日没の合図と共に
決戦の場所に選んだのは『枯渇の荒野』と呼ばれる荒れ果てた岩石沙漠だった。大地はゴロゴロと岩が転がりその他には見渡す限り何もない、荒涼とした景色の中に私たち五人は佇んでいた。
私たちが逃げられる場所はないが、この場所ならばどんな大惨事になっても被害は出ない。背水の陣を敷くのも覚悟の現れだ。
私たちの作戦を説明するとリュークさんもエマさんも理解を示してくれた。ただしシャーロットの術が通用しなかった場合は直ちにタケル君を打つ作戦に変更するという条件だ。
日が傾き西の空が赤く染まり、高い空は夜の暗闇を帯び始めている。風を防ぐものがない荒野には常に強い風が吹き、乾いた砂や小石を巻き上げていた。
風の音しか聞こえない寂寞とした大地に立ち、目を細めて地平線を望んでいた。
「本当にここにタケル君、来るのかな?」
「必ず来るわ。今まで二回ともヒナタがこの世界に来るとタケルがやって来た。間違いなくタケルはヒナタに反応して現れる」
昼と夜の間の空を見詰めながらエマさんが答えた。
あの陽が地平線に沈めば、戦いが始まる。緊張で脚が震え、喉がカラカラに渇いた。
私とシャーロット、サバトが岩影に隠れ、エマさんとリュークさんが迎え撃つ。隙を見てサバトが飛び出して意識がそちらに集中したところで私がタケル君を捕縛する作戦だ。
太陽の下弦がかかった地平線は空間が捻れたかのように揺らめいていた。
あと少しで戦いが始まるというのが信じられないほど静かだった。
緊張が迸る中、シャーロットが突然呟く。
「私、ヒナタに嘘ついてた」
「え?」
「私、タケルを好きとか嫌いじゃなく仲間として助けた言っていったけれど、本当は嘘。タケルが好き……大好きなの。愛しているから、助けたい」
恋する女の子の目をして想いを白状するシャーロットが可愛かった。
「うん。知ってた」
「なにその言い方? ムカつく」
「私もシャーロットとサバトに嘘をついていた」
「なんだ?」
「私の胸の大きさ。私の世界では標準的って言ったけど、あれは嘘。本当は標準より、ちょっと小さめ」
「知ってた」「知ってた」
「なにそれっ!? ハモんないでよっ!」
シャーロットはおろか、サバトもにやついていた。
「私も、嘘をついてた」
「え、サバトも?」
「ああ。タケルを助けたいのは利害のためだけだと言ったが、嘘だ。魔族を殲滅させようしなかったはおろか、共存しようと人類に提案したあの男に多少感謝しているし、興味がある。だから助けるんだ」
「それも知ってたし……」
結局私たちの嘘はみんな知ってることばかりで、嘘の白状大会で新しい事実は発覚しなかったけれど胸には温かいものが灯った。
「もしシャーロットの術が効かなかったとき、最後の手段がある」
サバトはワントーン低い声で私とシャーロットにそう言った。
「最後の手段……?」
「ああ……それは──」
サバトの口から伝えられたその作戦はとても受け入れ難いのものだった。
「そんなっ……」
「あくまで最終手段だ。それをするかどうかはお前らで決めろ」
さすがのシャーロットも言葉を失っていた。
その答えなど考える暇もなく、地平線に陽が沈んだ。
それを待っていたように東の空から奇声と共に飛来物がやって来る。
それは禍々しい気配を放ちながら、物凄い勢いで私たちに迫ってきた。
『タケル君っ……』
禍々しい紫のオーラが辺りの空に暗雲のように立ち籠めている。数日前見たときよりも、そのオーラは遙かに巨大化していた。
髪は逆立ち、目には生気がなく、黒目まで深紫に染まっている。
「ガァアアアアアッ!!」
威嚇するように開いた口からは鋭い犬歯を覗かせている。目を逸らしたくなるのを堪え、変わり果てたタケル君を正視した。
タケル君はエマさんとリュークさん目掛けて突撃する。
ドゴォオオーンという爆音と地が割れたような衝撃が走る。
二人は左右に分かれてそれを回避したが、タケル君が叩きつけた衝撃で飛び散った岩の破片が二人を襲う。
私たちが想像していたよりもタケル君の力は増しているようだった。
タケル君は牙を剥き、リュークさんへと飛び掛かる。
「こっちだ、愚か者っ!」
猶予はないと判断したサバトが岩陰から飛び出しタケル君の注意を引きつける。
「グワァアアアッ!」
獣じみたタケル君は憎悪の塊のような表情と叫び声でサバトを威嚇する。
その隙にリュークさんが槍を突き立ててタケル君に襲い掛かった。重厚な鎧を身につけているとは思えないほどの軽快な動きだった。
「ギャウウッ!!」
