忘れかけていた大切な想い出
「タケル君っ……」
マウスを操る手が震え、私は途中から左手も添えて画面をスクロールしなくてはいけなかった。
でもそれは小説の展開に感動したからではない。小説を読んで忘れていた想い出が呼び覚まされたからだ。
それはまだ小学校に入ったばかりの頃、私とタケル君が公園で遊んでいたときのことだ。
突然上級生の男の子達が私たちを囲んだ。
「それ、貸せよ」
意地の悪そうな目をした男の子が私の手からオモチャを奪い取った。今となってはそれが人形だったのか、おままごとの道具だったのかも思い出せない。
泣き喚く私を見て、タケル君は上級生に突撃した。
「ひなたちゃんのオモチャを返せよ!」
その叫び声はとても頼もしいものとして私の耳に響いた。
しかし上級生の男の子達の耳には、忌々しく鬱陶しいものに聞こえたのだろう。タケル君はその子達に殴られ、蹴飛ばされ、引きずり回されてしまった。
それを見た私は更に大きな声で泣いていた。
怖かったからでも、オモチャが帰ってこないからではない。
私を助けようとしてくれたタケル君がイジメられるのが悲しくて悔しくて惨めだったからだ。
男の子達は勝ち鬨を上げるように私のおもちゃを踏み付け、破壊して立ち去っていった。
タケル君はその壊れたオモチャを手に取り、申し訳なさそうに私に手渡してきた。
「ごめん、ひなたちゃん……おもちゃ……壊れちゃって……ごめんね」
まるで自分が壊してしまったかのようにタケル君は謝った。たった一人で私のために戦ってくれたのに、申し訳なさそうに謝った。
私は「ごめんね」とか「ありがとう」とかを伝えられず、ただただ泣いてタケル君を困らせていた。
「なんでタケル君はっ……そんなに馬鹿なのっ……人のために頑張りすぎだよっ……」
息を詰まらせながら泣いた。
タケル君はそういう人だった。いつも人のために一生懸命になってしまう。
私はなんでこんな大切な記憶を忘れてしまっていたのだろう。
あんなに優しいタケル君に、なんで私はもっと優しくしてやれなかったのだろう。
そんなことを思っても、全ては言い訳にしかならない。
今すべきことはタケル君を見つけ出し、連れ戻すことだ。
自分を責める振りして贖罪の念で気持ちを楽にしようとしてはいけない。
彼の影を追うように私は小説の続きを読む。
結局タケル君は本当に武器を持たず、一人きりで嘆息の洞窟へと向かった。
敵の大参謀サバトというのは魔族の中でも異質な存在である。どちらかと言わずとも力でゴリ押し気味の魔王軍にあって、彼は魔術や知略で攻めてくる頭脳派だった。
(大丈夫……タケル君は必ず勝てる。だって私が行った異世界にはシャーロットがいたんだから……)
結果を知ってる私はタケル君がここで負けるはずがないという強い自信を持っていた。しかしそれでも酷い目に遭わされるんじゃないかとハラハラしてしまう。
案の定一人で向かった嘆息の洞窟で待っていたのは平和条約の協定テーブルではなく、タケル君を殺すための罠だった。もちろんサバトもタケル君が罠だと気付いていることは百も承知だ。しかし罠と知った上でタケル君が丸腰でやって来ると見抜いていた。
彼は仲間を見棄てるという非情なことは出来ない。その甘さを衝いてきたのだ。
────
──
「なんで来たのよ! それも武器も持たずにたった一人でっ! 馬鹿っ!!」
シャーロットは僕の姿を見るなり泣きながら怒鳴った。まだ僕を罵る元気があるのを見てほっとした。
「おいおいシャーロットさん。せっかく助けに来てくれた愛しの勇者様にその言い方はないんじゃないのか? 敵ながら同情するよ、タケル君」
サバトはわざとらしい丁寧な言葉遣いをし、毒をたっぷり含んだ口振りであざけ笑う。
「シャーロット、きみは僕の仲間だ。仲間を見棄てる訳にはいかないだろ」
「なに格好つけてるのよ! 私一人の命なんかより人類全ての命を救いなさいよっ!」
シャーロットは本気で迷惑そうだった。きっとこの世界では自分の命よりも守るべきものはあるのだろう。
常に危険に晒され、明日とは言わず今日死ぬかもしれない日常。家族も大切な人も殺され、死というものへの恐れや禁忌が摩耗してしまっている。
一人の命より人類全員の平和が優先され、その為には自分の犠牲も厭わない。
ファンタジー異世界はそういう世界だ。
それでも僕は、仲間の命を見棄てる生き方が出来ない。
「人類全ての命を救うに決まっているだろっ! シャーロットっ! 君もその人類全ての中の一人なんだっ!」
そう叫ぶとシャーロットは目を見開き、そしてすぐに僕から視線を逸らして「馬鹿……」と呟いた。
二回も馬鹿と言われなくても分かっている。僕は馬鹿なんだろう。だけど馬鹿だからこそやれることもある。
「せっかく盛り上がってるところ悪いが、そろそろ死んでもらう時間だ」
知将サバトが指を鳴らすと潜んでいた魔族兵が一斉に姿を現す。
弓を構えるもの、斧を担ぐもの、剣の切っ先を向けるもの。
その数はざっと見た感じでも三百名はいた。
サバトの尖兵達は憎々しげに僕を睨む。そりゃそうだろう。僕はかなりの数の魔族を殺してきた。人間が身内を殺した魔族を恨むように、魔族も同胞を葬った僕が憎いんだろう。
それは互いに排除しようと殺し合う者同士、避けられないことだ。どちらが正義でどちらが悪か、それはこの人類対魔族の戦争に勝った方が決めることだ。
僕は体勢を低く構え、攻撃に備えた。武器はなくとも魔術は使える。サバトの集めた精鋭だから楽ではないだろうが、勝ち目がないわけでもない。
「おいおい。タケル。まさか戦おうなんて思ってないよな? 抵抗すればこの小娘の命はないぞ?」
サバトは大袈裟に驚いた振りをしながら手にした短刀をシャーロットの首筋に当てた。
「こんな奴の言うことなんて聞いちゃ駄目っ! サバトはどうせあなたを殺したあと私も殺すわ!」
「失礼なことを言う女だ。私はタケルさえ殺せればそれでいい。お前ごときの命など興味あるか。タケルが抵抗しなければシャーロットの命は保障してやろう」
「約束だぞ……」
僕は黙ってその場に座り目を閉じる。
「タケルっ! 駄目っ! 戦って!」
うるさい奴だ。シャーロットは本当に僕が無策でここにやって来たとでも思っているのだろうか?
いくら馬鹿な僕でも、そこまで愚かではない。
策は、ある。確かに危険な賭けだが、今はそれに賭けるしかなかった。
僕はそっと目を開け、シャーロットの目を見る。
ようやく僕の考えに気付いたのか、シャーロットはすうっと息を飲み、震える目で僕を見詰めていた。