この世界の英雄
更にその翌日には日常生活を送るのに支障がないレベルまで快復していた僕は一人でシャーロットの病室に来ていた。
シャーロットはまだ目を醒まさない。このまま目を醒まさず、草木のように何も言わずに生きていくのだろうか?
「シャーロット、起きてくれよ……頼むよ……」
ベッドの傍らで跪き、細い彼女の指を握る。
僕を口悪しく罵り、呆れながらも信じて共に戦ってくれ、そしてこんな僕を好きだと言ってくれたシャーロット。
その気持ちにもきちんと答えすら出してやれなかった情けない僕なのに、シャーロットは命を賭して助けてくれた。
「こんなの、ずるいし……目を醒ませよ、シャーロットっ!! 自分だけいいかっこするなよっ……」
僕は声を上げて泣いた。恥も外聞もなく。
こういう時、僕の涙の滴がシャーロットの頬辺りに滴ると突如目覚めるというのがテンプレだ。
馬鹿な僕は立ち上がり、涙をぼたぼたとシャーロットに落としてみたが、当然ながら目覚めることなんてなかった。
──やっぱりキスの方だったか?
僕はゆっくりと顔をシャーロットの顔へと近付ける。
「やっぱりここにいたのね」
開いたままの病室のドアを申し訳程度にノックしながらエマが壁にもたれて立っていた。
慌てて僕はシャーロットから離れる。
「国王が呼んでるわ……」
「あ、ああ……分かったよ」
気を遣ってくれたのか、エマはキス未遂事案には触れず、静かに用件を伝えてくれた。
そこまで気を遣うならキスが終わってから素知らぬ振りをして声を掛けてくれたらいいのに。
城に着くとサプライズの為に潜んでいた楽団が姿を現しファンファーレを奏でた。
通りには人が溢れ、笑顔で僕に惜しみない拍手と花びらのシャワーを注いでくれる。人々の祝福は僕の沈んだ気持ちをより惨めにしていく。
とても祝える気分じゃないが、人々の感謝の気持ちに応える為に無理に笑って手を振り返す。
場内の通路では仰々しく衛兵達が左右にずらりと並び立ち、僕が通り過ぎると次々と敬礼をしていく。
この世界を救った英雄として誰もが僕に敬意を払い、崇めてくれていた。
玉座に座っていた国王は僕が前まで来ると、自らも歩み寄ってきた。そして僕が跪くのも許さず、固い握手を結んできた。
その隣にはこの戦争での功績が認められ、中将から大将へと昇格した騎士団長リュークの姿もあった。
「タケル。全人類を代表してお前に感謝を述べる。本当にありがとう」
「……いえ。みんなで力を合わせた結果です」
僕は本心でそう言っただけなのだが、人々は大喝采で僕の謙虚さを褒め称えた。
国王とのやり取りはもはや僕にとって儀礼的な意味しかなかった。褒美だとか称号だとか、そんなものは全て断ったのだが、どこまで聞き入れてもらったのかは分からない。そんなことよりも僕は早くシャーロットの元に戻ってやりたかった。
国王との謁見の後はリュークに連れられて軍本部に連れて行かれた。
戦争が終わったというのに、会議室には沢山の軍人がおり、地図を広げて何やら会議がなされていた。
僕が入ると同時に軍の重鎮達は背筋を伸ばし敬礼をする。
沢山の軍幹部がこの戦で命を落としたから、この会議室にいる幹部には若い者が多くいた。この新しい世代がこれからこの世界を守っていくことだろう。
「魔王を倒したのにまだ会議なんてしてるんですか?」
僕が問い掛けると若い将校の一人が溌剌とした顔で「はいっ!」と答えた。まるでその質問を待っていたかのような態度だった。
「まだ大参謀サバトも捕まえてませんし、魔族の残党も多く残ってますから」
「魔族の残党?」
嫌な予感がした。
「はい。魔王は倒したとはいえ、魔族が残っていたら安心して暮らせません。全ての魔族を駆逐してこそ、我々は真の勝利を手にしたと言えますっ!」