槍は心臓辺りを狙っていたが少しずれて肩にあたり、小枝のように折れてしまった。
タケル君は何の躊躇も示さず、かつての戦友であるリュークさんを殴り飛ばす。
「ぐわっ!!」
その威力は凄まじく、リュークさんは軽々と数メートルも宙を舞って地面に叩きつけられた。
「ヒナタ、もう行ってっ!」
「う、うんっ!!」
シャーロットに背を押され、慌てて立ち上がる。あれほど訓練したのに、やはり私は意気地がない。魔道杖で身体を支えながら立っているのがやっとなくらい脚が震えた。
まだ私に気付いていないタケル君は再びサバトを睨み、襲い掛かる間合いを計っているようだった。
エマさんが剣を構え、タケル君の背後に回ろうとすり足で距離を図る。
「ヒナタ、早くっ!」
私がタケル君を掴まえないと皆殺しだ。分かっているのに恐怖で竦んでしまう。
サバトは私の攻撃を待たず、上空からタケル君に炎の刃を投げつけた。しかしそれらはタケル君を纏う紫色のオーラに吸い込まれて消えてしまう。
「ヴァアアッ!」
タケル君が吼えると嗾けられたようにその深紫のオーラがサバトを目掛けて迸る。
「うああっ!?」
あまりの速さにサバトは対応しきれず、避けきれなかった一部がサバトの脚を掠めて鮮血が飛び散った。
「嫌っ……こんなのっ……こんなの嫌だよっ……」
仲間の危機にエマさんが反応し、タケル君の意識を自分に集めようと一気に間合いを詰める。
「シャアアアッ」
蛇のような声を上げ、タケル君は手刀を突き出す。
はじめから注意を逸らすだけが目的だったエマさんはそれをひらりと交わすが、タケル君の方も交わされるのは予測済みだったらしい。
素早く体勢を整え直したタケル君は右手を翳し、五指からオーラを飛ばす。
エマさんは慌てて転がりながら逃げるがオーラは追尾するように曲がり、彼女の肩や脚を貫いた。
「きゃああっ!!」
エマさんは転がりながら血を噴き出す。
「もうっ……もうやめてっ!! タケル君っ! もうやめてっ!! お願いっ!!」
喉が裂けるほど怒鳴り、その瞬間に白い光のオーラが私を包んだ。
ようやく私に気付いたタケル君が振り返る。
「アガガガァァ……」
タケル君は私を見ても、もう思い出してはくれなかった。
常軌を逸した目つきで、知性のかけらも感じさせない声を上げ、憎悪に満ちた表情で私に躙り寄る。今の彼の目には、私は敵か獲物にしか見えていないのだろう。
「タケル君っ……帰ろう……私と一緒に……もうこんなことはやめて……」
「ヒナタっ! 今のそいつに言葉は通じないっ! 早く束縛しろっ!!」
サバトは叫んで指示していた。タケル君も私が放つオーラが強烈であることを本能的に感じているのか、先ほどまでに無鉄砲には攻めてこなかった。
「タケル君っ! お願いだからっ!!」
私は杖を振り翳し、タケル君に向かって振り下ろした。その瞬間、光のオーラがタケル君へと絡み付く。
「ギャワワァアアッ!!」
光の束がタケル君に絡まる。しかしタケル君が全身に力を漲らせるとブチブチと切れてしまう。それでも私は力を緩めず、更に光の束を放ってタケル君に巻き付けた。
「タケル君っ! 思い出してっ! 私だよっ! 幼なじみの陽向だよっ!」
光が一層強く輝き、タケル君に絡まる。その瞬間、タケル君の瞳にほんの僅かに揺らぎが生じた。
「ヒナ、タッ……逃ゲ、テ……」
「タケル君っ……逃げないっ。逃げないよ……私は、逃げないっ!! あなたを助けるのっ! 助けたいのっ!!」
光の糸が繭のようにタケル君に巻き付き、動きを封じる。
「ギャアアアアアアアアッ!!」
タケル君の意識はすぐに消え去り、化け物じみた叫び声が響く。
「クズガ! ブヒルッ! テメエナンカ死ネ! 生キル価値ナンテネェダロッ! マジオレナラ自殺スルワッ!!」
突然タケル君は言葉のような叫び声を上げはじめた。しかしそれは喋っているというよりは言葉を覚えた九官鳥が喋っているような、抑揚も感情もない言葉だった。
(ブヒル……? これって……不良どもがタケル君に暴行を加えていたときに言っていた言葉じゃ……!?)
「ヒナタっ! しっかりしろっ! 力を抜くな!」
サバトが私の隣に駆け寄って頭に手を置き、がしがしっと揺らしてくれた。
「悪魔に惑わされるなっ! 全力で抑えつけるんだ!」
「はいっ!!」
私はサバトに訓練で教わったことを思い出し、感情を無にして力を籠める。
完全に抑えつけたのを確認し、シャーロットが岩陰から飛び出してきた。
「タケルッ!! 今助けてあげるっ!」
シャーロットは両手を翳し、タケル君に術を放つ。