もう一つの異世界を救った男
村は既に荒れ果てていたから燃えるものも少なく、消火作業はすぐに終わった。ひとまず落ち着きを取り戻したところで私とシャーロットとヒゲの長老、そして数名の村人は教会に集まっていた。
何が何だか訳が分からず、頭がパニックだった。タケル君は見つかった。しかし予想していた最悪の状況、タケル君が既に死んでいるというよりも更に悪い状況だった。
「どうしてタケル君があんなことにっ……いったいあのあと、何があったんですかっ!?」
私が魔王を倒してところまでを知ってることを伝えると、長老は「ちょっと辛い話になるかもしれんがな……」と前置きをしてからゆっくりと語り始める。
魔王を倒した後、タケル君はもう一度この異世界に戻ってきた。
そのとき人類は魔族の残党との戦いを繰り広げていた。
タケル君が危惧したとおり殲滅されるのを怖れた魔族達は必死に抵抗を続け、戦いは泥沼化の様相を呈していた。
その魔族達を取り纏めたのは魔王軍最後の将となった大参謀サバトだ。
サバトは魔族達を集め、数十万という大群で一気に王国の城を攻めてきた。その勢いは隕石の落下のような激しさだったらしい。
城はあっと言う間に破壊され、国王も討ち死にした。しかしそれはサバトの作戦の第一段階に過ぎなかった。
サバトはそのままこの「はじまりの村」へと大群を率いてやって来たのだ。
人類に蹂躙され、特にタケル君に恨みを持っていたサバトの目標はなんと──
「奴の狙いは、異世界じゃった。君たちの住む、そしてタケルの生まれ故郷の異世界じゃ。まああんた達から見ればわしらの住むこちらの世界が異世界なんじゃろうが」
「私たちの……世界っ!?」
「そうじゃ。サバトはタケルが古井戸からこちらの世界とそちらの世界を往き来していることに気付いてしまった。モンスター達はその井戸に飛び込んで異世界に行き、そちらの世界の人類も皆殺しにするつもりだったんじゃ」
「そんなっ……」
自分たちとはまったく関係がないと思っていた異世界は、実はすぐそばまで躙り寄っていた。
「この小さな村に数十万のモンスターアタックが起きたのよ」
シャーロットは痛ましげに顔を歪めて説明を継いだ。
「モンスター達は一斉に井戸へと向かった。しかしその時タケルはたまたま村に戻ってきていたの」
「つまり……」
「タケルは一人で戦った……数十万のモンスター相手にね」
「す、数十万っ……」
シャーロットは手をきつく握り締め、涙声で続けた。
「その時私はまだ目覚めてなくて……治療のために魔道高原にある病院に移送されていたのっ……私がいたら、絶対に止めていたのにっ……」
「シャーロット……」
シャーロットは握った拳で何度も何度も自分の太ももを叩く。時が経った今でも何も出来なかった悔しさがこみ上げてしまうのだろう。
喋れる状況じゃないシャーロットに代わって再び長老が説明を続ける。
「タケルは戦った。たった一人で、数十万のモンスターと。魔王と同じ力を持つタケルだ。桁違い力で次々とモンスターを蹴散らしていった。一撃で数百のモンスターを屠る力に怯えて逃げ出す魔族も多くいた」
井戸の前に立ち、数十万の魔族と一人で対峙したタケル君の姿を想像する。それは正に絶望とも言える光景だった。
「普通に戦えばまだもしかするとタケルにも勝機はあったかもしれない。しかしタケルは井戸を守って戦わなければならなかった。いくらのタケルでもその状況は厳しすぎたのじゃろう。次第にタケルは傷付き、それでも逃げずに戦ったんじゃ……あんたらの住む異世界を守るために」
「タケル君が……私たちのために……」
胸に熱いものがこみ上げ、涙が溢れた。
なんでタケル君はそこまでして世界を救ってくれたのだろう。
学校で虐められ、疎まれ、気持ち悪がられ、馬鹿にされ、無視され、何にもいいことなんてなかったはずなのに。
「私たちのため? ふざけないで。タケルはあんた一人のために命を張って戦ったんじゃないっ!」
シャーロットが真っ赤な目をして怒鳴った。
「わたしの……?」
「そう。ヒナタのせいよっ! タケルは魔王との最終決戦の前、私に言ってたわ。異世界での暮らしは苦しいって。友達もおらず、何一つ上手くいかず、将来の希望も持てない暮らしだって。だったら私たちの世界に住んで欲しいって何度もお願いしたの」
「タケル君がそんなことをっ……」
私が読んだ『異世界を救った男』にはそんなこと書かれていなかった。きっとそれはタケル君が私に聞かせたくなかったからだろう。
あれはタケル君が書いたものだ。私に見せたくないものは書いていない。当たり前のことだった。あれは私にだけ向けて書かれたものなのだから。
「でもね。タケルはヒナタがいるから、ヒナタが生きている世界だから捨てられないって言ったの……あなた一人がいるだけで、タケルにとっては大切な世界になってしまっていたのっ! あなたさえいなければタケルは命を賭けて戦わなくて済んだのよ! ヒナタがタケルを危険な目に晒したのよっ!」
「やめんか、シャーロットっ!」
衝撃と共に眩暈が起きた。
シャーロットの言う通り、私がタケル君を苦しめる原因だったのだ。
「それは違う」とたとえ誰が否定しても、私はそれを受け入れられない。私さえいなければ、タケル君はそんな思いをせずに済んだんだ。
「タケルはこの世界を守ったのと同じように、あちらの世界も守りたかったんじゃ。タケルにとってどちらも大切な世界。そういうことじゃ」
長老は私の顔を見ながら慰める。しかしそれをそのまま受け容れられるほど、私は楽天家でも厚顔でもなかった。
「傷付いたタケルはダークサイドに陥った。既にダークサイド状態でもタケルはそれを操れるまでに成長していた。しかしその過信が余計に最悪の結果を招いてしまったんじゃ……」
「過信が、最悪の……?」
「そう。ダークサイドの力はそんなにたやすく扱えるものじゃなかった。丸三日間、タケルは戦い続けた。数十万いたモンスターも既に一万を切るほどになっとった……減れば減るほど逃げ出すモンスターも増え、不可能と思われていた勝利すら見えてきた。しかし……」
長老は苦しそうな顔をして一度大きく息を吸った。
「タケルはあまりにも長くダークサイド状態になりすぎた。負の側面が、正常なタケルを飲み込んでしまった……タケルの理性が、ダークサイドの力に負けてしまったんじゃ……」
それが今の災禍の始まりだった。