頭を、カウルの投擲した短剣が貫いた。がくり、 バレットヘアの体から力が抜ける。


「良い魔力弾だ、ミカエラ」


 カウルが武器に付いた血糊を払いながら言った。見ると、ヴィスベルも同じように血糊を払っている。周りにはそれぞれ三匹ずつ転がっていて、二人の手際がいかに良かったのかが窺える。初心者の俺と違って二人は熟練者だものな。当然の結果か。


 そんな風に思う俺を尻目に、ヴィスベルが懐から小さな袋を取り出した。何だろうと眺めていると、ヴィスベルは倒した兎の死体をひょいとその袋の中に放り込んだ。おかしい。兎を放り込む前後で袋の大きさが変わっていない。


「ほら、お前も魔物の死体を持ってこいよ」

「へ?ああ、はい」


 言われるがまま、俺はナイフが脳天に刺さりっぱなしの兎の死体を持ち上げる。もう、先程感じた不快な感覚は無い。死んだ魔物の解体だけなら、乗り合い馬車での旅の途中何度もやっていたから、だろうか。まだ暖かいバレットヘアの死体を持ち上げても、それに対して何の感慨も抱けない。そんな自分に嫌気がさした。


 自分で命を奪っておきながら、という嫌悪感。だが、浮かぶ言葉とは裏腹に、自分の感情が微動だにしないのが、なんとも言えず気持ち悪い。考えても仕方ないし、身の安全に関わることだ。抵抗がないに越したことはない。そのはずなのに、何故だろうか、どうしても自分の道徳観の欠如を指摘されたように感じてしまい、少し気分が悪い。


 俺は頭に巡り出した益体の無い考えを捨て去るつもりで兎の死体をカウルに押し付けるようにして渡す。カウルはそれからナイフを引き抜いて血を払うと、さらにそれをヴィスベルの方に投げて渡した。


 しかしあの袋、既に6匹目くらいになる兎を放り込んでもまったく形が変わらないとかどうなってるんだ?


「あれは素材袋っつって、魔物の素材を入れるのに使うんだよ。安物でも小さい倉庫一個分は入るってんで冒険者の必須アイテムだ、覚えとけ」


 カウルが俺の肩に手を置いてそんな事を言った。カウルの顔を見上げると、今は真剣な表情をしている。熟練者の余裕を感じる表情で、それがなんだか腹立たしかった。普段からそういう所ばかりなら、もう少し尊敬できるんだけどなぁ。


「まだ何も言ってませんけど」


 俺はモヤモヤとした想いを押し隠すように、そんな悪態を吐き出した。しかしカウルは黙って俺の頭に手を置いてガシガシと揺らす。


「見てたら大体何考えてるかくらいは分かるわ」


 たしかに事実だ。事実なんだが……何だかカウルに見透かされたような気がして不愉快だ。カウルのくせに。「また失礼なこと考えてるな?」と言われ、俺はぷいとそっぽを向いた。沈黙は金という諺があってだな。下手に何かいうよりもだんまり決め込んでる方がおさまりがいい事もあるのだ。


「でも、あんなの初めて見ましたよ?」

「ドナールのブラッドウルフの時も乗り合い馬車の時も皆使ってたぞ。お前が見てないだけだ」


 言われ、う、と詰まる。たしかにドナールの時も戦闘参加は少なかったし、馬車に防御魔法を張って戦闘が終わったらすぐに引っ込んでいた。だって負傷者の手当てがーって皆俺のこと呼ぶんだもん。でも、たしかに一番怪我が酷い人が真っ先に来てたけど、それ以外の人は何か作業をしてた気がする。あの時に使っていたのだろう。そんなまじまじと見る機会がなかったから分からなかった。乗り合い馬車の時も、まぁそんな感じだったし。


「野営予定地に着いたら他にも色々説明してやる。お前には冒険者としての基礎知識がなさ過ぎるってのを忘れてた」


 呆れるような口調を装ってはいたが、そのカウルの言葉からは何か暖かい心遣いが感じられ、俺は少しだけ真剣に「よろしくお願いします」と頭を下げた。




「今日はここで休むぞ」


 順調な旅路を歩き続けること数時間。夕暮れに差し掛かった頃、カウルが言った。


 辺りを見渡せば多少背が高い岩がごろごろとはしているものの、身を隠すものは無いに等しい。本当にこんな所で野営するのか?とカウルを見遣ると、カウルは背負ったリュックから鈴のような魔導具を取り出した。俺が一生懸命魔力を注いでいた魔導具だ。


 ちなみに、あのリュックも魔導具で「コンビナの大鞄」と言うらしい。見た目以上に物を収納できる鞄だ。口が大きいのでテントとかの大きいものも詰めやすい親切設計である。


 カウルは鈴を錫杖のようなものに取り付けて、適当な所に立てる。チリン、と涼やかな音が鳴って、薄い冷光の輪っかが広がった。輪の範囲は直径でおよそ10メートルという所だろうか。輪の内側に、何だか落ち着く空気が満ちる。


「これがヴィジトルの鈴っつって、簡易版の魔物除けだ。ベル爺が作った奴はギルドの規定でいくと、だいたいB級までの魔物を寄せ付けないくらいの効果だな。で、これが迷彩テントだ」