若いその男は正義感と希望に満ち溢れた顔でそう言い切った。『英雄であるタケル』にその志を褒めてもらおうと、やや紅潮させた顔で僕を真っ直ぐに見詰めていた。
「それは駄目だ」
僕が否定するとそこにいた全ての人が、リュークもエマも含めた全ての人が、驚きと戸惑いの顔になった。
「もちろんここからは我々の戦いだ。タケルの手は煩わせない」
リュークは執りなすように付け加える。
「そうじゃない。確かにサバトは危険な存在だから討った方がいいかもしれない。けど全ての魔族を排する必要はないはずだ」
「この期に魔族を全て討たなくてはいつかまた争いが起きる」
「それは可能性の話だろ? でもよく考えてくれ。魔族の中には最初から最後まで魔王軍に属さず、人間との争いをしてこなかった種族もいる」
会議室の空気が変わっていく。先ほどまでの僕に対する敬意の気配はやや不穏なものになりつつあった。もちろんすぐに批難をするような者はいないが、明らかに僕の発言に異論がある気配だった。
「そうだな。エルフ族やユニコーンなどの魔族については考えなくてはいけないだろう」
「いやそれだけじゃない。ゴブリンであれゴーレムであれオークであれ、その全員が魔王軍にいたわけじゃない。僕も敵として戦ったオークもいたが、時にはオークの村で助けてもらったこともある。それら一人ひとりを見分けられるのか?」
僕が視界を流すと、視線が合いそうになった者は慌てて俯いたり目を逸らしたりする。
「それを言えばきりがない。確かにタケルの言うことはもっともだが、我々はこれからも平和を守らなくてはならないんだ。分かってくれ」
リュークは人類を代表するかのように答えた。ややこしいことは言わず頷いてくれ。彼の目はそう語っていた。
「僕はなにも魔族と手に手を取り合って暮らすべきだとか、そんなことまで言うつもりはない。ただ追い込みすぎてはいけないと言いたいんだよ」
「追い込む?」
「そう。魔王が死に、魔族達はかなり力を失った。今や人類の脅威でもなくなった。しかし殲滅しようと追い立てれば、話は違ってくる。今まで人と争わなかった魔族も人と戦わざるを得なくなるんだ」
「……それはある意味仕方ないことだ。それがこの世界の定めだからな。危険な肉食獣がいれば、タケルの世界でも排除するんじゃないのか?」
それは確かに彼の言う通りだ。そのために絶滅した種も多いだろう。自分たちの業を棚に上げて異世界人を批難するのは、自然破壊をして発展した先進国が、発展途上国に自然破壊をするなと言うような身勝手なのかもしれない。
だけどどうしても魔族を殲滅するというリューク達の考えには賛同できないわだかまりを感じていた。
「本当に仕方のないことなのかな? 追い詰められた魔族はとんでもないことをしかけてくるかもしれない。下手に刺激すれば訪れなくてもよかった危機を自ら招くことになるかも知れないんだ」
もはやこの会議室に僕を聞き入れる耳を持ったものはいなさそうだった。
思い過ごしかもしれないが、人々の目からは「しょせん異世界から来た者」という気配を感じる。もちろんいきなり僕の敵になるほど極端ではないが、僕の言葉に賛同するものはいないようであった。
しかしそれも仕方のないことだ。この世界の住人達はあまりに長く魔族と戦いすぎた。そしてその戦いであまりに多くの地獄を見すぎたのだ。
どちらかがどちらかを殲滅するまで、彼らの中で戦いは終わらないのだろう。
それはきっとチートな能力を持ってこの世界に転移した僕には決して理解できない根深い問題だ。
もしこの場にシャーロットがいたとしても、きっとこう言うだろう。
「馬鹿じゃないの、タケルっ! いいとか悪いとかじゃない。魔族は一匹残らず殺さなきゃいけないのっ」って。