 そう言ってカウルが取り出したのは、大きな黒い革張りの筒とアタッシュケース大の箱だった。カウルは筒の中から取り出したテントの骨組みを手早く組み立てると、箱から取り出した大きな黒い布を被せていく。こればかりは体格が足りないので俺は殆ど手伝うことがない。あっという間に見覚えのある四角錐型のテントが完成した。しかし、迷彩成分はどこだろう。ただの黒いテントに見えるんだが。


 そう首を傾げていると、カウルがさらに鞄から何かを取り出した。俺が魔力を込めていた、何だかよくわからない水晶玉っぽい魔導具である。


「これが迷彩テントの核、『ハイデアの瞳』だ。これをこうやってテントの頂点にある窪みに置いてやると……、ほら、この通り」


 カウルが水晶玉をテントの頂点にぽっかり空いていたスペースにはめ込むと、黒い布が周囲の色と同化し、見えなくなった。いや、よく目を凝らせばそこに何かがあるらしい事はわかるのだが、注視しない限りは全く何も見えない。ぐるりと辺りを回ってみると、完全に透過している。テントを挟んで対面に立っているはずのカウルやヴィスベルの姿がはっきりと見えるし、向こうからもこちらが見えているらしい。カウルがテントの中に消えると、もはやその姿は完全に視認できない。カウルに呼ばれて中に入ると、中は普通に黒い布張りのテントの内装だった。魔法って凄い。


「朝は日が昇る前に出発するから、飯食ったらさっさと寝るぞ」


 言われて、俺は頷く。外に出ると、既にヴィスベルが布を敷いて魔物を捌く準備をしていた。俺たちは三人車座になって、今日狩ったばかりの魔物をバラしていく。牙や爪、骨や毛皮と言った、主に換金目的に使われる素材。食用にも適さない内臓部分。そして、主に食用となる肉。カウルに教わりながらバラすのは、乗り合い馬車での野営の時と変わらない。あの時に比べたらこっちの手数も捌く魔物の数も圧倒的に少ないが、最終的に捌く数は同じくらいになりそうだ。


 血生臭い匂いは汚れごと『清めの風』という洗浄魔法でどうにかなるので着替えの手間は省く。俺の膂力では小さな兎の解体すら大変なので、身体強化はきちっと発動しておく。

 明るい導の光で手元を照らしながら作業をしていると、ひと段落ついたらしいカウルが適当な石に腰掛けて感嘆したらしい息を吐き出した。


「ほんと、魔法に関しては器用な奴だな、お前は」

「いきなりなんです? ていうか、それ遠回しに魔法以外は不器用だって言ってませんか?」


 いい加減集中力も切れてきたので、俺はナイフの手入れをしながらカウルの方を向いた。この手入れの仕方も、カウルに教わったモノである。というか、刃物の扱いに関してはほぼほぼカウルの指導を受けている。カウルはモノを教えるのが上手いというか、そういう時の物腰だけは丁寧なのだ。


「不器用、とまでは言わないが。あんまり器用な方ではないだろ?」

「う……。まぁ、そう言われると……」


 神樹様の上でも、少し鈍臭いというような事を言われなかった訳でもない。身体を動かす事は多少得意だったが、それにしたって飛び抜けて身のこなしが良かった訳ではなかった。家事なんて神樹様の上ではしないし、他は剣とか格闘だけど……それは、ミカエラが幼い女の子である事と、クリスが承服しなかったことから手ほどきは受けていない。戦士見習いの半端な指導を受ける訳にもいかなかったので、本当に戦闘に必要な技術は学んでこなかった。


 そう思うと、こうしてヴィスベル達に同行しているのは本当に奇跡みたいなもののような気がする。俺に魔法の才が無ければ。ビアンカ婆さんがいなければ。ビアンカ婆さんのお師匠様がこんな魔導書を残していなければ。何か一つが欠けているだけで、俺はこの場にいられなかったのだから。


「しっかし、お前の魔法の扱いは、何ていうか……。魔法使いらしくないよな」

「らしくない、ですか?」


 ナイフの手入れが終わったので、残る魔物の解体に戻りつつカウルに聞く。あとほんの数匹分だから、もう一時間程度で全て終わるだろう。


「何だろうな。俺の知ってる魔法使いは、みんなもっと勿体ぶった使い方をしてたっていうか……」

「?使えるものなら積極的に使っていかないと、それこそ勿体無いのでは?」


 明るい導の光の光量が少し落ちていたので魔力を継ぎ足し、身体強化を発動する。ほんと、魔法って便利だわ。向こうじゃ道具を使わないとできなかったようなことが全部一人の技術で完結してしまう。


「まぁ、そうだな。そういうものなのかもしれん」


 カウルは何か納得した様子で頷くと、彼もまた一度置いたナイフを取って魔物の解体作業に戻るようだった。


 それにしても、ヴィスベルはこんな作業よく休憩なしで続けられるね。俺たちが話してる間も黙々と捌いてたし。あ、地元でずっとやってた事なんだ?そういえばカウルの旅の話は結構聞くけどヴィスベルの地元での話ってあんまり聞かない気がする。


 全ての解体作業が終わった後、俺はヴィスベルに故郷での話をせがむ事を決意して、それを楽しみに一層作業に身を入れた。


 ……まぁ、作業が終わって夕食を食べたらすぐに眠くなって寝てしまったから、結局ほとんど聞けなかったのだけれど。長い付き合いになるだろうし、そのうち聞く機会もあるだろう。


 そうぼんやりと考えて、俺は心地よい微睡みに落ちて行った。

それでは恒例のコメント下さいコーナー!

ご意見ご感想ご要望などございましたらどうぞー。

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